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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第5章 歌い手と“調子外れ”】
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56:大事な友達2

前回のざっくりあらすじ:領主の館にベンがいた。

 豪奢な応接室に、パラパラと窓を打ち付ける雨音が響く。そこへ、ベンの涙がぽたりと落ちる音も加わった。ニースが立ち上がるよう促しても、ベンは動かなかった。涙を流すベンに、ジーナが柔らかな声をかけた。


「あらあらー。よく分からないけど、ベンくんは、とっても優しい子みたいねー」


 ジーナは手布(ハンカチ)を差し出したが、ベンは受け取る事なく、袖でぐっと涙を拭った。


「いえ、違うんです。俺は、そんな優しい人間じゃないんだ」


 ベンがニースの目をじっと見たので、ニースは仮面を外し、フードを下ろした。


「いったい、どうしたの?」

「ニース……。俺のせいなんだ。俺が、俺の考えが、足りなかったから……」


 ぽつり、ぽつりと、ベンは話しだした。

 ベンは、領主の息子ではあるが五男坊なため、気ままに町へ遊びに行くことが多かった。そのため、ニースと公園で出会うことが出来た。


「あの日、夕立に当たっただろう? それで俺は風邪を引いて、ニースの歌を聞きにいけなかったんだ」


 ベンは、公園で一緒に歌を聴いた子どもたちと共に、ニースの歌の素晴らしさを伝えようと、町中で一座の宣伝をして回った。冷えた体のまま町を走り回ったベンは、風邪をひいて熱を出したのだ。


「なるほどな。それで、あの宿の酒場にたくさんの客が来ていたわけか」


 合点がいったとマルコムが頷く傍で、ラチェットが苦笑いを浮かべた。


「ニース、あの時歌ってたんだね」

「ごめんなさい……」


 ニースが気まずそうに俯いたので、ベンが慌てて声をあげた。


「ニースを責めないでください。俺たちが頼んだから、ニースは歌ったんです」


 再び涙を浮かべたベンをなだめるように、グスタフが声を挟んだ。


「大丈夫だよ、ベンくん。友達のために歌ったニースを、私たちは責めたりしない」


 グスタフの言葉に、ラチェットも微笑んで頷いたので、ベンは胸を撫で下ろした。


「ありがとうございます」


 ベンが落ち着いたのを見て、メグが疑問の声をあげた。


「でも、あの日の公演場所は酒場よ? たとえ元気だったとしても、夜に子どもが入っていい場所じゃないわ」


 ベンは首を横に振り、メグに答えた。


「俺は領主の息子だ。それに、町の中を兄貴たちよりずっと駆け回ってる。みんな俺のことは知っているし、酒場でも何でも簡単に入れてもらえるんだ。さすがに、()()()()()()場所は無理だけどな」

「……いかがわしい?」


 ニースが首を傾げると、ベンは困ったように顔を歪めた。マルコムが、見かねて助け船を出した。


「ニース。いかがわしいっていうのは、怪しいって意味だ。大人しか入れない怪しい場所っていうのがあるんだよ。そういう場所は危ないから、町の大人たちもベンくんを入れないってことだ」

「怪しくて危ない場所なんですね。わかりました」


 ニースが納得したので、ベンは、ほっと安堵の息を吐いた。ベンの表情が緩んだのを見て、セラがソファから立ち上がった。


「ベンくん、良かったらここに座ってお話したら?」


 セラは、自分が座っていた場所を指差した。ニースも立ち上がり、ベンに微笑みを向けた。


「そうだよ。ベン、座ろう?」

「……わかった」


 ベンは気まずそうに視線を泳がせたが、ニースと並んで腰を下ろした。ラチェットが紅茶を勧めたが、それは断ると、ベンは続きを話し始めた。


「俺は、ニースたちの公演をすごく見たかったんだ。それでヘイスベルトに頼んで、次の公演のことを調べてもらったんだけど……」


 ヘイスベルトが宿を訪ねたのは、すでにニースたちが宿を移った後だった。そのため、ベンは公演を見ることが出来なかった。


「それで俺は、考えなしにヘイスベルトにニースのことを話しちゃったんだ。綺麗な黒い男の子が歌を歌うって。そしたら、ヘイスベルトがそれを親父に話しちゃったみたいで……」


 ベンは、ニースがなぜ仮面で顔を隠していたのか、その本当の理由を知らなかった。ベンは、ニースが単に珍しい色をしており、その上少女たちがどんどん寄ってきてしまうため、煩わしさを避けるために顔を隠しているのだと思っていた。


「俺、いつも遊んでばかりいるから、歌い手のこともよく知らなくてさ……。そのあと親父から初めて聞いたんだ。()()()()っていう、とびきり特別な歌い手のことを」


 黒い色を持つ歌い手は、天の導きと呼ばれる、歌の力が強い歌い手だ。このことは、皇国貴族にとっては常識だった。ベンの父フェローシャス伯は、ベンが会った天の導きに興味を持った。ニースには歌の力がないと、ベンがいくら話をしても、フェローシャス伯の興味が薄れることはなかった。ヘイスベルトはフェローシャス伯の指示を受け、ニースの行方を追った。町の劇場で公演をしている旅の一座に、宿の酒場で演奏したのと同じ人物がいるという噂を、ヘイスベルトは程なくして掴んだ。ヘイスベルトは、わざわざ劇場に公演を観にきたのだという。そして楽器ではなく、人の声のようなものが演奏に混ざっている事に気がついたのだ。


「親父は、俺をダシに使ったんだ。確かに俺は、ニースたちの公演を観たかった。でも、それはこんな形でじゃない。町のみんなと一緒に、会場で見たかったんだ……」


 ベンの目から、再び涙がぽろりと溢れた。ベンは袖で涙を拭うと、俯いて肩を震わせた。


「いま、町では歌い手がどんどん攫われてるって、親父に教えられた。どうにかして天の導きを確保したいって、親父は言ってた。俺は、ニースには力はないって言ったけど、信じてくれたかはわからない。親父は領民には優しいけど、怒りっぽくて、俺には止められなくて。何をする気なのか俺にもわかんなくて。だから、だから……」


 涙をぽろぽろと流しながら、後悔と不安を口にするベンの顔を、ニースは、そっと覗き込み、柔らかく微笑んだ。


「わかったよ、ベン。大丈夫だよ。心配しなくていいから」


 ベンは、何度も何度も袖で涙を拭った。ニースがなだめると、ベンは何度も頷いた。

 窓を打ち付けていた雨音は、いつの間にか止み、曇り空だけが広がった。ベンは落ち着くと、部屋を出る前にニースの手をしっかりと握り、力強く言った。


「俺は、絶対、絶対に、ニースのことを守るから。本当は逃がしたいけど、俺には力がない。でも、親父が怒って、もしニースに何かをしようとしたら、絶対俺が止めるから」

「うん、わかった。でも、ベン。無理はしないでね」


 ベンはニースに頷きを返すと、応接室を後にした。扉が閉まると、セラが、ぽつりと呟いた。


「なんか、ベンくん可哀想だね……」


 セラの言葉に、ニースもグスタフたちも、皆頷いた。


 本日二度目の紅茶と茶菓子は、そのほとんどをジーナの胃袋に吸い込まれた。まるでジーナは、小さな反撃でもするように、一人で砂糖壺まで空にしてしまったので、グスタフは思わず苦笑いを浮かべた。ワゴンに乗せられていた菓子類まで空になると、程なくしてヘイスベルトが扉をノックした。公演を始めるよう、伝えに来たのだ。ヘイスベルトは、再び短時間で空になった皿の数々に、思わず目を見開き、しばし固まった。しかし数秒後には表情を引き締め、グスタフたちを案内した。


「ニース。さっきのあの人の顔、面白かったね」


 小声で囁きながら、小さく肩を震わせて笑うセラに、ニースは元気をもらった。ヘイスベルトの案内で、舞台袖となる大広間の隣の小さな部屋へ、ニースたちは向かった。


「それでは、よろしくお願いいたします」


 ヘイスベルトは一礼すると、部屋を去った。


「はぁ。仕方ない。何を言われるかはわからないが、やるしかないな」


 グスタフの言葉に、ニースたちは頷いた。




 グスタフは、大きく深呼吸をし、にこやかな表情を形作る。大広間の舞台裏へ繋がる小さな扉を開けると、グスタフは舞台へ上がった。舞台の前には、豪奢な安楽椅子が二十脚ほど並べられており、フェローシャス伯の妻たちと子どもたちが座っていた。その中にはもちろん、ベンの姿もあった。しかし、フェローシャス伯の姿はなかった。

 グスタフは、観客席にフェローシャス伯がいない事に気付いていたが、忙しい当主が、家族のための演奏会に遅れてくる事などよくある事だ。グスタフは、そのまま流れるようにお辞儀をすると、口上を述べた。


「伯爵家の皆様。本日は私たち旅の一座ハリカをお呼び下さいまして、ありがとうございます。どうぞ心ゆくまでお楽しみください」


 グスタフが一礼すると、ベンが拍手をした。釣られて幼い子どもたちも拍手をしたが、妻たちは興味がなさそうに扇子で顔を覆っており、嫡男を始めとする年長の子どもたちは冷ややかな目つきだ。舞台袖から様子を覗き見ていたニースは、その冷たい目に、思わず身を震わせた。


 最初は、ラチェットのピアノ演奏だ。ラチェットが舞台へ上がり、軽やかに流れる手つきで鍵盤を弾く。滑らかな美しい音色に、妻たちが扇子を閉じて聴き入った。

 続いて、グスタフがバイオリンで軽快なメロディを奏でながら、舞台へ上がった。ボタンが弾け飛びそうなシャツの胸元に、ベンが目を見開き、幼い子どもたちが好奇心を露わにした。

 メグが、バイオリンとピアノの音色に合わせて舞台へ躍り出ると、嫡男を始めとする息子たちが感嘆の声を漏らした。メグはしなやかな体を存分に見せつけながらも、可憐で美しく流れるように踊った。メグが踊りを終え、お辞儀をすると、嫡男が立ち上がり、大きな拍手をした。妻たちがじろりと目を向けると、嫡男は椅子に座り直し、咳払いをした。

 メグと入れ替わり、マルコムが舞台に上がると、娘たちがざわめいた。爽やかな笑みを浮かべたマルコムは、軽快な音楽に合わせ、次々に手品を行なっていく。杖から次々と出した花を渡された妻たちは、マルコムの笑顔に頬を染めた。マルコムは小さな帽子から、大きな水差しを取り出すと、水をグラスへ注ぎ、布をかけた。以前セラにやって見せたのと同じように、中の水が果汁に変わる。驚きの声の中で、マルコムは果汁のグラスを娘の一人へ渡した。一口飲んで微笑む姿に、他の娘たちが飲ませてくれとグラスを取り合った。トランプやコインを使った手品では、マルコムはベンを含めた息子たちに手品を体験させた。ベンたちはすっかり手品に魅入られ、歓声を上げた。


 マルコムが最後の手品を披露し終え、丁寧にお辞儀をすると、拍手喝采の中、大広間の扉が開いた。拍手はピタリと鳴り止み、ベンたちは立ち上がって、扉へ体を向けた。妻や子どもたちが、目を伏せて会釈をする中、フェローシャス伯が、ようやく姿を見せた。

 フェローシャス伯は険しい顔をしており、ベンたちに座るよう手で合図をし、席に着いた。ゆったりと腰を下ろすと足を組み、マルコムを刺すような目で見たフェローシャス伯は、さっさと次へ進めろと言うように、無言で手を振った。マルコムは、思わず顔をしかめそうになるのを、ぐっと堪え、笑顔を浮かべたまま丁寧にお辞儀をすると、舞台を降りた。

 舞台袖へ入ると、マルコムは苦々しく顔を歪めた。


「……くそっ」


 マルコムは舌打ちをしながら椅子に座り、拳で膝を叩いた。ジーナがグラスに水を注ぎ、苛立ちを隠せないマルコムへそっと渡した。

 舞台にいるグスタフが、舞台袖をちらりと見て、扉から様子を伺っていたニースと目を合わせた。ニースが軽く頷くのを見ると、グスタフはバイオリンを置き、舞台中央でお辞儀をした。


「次の演奏が、本日最後の演奏となります。ハリカ自慢の()()による演奏ですが、彼らは()()()ではありません。歌の力は持ちませんので、純粋に音楽として楽しんで頂きたく存じます」


 グスタフは笑顔を浮かべながらも、真剣な眼差しでフェローシャス伯にお辞儀をした。しかしフェローシャス伯は、険しい顔のまま、さっさと始めろと言うように、手を振った。グスタフは、顔が引きつりそうになるのを必死に堪え、ピアノの隣に立つと、バイオリンを手に持った。

 ニースとセラは、緊張した面持ちで頷きあうと、並んで舞台に上がった。二人がお辞儀をすると、フェローシャス伯が声を上げた。


「顔を見せたまえ」


 低く重いフェローシャス伯の声に、セラがびくりと身を震わせた。ニースは、仮面の下で目を伏せ、深く息を吐いた。


 ――やっぱり、ベンの言った通り、狙いは天の導きなんだ。セラを巻き込むわけにはいかない……。


 ニースは覚悟を決めて目を開くと、震えるセラの手を握った。


「大丈夫だよ、セラ。ぼくが守るから」


 ニースはセラに囁くと、ゆっくり仮面を外した。仮面の下から覗いた、艶やかな黒い肌に、フェローシャス伯は足を下ろし、身を乗り出した。セラも、ぎゅっとニースの手を握り返すと、仮面を外した。そして二人は、フードを下ろし、首に巻いていたストールも外す。ふわりと、ニースの黒髪が揺れた。フェローシャス伯の険しい顔が、小さな笑みに変わった。ニースが漆黒の双眸をベンたちに向けると、フェローシャス伯も、妻も子どもたちも、皆息を飲んだ。

 ニースは、前を向いたまま、小声でセラに尋ねた。


「セラ、準備はいい?」

「うん」


 セラの返事を聞くと、ニースはちらりとラチェットに視線で合図を送った。ラチェットが小さく頷き、ピアノを弾き始める。グスタフも合わせるようにバイオリンを奏で、ニースとセラの歌が始まった。

 二人の歌声はひとつの旋律を作り出した。透き通った歌声が、大広間を包み込み、ベンは目を見開いた。二人の歌う歌に、言葉があったからだ。ベンたちは耳を澄ませ、歌に酔いしれた。詞は心を揺らし、切なさと温もりを感じさせた。

 歌が終わり、二人がお辞儀をすると、ベンが立ち上がり大きな拍手をした。他の子どもたちや妻たちも、大きな拍手を送った。しかしフェローシャス伯は、拍手をすることなく口を開いた。


「歌石歌を、やりたまえ」


 ぴくりと、ニースが身を震わせた。グスタフが前に出ようとするのを、フェローシャス伯は手で制した。


「歌石歌を()()()と言っているのだよ。聞こえないのかね」


 セラがニースの袖をきゅっと掴んだ。セラの目は、長い前髪で見えないが、心配する目をしているのだろうと、ニースにはわかった。


「セラ、心配しないで。歌えば、わかってもらえるだけだから」


 ニースは、儚げに微笑むと、そっとセラの手を外した。セラは俯いて、舞台の後方へ下がった。ニースは、セラと同じように、心配して自分を見つめているベンに切なげな笑みを向けると、静かに歌い出した。

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