52:氷石歌
前回のざっくりあらすじ:ペリフローニシの子ども達と友達になった。
宿へ戻ったニースは、ペリフローニシでの初公演を前に、夕立で冷えきった体を温めた。まだ誰もいない浴場で、しっかりと湯に浸かったニースは、心も体もほかほかと温かく感じた。
ニースは着替えを終えると、セラとお揃いの舞台衣装を持ち、宿屋の庭を横切って、皆が待つ酒場へ向かった。酒場の舞台は、今までニースが見てきたものとは、少し違う形をしていた。円形の舞台が店の中央にあり、ピアノが置かれた壁際の小さな舞台と花道で繋がっていた。開店を前に、まだ誰も客がいない店内で、ニースたちは軽く打ち合わせを行った。
「それじゃあ、ぼくとセラは、二人で歌う時は真ん中に行けばいいんですね」
「そうだ。メグが踊ったり、マルコムが手品をする時は、私たちのいる舞台の端で歌ってくれればいい」
「ニース。舞台袖はこっちだよ。控え室もあるから、そこで着替えてね」
「ここに、お茶も用意しておいたわー。必要な時に飲んでねー」
舞台での動きを確認し、皆が舞台衣装に身を包むと、ちょうど開店の時間となった。店の扉が開き、次々と町の人々がやってきた。ベンたちが、ニースの音楽のような歌を町中で宣伝していたのだ。まさか自分の歌を目的にされているとは、つゆ知らず、ニースは舞台袖から観客たちの姿を眺めていた。セラは緊張した面持ちで、ニースの手を握った。
「すごい人だね、ニース」
セラにとっては、店での演奏は二回目だ。村の広場での公演には慣れてきたが、立派な店の内装と客の多さに、セラは圧倒されていた。
「大丈夫だよ。いつも通りに、楽しく歌えばいいだけだから」
ニースがセラに微笑むと、セラはこくりと頷いた。
客がテーブルにつくと、次々に給仕が注文を取り、厨房が一気に慌ただしくなる。最初の料理が運ばれると、いよいよ公演が始まった。
「紳士淑女のみなさま、お待たせいたしました。旅の一座ハリカの公演の始まりです! どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
グスタフのいつもの口上の後、ラチェットのピアノの音色が響く。グスタフは花道を踊るように歩きながら、バイオリンを奏でた。山賊のような男が座長として挨拶をしたので、観客たちは驚いていたが、顔に似合わず優雅にバイオリンを弾くので、客席からは拍手が起こった。
ラチェットがピアノを離れてギターを抱えると、メグの踊りが始まった。メグは大きなフリルのついた真っ赤なドレスを身に纏い、靴を打ち鳴らす。ギターとバイオリンだけでなく、舞台の片隅から、ニースとセラが歌い、マルコムの太鼓も加わった。情熱的なリズムに乗って、メグは華麗に舞った。舞台の中央から、観客たちの目を見つめ、妖艶に身体をしならせて、メグは踊る。思わず席を立ちあがりそうな男性客に、連れの女性客が睨みを向ける一幕もあった。
そして、料理が次々と運ばれる中で、マルコムの手品が始まった。先ほどまで、魅惑的な踊りを披露していたメグが箱に収まり、マルコムが箱へ次々に剣を突き立てた。観客席からは息を飲む緊張感が漂ったが、傷ひとつないメグが表へ出ると、拍手と歓声が沸き起こった。様々な旅芸人が訪れるペリフローニシの町の人々にとって、マルコムの手品は、どれも見たことのあるものだ。それでも、マルコムの巧みな手捌きと、美しい助手のメグ、ラチェットたちの幻想的な背景音楽で、観客たちはすっかり不思議の世界へ迷い込んだ。
観客席のテーブルに食後の茶菓が運ばれる。それを合図に、ニースとセラは花道を通り、舞台の中央へ出た。可愛らしい小さな二人が、ぺこりとお辞儀をすると、何をするのかと人々は微笑んだ。すでに歌を披露していたニースたちだが、メグの踊りやマルコムの手品に、目を奪われていた観客たちは、舞台の端で、意味のない音で歌っていた二人に、全く気付いていなかった。町の子どもたちからニースの歌について聞き、興味を持ってやってきた客ばかりだったが、ここまでの素晴らしい舞台の中で、当初の目的をすっかり忘れていた。
ニースとセラは、ラチェットのピアノの音色に合わせ歌い始めた。二人が澄んだ歌声を響かせると、皆、はっとした。先ほどまで、楽器のひとつだと思っていた音が、二人の歌声だったと気付いたからだ。
心を揺さぶる旋律に乗せ、詞が歌を彩る。歌言葉とは違う、自分たちにも分かる言葉に、人々は驚いた。そして、歌声に耳を傾け、詞を噛みしめる。懐かしい故郷を歌う詞は、切ない音色で心に沁みた。観客たちは、茶菓を口に運ぶのも忘れて、聴き入った。
二人の歌が終わると、大きな拍手と歓声が沸き起こった。子どもたちから聞いていた以上の、素晴らしい舞台に、観客たちは心から賞賛を送った。一座のペリフローニシの町での初公演は、大盛況のうちに終わった。
公演を終えたニースたちが、控え室で着替えようとしていると、扉をノックする音が響いた。
「みんな、着替えはちょっと待ってくれ」
グスタフの言葉に、ニースは慌てて仮面をつけた。グスタフは、皆の姿を確認すると、扉を開いた。扉の向こうには、痩せぎすの今にも折れそうな宿屋の主人が、目の下にクマを作り、疲れきった顔ではあるものの、満面の笑みを浮かべて立っていた。
「いやあ、どうも本日はありがとうございました」
「いえいえ。こちらこそ、ありがとうございました」
グスタフが主人に挨拶を返すが、主人はキョロキョロと室内を見渡し、ニースとセラへ目を向けた。
「あのですね、座長さん。よろしければ、お宅の歌い手さまのお力をお借りできないかと思いましてね」
宿屋の主人の言葉に、グスタフたちは眉根を寄せた。マルコムが近づき、主人へ告げた。
「ご主人、大変申し訳ないのですが、我々はそういった仕事は受けておりませんので……」
「いえ、お願いします。せめて、話だけでも!」
宿屋の主人は食い下がり、そのまま捲し立てるように話しだした。主人の話は、最近、皇国を騒がせている「歌い手失踪事件」が、ここペリフローニシの町でも起こっているというものだった。ニースたちが宿泊する宿屋でも、一人の歌い手が働いていたが、二ヶ月前に忽然と姿を消してしまった。未だに捜索は続けているが、手掛かりが全く掴めないという。
「うちの宿は規模が大きい分、様々な発明品や発掘品を利用して、お客様に快適な空間を提供しております。特に今の時期は、皆さまご存知の通り、氷石で空調を施しています。この二ヶ月、サービスの質を出来る限り落とさないよう、様々な工夫をしてきました。しかし、最近気温もどんどん上がっていますから、氷石の歌を更新しないと、温度管理が間に合わなくなってしまうんです」
宿屋の主人は、グスタフとマルコムだけでなく、ニースとセラにも深々と頭を下げて、頼み込んだ。
「お願いします! もちろん、報酬はお出ししますので、どうか、どうか、一度だけでも! 町では領主様が歌い手を派遣して下さってますが、うちの宿に順番が回ってくるのは、二週間後なんです。でも、その間に氷石の力が足りなくなれば、お客様をお迎えすることが出来なくなってしまうんです!」
必死に頼み続ける主人は、よほど心労を抱えているのだろう。髪は艶をなくしており、やつれた顔には涙を浮かべていた。ニースは、そんな主人を見て心苦しく感じた。
――ぼくに歌の力があれば、助けることが出来るのに……。
今ほど歌の力が使えればと思った事は、ニースにはなかった。ニースは、この宿を大層気に入っていた。道中の村の村長が勧めてくれたほどだ。心尽くしのサービスの数々に、ニースは感心していたし、そのために様々な石を使い分けている事もラチェットから聞いていた。目の前で苦しんでいる主人の気持ちが、ニースには理解できた。助けられるなら、助けたいと思ったのだ。
俯くニースの肩に、ラチェットが手を置いた。ニースが見上げると、ラチェットが慰めるように小さく頷いたので、ニースは切ない微笑みを浮かべ、頷きを返した。ラチェットはニースと一緒に頭を下げた。
「ご主人、すみません。この子達は、歌の力を持たないんです」
「力になれなくて、ごめんなさい」
「……は? い、今なんと……?」
メグもセラの肩に手を置くと、セラと一緒に頭を下げた。
「ごめんなさいね、ご主人。歌を歌えるのは、歌い手だけじゃないのよ」
「そうなんです。私たち、歌えるけど歌の力がないんです」
「え……」
呆然と固まる宿屋の主人に、グスタフとマルコムが詳しく説明をした。しかし主人は信じなかった。
「いや、まさかそんな。氷石歌をご存知なければ、他の石でも構いません。とにかく、歌の力をお貸しいただけませんか」
「そういう話じゃなくてですね、ご主人……」
あまりに信じず、頑なに頭を下げ続ける主人に、グスタフとマルコムは困りきった表情を浮かべた。そんなグスタフたちの姿を見て、ニースが静かに口を開いた。
「ご主人さん、本当なんです。……試してみますか?」
「ええ、ええ! ぜひ、ぜひに! そんなお話、到底信じられません!」
宿屋の主人は、ニースの言葉に安堵の涙を流した。マルコムとグスタフが、気遣わしげにニースに目を向けた。
「ニース、いいのか?」
「無理しなくていいんだぞ」
「……はい。ぼくは氷石歌を歌えます。実際に歌ってみせた方が、わかっていただけると思います」
ニースは仮面の下で力なく微笑んだ。グスタフたちに、ニースの表情は見えなかったが、辛い気持ちでいる事は感じられた。主人が一度外へ出ると、ニースたちは手早く着替えを終えた。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
ニースたちが控え室を出ると、主人は喜びの笑顔を溢れさせ、機械室へと案内した。ニースは複雑な気持ちを押し込めるように、ぐっと手を握りしめた。
宿の地下に、機械室はあった。地下にあるとはいえ、煌々と火石のランプで照らされた機械室の中央には、大きな鉄の箱が置かれており、箱には管が何本も繋がっていた。宿の主人は、鉄の箱につけられている扉を開く。中には、小さな青色の楕円形の石と、今にも消え入りそうな淡い光を放つ丸く大きな水色の石が、窪みにはめ込まれていた。主人が小さな青色の石を取り外すと、大きな水色の石の光は消えた。主人は、青い石を部屋の入り口で佇むニースへ渡した。
「これが、うちの歌石です。強めの氷石歌を込めて頂きたいんです」
「わかりました。でも、ぼくには歌の力はありません。氷石歌は歌いますが、歌の力は入りません」
「ええ、ええ。もちろん、それで構いません。ささ、お願いいたします」
主人は、ニースの言葉を全く信じていないようで、にっこり微笑んでいた。ニースは、そっと仮面の口元を外した。黒い肌が見えたので、主人は、はっと息を飲んだ。
「まさか……黒の歌い手さま……?」
主人の小さな呟きに返事をする事なく、ニースは静かに氷石歌を歌い出した。
いつもの柔らかなニースの声とは違い、背筋がぞくりと震えるほどの冷たい歌声が、小さな歌石を包み込む。肌を突き刺す冷気のような、張り詰めた旋律に乗り、歌言葉が響いていった。
ニースが歌い終えると、感動したように主人が頭を下げた。
「ありがとうございました! 私まで凍りそうなほど、冷たく感じましたよ。さすがは、黒の歌い手さまです。これなら宿中をしっかり冷やせます!」
しかし、ニースは頭を振った。
「いいえ、ご主人さん。ごめんなさい。ぼくの歌は、歌石には入らなかったはずです。氷石に使ってみてください」
「そんなことがあるわけないじゃないですか。ご謙遜が過ぎますよ」
宿屋の主人は、にこやかにニースから歌石を受け取ると、大きな箱に戻した。しかし、氷石は先ほどと同じく、微かに淡い光を取り戻しただけだった。
「なぜだ……なぜ光の強さが変わらない……?」
主人は大きく目を見開き、震える声で呟くと、何度も歌石の着脱を繰り返す。台座の接続部を拭いたり、氷石に直接歌石を触れさせても、氷石の消え入りそうな淡い光が強まることはなかった。
「嘘だ、嘘だ! 黒の歌い手さまの歌なのに、力が上書きされていないなんて……!」
「ご主人さん……」
唖然とした主人だが、次の瞬間、ニースの手を取り、機械の前へと強引に引っ張った。
「お願いします! 氷石に! 氷石に直接歌ってくだされば!」
「ご主人。すまないが、いい加減離してやってくれ。無理な事はわかるだろう」
グスタフが主人の手をニースから引き離し、静かに告げると、宿屋の主人は、膝から崩れ落ちた。
「うぅ……。そんな。このままじゃ、宿が……」
目に涙を浮かべ呆然とする主人に、マルコムが静かに声をかけた。
「うちの子たちは、歌い手ではありません。歌は、歌い手だけのものではないんですよ。すみませんね」
宿屋の主人は絶望の涙を流し、ゆっくりと頷いた。
誰も、何もニースに言わなかった。しかし、グスタフたちの気遣わしげな視線をニースは感じ、目に涙を滲ませた。ニースは、ぐっと唇を噛み締め、仮面をつけ直すと、ラチェットに手を引かれて部屋へと戻った。前を歩くラチェットの手の温もりが、ニースの心に沁みて、仮面の下を涙が流れた。ニースの誕生日は、涙と共に流れていった。




