62:御前演奏2
前回のざっくりあらすじ:ルイサが毒で倒れた。
ニースが新しい控え室に戻ると、事件を知ったジーナとメグに部屋の前で鉢合わせた。
「ニース、聞いたわ! あなたは大丈夫だったの⁉︎」
「うん。ぼくもセラも、大丈夫だったよ」
「セラちゃんは、どこに?」
「部屋の中にいるはずです」
心配する二人に、ニースは安心させるように笑みを向けた。ジーナは不安げに、ニースに尋ねた。
「ニースくん。ルイサのことは聞いてる?」
「いいえ。ぼくはルイサさまが倒れた後、すぐにセラとこっちの部屋に来て、今まで護衛の隊長さんにお話してたんです。だから、その後どうなってるのか、わからなくて……」
「そう……。無事だといいんだけど……」
三人が部屋へ入ると、セラが震えてソファでうずくまっていた。ニースはセラの隣に腰を下ろし、何も言わずにセラの手を握った。メグはセラを心配しつつも、苛立ちを隠せない様子で向かいに座った。
「早くセラたちを安心させてあげたいのに……なんでお父さんたちはまだ演奏をしなくちゃいけないわけ?」
ジーナが困った顔をして隣に座り、落ち着いた声でメグをなだめた。
「仕方ないでしょ、メグちゃん。事件があったのは限られた人しか知らないし、勝手にやめたら混乱に繋がるの。指示があるまでは、演奏を続けるしかないのよ。マルコムが確認しに行ってくれてるから、とにかくそれを待ちましょう」
しかし四人が待てども待てども、なかなかマルコムはやって来なかった。やがて窓の外の日は傾き、夕焼けが空に満ちていった。ようやくマルコムが控え室に来る頃には、グスタフとラチェットも歓迎の演奏を終えて戻ってきた。
マルコムは聞いてきた事を、皆に話した。
「まず、ルイサ様は無事だ。毒味役の女官は、まだ治療中だそうだが……」
ルイサは医師の迅速な手当てにより、軽症で済んだ。まだ経過を見なければならないが、大事には至らなかった。震えていたセラが、安心してぽろりと涙をこぼした。
「良かった……公主さまだけでも、ご無事で……」
セラの頭を、ニースが慰めるようにそっと撫でた。皆が安堵の表情を浮かべる中、マルコムは苦々しく顔を歪め、言い辛そうに口を開いた。
「それから……今夜の晩餐会だが、予定通り行われるそうだ」
マルコムの言葉に、メグは非難の声をあげた。
「こんなことがあったのに、晩餐会を中止にしないっていうの⁉︎」
「俺だって納得いかないさ。でもな、皇国の威信がかかってるって話なんだから、仕方ないだろう」
マルコムはひどく辛そうな表情を浮かべながらも、メグに言い聞かせた。しかしメグは納得せず、マルコムに食ってかかった。
「ニースたちだって危なかったのよ⁉︎ それに、ルイサ様は皇族でしょう⁉︎ なぜルイサさまが狙われたのに、皇国は平気でいられるのよ!」
「お嬢、そう俺に言われてもな。実行犯は捕まったと言うし、対策もしたというんだ。どうしようもないんだよ」
ニースの証言がきっかけとなり、毒は食後の紅茶に含まれていた事が判明した。茶器の内側に、特殊な毒が仕込まれていたのだ。茶器を館内に運び入れた犯人は、速やかに捕らえられていた。
「でも、でも!」
「メグ、落ち着いて!」
立ち上がろうとするメグを、ラチェットが必死に止めた。メグを宥めるように、マルコムは話を続けた。
「犯行予告には、歌い手に天誅を下すと書いてあったそうだ。晩餐会の招待客は対象じゃない。だから問題ないというのが、皇国のお偉方の判断なんだ」
犯行予告の内容は、皇国の歌い手殺害予告だった。南方で最近まであった戦争に、皇国は同盟国として軍を送っていた。その軍が使う武器の中には、古代文明の兵器も含まれている。歌い手の力は、強力な兵器にも使われるのだ。戦争が終わっても恨みを抱えた者たちは、皇国の歌い手……特に皇国随一の歌姫ルイサを標的とし、度々襲撃を試みていた。歌の力は持たないが、天の導きであるニースも、犯人に姿を見られれば標的となる可能性があったため、控え室の前で警備強化の命令が伝えられていたのだった。
「それなら、なおのことでしょ⁉︎ ニースとセラは今夜歌うのよ! 毒の心配がなくたって、襲われたらどうするのよ! マルコムは、二人が危ない目にあってもいいっていうの⁉︎」
なおも怒りをぶつけるメグに、マルコムは悔しそうに立ち上がり、怒鳴った。
「そういうわけじゃない! 俺だってな、ルイサが倒れて……この上ニースたちにまで何かあったら、嫌に決まってるだろう! 俺だって、晩餐会をやめるか、ニースたちの出演を取りやめるか、皇国のやつらに頼んださ! だがな、無理だったんだよ……!」
マルコムの肩にジーナがそっと手を置いた。マルコムは怒りに震えたまま、大きく息を吐き、腰を下ろした。セラが怒鳴り声にびくりと身を震わせる隣で、ニースは目頭をそっと押さえた。
――メグも、マルコムさんも。こんなに、ぼくたちのことを心配してくれてる……。ぼくが代わりになった方がいいなんて、そんなことないんだ。
ニースは泣きそうになるのを堪え、俯いた。メグはマルコムの怒鳴り声に、少し冷静さを取り戻したが、それでもなお呟いた。
「そんな……どうにか、どうにかならないわけ?」
腕組みをして話を聞いていたグスタフが、口を開いた。
「陛下は皇女殿下と共に、晩餐会へ出席されるんだ。皇族方が出られるということは、安全が確保されているということだ。いくら心配でも、私たちが断れる理由はない。やるしかないんだ」
メグは悔しそうに俯き、拳を握りしめた。グスタフは、ニースとセラに申し訳なさそうに目を向けた。
「ニース、セラ。二人とも不安だと思うが、歌えるか?」
セラは手布で涙を拭い、こくりと頷いた。
「はい……。姫御子さまのための演奏を断れないのは、私も分かります。心配はあるけど……」
ニースも気持ちを落ち着け、顔を上げた。
「はい。ぼくも歌えます」
「すまないな、二人とも」
グスタフの顔は、ひどく悲しげだった。ニースは、メグたちにも目を向けた。マルコムは項垂れたままだったが、ジーナ、メグ、ラチェットが、気遣うような眼差しを向けていた。
――ぼくは……せめてちゃんと歌わなくちゃ。ルイサさまと約束したんだから。
ニースは立ち上がると、自分の鞄から小さな紙包みをいくつも取り出した。
「ニースくん……?」
「ジーナさん、いつも言ってましたよね。こういう時こそ、美味しい物をって」
ニースは皆が囲むテーブルの上に、小さな紙包みをまとめて置いた。ジーナは、その包みに見覚えがあった。
「ニースくん、これって……」
「はい。ルイサさまから頂いた飴です」
紙包みは、ルイサ手作りの黒糖飴だった。ルイサが宿でお茶を飲んだ時に、ニースに渡していたのだ。ジーナは紙包みをひとつ取ると、口の中に飴を入れた。マルコムが包みを開いて飴を指で摘み、じっと見つめた。
「ルイサのやつ、昔は焦がしていたのにな……。なかなかやるじゃないか」
グスタフは飴を取りながら、苦笑いを浮かべた。
「マルコム。さっきから素が出てるぞ。ルイサ様だ」
ラチェットたちも、次々に飴を手に取った。
「公主殿下の手作りなんですか?」
「ルイサ様はお姫様なのに、料理が出来るなんて……」
「公主さまは、ゼリーも作れるんですよ。とってもお料理上手なんです!」
グスタフたちの険しい顔が、優しい甘さでほんの少し緩んだ。黙って飴を舐めていたジーナが、頬をパンと叩いた。
「ニースくんに、お株を取られちゃったわー。ハリカの妖精が、こんなんじゃダメよねー」
ジーナは頬に大きな紅葉をつけたまま、にっこり微笑んだ。セラはジーナの顔を見て、小さく笑った。
「マルコムさんの紅葉と同じだ」
「セラちゃんは、相変わらず容赦ないな……」
マルコムは切なげに微笑みながら、セラの頭をくしゃりと撫でた。空元気だが笑顔を取り戻した一座の控え室に、侍従が訪れた。夜の帳はすっかり降りて、晩餐会の時間が迫ってきていた。
空は夜闇に覆われ、数多の星が瞬き、二つの月が浮かぶ。柔らかな照明の光に照らされる迎賓館に、次々と豪奢な馬車がやってきた。馬車から降りる人々は、夜会服に身を包み、貴婦人たちは星々の輝きに負けないほど煌びやかだ。まだ会場の中では最終確認が行われており、招待客はロビーで飲み物を片手に談笑していた。
ニースたちは、晩餐会の会場で控えていた。ラチェットはピアノの音の確認に余念がなく、ジーナは女官たちの手伝いで大忙しだ。不安と緊張で固まっていたニースとセラは、メグに誘われて、ロビーに集まる人々を扉の隙間から覗き見た。グスタフとマルコムも、二人を守るように後ろから覗き込んだ。セラは華やかな光景に、緊張がすっかり吹き飛び、興奮して呟いた。
「うわあ……すごい! 絵本の王子さまやお姫さまみたいだよ、ニース!」
セラと共に覗いていたニースは、動揺して震える声を出した。
「あ……あれって……」
「どうした、ニース?」
マルコムは、ニースが指し示した人物を見て、穏やかに答えた。
「あれは、アマービレ王国の王太子、キール殿下だな。肖像画でしか見たことはないが、晩餐会に招かれているんだから、間違いないだろう」
「やっぱり……。若い頃の国王陛下の肖像画に似ていたので、そうなのかなって思ったんですけど……」
不安げに顔を歪めたニースの肩を、グスタフが安心させるように、ぽんと叩いた。
「ニース、心配しなくていい。君は今は、マシュー殿の孫で、リンド夫人の息子だ。それに、子どもの成長は早い。ニースが元伯爵家の人間だなんて、わからないはずだよ」
「そうだといいんですけど……」
ニースにとって、自分を追い出したアレクサンドロフ伯爵家は、今はもう他人だ。しかし実の父と、血の繋がった兄弟がいる事に変わりはない。ニースは自分の生存を王国に知られる事で、迷惑をかけたくはなかった。
ニースが不安を感じていると、セラがニースの袖を引いた。
「ニース、これ。さっき食べなかったでしょ?」
セラは、ニースに飴の包みを手渡した。ニースは微笑みを浮かべて礼を言うと、口に飴を入れた。ニースは口に広がる甘さに、ほんの少し気持ちが和らいだ。
「ハリカの皆さん。そろそろ準備をお願いします」
侍従の声にグスタフが頷き、会場の隅にある舞台へ上がった。ピアノの前のラチェットは居住まいを正し、グスタフはバイオリンを持つ。ニースたちは、舞台袖へと身を隠した。




