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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第5章 歌い手と“調子外れ”】
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65:やりきれない想い2

前回のざっくりあらすじ:セラが歌の力を持つ事を自覚した。


*動物の喧嘩の描写が含まれます。ご注意下さい*

 セラが落ち着きを取り戻し、冷めた紅茶を飲み干すと、扉をノックする音が響いた。


「ラチェット、私だ」


 グスタフの声にラチェットは立ち上がり、扉を開けた。


「座長、お疲れ様でし……怪我をしたんですか!?」


 グスタフは笑顔だったが、顔が腫れていた。グスタフの後ろから、恥ずかしそうにジーナが姿を現し、頬を膨らませたメグと、気落ちしたマルコムもその後ろに立っていた。


「全くもうっ。信じられないわ。あんな所でよくやれるわよね」

「メグちゃん、そんなに怒らないでー。お父さんとお母さんの仲が良いから、メグちゃんがいるのよー」

「見せつけるようなことはやめてくれよ……」


 メグたちは話をしながら部屋に入ると、近場の椅子を引き寄せ、ニースたちとテーブルを囲んだ。グスタフは笑顔のまま、水で濡らした布で、頬を冷やして席についた。


「いや、すまないな。無事にあのじいさんには()()()()()()よ」


 グスタフの言葉に、ラチェットは、ほっと胸を撫で下ろした。


「ありがとうございました。……でも座長。その顔はどうしたんですか?」


 メグが呆れたように、ため息を吐いた。


「それはね、お母さんのせいなのよ」

「ジーナさんの?」


 ラチェットがジーナに目を向けると、ジーナは照れたように目を伏せた。


「だってー。グスタフったら、私が()()()()()()()()()したら、カッコ良く入ってくるんだものー」

「お母さんが挑発に乗るからよ」

「あらー。メグちゃんだって、怒ってたじゃなーい」

「お母さんの言うとおり、私は確かに怒ったわ。でも、間に入ってきたお父さんを、そのまま思いきり殴らなくてもいいでしょ」


 グスタフがロビーへ向かうと、ジーナがパトリックに腹を立てて殴りかかろうとしている所だった。パトリックは、ジーナたちが暴行容疑で捕まってしまえば、セラを簡単に手に入れられると考え、わざとジーナたちを挑発していた。それに勘付いたグスタフは、ジーナを守るために代わりに殴られたのだ。


「ごめんねー、グスタフー。勢い余って止められなかったのー」

「ジーナ。それはもういいんだ。さっきも言っただろう?」


 幸せそうに微笑み合うグスタフとジーナを見て、マルコムが、げんなりした表情を浮かべた。


「俺が帰ってきたら、グスタフがジーナに愛の告白してるんだもんな……ほんと、お前たちはよくやるよ」


 マルコムは晩餐会で疲れていたというのに、夜の間どこかへ出かけていた。朝になり、傷心で帰ってきたところ、ジーナを宥めるために、グスタフがありとあらゆる甘い言葉(くさいセリフ)を連発しているところに出くわしたのだった。


「いや、まあ、すまなかったな。それでも、あのじいさんは大人しく帰ったんだ。良かったじゃないか」

「まあな。二人の小っ恥ずかしい話で、あのじじいが手をこまねいている間に、応援が来てくれたからな。大事にならなくて良かったよ」


 グスタフとジーナの愛の劇場に加えて、宿の従業員たちが護衛を呼んできたので、大事になる前にパトリックは引き上げていた。グスタフは、苦笑いを浮かべて皆に告げた。


「まあ、そういうわけだから、またあのじいさんが来ないとも限らない。今日のうちに荷物をまとめて、明日には皇都を出るぞ」


 皆が頷く中、俯いていたニースが顔を上げた。


「待ってください」


 ニースに一気に視線が集まる。マルコムが、不思議そうに尋ねた。


「どうした、ニース」

「ぼくは、このまま皇都を出ちゃいけないと思います」


 グスタフが怪訝な表情を浮かべた。


「どういうことだ?」


 ニースは、セラの顔を見て、ゆっくりと口を開いた。


「セラは、どうしたいの? 本当にぼくたちと、旅に出ていいの?」

「……ニース?」


 セラは、ニースが何を言おうとしているのか、わからない様子で首を傾げた。ニースは真剣な眼差しで、セラに話した。


「ぼくは……。ぼくが旅をしているのは、みんなと歌を歌いたいからだけど、ずっと旅をするわけじゃない。ぼくは、歌い手の学校に入って、歌の力を取り戻すんだ。でも、セラは違う。セラは、笑顔で生きるためにみんなとここまで来たよね」

「うん……」


 戸惑うセラに、ニースは畳みかけるように言葉を継いだ。


「でも、セラには歌の力があることがわかった。歌い手っていうのは、すごく恵まれた仕事だと思うよ。パトリックさんは……いじわるな所もあるかもしれないけど、皇国の中でセラが歌い手として暮らす方法は、たくさんあると思う。このまま、皇国を離れて旅をしなくても、セラが幸せに暮らせる方法は、いくらでもあるんじゃないかな」


 ニースは一気に話し終えると、気持ちを誤魔化すように冷めきった紅茶を一気に飲んだ。氷が入っているわけではないのに、ニースは心がパキパキと凍っていくような気がして、俯いた。ニースの話に、マルコムが切なげな表情で頷いた。


「確かに、ニースの言う通りだな。歌の力を持たないなら、音楽として歌ったり、俺たちと芸をして暮らすのもいいと思う。しかし歌の力があるなら、どうするのかは考えた方がいい」


 マルコムの言葉に、皆押し黙った。セラは驚いてキョロキョロと頭を動かした。


「え、え……?」


 メグが、申し訳なさそうに頭を下げた。


「セラ……。私、何も考えずに、あのおじいさんのこと追い返しちゃったけど……。ごめんなさい。確かに、あなたの気持ちを聞いてなかったわ」

「メグさん……」


 グスタフとラチェットも、考えをまとめるように、ゆっくり頷いた。


「ああ。確かにそうだな……。だがな、セラ。まだ君は小さい。何も今から歌い手にならなくてもいいと私は思う。私たちと旅を続けている中で、歌い手として暮らしたくなったら抜けるのもひとつだ。少し、考えてみてほしい」

「皇都を出ても、まだしばらく皇国内を進むしね。ラメンタに戻るにしても、まずはニースを学校に送り届けてからじゃないと僕たちは戻れないから、それから決めてもいいと思うよ」


 いつも明るいジーナだが、気遣わしげに穏やかな声でセラに声をかけた。


「もし、セラちゃんがすぐにラメンタに帰りたかったら、誰かに送ってもらえるように手配も出来るわ。旅の途中でも、気が変わったら、いつでも言ってくれて構わないの。でもね、もちろん私たちはセラちゃんのことが大好きだから、一緒にいられたら幸せよ。セラちゃんを置いていきたいわけじゃないわ。セラちゃんにとって一番幸せな未来を、私たちは応援したいだけなのよ」


 セラは戸惑っていたが、グスタフたちの優しく寂しげな目に真心を感じ、頷いた。


「みなさん……わかりました。考えてみます」


 グスタフが立ち上がり、手を、ぱんと叩いた。


「よし。とにかく、出発は明日だ。みんな、準備をしておいてくれ」


 話し合いは終了となり、皆それぞれ荷物をまとめに部屋へ戻る。ニースは俯いたまま、黙って部屋へ戻っていった。


 ニースは自分の部屋へ戻ると、扉に鍵をかけ、すぐに荷物をまとめた。ニースの荷物は、クフロトラブラを出た時と変わっていない。増えたのは舞台衣装ぐらいだが、衣装はジーナがまとめて管理している。買い替えた物はあるにせよ、買い足した物は何もなかった。ニースの旅の支度はあっという間に終わった。

 ニースは、窓のそばの椅子に腰掛けると、ぼんやりと外を眺めた。


 ――ぼく、なんであんなこと言ったんだろう……。


 ニースは、先ほどセラに言った自分の言葉を思い出していた。


 ――セラと一緒にいて、楽しいはずなのに……。セラは困ってた。考えてもいなかったんだ。それなのに、突き放すようなことを、ぼくは……。


 ニースがセラに言った言葉は、セラを思ってのことだったが、ニースはいつもの自分の言葉ではないと感じていた。

 ニースが見つめる窓の外で、二匹の野良猫が餌場をめぐり、喧嘩を始めた。ニースは、大きな肉塊を咥えている綺麗な赤茶猫がセラで、薄汚れた黒猫が自分のように思えた。


 ――ぼくはもしかして、セラにやきもちを妬いてる……?


 黒猫は、怯える赤茶色の猫を威嚇し、必死に追い払おうとしていた。


 ――セラにやきもちを妬いて、一座から追い出そうとするなんて……。セラが望んだことじゃないのに。


 ニースは、自分の心の中に嫉妬の気持ちが渦巻いている事を、はっきりと感じた。ニースが持つはずの、黒が意味する歌の力。歌石の美しい輝きが、ニースではなくセラの歌で現れた。本来持つべきはずの、自分にない力が、ニースには眩く見えて仕方なかった。


 ――歌の力なんか、なくたっていい。そう、思ってたはずなのに……。


 ニースは、クフロトラブラの町を出た時、歌の力を取り戻したいとは考えていなかった。父だった伯爵に殺されそうになったものの、他に不自由はなかったからだ。しかし、一座と共に旅に出て、歌い手の歌が世界でどのように使われているのかを、ニースは知った。歌い手失踪事件で、たくさんの人々が困った事に陥っているのも分かった。助けたくとも、歌の力を持たない自分には何も出来ないのを、ニースは歯がゆく感じていた。これまで必要と感じていなかった歌の力を、自分が持たない事に悔しさを感じていたのだ。


 ――陛下や皇女さまは、ぼくの歌を褒めてくれた。おじいちゃんやマーサおばさんたちも。メグやラチェットさんたちだって……会ったばかりのベンだって、みんなぼくの歌を好きだと言ってくれた。それで良いはずじゃないか。


 ニースは、皆の前で歌うのが好きだった。自分も楽しかったし、喜んでもらえる事が何より幸せだった。しかし今のニースの心には、深い傷がついていた。歌の力がないとわかってからの、フェローシャス伯やパトリックの態度の変化。泣き叫ぶ宿屋の主人の姿。官僚貴族からの心ない言葉……。楽しく歌う喜びや幸せだけでは、ニースの心の傷を癒すことは出来なくなっていた。

 ニースの目に映る、睨み合っている二匹の猫に、もう一匹美しい毛並みの白猫が加わった。白猫は怯えていた赤茶猫を助け、威嚇していた黒猫に爪を立て、追い払った。ニースには、美しい白猫の姿が、生まれ育った伯爵家の家族の色に思えた。そして、傷を負って血を流しながら逃げた黒猫の姿が、自分と重なって見えた。


 ――もしぼくが、ちゃんと歌の力を持っていたら……。父さまや兄さまたちも、ぼくを嫌いにならなかったはずだ。みんなにだって、もっともっと、喜んでもらえたのかもしれない。傷つけられることも、追い出されることも、なかったのかもしれない……。


 ニースの胸に、寂しさと、切なさと、悔しさとが入り乱れた。ニースの目から、ぽろり、ぽろりと涙がこぼれた。ニースはそのまま、椅子の上で膝を抱えてうずくまり、静かに泣いた。


 ニースが目を開けると、日が傾き始めており、部屋の中に差し込んでいた暖かな日差しは消え去っていた。ニースはいつの間にか、椅子の上ですっかり眠っていたのだ。何もかけずに寝ていたので、ニースは肌寒さにぷるりと小さく震えた。ニースは浴槽に湯を張り、身を沈める。涙で濡れて乾いていた顔を湯で洗い、ふぅと大きく息を吐いた。心はまだ曇ったままだが、ニースは冷静さを取り戻した。

 ニースの部屋の扉を、コンコンとノックする音が響いた。続けざまに誰かがガチャリとドアノブを回したが、ニースは扉に鍵をかけていたので、開かれることはなかった。


「ニース、いる?」

「いるよ。今お風呂なんだ。ちょっと待ってて」


 ニースは、聞こえてきたメグの声に大きく返事をすると、急いで湯から上がり、着替えを済ませた。ニースの泣き腫らした顔の腫れは少し引いて、ぱっと見では気づかれない程度になっていた。


「お待たせ。どうしたの?」


 ニースが扉を開くと、壁にもたれて待っていたメグが、ニヤリと笑みを浮かべた。


「お父さんがみんなを呼んでいるわ。()()()()()()がいらしたみたいよ」


 ニースはメグの言葉に、ぴくりと頬を引きつらせた。一体これ以上何の特別があるというのか。温まったばかりのニースの背筋に、ひやりと冷たい汗が流れた。


「そんなに警戒しなくても大丈夫よ」


 いたずらっぽく笑いながら歩き出すメグに、ニースは身を震わせ、黙ってついていった。

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