63:御前演奏3
前回のざっくりあらすじ:晩餐会での演奏が、予定通り行われる事になった。
*物語の進行上、一部に差別的表現が含まれます。ご注意下さい*
照明と月明かりに照らされ、荘厳さが際立つ迎賓館に、優雅な音楽が鳴り響く。ラチェットとグスタフの演奏が始まると、会場の大きな扉が開かれ、招待客が席へ案内された。ニースとセラは舞台袖の奥で椅子に座っていたが、メグは、なおも興味深く覗き見ていた。マルコムがメグを止めようと近寄った。
「お嬢。そろそろ椅子に座っとけ。女官たちがピリピリしてるぞ」
「わかってるわよ。それより、ちょっとあれ……」
不安そうなメグの声に、マルコムも会場を覗き見た。マルコムの目に、見覚えのある人物が映った。
「あれは……ペリフローニシの町の、フェローシャス伯か」
フェローシャス伯は、ベンの母と共に席へ案内されていた。しかしメグは、呆れたように小さくため息を吐いた。
「違うわよ。そっちも確かに気になるけど、証明書をくれたんだから、何も問題ないわ。それより、あっちよ。あっち」
マルコムは、メグに突かれて会場を見渡すと、アマービレ王国の王太子キールと和かに話すパトリックの姿を見つけた。
「うわ、あのじじい、招待されていたのか」
「こんなに顔を合わせなくちゃならないなんて、ほんと嫌になるわ。何もないといいけど」
二人は露骨に嫌そうな表情を浮かべ、奥の椅子に座った。全ての客が着席すると、侍従の合図で曲が変わった。不思議に思い、セラがマルコムに尋ねた。
「この曲って初めて聞きましたけど、何の曲ですか?」
「これはラチェットが皇女殿下のために新しく作った曲だな。皇女殿下が入場する合図にするって……セラちゃん⁉︎」
マルコムの話の途中で、セラは急に立ち上がり、興奮した面持ちで袖から会場を覗き見た。
「うわあ……! 本物の姫御子さまだ!」
絵でしか見たことがなく、話に聞いていた憧れの皇女の姿を見て、セラは思わず感嘆の声を漏らした。すると、すかさず女官が舞台袖の奥へ、ぐいとセラを引き込んだ。
「お静かに願います」
「ご、ごめんなさい……」
身をすくめるセラに、女官は厳しい目を向けた。
「よろしいですか。あなた方は陛下に招かれ、公主殿下とも懇意にしておられますが、陛下を始めとする皇族方は本来、ご尊顔を気軽に拝見出来る方々ではないのです。深く肝にお命じください」
「はい……」
女官の言葉に、セラはますます小さくなった。しかし女官の説教は止まらない。マルコムが間に入り、代わりに頭を下げている隙に、メグがセラを椅子に座らせた。
「セラ、ごめんね。私が覗いてたから、女官の人たちが余計に怒ってるのよ」
「いえ。私が悪いので……」
落ち込むセラを見たニースは、さっき食べてしまった飴が最後だった事を悔やんだ。ニースは、セラと手を繋いだ。
「出番まで、大人しくしていよう」
「うん……」
セラはニースの手を、ぎゅっと握り返した。
その後、晩餐会は順調に進んだ。マルコムの手品とメグの踊りは大盛況で、大きな拍手がニースたちの耳にも届いた。そしていよいよ、ニースたちの出番が来た。
「さあ、あなた方の出番です。よろしくお願いいたします」
女官に促され、ニースとセラは舞台へ上がった。ニースが舞台に上がると、招待客がどよめいた。上等な礼装の生地に負けないぐらい、滑らかで艶やかな黒い肌。シャンデリアの光に照らされて煌めく黒髪。貴婦人が身につける宝石のように、澄んだ黒い瞳。もしここにルイサがいたら、二人の黒がよく似ていると囁かれただろう。ルイサを知る人々は、感心したように微笑みを浮かべていた。
二人は丁寧にお辞儀をし、ピアノとバイオリンの音色を背景に歌い出した。ラチェットがラース山脈で作った曲に、恋心を綴った歌詞を乗せて二人は歌う。雄大な旋律に心が震え、募る愛しさを込めた詞が、皆の胸を熱く焦がした。
二人がそれぞれ旅立ちで歌った故郷を思う歌は、目に涙を誘った。優しく切ない音色と懐かしい思い出の詞は、心を揺らし、儚く消えていった。
そして最後に、二人は歌石歌を歌った。ニースの歌石歌は、一座の公演の中で音楽として特に評判が良かった。そのため、晩餐会では声を揃えて歌えるようにと、二人は練習を重ねていた。会場に響き渡る澄んだ歌声は、夜空に浮かぶ二つの月のように柔らかく、胸がポカポカしてくるような、温かく優しい音色だった。
帝を始めとする全ての人々が、二人の歌声に聞き惚れている中。感動を打ち破り、パトリックの妙に甲高いダミ声が響いた。
「おお⁉︎ おお!」
「どうしたのかね、パトリック殿。……なっ⁉︎」
パトリックの近くに座っていたキールも声をあげ、そのまま驚きは招待客全員へと伝播した。パトリックの指にはめられていた指輪が、ほのかに虹色に輝いていたのだ。ニースとセラからは、その小さな光は見えなかったが、騒然とする会場に驚き、歌うのをやめて固まった。グスタフとラチェットは、二人が歌をやめてしまったので、伴奏をやめて会場へ目を向けた。
演奏が止まったので、帝の表情が険しくなった。騒ついていた人々の声は一気に静まり返る。音のない中でパトリックが立ち上がり、恭しく帝に頭を下げた。
「陛下。演奏の途中に申し訳ございません。至急申し上げたいことがございます。奏上をお許しいただけますか」
帝は険しい表情のまま、静かに答えた。
「良かろう」
パトリックは指輪を外すと、招待客全員に見えるように高く掲げた。
「私のこの指輪は、歌石を使った品にございます。本日の宴では、歌の力を持たない歌い手が演奏すると伺っておりましたが、光り輝いたということは、どちらかが歌の力を持つという証にございます。幸い私は、もうひとつ歌石の指輪を持参しております。この場でお確かめになられてはいかがでしょう」
「ふむ。なるほどの」
帝は侍従長を呼び、何やら囁き始めた。パトリックが、ニヤリと笑みを浮かべてニースに目を向けた。ニースはパトリックの笑みに恐怖を感じ、俯いて目をぎゅっと瞑った。
――パトリックさんは、ぼくの歌の力を計ろうとしてるんだ。あの指輪が光ったってことは、ぼくに歌の力が出たってこと? でも、あの光が何かの間違いだったなら、またぼくは……。
俯くニースの袖を、セラが不安そうに掴んだ。しかしニースは、セラに目を向けることはなく、小さく震えていた。
侍従長は帝の話を聞くと、パトリックの元へ向かった。パトリックは、ロビンから新しい指輪を受け取り、侍従長の手に渡す。侍従長は指輪を盆の上に乗せ、帝の前へ置くと、ニースとセラの元へ来た。
「お二人とも、それぞれ一度ずつ歌石歌を歌うようにと、陛下からのご下命です。謹んでお受けなさい」
二人は不安を抱えたまま、力なく答えた。
「わかりました……」
「はい……」
侍従長は気遣わし気な表情を浮かべたが、二人に何も言うことはなく、そのままグスタフとラチェットにも話を伝えた。旅芸人が、帝の言葉を断れるはずもない。グスタフは、苦々しく顔を歪めながらも頷き、気持ちを切り替え舞台へ上がった。
「陛下のお言葉を有り難く頂戴いたしましたので、二人それぞれの歌石歌をお聞きいただければと思います」
グフタフは丁寧にお辞儀をすると、舞台から降りた。ニースは不安を押し込めるようにぎゅっと拳を握り、セラに囁いた。
「ぼくから歌うよ」
「ニース……わかった」
セラがニースの袖から手を離し、舞台の後ろへ下がる。ニースは大きく深呼吸をすると、一人で歌石歌を歌い始めた。
帝は、目を閉じて歌声に耳を澄ませた。その姿に、皇族や皇国貴族たちも、ニースの歌に集中した。しかし、パトリックやキールたちは、帝の前に置かれた指輪を見つめていた。
……やはり指輪は光らなかった。
ニースが歌い終えると、静かな会場にパトリックの落胆の呟きが響いた。
「天の導きなのに、本当に歌の力がないとは……」
ニースの脳裏に、剣を向ける父の顔と、皇国官僚に言われた言葉が過った。ニースが苦しげに俯き、唇を噛むと、手を叩く音が響いた。帝が立ち上がり、満面の笑みを浮かべて拍手をしていた。
「素晴らしい歌声じゃった。これほど心に響く音楽は、初めてじゃの」
帝の思いがけない言葉に、ニースは驚き、顔をあげた。会場中がしんとしていたが、すぐに皇女が立ち上がり、拍手をニースに送った。
「ええ。私も、素晴らしい演奏だったと思いますわ。最高の贈り物でした。ありがとう」
皇女が、にこやかな笑顔をニースに向けると、皇族やフェローシャス伯たち皇国貴族も立ち上がり、拍手をした。パトリックら招待客も、大慌てで立ち上がり、拍手を送る。会場が拍手に包まれる中で、ニースは丁寧にお辞儀をした。ニースの目から、涙がこぼれ落ちた。
拍手が終わると、侍従長に促されてセラが前に出た。セラは緊張し、震える声で歌石歌を歌い始めた。時折うわずるセラの歌声に、パトリックは顔をしかめたが、指輪を見て驚いた。
「光ってる……光っておりますぞ!」
涙を拭っていたニースは、パトリックのダミ声に、はっと顔を上げ、小さく光る指輪を見つめ呆然とした。
――なんで……なんでセラの歌で? まさか、セラには歌の力があるの?
フェローシャス伯が、苦々しげにパトリックに注意を促した。
「パトリック殿。演奏中ですので、お静かに願えますかな」
パトリックは唇を噛み締め、顔を真っ赤にしながら押し黙った。ニースもその声に意識を引き戻し、セラの姿を見つめた。セラは、声をかすれさせながらも、必死に歌いきった。そして歌い終えると同時に、ぐらりと倒れ、膝から崩れ落ちた。
「セラ!」
ニースが咄嗟にセラの肩を支え、声をかけたが、セラは目を覚まさない。グスタフが慌ててセラを抱き上げ、ニースと共に舞台袖へ去った。会場は騒然としたが、帝の視線ひとつで静まり返る。ラチェットは、静かにピアノを奏で始めた。
セラを抱えたグスタフは、ニースを連れてそのまま控え室へ向かった。舞台袖から一部始終を見ていたメグとマルコムも、数名の女官と共に追いかけた。ジーナもセラを心配していたが、ラチェットを一人残すわけにもいかないので、会場に残った。
セラは緊張のあまり気を失っただけのようで、控え室へ入るとすぐに意識を取り戻した。
「ん、んん……」
「セラ、大丈夫?」
ソファに寝かせられたセラの手を、ニースがぎゅっと握った。
「二人とも、すまない。全く守ってやれなかった……」
グスタフは気落ちした様子で、ニースとセラに頭を下げると、マルコムとメグに二人を任せて、急いで会場へと戻っていった。
メグは女官から水桶を受け取ると、布を硬く絞ってセラの前髪を上げ、額へ置いた。ぼんやりと開いたセラの瞳を、ニースとマルコムは初めて見た。
「セラ……その目……」
セラはニースの言葉に、はっとして起き上がろうとしたが、体に力が入らなかった。セラは必死に身をよじり、顔を手で覆った。
「見ちゃダメ……!」
涙声で小さく叫ぶセラに、ニースは切なげに微笑みかけた。
「セラ。別にセラの目の色が、ぼくと同じ真っ黒でも、恥ずかしがらなくていいんだよ」
ニースの穏やかな声に、セラが指の隙間からニースを見た。
「ほんと……? ほんとに、私の目って、ニースと同じなの?」
ニースは困ったように、メグとマルコムに目を向けた。
「ぼくと同じだよね?」
「そういえば、ラメンタの町で見た時、セラの目って黒かった気がするわ……」
「お嬢、知ってたのかよ。セラちゃんがニースと同じ、黒い目だって」
二人の言葉に、セラは手を下ろし、起き上がろうとした。まだふらつきのあるセラの体を、ニースとメグが支えた。セラは戸惑いがちに、ニースに問いかけた。
「あ、あの……。私の目って、ニースの目と同じなの? 気持ち悪くないの……?」
「気持ち悪い……?」
「私の目が、気持ち悪いって言われてたから……」
セラの言葉に、メグが顔をしかめた。
「セラ。それって、もしかして、セラのお父さんに言われたの?」
セラは、小さく頷いた。メグは、はぁとため息を吐き、ニースとマルコムは困った顔で見合わせた。
「セラ。お父さんに言われたことは、忘れなさい。あなたの目は、とっても綺麗よ」
「セラちゃんの目は、黒水晶みたいに美しいさ」
「そうだよ、セラ。それに、セラの目が気持ち悪いなら、ぼくやルイサさまの目だって気持ち悪いってことだよ?」
セラは戸惑い、視線を彷徨わせた。
「でも……私の目と同じ人は見たことないって。家族と違うし、気持ち悪い色だから見せるなって、お父さんに言われて、それで……」
セラが目に涙を浮かべると、マルコムが鞄を開き、手鏡を取り出した。
「セラちゃん。自分で見比べるといい」
マルコムは、そっと手鏡を差し出した。セラは迷ったが、震える手で手鏡を掴むと、自分の目を鏡で見た。鏡には、ニースと同じ澄んだ黒い瞳を持つ、セラの顔が映っていた。
「あ……あれ……?」
セラは、前髪をかき分けて、目を指で開き、ぐっと顔を鏡に近づけた。そして、鏡から顔を離すと、ニースの目を見た。ニースの澄んだ美しい黒い瞳に、セラは自分の瞳の色を感じた。
「あれ……あれ……」
呆然とするセラに、ニースは儚げな笑みを浮かべた。
「ね、一緒でしょ?」
セラは、ぽろり、ぽろりと涙をこぼした。メグがそっとセラを抱きしめた。ニースは俯き、きゅっと口を結んだ。
――セラは、歌い手の色を持っていたんだ。そして、ぼくと違って、歌の力がちゃんとある……。
ニースの胸に痛みが走る。空に輝く二つの月を、分厚い雲が覆い隠していった。




