66:やりきれない想い3
前回のざっくりあらすじ:ニースは、一人で泣いた。
メグに連れられて外に出ると、空には夕焼け色が混ざり始めていた。メグが向かったのは、宿の奥まった場所にある離れだった。ニースは思わず、足を止めた。
「こんな所に、こんな立派な建物があったんだね」
「私もさっき案内されて、初めて知ったのよ。本館からは見えないように作られてるらしいわ。貴賓室なんですって」
品のある小さな館の入り口や周辺では、物々しい護衛たちが鋭い視線を周囲に向けていた。ただならぬ雰囲気の中を、ニースは身を縮めながら進んだ。
離れの中へ入ると、重厚で高級感のある両開きの扉があった。二人の姿を見ると、扉の両脇に立つ二人の護衛が敬礼をした。
「メグ嬢、ニース殿、ご到着!」
護衛に大きな声で名前を言われ、ニースは恥ずかしくなり俯いた。
扉が開かれ、ニースはメグと部屋へ入ったが、大きな衝立と精悍な顔立ちの護衛が並んでおり、部屋の奥は見えなかった。衝立の奥から、グスタフとマルコムの笑い声が響く。その中には、聞いたことのあるようなないような、男性の声も混ざっていた。ニースは誰がいるのかと、不安と緊張でいっぱいだったが、ぎゅっと拳を握りしめ、俯きがちにメグについていった。
ニースが衝立の裏側へ顔を出した瞬間、思いがけない声がニースの耳に届いた。
「ニースくん、来てくれたのね」
ニースは驚いた。前日の事件に巻き込まれたルイサがいたのだ。
「ルイサさま!」
「昨日はごめんなさいね。驚かせてしまったわね」
ニースは、ルイサとジーナの間の席へ、女官に案内された。
「いえ。あの……お身体は大丈夫なんですか?」
「ええ。私はもう大丈夫よ。毒味をしたあの子は、まだ伏せっているのだけれど……」
ルイサは軽症で済んだが、毒味をした女官は、未だ生死の境を彷徨っていた。ルイサが悲しそうに顔を歪めたので、ニースは慌てて言葉を継いだ。
「あ、あの。ルイサさまが、とにかくご無事でよかったです」
「ありがとう」
ルイサの微笑みに、ニースは照れてはにかんだ。すると、グスタフたちと話していた男性が、ルイサに声をかけた。
「ルイサ。いつまで独り占めにしているんだね」
男性は、グスタフより少し年上に見えた。優しそうな顔立ちの男性は、簡素な意匠だが上質な服を着て、ルイサの隣に座っていた。ルイサは、ふふふと笑った。
「あら、お兄さま。私は昨日ニースくんの歌を聴けませんでしたのよ。これぐらい、よろしいではありませんか」
ニースは、どこかで男性を見たような気がしたが、ルイサの兄と聞いて、昨日の晩餐会にいた皇族の誰かなのだろうと思った。
「あ、あの。初めまして。ニースと申します」
ニースが席を立って、ぺこりと頭を下げたので、男性は愉快げに笑った。ニースは、なぜ笑われたのか理解出来なかった。
「あの……ぼく、何か失礼なことをしましたでしょうか……」
戸惑うニースを見て、マルコムとグスタフが笑った。
「くくく。ニース、やっぱり気づかないよなぁ」
「そりゃそうだろう、マルコム。パクス、いい加減教えてやったらどうだ」
グスタフに促され、パクスと呼ばれた男は、笑みを潜めてニースに目を向けた。
「ふむ。そうかの。余が誰だか、分かりづらいかの」
威厳の感じられる真面目な表情と喋り方に、ニースは唖然とした。
「え……も、もしかして……陛下ですか……?」
「うむ。その通りじゃ。驚いてくれたかのう?」
スピリトーゾ皇国の帝が、パクスだった。ニースはくらりと目眩を感じたが、必死に足を踏ん張り、頭を深く下げた。
「き、気付かずに、申し訳ありませ……っ⁉︎」
ゴツンと、ニースの頭が勢いよくテーブルにぶつかった。頭を押さえながら顔を上げ、涙目になるニースを見て、パクスが噴き出した。
「はっはっは。別にそんなに畏まらなくていいんだ。ちょっとした悪ふざけのつもりだったんだが、驚かせて悪かった」
帝としての口調から、突然変わったパクスの話し方に、ニースは混乱した。ルイサがニースを椅子に座らせ、ぶつけた額を確認しながら微笑んだ。
「ふふ。気にしなくていいのよ、ニースくん。元々お兄さまはあんな感じなの。最近、他国の方の話し方を気に入ってしまって、公の場ではあんな話し方をするのだけれど」
ルイサの指示で、女官がニースに固く絞った布を渡した。恐縮したまま布を受け取り、額を冷やすニースに、帝は笑みを浮かべた。
「ルイサの言う通りだよ、ニースくん。今この場では、私のことを『パクス』と呼んでくれないか。帝としてではなく、一人の人間として、君と話がしたいんだ」
「わ、わかりました。パクスさま……」
ニースはパクスの言葉に、ゆっくりと頷いた。すると横から、セラとラチェットの声が聞こえてきた。
「ニース、驚いてますね」
「それはそうだよ。さっきのセラちゃんも似たような感じだったよ?」
「え! 私もニースみたいでしたか?」
ニースは、自分が案内された席が大きな円卓であること。セラたちも一緒にテーブルを囲んでいたことに、ようやく気がついた。
セラは長かった前髪を眉のあたりで綺麗に切りそろえており、ニースはセラの黒い瞳と目があった。自分と同じはずのその色に、ニースの心は凍りついた。ニースは、胸の内を悟られないよう視線を落とし、セラに問いかけた。
「セラ……その髪は?」
「うん。さっき、メグさんにお願いして切ってもらったの。ニースとお揃いの目が嬉しかったから」
ニースが無理やり蓋をした心の傷が、じわじわと広がった。
――お揃い? ぼくと違って、セラには歌の力があるのに……。
ニースは歪みそうな顔を必死に押さえ、笑みを作った。
「そっか……。うん。似合ってるよ」
「えへへ。ありがとう、ニース」
頬をほんのり染めて、照れたように微笑んだセラの黒い瞳が、ニースには眩く見えた。
ずきり……と、ニースの胸に、鋭く深い痛みが走った。ニースは、胸の痛みを誤魔化すように、額に当てた布に、ぎゅっと力を入れて、俯いた。
女官が紅茶と茶菓子をニースに運んだ。甘い焼菓子と温かな紅茶は、ニースの心をほんの少しだけ和らげた。ニースが額から布を外すと、パクスは穏やかに口を開いた。
「それでは、そろそろ本題に入ってもいいかな。もちろん、食べながらで構わない。気楽にしていてくれ」
パクスの言葉に、ニースたちは頷いた。皆が皿に手を伸ばすのを見ると、パクスは、にこやかに言葉を継いだ。
「実はニースくんたちに、皇国に残ってもらえないかと思ってね」
「……え?」
パクスの意外な言葉に、ニースは固まった。グスタフが顔をしかめ、低い声で尋ねた。
「パクス、どういうつもりだ」
「まあ、そう気を荒げるな、グスタフ。別に何かしようってわけじゃないさ」
パクスは笑いながら、ニースに目を向けた。
「私はね、ニースくん。君の歌に心から感動したんだ」
「……ぼくの歌にですか?」
パクスはゆっくりと頷いた。
「ニースくんの歌は、素晴らしい音楽だった。聴いていると心地よくて、これほどまでに胸が躍ったのは久しぶりだったよ」
パクスの言葉を補うように、ルイサがニースに微笑んだ。
「お兄さまは、音楽や絵画が大好きなの。優秀な芸術家の保護に熱心なのよ」
グスタフが険しい顔のまま、静かにパクスに告げた。
「だがなパクス。ニースは“調子外れ”を治すために旅に出たんだ。カルマート国にあるアルモニア音楽院まで行かなきゃならないんだよ。ニースを音楽院まで連れて行くのが、ニースの家族との約束なんだ」
「ふむ。そうなのか……。それは残念だ」
パクスは、心から残念そうに肩を落とした。ニースは申し訳なく思い、頭を下げた。
「すみません。せっかくのお話なのに……」
「いや、いいんだ。気にしないでくれ。“調子外れ”のままでも、私としては何の問題もないが、ニースくんとしては気になるのだろう?」
「はい。本当に治せるのかは、ぼくにはわからないですけど……」
俯くニースに、パクスは微笑んで頷いた。
「残念ながら、皇国ではどうにも出来ないからな。治っても治らなくてもいい。音楽院を卒業したら、ここへ来る事をまた考えてみてくれ」
ニースは、パクスの言葉に胸が温かくなった。
――本当に“調子外れ”のままでも、ぼくを欲しいと言ってくれるんだ……。
ニースは、涙がこみ上げそうになるのをぐっと堪えて、頭を下げた。
「はい。ありがとうございます」
ニースの微笑みを見て、パクスは満足気に頷くと、セラに顔を向けた。
「さて、それから、セラさんだが」
「は、はい!」
セラはパクスに話を向けられ、食べかけの茶菓子を置いて姿勢を正した。
「もちろん、君の歌も素晴らしかった。音楽家として誘いたい気持ちはあるが、それ以前にセラさんは歌い手だ。歌い手として、皇国に残る気はないかな?」
セラは、目を丸く見開いて固まった。ニースは、温かく感じたはずの心が、一気に冷えていくのを感じ、じっと紅茶のカップを見つめた。皆、パクスとセラを見ており、ニースの笑みが消えた事に気づかなかった。
固まるセラを見たルイサが、困ったように眉根を寄せた。
「お兄さま、セラさんが驚いてるわ」
「ははは。すまんすまん。話が急過ぎたかな?」
セラは、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして声を絞り出した。
「い、いえ。あの……過分なお言葉で大変ありがたいのですけど。その……私、石歌を知らないんです」
しゅんと肩を落とし、俯くセラに、ルイサが笑みを向けた。
「セラさん。別に石歌を知らなくても大丈夫よ。私が教えるわ」
「え⁉︎ こ、公主さまがですか⁉︎」
セラは再び固まった。パクスが、からかうように笑った。
「ルイサ。お前も驚かせてるじゃないか」
「ごめんなさいね、セラさん」
パクスとルイサの言葉に、セラは恐縮していた。マルコムがカップを置いて、パクスに語りかけた。
「パクス。セラちゃんのことは、俺たちも今朝話したんだ。……なあ、グスタフ」
話を向けられたグスタフは、静かに頷いた。
「ああ。私たちもセラにどうするか、少し考えてみるように伝えたばかりでね。セラの心が決まるまで待ってくれないか」
「そうなのか……」
パクスが残念そうに顔を歪めると、ルイサがセラに優しく微笑んだ。
「ねえ、セラさん。石歌を知らないのが気になるなら、セラさんもアルモニア音楽院へ行くといいわ」
「ルイサさま……」
「音楽院では、歌い手たちの教育をしているはずよ。ねえ、ジーナ。確かそうよね?」
ジーナは紅茶を飲み干し、カップを置いた。
「そうねー。その辺はラチェットの方が詳しいと思うわー」
ジーナに話を振られ、ラチェットは頷いた。
「公主殿下の仰る通りですよ。カルマート国では、国民全員に歌い手の判別試験を行ってます。そこで歌い手と分かった子どもたちに、音楽院で教育を受けさせるんです。国家事業ですから、現在使われている石歌だけでなく、最新の研究成果で分かったものも、全て教わるはずです」
話を聞いたルイサは、満足げに微笑みを浮かべた。
「そうなのね。ありがとう」
「い、いえ……」
ラチェットが頬を赤く染めたのを見て、メグがぷいと横を向いた。ルイサは、セラに笑みを向けた。
「セラさん。そういうわけだから、音楽院で歌を学んだら、皇国に来るか考えたらいいと思うわ。どうかしら」
セラは、小さくなりながらも頷いた。
「そういうことなら……。私、そうしてみます。グスタフさん、いいですか?」
「ああ。もちろんだよ。もし、途中で気が変わっても、やりたい事が見つかるまで、私たちと旅を続けたらいい」
「はい。ありがとうございます」
セラが微笑むと、パクスはニースとセラに笑みを向けた。
「仕方ないな。本人の希望が一番だ。二人が卒業するまで、私の楽しみは取っておくとしよう」
「はい。ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
平静を装って礼を言ったニースは、気持ちを誤魔化すようにカップを手に取った。ニースは、心の傷口からどす黒いモヤモヤが溢れ出すのを感じた。
――セラは歌い手として、必要とされてるんだ。ぼくが“調子外れ”を治せないまま、セラと皇国に来ることになったら……。
ニースの脳裏に、辛い記憶が次々と過ぎった。カップを持つニースの手に、じっとりと汗が滲んだ。隣に座るルイサは、皆に微笑んだ。
「さあ、みんな。お菓子を頂きましょう。硬いお話はもうおしまいよ」
肩の力を抜いたお茶会は、そのまま夕食会に変わっていった。一座の旅立ちを前に、パクスとルイサは友人たちとのお喋りを心ゆくまで楽しんだ。
ニースは、胸の内を必死に隠して時間を過ごした。誰も、ニースの心に潜む葛藤に気づく事はなかった。ニースは、ルイサに請われてセラと共に歌も歌った。パクスたちは大層喜んだ。
楽しい夜は更けていき、お開きとなるとパクスとルイサは名残惜しそうに帰っていった。二人を見送った一座の面々は、皇都での最後のベッドの温もりを味わい、ぐっすり眠った。ただニースだけは、ベッドに横になるも、眠れない夜を過ごした。
翌朝。コンコンと扉をノックする音に、ニースは目を覚ました。
「ニース、起きてるー?」
「メグ……? あ!」
ニースは、がばりと起き上がった。もう出発の日の朝なのだ。なかなか寝付けなかったニースは、すっかり寝坊し、約束の刻限はとっくに過ぎていた。
「今行くよ! 寝過ごしてごめん!」
慌てて飛び起き、顔を洗うニースの耳に、メグの声が響いた。
「ゆっくりで大丈夫よ。まだお父さんたちも起きてないの。昨日あの後こっそり抜け出して、おじさまとお酒を飲んでたんですって。出発は昼前になると思うわ」
ニースは顔を拭くと、ほっと胸を撫で下ろし、扉を開けた。
「わかったよ、メグ。知らせてくれて、ありがとう」
「いいえ。どういたしまして。せっかくだから、最後にゆっくりお風呂に入るといいわ。私もそうするつもりよ」
メグは、パチリと片目を瞑り、部屋へと戻っていった。ニースは扉を閉めて鍵をかけると、メグに言われた通り、風呂に入ろうと浴槽に湯を張った。もうもうと湯気が上がり、曇った鏡に向かって、ニースは問いかけた。
「もう行かなきゃいけないんだ。ぼくは、セラと笑って会えるかな……」
鏡に映るだけで、何も答えないニースの顔は、歪んで泣きそうに見えた。ニースは服を脱ぐと、自分の気持ちを押し込めるように、湯にどぶんと頭まで沈み込んだ。
これにて、第5章終了となります。
このあと、閑話、幕間劇、人物紹介を挟みまして、第6章へと続きます。
初めて明確に挫折を感じたニースの、試練の時です。
引き続きよろしくお願い致します。




