50:川沿いの町で2
前回のざっくりあらすじ:ペリフローニシの町に着いた。
川向こうの地平線から顔を出した太陽は、ゆっくりと町を照らし出す。窓から射し込む朝日の明るさに、ニースは目を開けると、大きく伸びをした。寝床は違うが、いつもと変わらないはずの朝。しかしニースは、自分が急に大きくなった気がした。ニースは、八歳になったのだ。
ニースに最初におめでとうと言ったのは、ラチェットだった。
「ニース、おはよう。お誕生日だね。おめでとう」
ベッドから出たニースに、ラチェットは笑みを浮かべ、すぐさま声をかけていた。ニースは照れくさく感じ、微笑んだ。
「はい。ラチェットさん、おはようございます。ありがとうございます!」
朝食をとるため、二人が食堂へ向かうと、グスタフたちが席を取って待っていた。ニースの姿に気づいたメグとセラが、駆け寄って声を合わせた。
「せーの!」
「ニース、お誕生日おめでとう!」
二人はニースの手をそれぞれ掴み、引っ張るように席へと連れて行った。料理を乗せた皿を運んできたグスタフが、ニースに笑みを向けた。
「ニース、起きたか。誕生日おめでとう」
ジーナは大量の料理を前に、今まさに食べ始めようとしていた手を止め、笑った。
「おめでとう、ニースくーん」
マルコムは、グスタフと入れ替わるように席を立ち、ニースの頭に、ぽんと手を置き頭を撫でた。
「ニース、おめでとう。誕生日のお祝いは、明日お嬢たちとまとめてやるからな」
「みなさん、ありがとうございます……!」
ニースは嬉しくて、鼻がつんとなるのを感じた。自分の誕生を心から祝ってもらえることの有難さを、ニースは、ひしひしと感じていた。
食堂にはたくさんの宿泊客がおり、長テーブルに並んだ様々な料理の大皿から、自分で朝食を皿に盛っていた。ニースはセラたちと共に皿を受け取ると、ひとつひとつの料理を見て、誕生日の贈り物を選ぶように取り分けていった。席へ戻ってきたニースの皿の上には、とろりとした半熟の目玉焼きと、美味しそうな焼き目のついたハム、新鮮な生野菜が盛られていた。一緒に持ってきた小鉢には、押麦などの穀物に蜂蜜をかけて焼いた物に、様々な乾燥果物が混ぜてあり、牛乳を注いである。セラはニースの小鉢を、興味深そうにじっと見つめた。
「ニース、それは何?」
「これ? シリアルって食べ物みたいだよ。初めて見たから、取ってみたんだ。美味しかったら、セラも食べる?」
「うん! 美味しかったら教えてね!」
ニースはセラに、にっこり頷くと、食前の挨拶をして早速食べ始めた。シリアルをひと匙すくうと、甘い香りがふわりとニースの鼻をくすぐった。口に入れると、サクサクとした食感に、焼かれた麦の香ばしさが漂う。乾燥させた果物は、牛乳を吸ってふにゃりと柔らかくなっており、蜂蜜と合わさって甘みを増していた。ニースが美味しそうに頬をとろけさせたので、まだニースは一言も発していなかったが、セラとメグは急いでシリアルを取りに席を立った。目新しく、美味しい朝食は、ニースにとって最高の誕生日の贈り物となった。
ニースたちが朝食を食べ終えると、湯気の立ち上るカップを、給仕が運んできた。温かいお茶かとニースは思ったが、テーブルに置かれたカップを見て、唖然とした。その飲み物は、澄んだ黒っぽい液体だった。
「セラ、これってなに?」
「私もわかんない。こんなの、ラメンタでは見たことないよ」
訝しげにカップを覗く二人に、マルコムが笑った。
「お子さま二人には、まだ早いかもしれないな」
カップを手に、香りを楽しんでいたメグとラチェットが、口を開いた。
「あら。私は昔から好きだったわよ。飲んでみるといいわ」
「僕は苦手だったな。最近飲めるようになったけど。ニース、セラちゃん。二人とも、砂糖とミルクを入れて飲むといいよ」
メグたちには、小さい頃から馴染みのある飲み物のようだった。ジーナが、グスタフのカップに砂糖を三杯入れると、ニースたちに砂糖壺を渡した。
「これはねー、コーヒーって言うのよー。南の大陸や、海の島々で取れる豆から作るのー」
「けっこう苦いんだ。私は砂糖がないと飲めない」
グスタフは、カップを匙でひと混ぜすると、口をつけた。甘さはちょうど良かったようで、グスタフは笑みを浮かべた。苦いと聞いて、ニースとセラはドキドキしながら、カップを手に持った。香りを嗅ぐと、ふわりと香ばしさが感じられた。緊張した面持ちで、ごくりと唾を飲み込むと、二人はそっと一口啜った。
「にがーい!」
ニースとセラは、歌うわけでもないのに、見事に声を合わせた。急いで水を飲む二人を見て、ラチェットは笑いながら、砂糖壺の蓋を開けた。
「ほらね。やっぱり砂糖とミルクは必要だよ」
「そんなに苦いかしら?」
ニースとセラのカップへ、砂糖をひと匙ずつ入れるラチェットに、メグは不服そうに声を漏らした。マルコムは、何も加えていないコーヒーの苦味を楽しむと、コホンと咳払いをした。
「あー。みんな、聞いてくれ。今夜、早速公演の依頼が入った」
砂糖を加えたコーヒーの味見をして顔をしかめていたニースは、砂糖をさらにひと匙追加して、マルコムに問いかけた。
「どこでですか?」
「場所はこの宿だ。ここには、もうひとつ酒場専用の店があるから、今夜はそこで公演を行う」
「わかりました」
ニースがマルコムに頷くと、セラはカップに砂糖を二杯追加した。味見をして、さらに砂糖を入れようとするセラに、ラチェットは牛乳を入れるように勧め、マルコムに問いかけた。
「ピアノはありますか?」
「今朝見てきたが、ピアノはあったよ。かなり広い舞台だから、剣を刺す手品も出来そうだ。お嬢、出来るか?」
「仕方ないわね。やるわよ」
「メグちゃん、失敗しないように気をつけてねー。成人のお祝い目前に、綺麗なお肌に傷がついたら、私泣いちゃうわー」
ジーナは言葉に反して、マルコムへと鋭い視線を送っていた。マルコムは、カップから口を離し苦笑いを浮かべた。ニースとセラは、コーヒーに牛乳を注ぐと、ようやく苦味から抜け出したようで、安心したようにふわりと微笑んだ。マルコムは、ジーナの視線から逃げるように、ニースから残った牛乳を受け取り、自分のカップに加えた。コーヒーはメグの肌のように、滑らかな褐色へと色を変えた。マルコムは優しく丁寧にかき混ぜると、ニースに声をかけた。
「ところで、ニース。誕生日なのに悪いんだが、ちょっと頼まれてくれないか?」
ニースは、ごくごくとコーヒーを半分ほど一気に飲み、頷いた。
「いいですけど、どうしたんですか?」
「ラース山脈で、俺が新しい鳥を手に入れたのは知ってるだろう?」
「はい。確か、オルガン馬車に引っかかっていたんですよね」
「そう。その鳥だ。かなり賢い鳥なんだが、どうにも食が細くてな。ストレスが溜まってるのかもしれないから、町にいる間ぐらいは、外を散歩させてやりたいんだ。だが俺は、滞在中の公演場所を探しに行かなきゃならない」
マルコムの言葉に、メグが頷いた。
「さすがに出演交渉に鳥は連れていけないものね」
「お嬢の言う通りだ。セラちゃんは、今日は用事があるらしいから、ニースに頼めないかと思ってな。町の中に連れて行っても、賢い鳥だし逃げはしないから大丈夫だ。頼めるか?」
「わかりました。預かります」
ニースがにっこり微笑んで頷くと、マルコムは笑みを浮かべた。グスタフは、飲み干したカップを置くと立ち上がった。
「メグ、ラチェット。どちらかニースについてやってくれ。いくら賢いと言っても、鳥だ。何かに驚いて逃げたりしたら、一人では探せないからな」
「それならラチェット、ニースを頼むわ。私はセラと行きたいところがあるの」
「ああ、いいよ。僕は特に用事はないから」
グスタフに、メグとラチェットが頷きを返すと、グスタフはジーナを連れて出かけていった。ニースとラチェットは、コーヒーを飲み終えると、マルコムの部屋へ向かった。メグとセラも、店が開くまでまだ時間があるからと、ニースと一緒に席を立った。
ニースたちがマルコムの部屋へ入ると、大きな鞄がいくつも置かれ、部屋の片隅に布をかけられた大きな鳥籠があった。ニースは、アクリ村を出る時にグスタフの馬車の中で布がかかった鳥籠を見たきりだった。
「久しぶりに見ました」
ニースの言葉に、セラが胸を張った。
「私は昨日もお世話したよ」
「馬じゃなくて鳥を?」
「うん。私は時々、鳥さんたちにご飯をあげたり、日光浴させたり、鳥籠の掃除を手伝ったりしていたの。馬車の中で、つまらない時に遊んだりもするし。鳥さんたちを籠から出す時は窓を締め切っていたし、ニースは御者台にいたから気づかなかったんだね」
ニースは、セラが鳥の世話も出来ることに感心した。マルコムが籠から布を取り外すと、目を閉じ羽を畳んでいる鳥たちが見えた。鳥たちは一様に大人しく、ニースの目にはどれも賢そうに見えた。
「どの鳥なんですか?」
マルコムの鳥籠には、全部で三羽の鳥がいた。三羽全て、真っ白な羽をした鳩で、羽をたたむ姿は、マルコムの両手ですっぽりと包めそうなほど小さかった。
「こいつだよ。ほかの鳥と違って、妙に賢いんだ」
鳥籠を開けたマルコムは、中から一羽だけ、そっと取り出した。すると、鳥たちが一斉に目を開いた。二羽の白い鳩は赤い瞳をしていたが、マルコムが取り出したその鳩は、右と左で瞳の色が違っており、それぞれ、深い青と澄んだ緑色の瞳だった。
「あれ、これって……」
「どうした、ニース?」
ニースは、その両眼の色が違う鳩を見たことがあった。
「もしかして、バード?」
珍しい瞳の色のその鳩は、くるっぽーとひと鳴きすると、マルコムの手からニースの肩へと飛び移った。そして、ニースの頬に、そっと頭を擦り付けた。
「やっぱり、バードだ!」
「ニース、こいつを知ってるのか?」
ニースに撫でられて、気持ち良さそうに目を閉じる鳩を見て、マルコムは驚いた。
「はい。おじいちゃんの家の庭に、バードはいつからか住み着いていたんです。マーサおばさんが、庭の木に巣箱を作ってくれて、そこにいたんですけど……」
ニースの話を聞いて、ラチェットは珍しそうに鳩を見つめた。
「もしかして、ニースについて来ちゃったのかい?」
ラチェットの声に、鳩はまるで返事をするように、くるっぽーと小さく鳴いた。セラが嬉しそうに笑った。
「そうだって言ってるよ、ポッポちゃん」
「でも、ニースの話が本当なら、この子はバードって名前なのね」
メグの言葉に、セラは肩を落とした。
「え! ポッポちゃんじゃなかったの……」
ニースは、落ち込むセラを気遣いながら答えた。
「うん。バードって名前は、マーサおばさんがつけたんだ」
「そうなんだね。ポッポちゃん、バードっていうんだね」
セラの中で、ポッポちゃんはバードへと名前を変えた。バードと呼ばれると、鳩は嬉しそうにくるっぽーと鳴いた。マルコムは、はははと笑った。
「話がわかるみたいに、こいつは鳴くだろう? 普段は鳴かないし、手品の覚えも良い。ほかの鳥たちが出来ない芸も易々とこなすんだよ。それなのに、最近元気がなくてな。少し自由にさせてやりたいんだ。部屋と鳥籠の合鍵は預けておくから、夕方になったら籠に戻してくれればいい」
「わかりました。バードは、よく空を飛んでいたから、きっと外で遊べば元気になると思います」
「よろしくな、ニース」
ニースは鍵を受け取ると、バードを連れてラチェットたちと自分の部屋へ戻った。部屋は相変わらず涼しいが、窓の外では眩い夏の太陽が中庭に照りつけていた。




