◆《閑話〜アンヘルの手記》第4回
お話の切り替えとして、今回もアンヘル目線の閑話を書きました。本編で詳しく書けなかった設定などを、会話文なしで描いております。
読み飛ばしていただいても、本編ストーリーの進行には問題ありません。
船旅は快適なものだ。これが休暇であればどれほど楽しかったかと思う。すっかり寛いでしまったが、感じたことを忘れないうちに書き残しておこうと思う。
各国を繋ぐ長期航路の船のほとんどは、古代文明の遺産だ。私が今回乗船した船も、話に聞いていた通り、遺跡からの発掘品を修復したものだった。我が伯爵領には大きな川はなく、船を見るのは初めてだったが、これほど大きな金属の塊が水に浮く様は圧巻の一言に尽きる。中は些か殺風景で、柱がどこにあるのかもわからない。室内は明るく、気温や湿度も一定で、つるりとした白壁は何の金属で出来ているのか、見当もつかなかった。どういう理屈なのかはさっぱりわからないが、どんなに悪天候の日でも揺れを感じる事はほとんどなく、非常に快適な日々を過ごした。
発掘品であるこれら長期航路の船は、雷石を利用した「スクリュー」と呼ばれる回転する羽のようなもので、帆船よりも早く海を渡れるのだという。このスクリューを作るのは相当難しいらしい。模倣品を作る事に成功した者はなく、大きく壊れてしまうと修復出来ないのだそうだ。
聞くところによれば、皇国のあるルテノー大陸の川には、これらの発掘品を参考にして半世紀前に発明された、外輪船なる船もあるらしい。波の激しい海洋では使えないが、喫水の浅い川だと重宝するのだという。スクリューと何がどう違うのだろうか。この旅で見る事が出来ればと思う。
アマービレ王国のあるアートル大陸西岸から、ルテノー大陸の東岸までは、西回りの直行航路で二十日かかる。北回りで大海峡を越えようとすると、流れが複雑なため時間がかかるらしい。西回りの方が距離は遠いが、航海期間は短くなるというのだ。海流とは面白いものだと思う。
船券を手配して分かったことだが、船とは予想以上に金のかかる乗り物だった。この、たった二十日の船旅で、相当量の金貨が消えた。これでは庶民は手を出し辛かろう。ニースを唆した連中が、ラース山脈を越えようとしたのも納得出来るというものだ。
実際、乗り込んでいるのは我々のような貴族か、国の要職に就く者、裕福な商人たちだ。特に商人の中には、品物をいち早く仕入れ、売買することで利益を上げているものもいる。大量の商品を運ぶのに、船はちょうどいいらしい。皇国を拠点としているパトリック商会など、そのいい例だろう。私が今乗っている船も、パトリック商会の船だ。商品の運搬と同時に、こうして客も乗せてしまうとは、なかなか商売上手な者もいたものだ。
まもなく、この船での航海は終わりを迎える。皇国に着いたらやる事がたくさんある。ニースの無事を確認するのがまず最初の任務だ。あの子が無事にラース山脈を越えている事を願うばかりだ。
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皇国に無事に到着し、ある程度の距離を進んだ。宿に泊まれたので、この機会に旅の経過を記しておこうと思う。
皇国の港に着いた我々は、馬を三頭借りて走らせた。積みこめる荷物は減るが、馬車よりも馬で走った方が早いからだ。私はこの国に降り立って、いくつも驚きを感じた。皇国は様々な面で王国より優っているという事を、悔しいが認めなければなるまい。
まず私が驚いたのは、港の装置の数々だ。雷石を利用した巻上げ機を使い、船に積まれていた重たく大きな荷物を、軽々と持ち上げる姿に驚いた。特に「クレーン」と呼ばれる大型の雷石を利用した装置は、全て皇国内で発掘された古代文明の遺産だそうだ。小型の物も発掘されており、それらは、川の船着場などで利用されているらしい。我が王国の遺跡は、ほとんど形が残っていないというのに、羨ましいものである。
次に驚いたのは明かりだ。大きな町や街道のそばには、煌々と明かりが灯されているが、これら全てが雷石の街灯だった。我が国にもあるにはあるが、これほどの量があるとは、心底驚いた。これだけなら、ただ遺跡が残っていて羨ましいとしか思わなかった。しかし、問題はここからだ。私の思っていた以上に、様々な技術開発が他国では行われていた。これは帰国したら、早々に手を打たねばなるまい。我が王国が遅れを取るなどと、堪え難いことだ。
南方の国に高名な発明家がいるそうで、火石を使ったランプや、外輪船の動力となる蒸気機関と呼ばれるもの、発掘品のポンプの再現に、氷石を使った建物の冷却装置など、様々な品を生み出しているらしい。今、私が宿泊しているこの部屋にも、それらの設備が使われている。これらが当たり前のように皇国の町では普及しているのだ。恐ろしいことである。発掘品を模倣するのではなく、独自の方法で似たような動きをさせるなど、考えついた人物がどのような者なのか気になるところだ。暇があれば調べてみたいと思う。
そして、皇国において最大の評価すべき点は、風呂文化であろう。浴槽といわれる、池のように広い窪みに、なみなみと湯を注ぎ、全身を浸すのだ。この皇国風呂は、本当に素晴らしかった。温かな湯に浸かるという発想を、なぜ我が王国では思いつかなかったのか。人としての生きる喜びの多くを、我々王国民は無駄にしてきたのではないかとすら、私には感じられる。ぜひ伯爵領でこの文化を広めたいと思う。これほど幸福感を感じられるとは思わなかった。
この風呂は、皇国の大きな宿には必ず設けられており、町には公衆浴場なる風呂屋がある。庶民はそこへ毎日のように湯に浸かりに行くのだ。なんと羨ましいことか。そのおかげか知らないが、皇国の人々はみな綺麗好きで、質素な服にも清潔感がある。臭い消しの香水の量も心なしか少なく感じる。毎日湯に浸かるのだから、それだけ臭いもないのだろう。衛生環境もいいのかもしれない。元気な老人が多いのだ。女性も肌艶の良い人が多い気がする。
これを書き終えたら、共に密命を受けた仲間と共に、再び宿の風呂へ行く予定だ。彼らも風呂が好きなようで、皇国に滞在中は一回でも多く入らねばと話していた。風呂に関しては、意気投合出来たと思う。私も今のうちに羽を休めておこう。
しかし、ニースの足取りは今もまだ掴めてはいない。一刻も早く、情報を集めたいところだ。だいぶラース山脈に近付いて来ているが、噂のひとつも掴めない。あの子は無事に山脈を越えているのだろうか。熊に襲われたり、崖から落ちそうになったりしてはいないか。それだけが心配だ。
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なんということだ。我々が旅の途中で風呂の虜になっている間に、ニースたちとすれ違ってしまったようだ。この悔しさを書き記しておかねばなるまい。
我々はラメンタという町へ着いた。そこで聞き込みをしていると、十日ほど前まで町にいた旅芸人たちが、歌を音楽として演奏していたという話が出てきた。歌を歌っていた芸人は、奇妙な仮面とローブを纏った子どもだったという話だが、ニースが自分の色を隠していたとすれば、あり得ない話ではない。旅芸人たちが逗留していたという宿の者たちにも探りを入れたが、その子どもの色については分からぬままだった。よほど用心していたのだろう。早くその旅芸人たちを追いかけなければ。
仮面の子どもがニースだと決まったわけではないが、旅芸人たちの他の特徴を聞くからに、ほぼ間違いはなさそうだ。山賊のような顔の座長がバイオリンを弾いている一座など、他にあるとは思えない。座長は、人さらいの組織を壊滅に追い込んだ恐ろしい男だそうから、もしかしたらニースも無理やり連れられているのかもしれない。
旅芸人たちは皇都を目指していたそうだ。一刻も早く追いつき、無事を確かめねばなるまい。ニースが無事でいてくれることを願う。
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一時はどうなる事かと思ったが、ようやくニースに追いつけそうだ。旅の経過をここに記しておきたいと思う。
我々が街道を南下しても、ニースたちになかなか追いつけなかった。街道の先のティオミソスという大きな町を目前にして、あろうことか諜報員の二人は意見の違いから仲間割れをした。一人は真っ直ぐ南下するべきだといい、もう一人は川を下るルートを選ぶべきだと言い出したのだ。
ラメンタの町から最短距離で皇都へ向かうには、ティオミソスを通り大きな街道をひたすら南下するか、少し遠回りになるが船が使えるペリフローニシという町へ向かうか。その二択になるらしい。ペリフローニシのそばを流れる大きな川には、外輪船があり、途中何度か乗り換えが必要なものの、皇都まで川を下って行けるのだそうだ。
諜報員の一人……便宜上アルファと呼ぼう……は、ここまで追いつけないのだから、ニースたちが川を使ったルートへ進んでいるのではと言い出した。
もう一人の諜報員……こちらはベータと記す……は、もう二、三日もすればティオミソスに着くのだから、このまま進むべきだと言い、二人の意見は真っ向から対立した。
結局、私はアルファと共に川を行くルートへ。ベータは一人で南下するルートを辿る事になった。理由は簡単で、アルファが暗殺専門の諜報員なので、私が不穏な動きをしてもすぐに止められるからだ。対してベータは、情報収集に長けており、王国との連絡もベータが担っている。アルファとベータがどこにいても必ず文を届けられるという、特殊な伝書鳩をベータから預かり、私とアルファは街道の本筋を逸れて、ペリフローニシの町を目指すこととなった。
結果として、アルファの言い分は当たっていた。ニースと思われる怪しい仮面を付けた子どもが、ペリフローニシへ向かう途中の村々で、歌を演奏していたのだ。
急ぎベータに伝書鳩を送り、私とアルファは引き続き川の町へ向けて馬を走らせている。明日には町に到着出来るだろう。ニースたちがまだ船に乗っていない事を願うばかりだ。
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なんということだ。またニースに会えなかった。この悔しさをここに書き記す以外に解消しようがないのが辛い。
ペリフローニシの町へ着くと、我々はすぐに、仮面をつけた子どもが宿で歌ったという噂を聞きつけた。しかし情報を元に宿へ向かっても、すでに旅芸人たちの姿はなかった。だが、ここまではまだ良かったのだ。
程なくして、宿で演奏した旅芸人によく似た者たちが、劇場で公演を行っているとわかった。山賊のような男がバイオリンを弾いているというから、ニースがそこにいるのは間違いないと思う。しかし劇場に問い合わせても、その芸人たちの中に歌う子どもがいるという情報は掴めなかった。情報収集の得意なベータが、この場にいない事が悔やまれた。
確信が持てなかった我々は、自分の目で確認するために、苦労して公演の観覧券を手に入れた。まさかここまでニースを唆した一座に、人気があるとは思わなかった。しかし、ようやく観覧券を手に入れたというのに、その夜の公演は中止となってしまった。観覧券は払い戻しか、翌日夜の公演に振り替えるか選べるというので、アルファと相談し、翌日に振り替えた。ところが、いざ行ってみると、前日までの旅芸人とは違う芸人たちが出演していたのだ。私とアルファは、まんまと出し抜かれてしまった。
ベータと合流して分かったことだが、ニースたちは公演中止の翌日に川を下って皇都へ向かったという。その時、ニースは仮面を外し、黒い容姿を露わにしていたらしい。どうやらニースは、仮面で色を隠すのをやめたようだ。
このままではまずい。皇都の人間なら、見た目は天の導きであるニースを確保しようとするに違いない。いち早くニースの元へ追いつき、近寄る輩を排さなければ。
次の船が来るまで、あと数日かかる。陸路で追いかけようにも、この町からではかえって遅くなる。私たちは次の出航日まで町で待つ事にした。こうして書いている間にも、ニースとの距離が開いてしまう。焦りを感じるが、気持ちを落ち着かせなければ。急いては事を仕損じるのだから。
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気持ちを落ち着かせるために、ペンを取った。こんな事があっていいのだろうか。私は兄として、あの子を守りたいと思っていたのに、かえってあの子を危険に晒している。私はニースにとっての疫病神なのだろうか……。
皇国皇女の成人祝いのため、キール殿下が皇都へと招かれていた。我々が皇都へたどり着いたのは、成人祝いが行われる日の三日前だった。驚くべき事に、ニースを唆した旅芸人たちが、その祝いの晩餐会の席で演奏する事がわかった。
晩餐会には、キール殿下を始めとする各国要人たちが招かれている。そんな場所で、天の導きのニースが姿を見せれば、ニースを確保しようとする輩が現れるだろう。我々は、キール殿下と対応を協議したが、殿下は晩餐会そのものを中止させる事を決められた。しかし、その方法は私には到底受け入れられるものではなかった。
戦時下の国へ皇国が援軍を送った事で、恨みを抱いている人間がいるらしい。その者を通じて、皇国の天の導きの毒殺事件を起こせば、晩餐会は中止となるだろうと、殿下はお考えだった。しかしそんな事をすれば、ニースまで巻き込まれかねない。私は反対したが、私の意見は聞き入れられなかった。最悪、ニースが死んでも、他国に奪われるより良いと殿下は仰ったのだ。
アルファの調合した特殊な毒を仕込んだ茶器を、その者たちに渡し、事件を起こさせるという。なぜ私の監視のために、わざわざ暗殺専門の人間をと思っていたが、元々殿下は、いざという時にこういった事が出来るようにしていたようだ。恐ろしい方だと思う。どうにかして、ニースが巻き添えにならないようにしなければならない。毒が口に入ったとしても、中和されるようにしなければ。
書いているうちに妙案が浮かんだ。早速実行に移したいと思う。
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私の策は見事に実を結んだ。ニースを他国に奪われることも、事件の巻き添えで死なせることもなく、殿下にもご満足頂けた。非常に危険な策だったが、私はやり遂げたのだ。興奮した気持ちを落ち着けるために、私が施した策をここに記しておきたい。
アルファは自分が用意した毒の解毒薬を、必ず持っている。私はそのことを、旅の最中に本人から聞いていた。そこで私は、解毒薬の一部をこっそり盗み出した。気取られない程度にしか盗めなかったため、決して充分な量とはいえないが、死を防ぐ程度の量は確保出来た。
次に私は、解毒薬をどうやってニースに飲ませるかを考えた。これには、あのマーサの料理本で得た知識が役に立った。調理前の肉に、注射器で細工をする料理法があったのを思い出したのだ。このような方法は、皇国で知る者などいるはずがない。今回の策には打ってつけだった。しかし、肉ではニースの口に入るかは怪しい。それに、火を通せば解毒薬の成分が変化してしまうかもしれない。そこで私は、皇都で手に入れた南国の珍しい果物の中に、毒を仕込む事にした。
私は商人のふりをして「商機拡大のため、必ず旅芸人たちに食べさせてほしい」と、迎賓館の人間に金を握らせ、果物を渡した。食べさせる相手が貴族ではなく、旅芸人だったからだろうか。すんなりとその人物は引き受けてくれた。元々、各地の商人たちが商機に繋げようと、迎賓館での催しに地元の特産物をねじ込もうとする事があったのも、楽に計画が進められた理由の一つかもしれない。
しかし、単に今回の事件からニースを守るだけでは、ニースの今後も私の立場も危ういままだ。万が一、ニースが他国の手に落ちるような事があれば、殿下は暗殺者を差し向けかねないし、私が解毒薬を仕込んだ事が明るみに出れば、裏切り者とされかねないからだ。
そこで私は、キール殿下にある提案をした。事件が成功しても晩餐会が中止とならなかった場合に備え、ニースには歌の力がないと示す事を進言したのだ。
キール殿下は受け入れて下さり、懇意にしている商人を通じて、歌石を準備なされた。公爵夫人の歌石のペンダントの時のように、晩餐会の席でニースが“調子外れ”だと分かれば、ニースを取り込もうとする輩は離れていくだろう。そうなれば、ニースが他国に囲い込まれ、命の危険に晒されることもなくなる。
これらの私の策が、どこまで功を奏したのかはわからない。しかし毒殺事件が起きて女官が一人倒れたと聞いたが、ニースは無事だった。そして晩餐会の席で、ニースに歌の力がない事が無事に明かされた。予想外に、ニースと共にいた子どもが歌い手だった事が分かったらしいが、そのような事はどうでもいい。むしろ、ニースからその子どもに皇国の関心が移れば好都合だ。
キール殿下から私への印象も良くなったと思う。解毒薬を仕込んだ件も、勘付かれずに済んだようだ。私への監視の目も、今後緩くなるかもしれない。
しかし、まだまだ気は抜けない。今後も、ニースの身に危険が起こらないとは限らない。これからニースたちは大陸を南下していくようだ。我々も、もう離されることなく、密かにニースたちの後を追おうと思う。




