51:夕立に降られて
前回のざっくりあらすじ:マルコムの手品の鳥バードを、ニースが預かる事になった。
涼しい午前中のうちに外に行こうと考えていたニースだったが、セラたちがなかなか出かけなかったため、宿を出るのが遅くなった。昼食を終えたニースとラチェットは、町の中心部にある木々の多い大きな広場へ向かった。午後の太陽は空高く上がり、気温もぐっと上がる。しかし思っていた以上に、広場には人がいた。暑さに負けじと叫ぶ蝉の声に混じり、噴水で水を浴びる子どもたちのはしゃぎ声が、広場に響く。誰でも入れる庭園のようなその広場を、町の人々は公園と呼んでいた。
ラチェットが木陰のベンチでのんびりと本を読む中、自由に歩くバードを見守りながら、ニースは木立の間を歩き始めた。生い茂った枝葉が日差しを和らげ、そよ風が吹く。ニースは仮面をつけていても、幾分過ごしやすく感じた。ニースが木陰を歩いていると、背後から視線を感じた。しかし、立ち止まり振り返っても、誰もいなかった。
――あれ? 気のせい……?
ニースは再び歩き出すが、今度は草を踏む足音と、こそこそと囁く子どもたちの声がニースの耳に聞こえた。子どもたちが木の陰に隠れるように、少し離れたところでじっと見ていたのだ。
バードが木陰の道を外れて歩くので、ニースもついていった。短く刈り揃えられた草が揺れる広場に入り、身を隠す場所がなくなっても、子どもたちは一定の距離を保ち、ずっと付いてきた。
――ぼくが仮面を付けてるから、気になるのかな……。
居心地の悪さを感じたニースは、さっと振り返り、声をかけた。
「ねえ、君たち。ぼくに何か用があるの?」
仮面の子が声をかけてくるとは、子どもたちは思わなかったのだろう。ヒソヒソと互いにささやき合い、誰が代表で話すのかを迷っている様子だった。そのうち、一人の少年が前に出た。
「お、お前、なんなんだよ。変なお面をつけているし、連れている鳥は変わった目をしているし」
ニースより年上だろうか。ほんの少しニースより背の高い少年は、両手をぎゅっと握りしめており、精一杯虚勢を張っているように見えた。ニースは、仮面の下で苦笑いを浮かべると、バードを呼び手に乗せた。
「えっと、この鳥は手品の鳩で、バードっていうんだ。ぼくはニースだよ。旅の一座で町に来ているんだ」
「旅の一座……芸人か」
ペリフローニシの町は、領主の館もある大きな町だ。たくさんの旅芸人たちが町を訪れ、興行を行なっているため、子どもたちは芸人がどういう人々なのか知っていた。様々な楽器を持ち奏でる音楽、楽しげな踊り、感動する劇など、旅芸人たちは、それぞれ自分の持ち得る芸で人々を楽しませる。その中には、奇抜な格好で人目をひこうとするもの、身体に欠損や大きな傷があり、普通の仕事にはつけない者などもいた。子どもたちは、怪しい仮面をつけたニースが旅芸人だと知ると、警戒を解いてニースのそばへ寄って来た。一人の少女が、窺うようにニースに声をかけた。
「この子、触ってもいい?」
「うん。優しく触るならいいよ」
バードに、少女がそっと触れた。左右の色が違うバードの瞳は少女たちの目にはキラキラ輝いて見えるようで、バードはあっという間に人気者になった。バードはパタパタと羽ばたき地面へ降りる。気ままに歩くバードに、少女たちはついていった。ニースが微笑んで見ていると、最初にニースに話しかけてきた少年が、ニースに握手を求めた。
「俺はベン。よろしくな、ニース」
「あ、うん。よろしく、ベン。仮面と手袋をつけたままでごめんね」
ニースは断りを入れながら、しっかりと握手をした。ベンと名乗った少年は、嬉しそうに笑顔を見せた。
「ニース、そのお面の下は、怪我か何かしてるのか?」
「ううん。怪我じゃないんだけど、顔を見せるとびっくりさせちゃうから……」
少年たちは、ベンに続いてニースに名乗り握手をすると、口々にニースに質問を投げかけた。
「いつまでいるの?」
「下流に向かう船が、次に町に来るまでだよ」
「どこに泊まってるんだ?」
「ここから支流に向かう大通りを少し行って、三軒目の大きな宿屋だよ」
「公演はどこで見れる?」
「今夜、泊まってる宿の酒場でやるけど、他はまだ決まってないんだ」
ベンと少年たちに、もみくちゃにされるように、次々と質問攻めにあっていたニースだが、やがてすっかり仲良くなり、一緒に遊び始めた。少女たちが花冠をバードに被せ遊ぶそばで、ニースは少年たちと走り回り、かげ鬼や鬼ごっこ、ボール投げなどをして、思いきり遊んだ。同い年の少年たちと遊ぶのは、ニースにとっては久しぶりだった。走り回って遊び疲れたニースたちは、水飲み場の水を飲み、草の上に寝転がる。上がった息を整え、起き上がると、次は何の遊びをするかを話し合った。
すると辺り一面に、にわかに暗い影が降りた。ニースが不思議に感じ空を見上げると、ベンがニースの手を取った。
「え? なに?」
「まずいぞ! 夕立だ!」
ベンが言い終わるのと同時に、水の入った桶をひっくり返したように、大粒の雨が降り出した。ニースは、子どもたちと一緒に、近くの大木の下まで走った。
「バード、大丈夫?」
雨の中を飛んでいたバードは、ニースの頭の上に止まると、ぷるりと体を震わせて、水を飛ばした。ニースは、バードをそっと手布で包み込み、羽に残った水気を取ってやると、辺りを見回した。
「ぼく、連れがいるんだけど、大丈夫かな……」
ニースは、ラチェットの事が心配だった。突然の雨に、ラチェットが自分を探し回っていないかと、気になったのだ。ベンが手布で頭を拭きながら、ニースに答えた。
「夕立だから、もうじき止むと思う。それまで、ここで雨宿りをしていた方がいいよ。たぶん、ニースの連れの人も、どこかで雨宿りしてるはずだよ」
ニースは、そうだといいなと思って返事を返そうとしたが、言葉ではなく、くしゃみが口から飛び出た。ベンは、仮面のついたニースの頭巾を指差した。
「ニース、お前、それ一度脱いだ方がいいよ。びしょ濡れだから、風邪引くよ?」
「でも……」
「大丈夫だよ。お前がどんなにヘンテコな見た目でも、俺たち、もう友達だろ」
子どもたちは、ベンの言葉に大きく頷き、ニースに笑顔を向けた。ニースは、少し迷ったが、意を決して仮面を脱いだ。
「うわ……すげ……」
ベンは思わず声を漏らした。怪しげな木彫りの仮面の下には、色こそ見た事のない真っ黒だったが、彫刻のような美しい少年の顔が出て来たからだ。ニースの髪は、しっとりと濡れて黒く艶めき、黒い小さな顔には、くっきりとした二重の瞼や、自然に整った眉、すっと通った鼻筋がバランスよく並び、瞳は吸い込まれるほどに真っ黒で透き通っていた。皆に見つめられて、照れくさそうに笑うニースの口元からは、真っ白な歯が覗き、少女たちは、思わずため息を漏らして見惚れていた。ベンは、うっとりとニースを見つめる少女たちを見ると、苦笑いを浮かべた。
「いや、さすがにこれは反則だろ……」
少女たちはベンたちを押し退けるように、ニースに殺到すると、手布で髪を拭いたり、鞄からお菓子を出して渡したりと、次々にニースの世話をやいた。ニースは呆気に取られたが、思っていたほど驚かれなかったので、ホッと胸を撫で下ろした。
「ねえねえ、ニース。あなたは、公演で何をするの?」
「ぼく? えっと……」
少女の一人が、キラキラ輝く目で見つめながら、ニースに尋ねた。ニースが、戸惑うように視線を迷わせると、ベンたちも興味深そうに顔を寄せた。
「俺も知りたい」
「俺も!」
ニースは、ベンたちの期待のこもった眼差しを見て、頬をかいた。
――グスタフさんたちがいない所で、本当は歌のことを言わない方がいいんだろうけど……。ベンたちなら、大丈夫だよね、友達って言ってくれたし。それに何より、ぼくは、ぼくの好きな歌のことを、ベンたちにも知ってほしい。
ニースが自分の気持ちを確かめていると、バードが励ますように、ニースの肩に止まり、頬をすり寄せた。ニースは、小さな笑みを浮かべた。
「えっとね……。誤解はしないでほしいんだけど、ぼくは、歌を歌うんだ」
「誤解?」
首を傾げたベンに、ニースは頷いた。
「うん。みんなは、歌い手のことは知ってる?」
子どもたちは皆頷き、口々に歌い手について知っている事を話した。
「会ったことはないけど、話には聞いたことあるぞ」
「町の色んな石を動かしてくれてるのよね」
ニースは頷き、皆に語った。
「歌い手は、歌って石を動かすんだ。でも、ぼくの歌は石を動かせない。だから、ぼくは歌い手じゃないんだけど、何の力も持たない歌を、音楽みたいに舞台で歌うんだ」
ベンがニースに、興味深げに尋ねた。
「歌って、音楽みたいなものなのか?」
「うん。楽器みたいに、声を使って演奏するんだ。だから、ぼくが歌を歌うって言っても、歌い手と同じだとは思って欲しくなくて」
ニースの話を聞いた子どもたちは、納得した様子で、口々に声をあげた。
「歌っていうのがよくわかんないけど、なんとなくわかった!」
「ニースの歌は、何も起こらないってことね!」
「歌い手とニースは違う。俺も、それはわかったよ!」
するとベンが、顔の前で、ぱんと手を合わせ、頼みごとをするように、ニースに頭を下げた。
「なあ、ニース。俺たちみんな、歌ってやつを見たことがないんだ。少しでいいから、見せてくれないか?」
「うん。いいよ」
ニースがあっさりと引き受けたので、ベンたちは驚いた。
「あ、でも、俺たち、何もお金とかはなくて……」
「お金なんかいらないよ。だって、ぼくたち友達なんでしょ?」
ニースがにっこりと笑うと、ベンたち男の子も、ニースに思わず見惚れた。ニースは皆の前に出て、振り向いた。バードが、ニースの肩から木の枝へと飛び移った。ニースは、バードを見て微笑むと、雨音を伴奏にして歌い出した……。
ニースは、その場でメロディを作り、意味のない音で歌った。歌声は、木々の葉に落ちる雨音のリズムに乗って、子どもたちの心を弾ませた。ニースの澄んだ歌声は、夏の暑さを和らげる風のように、柔らかで優しく、耳に心地よく響いた。ニースの歌が終わる頃には、雨は止み、空には虹が線を描いた。
うっとりと歌声に耳を傾けていたベンたちは、雲の隙間から射し込むまばゆい光を背に、ゆっくりお辞儀をしたニースへ、心からの拍手を送った。
「歌ってすごいな! 今まで聞いたどんな楽器より、綺麗だったよ!」
口々に褒められたニースは、照れくさく感じて笑った。すると、遠くから声が響いた。
「おーい!」
ニースは、誰かが誰かを呼ぶ声に、はっとすると、慌てて仮面を被った。呼び声の主は、徐々に大木へ近づいてきた。ニースは、それがラチェットだと気がついた。
「ラチェットさん!」
「ニース! 良かった! 大丈夫だったかい?」
「はい。みんなと雨宿りしてました」
ニースの言葉に、ラチェットは安堵の息を漏らした。
「急な雨で驚いたね。バードは……。ああ、無事か。よかった」
バードが木の枝からニースの肩に飛んできたので、ラチェットは胸を撫で下ろした。安心したラチェットは、ベンたちに目を向けた。
「君たちが、ニースを雨宿りさせてくれたんだね。ありがとう」
ラチェットがにっこり微笑むと、ベンたちは恥ずかしそうに笑った。
「俺たち、ニースと友達になったから、気にしないでください」
「そうか、友達か。ニース、よかったね」
「はい。ラチェットさん」
ニースはベンたちに礼を言い、別れの挨拶をした。ベンたちが手を振り見送る中、ニースはバードを肩に乗せ、ラチェットと共に宿へと歩き出した。雲が晴れた空は、美しい夕焼け色に染まっていた。しかしニースが宿へ着く頃には、夕焼け空と淡い光を放っていた虹は、訪れようとする夜闇にかき消えていった。




