55:大事な友達1
前回のざっくりあらすじ:劇場公演で人気が出たら、領主に呼び出された。
雨粒が激しく叩きつける石畳の道を、一台の馬車が走る。豪奢な作りの馬車の中に、ニースたちは座っていた。昼の公演が終わるのを待っていたかのように、領主の館から迎えの馬車がやって来たのだ。館には立派なピアノがあるということで、ラチェットのオルガンの出番はない。マルコムの手品は、テーブルマジックのみなら鳩もいらず、小さな鞄ひとつで済むだろうと、迎えに来た執事に言われてしまった。一座は、迎えの馬車を断るわけにもいかず、昼食も取らずに舞台衣装のまま、馬車に揺られていた。
どんよりとした空と同じように、重い空気が馬車の中に漂っていた。迎えに来た執事が一緒に乗り込んでいるため、ニースたちは滅多なことを話すわけにもいかない。皆一様に俯き、一言も発していなかった。そんな中でセラは、突然見たこともない豪華な馬車に乗せられたため、カチンコチンに固まっていた。
「セラ様。そのように緊張なさらなくても、宜しゅうございますよ。お気軽に歌をお聞かせ頂ければと、我が主人も申しておりますゆえ」
「は、はい……」
執事の言葉に、セラは震える声で返事をした。セラの目は、仮面と長い前髪で見えない。しかし、緊張のあまり全く見当違いな方を見ている事が、グスタフたちには丸わかりだった。グスタフは小さく咳払いをすると、執事に問いかけた。
「ヘイスベルト殿。失礼ですが、この子たちの歌の話は、どちらでお聞きに?」
領主の執事ヘイスベルトは、グスタフの真剣な眼差しを見て、優しく微笑んだ。
「本日の主役である、我が主人のご子息様が、町で歌を聞かれたそうです」
「ご子息が、ですか?」
「左様でございます。黒い色の子どもが、歌を歌うと」
ヘイスベルトの言葉に、ニースは思わず顔を上げた。じっとニースの顔を見ていたヘイスベルトと、仮面越しに目が合い、ニースは思わず目をそらした。
――どうしよう……。ぼくが公園で歌った時に、その子に見られていたんだ……。
震えるニースを見て、グスタフは、苦虫を噛み潰したようような顔をすると、低い声でヘイスベルトに告げた。
「悪いが、この子たちは歌を歌えても、歌い手じゃない」
ヘイスベルトは事も無げに、グスタフへ頷きを返した。
「はい。坊っちゃまから、そのように我々も伺っております。音楽として楽しむ歌をもう一度聞きたいと、坊っちゃまは強くご希望でした。ですが、我が主人がどうお考えなのかは、私めには分かりかねます」
「分かりかねるとは、どういう意味で?」
「言葉通りでございます。今、この町では歌い手不足が深刻でございますから」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるヘイスベルトに、ニースはギュッと手を握った。
「ニース、大丈夫かい?」
ラチェットがニースの耳元で囁いたが、ニースは返事をしなかった。ニースにとって領主の館は、自分を追い出した伯爵家と同義の場所だ。
――ぼくが歌の力を持たないって知ったら、この前の宿屋みたいなことじゃ済まないかもしれない……。
ニースは、領主が父のように剣を向けたらと思うと、恐ろしくて仕方なかった。ニースの震える拳に、メグがそっと手を置き、ラチェットが気遣わしげにニースの肩を支えた。ニースの事情を知る皆が、ニースの事を心配していた。グスタフは、ヘイスベルトを殴ってやりたかったが、そういうわけにもいかない。ギリリと歯を噛みしめ、グスタフは窓の外を見つめた。降りしきる雨は雷を呼んで、怪しく不気味に、町を照らしていた。
町の中心部にある小高い丘の上に、領主の館はあった。ペリフローニシの町を含む一帯を治めているのは、フェローシャス伯という伯爵だ。皇国の伯爵家の格を示す領主の館は、堂々とした佇まいで、ニース達を迎えた。
未だ雨の降る中で、ニースたちの乗る馬車は大きな門をくぐり、館の入り口の前で止まった。突き出した大きな屋根の下で、ニースは雨に濡れる事なく馬車から降りる。体はひとつも濡れていないのに、ニースはぷるぷると震えていた。大きな両開きの扉をくぐると、劇場よりもさらに豪奢な内装が、一行の目の前に広がった。しかし誰も、その豪華さに目を見張る事もなく、感嘆の声もあげない。ニースたちは俯き、足元の絨毯をひたすら眺めながら、まるで囚人のように静かに歩いた。
案内されたのは、立派な応接室だった。ソファを勧められた一行は、戸惑いながらも腰を下ろした。
「それでは、後ほど広間へとご案内いたします。一度舞台を確認して頂いたのちに、本日の公演内容の打ち合わせをお願いいたします」
丁寧にお辞儀をして、ヘイスベルトが部屋を去ると、入れ替わるように使用人が茶を運ぶ。ほかほかと湯気が立ち上るカップからは、上質な紅茶の香りが漂い、小さな焼き菓子がいくつも並べられた皿からは、砂糖の甘い香りがした。しかしそれらにも、誰も目を向ける事はなく、使用人が部屋を去るまで、ニースたちは押し黙っていた。
使用人がパタリと扉を閉めると、グスタフたちは静かに顔を付き合わせ、小さな声で囁くように話しだした。
「ようやく行ったな」
「こんな胸くそ悪いのは、久しぶりだ」
「何なの、あいつ! 『ワタクシメニハ、ワカリカネマス』なんて、ふざけたことを言うものね!」
「私、すごく怖いです……」
「せめて僕の馬車があればなぁ……」
グスタフたちは、これまで溜め込んでいた鬱憤を口々に吐き出したが、ニースは肩を震わせ俯いていた。そこへジーナが突然、パンと大きく手を叩いた。ニースは、びくりと震え、ジーナに目を向けた。ジーナは、紅茶に砂糖と牛乳をこれでもかというほどたっぷり注いでおり、そのまま紅茶を一気に飲み干した。
「まー! なんて美味しいお茶なんでしょー! さすが領主様のお茶は違うわねー」
大げさなほど、大声で明るく言うジーナに、ニースとセラは驚いた。そんな二人にジーナはパチリと片目を瞑った。そして、同じく大量の砂糖と牛乳を紅茶に加えると、ニースとセラに渡した。
「ほーら、二人も飲んでごらーん。とっても美味しいからー!」
ジーナは、また大きな声で言うと、パクパクと焼き菓子をいくつも口に放り込みだした。唖然としたニースだったが、ラチェットが、ぷっと吹き出して、紅茶を飲むのを見ると、ストールをずらして、ゆっくりカップに口をつけた。恐怖に凍えていた体を溶かすように、温かな紅茶が喉を伝った。ジーナがたっぷり入れた砂糖と牛乳は、固まっていたニースの心を優しく解いた。ニースが紅茶を飲むのを見て、セラもカップに口をつける。セラは一口飲み込むと、ふわりと微笑んで一気に飲み干した。皆が手を動かし、口をつけ始めるのを見て、ジーナは笑みを浮かべた。
「こういう時ほど、美味しいものが必要よねー」
ジーナは満足気に頷くと、また紅茶をカップに注ぎ、砂糖と牛乳を加えて飲み干した。
瞬く間に、テーブルの上の皿は空になった。怒りと不安と緊張に包まれていたニースたちだったが、ほんの少し、気持ちが和らいだ気がした。そこへ、扉をノックする音が響いた。会場の下見の準備が出来たと、ヘイスベルトが呼びに来たのだ。ヘイスベルトは、わずかな時間の間に空になったテーブルを見て唖然としていたが、瞬時に顔を引き締めると、ニースたちを案内した。
「劇場でも申し上げましたが、本日の依頼は、我が主人のご子息であらせられる、ベンジャミン様の快気祝いのためでございます」
「身内だけの演奏会ということでしたね」
「左様でございますが、予定が変更となりまして、晩餐前のお時間に演奏して頂きます。ベンジャミン様がゆっくり楽しめるよう、大広間に舞台をご用意いたしました。ですが、ご家族の皆様がすぐそばで楽しめる演目をと、我が主人は仰せです」
「わかりました」
グスタフは苦々しい顔のままだったが、仕事に対する姿勢は一流だ。領主一家の家族構成や好みに至るまで、細かくヘイスベルトに確認していった。
大広間の扉を開けると、ニースは再び体が震えだした。目の前に広がる光景は、ニースが生まれ育った伯爵家の大広間とよく似ていたからだ。ニースの辛い記憶の光景とよく似た庭に面した壁には、大きなガラス窓があり、高い天井からは豪華なシャンデリアが吊られていた。記憶の中の伯爵家とは違い、ニースの目に映る舞台の横には大きなピアノがあり、シャンデリアの明かりは火石のランプだ。室内には空調が施され、窓が閉め切られていても、伯爵家のような蒸し暑さを全く感じなかった。様々な違いがあるのだが、ニースには過去の出来事が、ありありと思い出された。伯爵家での生活は、すでに朧げな記憶となっているのに、五歳の誕生日パーティでの出来事だけは、今も鮮明にニースの脳裏に焼き付いていた。
――いやだ……ここで歌ったら、歌ったら……!
ニースの目に、剣を向ける父の幻影が映った。警鐘を鳴らすように、心臓が激しく波打ち、身体中の血が恐怖に沸き立つ。息が上がり、胸を押さえて後ずさりしたニースに、メグが声をかけた。
「ニース?」
ニースが、はっとして顔を上げると、皆がニースを心配そうに見つめていた。
――そうだ。ここは、あの家とは違うんだ……。
ニースは辛い記憶から這い上がり、マシューや旅の一座と出会ってからの事を思い出した。新しい家族との生活や、仲間や友達の事は、三年前の辛い出来事より、もっとハッキリとニースの心に残っていた。
――ぼくは、もう一人じゃない。何か言われても、大丈夫……。
ニースは、皆の顔を見ると、少し気持ちが落ち着いた。そして、ラース山脈で熊と対峙した時の事も思い出した。伯爵家では、ニースは父に剣を向けられた。死ぬと思った。その時は運良く、ダミアンがニースを助けた。しかし熊に襲われた時には、誰も助けてはくれなかった。それでもニースは、熊に立ち向かったのだ。
――ぼくは、あの頃みたいに、何も出来ない子どもじゃない。熊とだって、戦えたんだ。
ニースは、自分の手を見つめ、握ったり開いたりを繰り返す。だんだんと体に血が流れていくのを感じ、自分が生きている事を感じた。
「うん、ごめん……。昔をちょっと思い出しちゃったけど、大丈夫だよ」
メグに返したニースの声は、囁くような小さな物だったが、しっかりとした声音だった。セラは、ニースの過去を知らないものの、気遣わしげにニースの手を握った。
「ニース。昔、何があったのか分からないけど、無理はしないでね」
ニースは頷く代わりに、きゅっと手を握り返した。
舞台の確認を終え、簡単な打ち合わせを終えると、一行は再び応接室へと戻った。すると一人の少年が、応接室の扉の前に佇んでいた。シンプルなデザインだが、上質な生地で作られた服に身を包んだ少年は、扉をノックしようか迷い、中の様子を伺っているようだった。その少年の伺う仕草に、ニースは既視感があった。
「……ベン?」
少年は、はっと顔をあげてニースを見た。ニースの思った通り、少年はベンだった。
「ベンジャミン様。皆様とは打ち合わせは終わりましたので、中でゆっくりお話されてはいかがですか。ただ今、お茶をお持ちいたします」
ヘイスベルトは穏やかにベンに話しかけると、応接室の扉を開けた。ベンは迷っていたが、ぎゅっと拳を握り、部屋の中へ入った。ヘイスベルトの対応で、少年が領主の息子だと気づいたグスタフたちは、ベンに続いて部屋へと入った。ニースは衝撃の事実に戸惑いながらも、グスタフたちの後に続いた。ヘイスベルトは丁寧に一礼すると、扉を閉めて去っていった。
ベンはソファに座る事なく、窓の外を見つめて立っていた。未だ雨は降り続いており、大きな雨粒が窓ガラスを叩く。どんよりと雲が漂う暗い空には、時折稲光が光った。領主の息子のベンがソファに座らないので、グスタフたちも座るわけにはいかず、扉のそばで立っていた。ベンは、佇んだ一行の姿が窓に映っている事に気づくと、ばつが悪そうに頬をかき、ソファに座った。
「えっと……皆さんも、どうぞ、おかけください」
ベンの言葉に、グスタフが丁寧に頭を下げた。
「恐れ入ります、ベンジャミン様」
「ベンでいいです。俺はニースと……友達だから。堅苦しい敬語もなしで……」
気まずそうなベンの様子に、グスタフは何か事情があるのだと察し、優しい笑みを浮かべた。
「わかった。ベンくん。私は座長をしている、グスタフだ。こっちが副座長の……」
挨拶を終えたグスタフが席に着くと、一行はようやく座る事が出来た。立っていて疲れたのか、ジーナが、ほっと息を吐いた。ニースとセラは、二人並んで腰を下ろした。テーブルの上に置かれていたはずの空の皿は、全て片付けられていた。
「えっと……その……」
ベンが戸惑いながら口を開こうとした時、扉をノックする音が響いた。使用人が、本日二回目のお茶と焼き菓子を、応接室に運んできた。お茶も菓子も、先ほどよりずっと量が増えていた。大量の菓子類をワゴンに乗せて運んできた使用人は、給仕をするつもりなのだろう。カップと皿を並べ終えても、今度は部屋を下がろうとしなかった。ベンが、使用人に部屋を下がるよう手で合図をすると、使用人は一礼して去っていった。それを見たニースは、ぽつりと呟いた。
「ベンは、本当に領主様の息子なんだね……」
ベンは、はっとニースの顔を見ると、俯いて、肩を震わせた。そして、勢いよく立ち上がり、ニースの前に膝をついた。
「ごめん! ごめんよ、ニース!」
突然謝りだしたベンに、ニースだけでなくグスタフたちも驚いた。
「ベン。よくわからないけど、とにかく座ってよ。別に貴族だったって言わなくても、ぼくはそんなに怒ったりしないよ」
ニースも床に膝をつき、ベンの肩にそっと手を置いた。顔を上げたベンの目からは、大粒の涙が溢れていた。




