54:劇場公演
前回のざっくりあらすじ:三人の誕生日パーティを行った。
穏やかに流れる川に朝日が煌めく。誕生日のお祝いを存分に楽しんだニースは、頬を撫でる柔らかな風に目を覚ました。いつの間にか寝てしまったニースは、グスタフのベッドに寝かされていた。酒臭さの残る部屋の空気を入れ替えようと、ラチェットが窓を開けていた。
「おはよう、ニース」
微笑んだラチェットに、ニースは笑みを返した。
「おはようございます、ラチェットさん」
ニースが部屋の中をぐるりと見回すと、メグたち女性三人の姿は見えず、マルコムはテーブルに突っ伏して寝ていた。床に倒れていたグスタフが、窓から射し込む朝日を浴びて、苦しそうに呻いた。
「頭が痛い……」
「座長、飲みすぎですよ」
ラチェットは、ため息を吐きつつも、グラスに水を注ぎ、グスタフに手渡した。グスタフは上体を起こして水を飲むと、ふらふらと立ち上がり、ベッドに横になった。
「うっ……。気持ち悪い……」
ニースは、頭を押さえて呻くグスタフにベッドを明け渡しながら、大人になっても絶対に酒を飲み過ぎないようにしようと、強く心に誓った。扉をノックする音が響き、ラチェットが返事を返すと、メグが部屋へ入ってきた。
「もうっ。まだお父さんは寝ているの⁉︎」
頭に響く声に、グスタフは目に涙を浮かべた。
「うぅ……あまり大きな声を出さないでくれ。メグは酒が強すぎだ……」
「お父さんが弱いのよ」
メグは、ピシャリとグスタフに言い放つと、ニースに微笑みかけた。
「はい、ニース。服を持ってきたわ。その服のままじゃ、部屋まで戻れないでしょ?」
ニースは、言われて気がついた。昨夜の犬の衣装のままだったのだ。ニースは恥ずかしそうに俯き、服を受け取った。ラチェットもメグに服を持ってきてもらっており、二人は衝立の裏で着替えた。
「んあ……。もう朝か……」
ニースたちが着替えを終えると、マルコムが頭をポリポリとかきながら目を覚ました。マルコムは大きな欠伸をすると、ラチェットと一緒にテーブルの上に散らかる汚れた皿を積み上げて端に寄せ始めた。
「お嬢。ジーナとセラちゃんは?」
「二人なら、今はお風呂よ。私もさっき行ってきたところ」
片付いたテーブルに、ニースは人数分の水を並べると、メグ、ラチェットと一緒に椅子に座った。マルコムは水を一口飲むと、眠そうな目をこすった。
「あー。昨日言い忘れたんだが、今日から出発までの間、劇場で昼と夜に公演をするぞ」
「劇場……?」
ニースが首を傾げると、マルコムは頷いた。
「ああ、劇場だ。ちょうどこの宿の近くに、大きな劇場があるんだ。そこで公演予定だった劇団が、船に乗り遅れてまだ来れてないそうでな。それで、空けておくのも勿体無いから、数日でもいいから使ってくれないかと頼まれたんだよ」
「へえ、そうなのね。でも、いきなり昼からやるの?」
「いや、お嬢。さすがに今日は夜からだ。グスタフもこんなだしな」
ニースたちは、グスタフに目を向けた。グスタフは、ふらふらと立ち上がり、椅子に座ると水を飲んだ。
「うぅ、すまないな……。あと、ニース。劇場ではセラと裏から歌ってくれ……」
頭痛を堪えるように、グスタフは、たどたどしく話した。ニースは不思議に思い、首を傾げた。
「裏から歌う……ですか?」
マルコムは、ゆっくり頷いた。
「この町では、歌い手が相当攫われているみたいだからな。二人の安全のために、念のため姿を見せずに歌ってもらいたいんだよ。観客席から見えないよう、何か工夫したいと思う」
ニースは一昨日の出来事を思い出し、顔を歪めた。メグがそっと、ニースの頭を撫でた。マルコムは、ラチェットに目を向けた。
「それで、ラチェットに頼みがあるんだが、今回はオルガンを前面に出したいんだ」
「オルガンをですか?」
「ああ。舞台の真ん中にオルガンを置いて、その演奏を主軸にする。元々、大きな演劇の舞台に使われる劇場だから、オルガンの搬入機材はあるはずだ」
「わかりました。オルガンが主役なんですね」
ラチェットはメガネをくいと上げ、にっこりと笑みを浮かべた。ニースは早く事件が解決して、歌を堂々と歌える事を、心から願った。
ジーナとセラが戻ってくると、ニースたちは準備のため、早めに劇場へ向かう事にした。グスタフは、ジーナに看病されて留守番だ。ラチェットがオルガン馬車を動かし、ニースたちは歩く。燦々と降り注ぐ夏の陽光が、赤煉瓦の家々と街路樹を照らしていた。木漏れ日の向こうに見えた劇場に、メグは感嘆の声を漏らした。
「へぇ。なかなか立派な劇場じゃない」
メグの言う通り、大通りに面した劇場は、大きく立派なものだった。白い石造りの壮大な建物の正面には、装飾が施された柱が何本も立ち並ぶ。二階から三階にかけては、大きな縦長の窓が並び、小さなバルコニーもあるのが見えた。屋根の上や壁面は、たくさんの彫刻で飾られていた。ニースたちは、正面入り口の階段を上り、大きな両開きの扉を通る。劇場へ足を踏み入れると、セラがはしゃぎ声をあげた。
「うわあ! 絵本のお城みたいだね、ニース!」
劇場の入り口は、たくさんのランプで照らされて眩い輝きを放っていた。天井と柱は細部にまで装飾が施され、通路には真っ赤な絨毯が敷かれており、壁には大きな絵画がいくつも飾られていた。ホールへと向かう階段は中央で二股に分かれており、天井からは豪華なシャンデリアが垂れ下がる。壁際に置かれている花瓶や長椅子に至るまで、贅を凝らした物だった。ニースたちが思わずため息を漏らし、眺めていると、劇場の支配人がやってきた。
「マルコムさん、数日ですがよろしくお願いいたします」
マルコムは、にこやかな笑顔を支配人に向けた。
「ええ、こちらこそ。それで支配人、早速オルガンを搬入したいんですが」
「わかりました。裏に馬車をお回しください。……みなさんは良かったらこのまま、客席へどうぞ」
支配人がニースたちに向けてにっこりと笑みを向けると、メグが礼を言い、客席へ向かった。ニースとセラも、支配人にぺこりと頭を下げてメグを追いかけた。支配人は、ニースたちの背を見ながら、マルコムに囁いた。
「マルコムさん、あの仮面の子が、例の子ですね」
「ええ、支配人。色々面倒な客が来るかもしれませんが……」
「大丈夫です。無理を言って引き受けて頂きましたから、私が責任を持ってお守りしますよ」
「ありがたいです。よろしく頼みます」
マルコムと支配人は、笑顔でがっしりと握手を交わすと、外で待つラチェットの元へ向かった。
階段を上り、ホールの扉を開けたニースは、仮面の下で目を瞬かせ、ぽかんと口を開けていた。劇場のホールは、円形の形だった。舞台に向けて緩やかな傾斜を描く一階席には、豪奢な座席がずらりと並ぶ。細やかな装飾を施された椅子の座面は赤い天鵞絨で覆われていた。座席は一階だけでなく、壁面上部にもあり、二階、三階席は小さな部屋にいくつも分かれていた。舞台にかかる深い紅色の緞帳の縁には、金糸と銀糸で房がいくつもつけられており、天井から吊るされている大きなシャンデリアのみならず、壁際に付けられたホールを照らすランプにまで、細かな装飾がなされていた。
「す……すごい! これが劇場!」
ニースは伯爵家にいた頃、町の劇場を外から見た事はあったが、中に入る事は出来なかった。伯爵家では、自慢の劇場に専用の座席をいくつも持っていたため、もしニースがそのまま伯爵家で育っていれば、見る事も出来たかもしれない。しかしニースは、僅か五歳で伯爵家を追い出された。そのため、ホール内の全てが、ニースにとって初めて見る物ばかりだった。
「この椅子すごいよ、ニース!」
座席のひとつに座ったセラは、ふわりとした感触に、にへらと顔を綻ばせた。ニースもワクワクしながら腰を下ろす。幼い頃に座った椅子のように、ふわふわした座面がニースを包んだ。
「ふふ。二人とも、そんな所で満足しちゃダメよ」
メグは笑って、二人を舞台へ手招いた。二人はメグに連れられて、舞台用の小さな階段を上がる。緞帳の隙間から中を覗くと、舞台の上には巨大なシャンデリアが吊るされていた。
「うわ、大きい……!」
ニースが上を見上げて呆然としていると、セラがニースの袖を引いた。
「ニース、こっちにも舞台があるよ!」
ニースたちが立っている舞台の壁面は素朴なもので、先ほどまでの豪華さとは全く違っていた。しかし、セラに連れられて覗いた壁の裏側には、まるで宮殿の壁かと思うような、美しい石壁があった。
「ニース、セラ。二人とも、ここを見て」
いたずらっぽく微笑み、メグが石壁の裏を指差した。ニースは首を傾げながら覗き込み、目を見開いた。
「え⁉︎ これ、木なの?」
石壁は、精巧に描かれた絵が木の板に貼られたものだった。
「はは。驚いたかな?」
支配人が、舞台裏手から顔を出した。ニースとセラは、何度も頷いた。
「これは書き割りと言うんだよ。舞台で劇をするときに、背景を簡単に入れ替えられるように作ってあるんだ」
ニースは、ここまで大きく立体的で、細かな絵を見たのは初めてだった。支配人の話を聞いても、ただ呆然と石壁を見上げていた。すると、ラチェットの声が、舞台横手から聞こえてきた。
「もうちょっとです。そうです、そうです、そこで止めて!」
ニースたちが目を向けると、オルガン馬車が舞台の横手にすっぽりと入って開口部を開いており、縄を巻きつけたオルガンが、綱で引っ張られ宙にぶら下がっているのが見えた。綱の先に目を向けると、いくつかの滑車を通り、大きな巻上げ機で、引き上げているのがわかった。
「裏方さん、そのままゆっくり動かして……。そこで反転させます。そうです……そのまま降ろしてください」
裏方と呼ばれる劇場職員が何人も見守る中、滑車のついた棒が動き、ラチェットが指定した場所へ、ゆっくりとオルガンが降ろされる。しかし不思議なことに、ニースの見ている巻上げ機は、誰も手を触れていないのに勝手に回り、綱を緩めていた。まるで手品のような動きに、ニースとセラは、ぽかんと口を開けた。支配人が二人に笑みを向けた。
「どうして動くのか、不思議かな?」
二人は再びコクコクと頷いた。支配人は穏やかに言葉を継いだ。
「あれはね、古代文明の遺産のひとつで、雷石を使って動かしているんだよ」
支配人の指差す先には、黒い縄のようなもので巻上げ機と繋がる、四角い箱を手にした男がいた。その男がラチェットの指示に従って、何やら手元の箱を操作し、ゆっくりとオルガンを下ろしているのに二人は気づいた。ニースはセラと頷き合い、男の近くへ寄り、手元をよく見た。箱にはボタンがいくつも付いており、それを押すことで、滑車のついた棒や巻上げ機の操作をしているのがわかった。
「すごいね、ニース」
「うん」
二人は思わず息を飲み、そっと囁き声で感動を伝えあった。マルコムとメグが支配人と共に、二人の姿を微笑ましく見ていた。
ラチェットの指示通りにオルガンが運ばれ設置されると、舞台の上から裏方たちが降りた。ニースたちも降りようとしたが、支配人が止めた。
「ここで座って、あの辺を見ていてごらん」
ニースとセラは言われた通り、書き割りを背に座り、壁を見上げた。何があるのかとドキドキしながら待っていると、壁が横に動き始めた。
「え……?」
ニースとセラが呆気に取られていると、開かれた緞帳と、客席が、壁を横に押し退けて姿を現した。二人は、ぽかんと口を開いたまま立ち上がった。
「す、す、すごい……!」
「ニース、ニース! 見た⁉︎ こんなに広い客席が動いたよ!」
二人の驚きように、マルコムたちが声を上げて笑った。ニースは心外だと、目を向けた。
「何で笑うんですか⁉︎」
「くくく……。いや、純粋でいいなと思ってな」
笑いを堪えるマルコムの隣で、支配人が微笑んだ。
「これは客席が動いたんじゃなくて、舞台が動いたんだよ」
首を傾げた二人を、支配人は舞台下へ案内した。舞台の下は広い空間になっていた。床は石がむき出しになっており、天井の中央部から一本の太い柱が降りていた。その柱から、車輪を横に倒したように、太い棒が何本も突き出ていた。
「さっきのはね、この棒で舞台をぐるりと回したんだよ」
周りには先ほど舞台から降りた裏方たちもおり、皆笑顔で頷いた。支配人たちは、ぽかんとしている二人に、もう一度、舞台を回す所を見せた。男たちが棒をしっかり掴み、ゆっくり押すと、柱で繋がれた舞台が回るのが、ニースたちにもようやく理解出来た。
「劇場って、すごいんですね!」
ニースは、朝の不安げな様子から一転して、弾んだ声で笑っていた。マルコムたちは、このまま何事も起こらずに公演が終わるよう、祈っていた。
一座の劇場公演は、初日は夜のみだったが、その後は毎日、昼と夜の二回、公演を行った。ニースとセラは公演が始まると、簾をつけた書き割りの裏で歌った。舞台背景の一部に溶け込みながら、歌が客席へ届くようにと、支配人が考えたものだった。歌だと知られてしまうと色々と面倒になるので、二人はグスタフとラチェットの演奏に合わせて歌い、歌単独での演奏は行わなかった。それでも、珍しいオルガンの荘厳な音色や、美しい踊り、華麗な手品の数々を目当てに、たくさんの客が訪れた。噂は噂を呼び、初日は空席が目立っていたものの、公演二日目の夜には、劇場はついに満席となった。これには支配人も大喜びで、グスタフたちに何度も礼を言った。しかし噂が大きくなると、歓迎出来ない事も起こるものだ。
公演最終日は、朝から雨が降っていた。昼の公演を前にして、ニースたちが準備をしていると、控え室に肩を落とした支配人が現れた。
「座長さん、マルコムさん、大変申し訳ない……」
深々と頭を下げる支配人に、グスタフたちは眉をひそめた。
「支配人、何かありましたか?」
支配人は、はぁとため息を吐き、頭を上げた。
「領主様のお耳に、皆さんの話が入ってしまったようで、今夜、演奏を聴きたいと言うんです」
グスタフたちは、何が問題なのかと首を傾げた。
「支配人。失礼ですが、領主様が観に来られるのは、我々には何の問題もありませんが」
マルコムの言葉に、支配人は頷いた。
「ええ。こちらにおいで頂けるなら、私としても喜ばしいことなんです」
支配人の言葉にマルコムは、はっとした。
「まさか……」
「その、まさかです。今夜の劇場公演は中止。全席払い戻しとなり、領主様の館で皆様の公演をと、お達しが……」
「よりによって、領主の館でとは……」
グスタフたちは、悔しそうに顔を歪めた。
領主とは、その領地の支配者だ。領主の権限は、税の徴収や治安維持のみならず、領内の法律制定や、裁判権も持つ。領主からの呼び出しを、グスタフたちが断ることなど出来なかった。ラチェットが不安げに問いかけた。
「ニースたちの存在も知られていますか?」
支配人は申し訳なさそうに頷いた。
「皆さんのことを、宿屋の公演で見たというお客様がいたようでして。そこから、領主様にお話も伝わっているようです。必ず歌い手も連れてくるようにとのことです」
ラチェットは唇を噛み、ぎゅっと拳を握った。支配人が深々と頭を下げた。
「皆さまをお守りすると約束しましたのに、本当に申し訳ありません!」
「支配人、あなたのせいじゃない。顔をあげてください」
頭を下げ続ける支配人に、グスタフたちが声をかける。セラが心配そうにニースの袖を掴んだが、ニースは俯いたまま、何も言わなかった。




