表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第5章 歌い手と“調子外れ”】
84/647

66:やりきれない想い3

前回のざっくりあらすじ:ニースは、一人で泣いた。

 メグに連れられて外に出ると、空には夕焼け色が混ざり始めていた。メグが向かったのは、宿の奥まった場所にある離れだった。ニースは思わず、足を止めた。


「こんな所に、こんな立派な建物があったんだね」

「私もさっき案内されて、初めて知ったのよ。本館からは見えないように作られてるらしいわ。貴賓室なんですって」


 品のある小さな館の入り口や周辺では、物々しい護衛たちが鋭い視線を周囲に向けていた。ただならぬ雰囲気の中を、ニースは身を縮めながら進んだ。

 離れの中へ入ると、重厚で高級感のある両開きの扉があった。二人の姿を見ると、扉の両脇に立つ二人の護衛が敬礼をした。


「メグ嬢、ニース殿、ご到着!」


 護衛に大きな声で名前を言われ、ニースは恥ずかしくなり俯いた。

 扉が開かれ、ニースはメグと部屋へ入ったが、大きな衝立と精悍な顔立ちの護衛が並んでおり、部屋の奥は見えなかった。衝立の奥から、グスタフとマルコムの笑い声が響く。その中には、聞いたことのあるようなないような、男性の声も混ざっていた。ニースは誰がいるのかと、不安と緊張でいっぱいだったが、ぎゅっと拳を握りしめ、俯きがちにメグについていった。

 ニースが衝立の裏側へ顔を出した瞬間、思いがけない声がニースの耳に届いた。


「ニースくん、来てくれたのね」


 ニースは驚いた。前日の事件に巻き込まれたルイサがいたのだ。


「ルイサさま!」

「昨日はごめんなさいね。驚かせてしまったわね」


 ニースは、ルイサとジーナの間の席へ、女官に案内された。


「いえ。あの……お身体は大丈夫なんですか?」

「ええ。私はもう大丈夫よ。毒味をしたあの子は、まだ伏せっているのだけれど……」


 ルイサは軽症で済んだが、毒味をした女官は、未だ生死の境を彷徨っていた。ルイサが悲しそうに顔を歪めたので、ニースは慌てて言葉を継いだ。


「あ、あの。ルイサさまが、とにかくご無事でよかったです」

「ありがとう」


 ルイサの微笑みに、ニースは照れてはにかんだ。すると、グスタフたちと話していた男性が、ルイサに声をかけた。


「ルイサ。いつまで独り占めにしているんだね」


 男性は、グスタフより少し年上に見えた。優しそうな顔立ちの男性は、簡素な意匠だが上質な服を着て、ルイサの隣に座っていた。ルイサは、ふふふと笑った。


「あら、お兄さま。私は昨日ニースくんの歌を聴けませんでしたのよ。これぐらい、よろしいではありませんか」


 ニースは、どこかで男性を見たような気がしたが、ルイサの兄と聞いて、昨日の晩餐会にいた皇族の誰かなのだろうと思った。


「あ、あの。初めまして。ニースと申します」


 ニースが席を立って、ぺこりと頭を下げたので、男性は愉快げに笑った。ニースは、なぜ笑われたのか理解出来なかった。


「あの……ぼく、何か失礼なことをしましたでしょうか……」


 戸惑うニースを見て、マルコムとグスタフが笑った。


「くくく。ニース、やっぱり気づかないよなぁ」

「そりゃそうだろう、マルコム。パクス、いい加減教えてやったらどうだ」


 グスタフに促され、パクスと呼ばれた男は、笑みを潜めてニースに目を向けた。


「ふむ。そうかの。()が誰だか、分かりづらいかの」


 威厳の感じられる真面目な表情と喋り方に、ニースは唖然とした。


「え……も、もしかして……陛下ですか……?」

「うむ。その通りじゃ。驚いてくれたかのう?」


 スピリトーゾ皇国の帝が、パクスだった。ニースはくらりと目眩を感じたが、必死に足を踏ん張り、頭を深く下げた。


「き、気付かずに、申し訳ありませ……っ⁉︎」


 ゴツンと、ニースの頭が勢いよくテーブルにぶつかった。頭を押さえながら顔を上げ、涙目になるニースを見て、パクスが噴き出した。


「はっはっは。別にそんなに畏まらなくていいんだ。ちょっとした悪ふざけのつもりだったんだが、驚かせて悪かった」


 帝としての口調から、突然変わったパクスの話し方に、ニースは混乱した。ルイサがニースを椅子に座らせ、ぶつけた額を確認しながら微笑んだ。


「ふふ。気にしなくていいのよ、ニースくん。元々お兄さまはあんな感じなの。最近、他国の方の話し方を気に入ってしまって、公の場ではあんな話し方をするのだけれど」


 ルイサの指示で、女官がニースに固く絞った布を渡した。恐縮したまま布を受け取り、額を冷やすニースに、帝は笑みを浮かべた。


「ルイサの言う通りだよ、ニースくん。今この場では、私のことを『パクス』と呼んでくれないか。帝としてではなく、一人の人間として、君と話がしたいんだ」

「わ、わかりました。パクスさま……」


 ニースはパクスの言葉に、ゆっくりと頷いた。すると横から、セラとラチェットの声が聞こえてきた。


「ニース、驚いてますね」

「それはそうだよ。さっきのセラちゃんも似たような感じだったよ?」

「え! 私もニースみたいでしたか?」


 ニースは、自分が案内された席が大きな円卓であること。セラたちも一緒にテーブルを囲んでいたことに、ようやく気がついた。

 セラは長かった前髪を眉のあたりで綺麗に切りそろえており、ニースはセラの黒い瞳と目があった。自分と同じはずのその色に、ニースの心は凍りついた。ニースは、胸の内を悟られないよう視線を落とし、セラに問いかけた。


「セラ……その髪は?」

「うん。さっき、メグさんにお願いして切ってもらったの。ニースとお揃いの目が嬉しかったから」


 ニースが無理やり蓋をした心の傷が、じわじわと広がった。


 ――お揃い? ぼくと違って、セラには歌の力があるのに……。


 ニースは歪みそうな顔を必死に押さえ、笑みを作った。


「そっか……。うん。似合ってるよ」

「えへへ。ありがとう、ニース」


 頬をほんのり染めて、照れたように微笑んだセラの黒い瞳が、ニースには眩く見えた。

 ずきり……と、ニースの胸に、鋭く深い痛みが走った。ニースは、胸の痛みを誤魔化すように、額に当てた布に、ぎゅっと力を入れて、俯いた。

 女官が紅茶と茶菓子をニースに運んだ。甘い焼菓子と温かな紅茶は、ニースの心をほんの少しだけ和らげた。ニースが額から布を外すと、パクスは穏やかに口を開いた。


「それでは、そろそろ本題に入ってもいいかな。もちろん、食べながらで構わない。気楽にしていてくれ」


 パクスの言葉に、ニースたちは頷いた。皆が皿に手を伸ばすのを見ると、パクスは、にこやかに言葉を継いだ。


「実はニースくんたちに、皇国に残ってもらえないかと思ってね」

「……え?」


 パクスの意外な言葉に、ニースは固まった。グスタフが顔をしかめ、低い声で尋ねた。


「パクス、どういうつもりだ」

「まあ、そう気を荒げるな、グスタフ。別に何かしようってわけじゃないさ」


 パクスは笑いながら、ニースに目を向けた。


「私はね、ニースくん。君の歌に心から感動したんだ」

「……ぼくの歌にですか?」


 パクスはゆっくりと頷いた。


「ニースくんの歌は、素晴らしい音楽だった。聴いていると心地よくて、これほどまでに胸が躍ったのは久しぶりだったよ」


 パクスの言葉を補うように、ルイサがニースに微笑んだ。


「お兄さまは、音楽や絵画が大好きなの。優秀な芸術家の保護に熱心なのよ」


 グスタフが険しい顔のまま、静かにパクスに告げた。


「だがなパクス。ニースは“調子外れ”を治すために旅に出たんだ。カルマート国にあるアルモニア音楽院まで行かなきゃならないんだよ。ニースを音楽院まで連れて行くのが、ニースの家族との約束なんだ」

「ふむ。そうなのか……。それは残念だ」


 パクスは、心から残念そうに肩を落とした。ニースは申し訳なく思い、頭を下げた。


「すみません。せっかくのお話なのに……」

「いや、いいんだ。気にしないでくれ。“調子外れ”のままでも、私としては何の問題もないが、ニースくんとしては気になるのだろう?」

「はい。本当に治せるのかは、ぼくにはわからないですけど……」


 俯くニースに、パクスは微笑んで頷いた。


「残念ながら、皇国ではどうにも出来ないからな。治っても治らなくてもいい。音楽院を卒業したら、ここへ来る事をまた考えてみてくれ」


 ニースは、パクスの言葉に胸が温かくなった。


 ――本当に“調子外れ”のままでも、ぼくを欲しいと言ってくれるんだ……。


 ニースは、涙がこみ上げそうになるのをぐっと堪えて、頭を下げた。


「はい。ありがとうございます」


 ニースの微笑みを見て、パクスは満足気に頷くと、セラに顔を向けた。


「さて、それから、セラさんだが」

「は、はい!」


 セラはパクスに話を向けられ、食べかけの茶菓子を置いて姿勢を正した。


「もちろん、君の歌も素晴らしかった。音楽家として誘いたい気持ちはあるが、それ以前にセラさんは歌い手だ。歌い手として、皇国に残る気はないかな?」


 セラは、目を丸く見開いて固まった。ニースは、温かく感じたはずの心が、一気に冷えていくのを感じ、じっと紅茶のカップを見つめた。皆、パクスとセラを見ており、ニースの笑みが消えた事に気づかなかった。

 固まるセラを見たルイサが、困ったように眉根を寄せた。


「お兄さま、セラさんが驚いてるわ」

「ははは。すまんすまん。話が急過ぎたかな?」


 セラは、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして声を絞り出した。


「い、いえ。あの……過分なお言葉で大変ありがたいのですけど。その……私、石歌を知らないんです」


 しゅんと肩を落とし、俯くセラに、ルイサが笑みを向けた。


「セラさん。別に石歌を知らなくても大丈夫よ。私が教えるわ」

「え⁉︎ こ、公主さまがですか⁉︎」


 セラは再び固まった。パクスが、からかうように笑った。


「ルイサ。お前も驚かせてるじゃないか」

「ごめんなさいね、セラさん」


 パクスとルイサの言葉に、セラは恐縮していた。マルコムがカップを置いて、パクスに語りかけた。


「パクス。セラちゃんのことは、俺たちも今朝話したんだ。……なあ、グスタフ」


 話を向けられたグスタフは、静かに頷いた。


「ああ。私たちもセラにどうするか、少し考えてみるように伝えたばかりでね。セラの心が決まるまで待ってくれないか」

「そうなのか……」


 パクスが残念そうに顔を歪めると、ルイサがセラに優しく微笑んだ。


「ねえ、セラさん。石歌を知らないのが気になるなら、セラさんもアルモニア音楽院へ行くといいわ」

「ルイサさま……」

「音楽院では、歌い手たちの教育をしているはずよ。ねえ、ジーナ。確かそうよね?」


 ジーナは紅茶を飲み干し、カップを置いた。


「そうねー。その辺はラチェットの方が詳しいと思うわー」


 ジーナに話を振られ、ラチェットは頷いた。


「公主殿下の仰る通りですよ。カルマート国では、国民全員に歌い手の判別試験を行ってます。そこで歌い手と分かった子どもたちに、音楽院で教育を受けさせるんです。国家事業ですから、現在使われている石歌だけでなく、最新の研究成果で分かったものも、全て教わるはずです」


 話を聞いたルイサは、満足げに微笑みを浮かべた。


「そうなのね。ありがとう」

「い、いえ……」


 ラチェットが頬を赤く染めたのを見て、メグがぷいと横を向いた。ルイサは、セラに笑みを向けた。


「セラさん。そういうわけだから、音楽院で歌を学んだら、皇国に来るか考えたらいいと思うわ。どうかしら」


 セラは、小さくなりながらも頷いた。


「そういうことなら……。私、そうしてみます。グスタフさん、いいですか?」

「ああ。もちろんだよ。もし、途中で気が変わっても、やりたい事が見つかるまで、私たちと旅を続けたらいい」

「はい。ありがとうございます」


 セラが微笑むと、パクスはニースとセラに笑みを向けた。


「仕方ないな。本人の希望が一番だ。二人が卒業するまで、私の楽しみは取っておくとしよう」

「はい。ありがとうございます」

「あ、ありがとうございます」


 平静を装って礼を言ったニースは、気持ちを誤魔化すようにカップを手に取った。ニースは、心の傷口からどす黒いモヤモヤが溢れ出すのを感じた。


 ――セラは()()()として、必要とされてるんだ。ぼくが“調子外れ”を治せないまま、セラと皇国に来ることになったら……。


 ニースの脳裏に、辛い記憶が次々と過ぎった。カップを持つニースの手に、じっとりと汗が滲んだ。隣に座るルイサは、皆に微笑んだ。


「さあ、みんな。お菓子を頂きましょう。硬いお話はもうおしまいよ」


 肩の力を抜いたお茶会は、そのまま夕食会に変わっていった。一座の旅立ちを前に、パクスとルイサは友人たちとのお喋りを心ゆくまで楽しんだ。

 ニースは、胸の内を必死に隠して時間を過ごした。誰も、ニースの心に潜む葛藤に気づく事はなかった。ニースは、ルイサに請われてセラと共に歌も歌った。パクスたちは大層喜んだ。

 楽しい夜は更けていき、お開きとなるとパクスとルイサは名残惜しそうに帰っていった。二人を見送った一座の面々は、皇都での最後のベッドの温もりを味わい、ぐっすり眠った。ただニースだけは、ベッドに横になるも、眠れない夜を過ごした。


 翌朝。コンコンと扉をノックする音に、ニースは目を覚ました。


「ニース、起きてるー?」

「メグ……? あ!」


 ニースは、がばりと起き上がった。もう出発の日の朝なのだ。なかなか寝付けなかったニースは、すっかり寝坊し、約束の刻限はとっくに過ぎていた。


「今行くよ! 寝過ごしてごめん!」


 慌てて飛び起き、顔を洗うニースの耳に、メグの声が響いた。


「ゆっくりで大丈夫よ。まだお父さんたちも起きてないの。昨日あの後こっそり抜け出して、()()()()とお酒を飲んでたんですって。出発は昼前になると思うわ」


 ニースは顔を拭くと、ほっと胸を撫で下ろし、扉を開けた。


「わかったよ、メグ。知らせてくれて、ありがとう」

「いいえ。どういたしまして。せっかくだから、最後にゆっくりお風呂に入るといいわ。私もそうするつもりよ」


 メグは、パチリと片目を瞑り、部屋へと戻っていった。ニースは扉を閉めて鍵をかけると、メグに言われた通り、風呂に入ろうと浴槽に湯を張った。もうもうと湯気が上がり、曇った鏡に向かって、ニースは問いかけた。


「もう行かなきゃいけないんだ。ぼくは、セラと笑って会えるかな……」


 鏡に映るだけで、何も答えないニースの顔は、歪んで泣きそうに見えた。ニースは服を脱ぐと、自分の気持ちを押し込めるように、湯にどぶんと頭まで沈み込んだ。

これにて、第5章終了となります。

このあと、閑話、幕間劇、人物紹介を挟みまして、第6章へと続きます。


初めて明確に挫折を感じたニースの、試練の時です。

引き続きよろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ