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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第5章 歌い手と“調子外れ”】
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57:大事な友達3

前回のざっくりあらすじ:領主から歌石歌を歌えと言われた。

 ニースが歌石歌を歌いだすと、フェローシャス伯は満足げな笑みを浮かべて、懐から小さな箱を取り出した。そして箱の蓋を開けると、じっと箱の中を見つめた。フェローシャス伯の手の中にあるそれが、どのような物なのか、舞台にいるニースからは見えない。しかし、その仕草は、五歳の誕生日パーティでの貴族たちと同じだった。ニースには、それが何なのかわかった。


 ――歌石のペンダントみたいなものなんだろうな……。


 ニースを見ることなく、歌を聞くわけでもなく。ただただ、手元にある()()を見つめ、変化を見逃さないようにする。フェローシャス伯が、ニースの歌の力を計ろうとしていることは、明白だった。

 ニースの歌が終わっても、誰も何も言わなかった。フェローシャス伯がじっと小箱を見ていたからだ。ニースは、フェローシャス伯に頭を下げた。


「ぼくの歌には、歌の力はありません。ぼくは“調子外れ”です。ご期待に添えず、申し訳ありません」


 フェローシャス伯は、憤懣(ふんまん)やるかたないといった風に、ぎりりと歯ぎしりをすると、小箱の蓋を閉じ、懐にしまった。妻や子どもたちが固唾を呑む中、フェローシャス伯は立ち上がり、ニースに目を向けた。その顔は、静かな怒りに満ちており、突き刺すような目をしていた。

 フェローシャス伯は、舞台にいるニースの元へ、そのまま静かに近づこうとした。ニースは、蛇に射すくめられた蛙のように、びくりと身を震わせた。


 ――殴られる……!


 ニースは冷や汗が浮かぶのを感じながら、ぎゅっと目を瞑り俯いた。グスタフが危険を感じて、ニースの前に出ようとした。しかし、グスタフより早く動いた者がいた。それは、ベンだった。


「父上、やめてくれ!」


 両手を広げて立ち塞がるベンに、フェローシャス伯は凍りつくような冷たく低い声で、静かに告げた。


「ベンジャミン、そこを退きなさい」


 ベンは冷や汗を浮かべながら、フェローシャス伯を睨みつけた。


「私は……俺は言っただろ⁉︎ ニースには、歌の力はないって。無理やり親父が歌わせたのに、これ以上何をしようって言うんだよ!」

「ベンジャミン! なんですか、その口の利き方は!」


 ベンの母親であろう、妻の一人が前に出ようとしたが、フェローシャス伯は手で制した。ベンは、フェローシャス伯に縋り付くように跪いた。


「お願いします! ニースたちは、何も悪くない! 歌は音楽なんだ。このまま、ニースたちを旅に出させてください! 俺……いや、私は、これからちゃんとしますから! 兄上の足手まといにならないよう、支えられるよう、努力しますから! だから……!」


 ベンは、必死にフェローシャス伯の脚にしがみつき、懇願した。フェローシャス伯は、じっとベンを見つめると、呆れたように呟いた。


「全く、お前は……」


 フェローシャス伯の呟きに、ベンが手を緩めた。すると、フェローシャス伯はベンの手を払いのけ、くるりと踵を返し、無言で去って行った。妻や子どもたちは、ベンをちらりと見たが、ベンの母親であろう、妻の一人を残して、皆足早にフェローシャス伯の後を追い、去っていった。

 残された妻はベンジャミンに近づき、ため息を吐いた。


「ベンジャミン。何をしているのよ……」


 ベンは跪いたまま、頭を垂れた。


「母さん……ごめんなさい」


 ベンの母は、ベンの謝罪を受け取ると、ニースに目を向けた。ベンの母は、優しい微笑みを浮かべていた。ニースが何を言えばいいかと狼狽えていると、ベンの母は優雅にお辞儀をした。


「あなたの歌、私は気に入りましてよ。ベンジャミンの言った通り、素晴らしい()()だったわ」


 ベンの母は、それだけ言うと、ベンを残し去っていった。ベンは、ほっと安堵の息を吐き、緊張を解いた。ニースは舞台を降りて、立ち上がったベンのそばへ歩み寄った。


「ベン……。無理しないでって、言ったのに」


 ニースの言葉に、ベンは、ははっと笑った。


「大事な友達の一人も守れなくて、領主の息子なんかやってられるかよ」


 ベンの言葉に、ニースはふわりと微笑んだ。


「ベン、ありがとう」


 ニースは、ベンに心からの感謝を告げた。大広間から見える空の雲は晴れ、ぽっかりと二つの月が浮かび、夜闇に包まれた庭を優しく照らしていた。




 太陽の光が燦々と降り注ぐ中、川の船着場に大きな外輪船が船体を寄せた。川の水を跳ねる音が止むと、船はポーと汽笛を鳴らした。桟橋と船の間に板が渡され、たくさんの人が荷物を運び降ろす。ニースたち旅の一座が、ペリフローニシの町を出る日となった。

 一行は、どうにか準備を整えて二台の馬車に乗り、船着場へとたどり着いていた。グスタフたちは船着場の端に馬車を止め、川縁の柵に寄りかかりながら、乗船開始の合図を待っていた。そこにマルコムの姿はないが、グスタフたちは、疲れを滲ませながらも、安心した笑みを浮かべていた。


「色々あったが、ようやくこの町から出られるな」

「そうね。ニースが殴られるんじゃないかって、私、すごいヒヤヒヤしたわ」

「安心しなさい、メグ。今回はベンくんに、お株を取られてしまったが、そんなことを私は許す気はなかったよ」

「グスタフったらー! かっこいいわー!」


 ジーナに背中を叩かれて、危うく川へ落ちそうになったグスタフだが、必死に堪えた。ニースは、ジーナの前でうっかり男らしい事を言わないように気をつけようと、心に固く誓った。

 セラは、柵から身を乗り出すようにして、船を眺めていた。


「船って、こんなに大きいんだね! 橋から見たときより、ずっと大きい!」


 船に夢中なあまり、そのまま川に落ちてしまいそうなセラを、ラチェットが支えた。


「セラちゃん、そんなに乗り出したら危ないよ。ラメンタの町の湖には、船はなかったのかい?」

「ごめんなさい、ラチェットさん……。あったかもしれないけど、私は湖の方には行かなかったから、わからないんです。……あ! あっちの船は小さいけど速い!」


 はしゃいだり、落ち込んだり、セラは今日も元気だ。セラのコロコロ変わる顔を見て、ニースは仮面の下で微笑んだ。


 やがて荷下ろしを終えた船は、たくさんの人で混み合う船着場に、乗船開始を告げる汽笛を響かせた。馬車などの大型貨物の搬入口は、人が乗り込むのとは別の場所にあるため、一行は二手に分かれた。グスタフとラチェットは、搬入口から慎重に馬車を運び入れる。一座の馬たちは船に慣れており、大人しく乗り込んだ。

 ニースは、ジーナ、セラの二人と乗船口の列に並んでいた。するとそこへ、聞き覚えのある声が響いた。


「ニースー! 待ってくれー!」


 息せき切って走ってきたのは、ベンだった。ニースは驚き、桟橋を戻った。


「ベン、どうしたの?」


 すると、人混みを縫うように走るベンの後ろから、どよめきが起きた。


「若様だ!」

「若様、いいお天気ですね!」


 船着場にいる町の人々が挨拶をしながら、道を開けていく。人の波が綺麗に割れると、そこからフェローシャス伯の嫡男がヘイスベルトを伴ってやってきた。ニースの前で息を落ち着かせているベンを、嫡男は押し退け、ずいと前へ出た。


「やあ。ニースくん。昨日の歌はとても良かったよ」


 突然現れた嫡男に面食らいながらも、ニースは頭を下げた。


「あ、ありがとうございます」

「ところで、その……。昨日の踊り子の女性はいるかな……」


 嫡男は少し頬を染めて、ニースの後ろを覗いた。すると嫡男の背後から、可憐な女性の声が響いた。


「私に何かご用かしら?」


 ()()()()()出かけていたメグは、町の人々と共に、ニースたちを見ていたのだった。嫡男は慌てて振り向くと、ゆっくり近づいてきたメグに、耳まで顔を赤くした。


「あ、あ、あの……」

「若様。こちらのお嬢様は、メグ様でございます」


 ヘイスベルトが嫡男に耳打ちをし、真っ赤な薔薇の花束をそっと渡した。嫡男はコホンと咳払いをすると、花束を差し出し、跪いた。


「私はフィリップ・フェローシャス。フェローシャス伯の嫡男です。メグさん。あなたは、私の前に舞い降りた天使だ。この美しい薔薇ですら、あなたの輝きには遠く及ばない。どうか私の妻となり、あなたの笑顔を私だけに向けてもらえないだろうか」


 突如繰り広げられたプロポーズに、船着場の人々からどよめきが上がった。ニースは呆気に取られて、ぽかんと口を開け、ベンはぞわぞわと立ち上る鳥肌に震えた。野次馬たちが見守る中、メグはにっこりと微笑んだ。


「ごめんなさいね。私、そういう趣味はないのよ」


 メグは優雅にお辞儀をすると、凍りつくフィリップの横を通り過ぎ、船へ乗り込もうとするジーナとセラの側へ歩いて行った。


「薔薇の髪飾りをしているのに、なぜ……? 生花じゃいけなかったのか……?」


 花束を差し出したまま呆然と呟くフィリップを、決して刺激しないように、野次馬たちはそっと離れていった。ベンはコホンと咳払いをすると、ニースに目を向けた。


「ニース、ごめんな。俺の兄貴が、こんなんで……」


 ベンの言葉に正気を取り戻したフィリップは、花束をヘイスベルトに押し付け、ベンを睨んだ。


「ベンジャミン! お前はまたそんな口の利き方を! 昨日、父上の前で誓ったことを忘れたのではあるまいな!」


 ベンは、ニヤニヤと笑みを浮かべながらも、恭しくお辞儀をした。


「いえ。忘れてませんよ、兄上。大変申し訳ありません」


 そこへ、乗船前だというのに、どこかへ出かけていたマルコムが、紅葉の跡をつけた頬をさすりながら、ニースの隣へやってきた。


「ニース、何かあったのか?」

「マルコムさん。ベンと、ベンのお兄さんのフィリップ様がいらしてて……」


 ニースの声を聞いたフィリップは、ベンに呆れたようにため息を吐くと、マルコムに目を向けた。


「座長殿……ではないようだ。座長殿はいらっしゃらないのか?」


 ニースがすぐに、マルコムに耳打ちをした。


「グスタフさんは今、馬車を船に乗せています」


 マルコムはニースに頷きを返すと、フィリップに丁寧にお辞儀をした。


「フィリップ様。私は、副座長のマルコムと申します。大変申し訳ございませんが、座長は船へ荷物の搬入中のため、こちらには伺えません。よろしければ、私からお伝えいたします」


 フィリップは、マルコムの頬を見て怪訝な目つきをしていたが、何かを察したのか、親近感を抱いたような笑みを浮かべた。


「ああ。それなら、副座長殿でも良かろう。……ヘイスベルト」

「はい、若様。こちらに」


 ヘイスベルトは、封蝋の押された羊皮紙の巻物を取り出すと、恭しくフィリップに掲げた。フィリップは巻物を受け取り、マルコムへ渡した。


「これは、昨日の演奏への礼だ。受け取ってくれ」

「ですが、フィリップ様。我々はすでに謝礼は頂いておりますが……」

「中を見ればわかる」


 マルコムは、フィリップに促され、封蝋をナイフで外し、巻物を開いた。


「これは……」

「昨夜、君たちが帰った後、ベンジャミンが私たちに掛け合ってね」


 巻物は、ニースが“調子外れ”である事を、フェローシャス伯が証明するという内容で、ニースと一座が専属契約を結ぶ事を許諾するというものでもあった。

 横から覗き込み首を傾げるニースに、ベンが微笑んだ。


「俺……私は、ニースには、顔を隠したりしないで、思う存分歌ってほしいと思っているんだ。ニースが顔を隠すのは、歌の力がないのに、歌い手だと思われて問題(トラブル)に巻き込まれるからだろ?」

「うん。そうだよ」

「だから昨日、私は親父……父上たちに、掛け合ったんだ。父上が、ニースの歌に力がないってことを証明して、ニースが一座の専属だと認めてくれれば。歌い手だと誤解されたり、誰かに囲い込まれそうになったりしないんじゃないかと思ってさ」


 フィリップが、ベンの言葉に付け足した。


「その証明書には、後継の私と、私たちの母の署名もある。私たち二人の母は元皇族でね。我が伯爵家は、皇国内ではそれなりに力のある貴族だが、母上の名は皇国の帝に連なるものだ。国外でも、それなりに通用するだろう」

「えっと……それじゃあ、昨日、最後にぼくの歌を褒めてくれたのって……」


 驚くニースに、ベンが笑みを向けた。


「そうだよ、ニース。私の母で、父上の第一夫人。そして帝の従姉妹さ」


 あっさりと言ってのけたベンに、ニースとマルコムは唖然とした。


「だからさ、ニース。その仮面を外して、さよならを言ってくれないかな」


 にかっと歯を見せて笑うベンに、ニースは頷いた。


「わかったよ、ベン」


 ニースは、ゆっくりと仮面を外し、手袋もとった。川を渡る爽やかな風が、ニースの艶やかな黒い肌と、さらりとした黒髪を撫でた。眩い日の光が黒い瞳に入り込み、ニースは思わず手で遮った。乗船のために、桟橋にいた人々から、どよめきの声が上がった。美しい黒に、誰もが息をのんだ。


「うん、思ってた通りだ! やっぱりニースの黒は、日の光に当たるとすごく綺麗だな!」


 ベンは満足気に頷くと、目に薄っすらと涙を浮かべて、ニースに手を差し出した。


「ニース、元気でな」

「うん。ベン、色々ありがとう。いつかきっと、また会おうね」


 ニースはしっかりと、ベンの手を握った。ニースの目にも、涙が滲んでいた。握手をしながら鼻をすするベンに、フィリップが、からかうような笑みを向けた。


「男なのだから泣くな、ベンジャミン。お前は、私と同腹のたった一人の弟なんだぞ。私に何かあったら、お前が後継にならなければいけないんだ。しっかりしろ」


 ベンは手で涙を拭うと、フィリップに苦笑いを向けた。


「兄上。滅相なことを口になさらないでください」

「あれ? ベンって、五男じゃなかった?」


 首を傾げるニースに、ヘイスベルトが自慢気に頷いた。


「左様でございます、ニース様。ベンジャミン様は、フェローシャス伯爵家の五番目のご子息でございます。しかし、奥方様の二人目の男の子であらせられます。帝の血に繋がる、大切なお方なのです」

「ヘイスベルト! そういう言い方をするなよ! そういうのが嫌だから、俺は町に逃げたくなるんだ!」


 抗議の声をあげるベンを、フィリップが睨んだ。


「ベンジャミン、口調が戻っているぞ。ニース殿の証明書のためにした、父上との約束を忘れるな」


 ベンは肩を落とし、口を尖らせた。


「兄上まで……」


 フィリップの話を聞いたニースは、ベンの優しさが身に沁みた。


 ――ベンとは会ったばかりなのに、ぼくのために頑張ってくれたんだ。ぼくは、ちゃんとベンの優しさに応えないといけない……。


 ニースのために、生き方まで変えようとする大切な友達からの贈り物だ。きちんと友情の形を受け取ろうと思ったニースは、ベンに微笑みを向けた。


「ベン、そんなに大変な思いをして、これを頼んでくれたんだね。本当にありがとう。ぼく、これからは色を隠さずに、堂々と歌うよ」

「ああ、そうしてくれ! ニースが同じ空の下で、元気に歌を歌ってるって思えば、俺……私も頑張れるからさ!」


 ベンがにっこり笑うと、出航時間が近づいた事を知らせる汽笛が、船着場に響いた。ニースとマルコムは、ベンたちに別れの挨拶をすると、大急ぎで船に乗り込んだ。ニースは、甲板から身を乗り出すようにして、ベンに手を振った。


「ベン! 本当にありがとう!」

「ニース! 元気でな!」


 川面が日の光を反射して、キラキラと煌めく中、外輪船はゆっくりと桟橋を離れ、川の流れに乗って動き出す。ニースとベンは、互いの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。船の車輪が水飛沫を上げ、二人の間に小さな虹を作った。

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[一言] ニースとベンの心に残る友情、泣けました。 きっとまた、合わせてあげて下さい!
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