52:夏の街道2
前回のざっくりあらすじ:ニースは、熱中症と精神的ショックで気絶した。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
蝉のけたたましい鳴き声が響き、太陽がギラギラと輝く。街道の端に停めたオルガン馬車の中では、マルコムとラチェットが焦りの色を浮かべていた。
突然倒れたニースの頬を軽く叩き、二人は声をかけたが、暑さで体力が失われていたからだろうか。ニースは気を失ったままだった。
「俺のせいで、ニースがこのまま目を覚まさなかったら……」
「マルコムさん、そんな縁起の悪いこと言わないでください!」
マルコムとラチェットが慌てていると、街道を一台の馬車が南下してきた。石畳を進む蹄鉄と車輪の音が、少しずつ大きくなるのが、二人の耳に響く。しかしここは街道で、馬車など何台も通る。二人は、気にすることなく、ニースに声をかけ続けた。
するとその馬車は、オルガン馬車の後ろへゆっくりと近づき、止まった。
「音が止んだ? 止まったのか?」
「何でしょう? 通行の邪魔にならないようにしたはずですけど」
「この忙しい時に……!」
マルコムとラチェットは、焦りを感じながらも表へ出る。止まった馬車は、まるで王族が乗るような豪華絢爛な物であり、夏の日差しを浴びて眩しいぐらいに輝いていた。
「すごい馬車だな」
「お医者さんでも乗っててくれたら助かるんですが」
期待と不安を抱きつつ、二人が訝しげに見守る前で、御者が恭しく踏台を置き、客車の扉を開けた。
身なりの良い御者の手を借りて降りてきたのは、馬車に負けないぐらいギラギラと光沢のある服を着た老人だった。
「これはまた……派手なおじいさんですね」
「どう見ても、医者とは思えないな」
小さな希望が消え去ったと、肩を落とした二人の前で、老人は帽子をかぶり、杖をついて背筋を伸ばす。
そうして、ねっとりとした視線でオルガン馬車を隅々まで眺めると、中で倒れているニースに気付いたのだろう。老人は驚いた様子で、杖を落とした。
「天の導きが⁉︎」
老人は妙に甲高いダミ声で叫び、素早い動きでニースに近づく。老人のあまりの速さと思いがけない動きに、マルコムとラチェットは唖然として動けなかった。
老人は即座にニースの状態を確認すると、顔を上げた。
「ロビン!」
「はっ!」
ロビンと呼ばれた御者は、老人の呼びかけに素早く反応した。きびきびとした動作で、馬車の座席下から大きな箱を引き出して開くと、何やら箱の中身を袋につめる。続いて箱から水筒を取り出すと、タオルに水をかけて絞った。
その間に老人はニースの服を緩め、そばにあった毛布を使い、ニースの足を高く上げた。ロビンは馬車から、大きな団扇も取り出して、急いで老人の元へ向かった。
二人の迷いのない動きを見て、呆けていたラチェットとマルコムは、はっとして目を見開いた。
「もしかして本当にお医者さん⁉︎」
「ニースが助かるのか!」
希望を感じ、ラチェットたちはロビンと共にニースの側へ駆け寄った。すると老人は二人に振り向き、声を上げた。
「そこのメガネ!」
「え? 僕のこと?」
「貴様以外にメガネがいるか! さっさと氷で冷やせ!」
「氷?」
老人からメガネと呼ばれたラチェットが首を傾げると、ロビンが袋を手渡した。袋はひんやりと冷たく、中に氷が入っている事にラチェットは気がついた。
老人はマルコムを見て、なおも声を上げた。
「そこの詐欺師!」
「詐欺師……?」
「貴様のことだ! ボーッとしてないで、さっさと扇ぐ!」
マルコムは、老人が詐欺師と呼ぶのがどうやら自分の事らしいと気がつき、顔をしかめたが、ロビンが差し出した大きな団扇を受け取った。マルコムは、とりあえずニースの介抱が先だと、言われた通りに動いた。
その一方でロビンは、濡らしたタオルでニースの体を冷やしていく。老人が鋭い目つきで三人の動きを見守る中、ニースは意識を取り戻した。
「んん……」
「おお、気づいたか!」
ゆっくりと目を開くニースの姿に、老人は安堵の色を浮かべた。ラチェットは胸を撫で下ろし、ニースの額に手を当てた。
「ニース、大丈夫かい?」
「驚かせやがって……」
ラチェットの横で、マルコムが涙目になり鼻をすすった。ニースは、ぼんやりとしながらも、はっきりと声を出した。
「す、すみません……」
上体を起こそうとするニースの肩を、ラチェットが支えた。その様を眺めていた老人は、柔らかく微笑んだ。
「いやいや、無事なら良かった。天の導き様に何かあっては、世界の損失ですからな」
老人は、ロビンに何やら指示を出した。ロビンは馬車から新しい水筒を持ってくると、ニースに飲むよう促した。ニースが戸惑いながら口をつけると、中身は塩と砂糖が加えられた果実水だった。
「すごく美味しいです。ありがとうございます」
「お口にあったなら何よりですな」
ニースの様子を見て、ようやく落ち着きを取り戻したマルコムは、老人に語りかけた。
「ところで、どちら様で?」
マルコムは丁寧に問いかけたが、老人は果実水を飲むニースを見つめたままで、マルコムに一瞥もしない。
そんな老人に、ニースは見覚えがあった。
「えっと……パトリックさん……ですよね?」
「これはこれは。天の導き様に名を覚えて頂いてるとは、嬉しい限りですな」
確かめるように言ったニースに、老人は帽子を胸に当て、満足気に笑みを浮かべた。ラチェットは、驚いた様子で老人に目を向けた。
「パトリック……? もしかして、パトリック商会の?」
「ほお。わかるかね。ただのピアノが弾けるメガネかと思ったが、人を見る目はあるようだな」
老人は、アクリ村とラメンタの町でニースの前に現れた、パトリック商会会長のパトリックだった。機嫌よさげに頷き、帽子を被り直したパトリックに、マルコムは訝し気な目を向けた。
「パトリック商会って……あのパトリック商会か?」
「詐欺師は全くわかっておらんな」
パトリックは大きなお腹を揺らし、はぁとため息を吐くと、マルコムを見下すように顎を上げた。
マルコムの方が背が高いので、少しずつ果実水を飲んでいたニースからは、パトリックが普通に見上げているようにしか見えない。
だがパトリックの視線には侮蔑の色が込められており、マルコムは不機嫌そうに顔を歪めた。
「さっきから詐欺師詐欺師って仰いますがね、会長殿。俺は詐欺師ではなく奇術師で、マルコムという名前があるんですよ」
「ふん。貴様の手品なら、ラメンタで見たわ。あんなもん、詐欺師と変わらんだろう」
マルコムとパトリックの険悪な空気に、ラチェットは必死になだめようと声を挟んだ。
「まあまあ。お二人とも、落ち着いて……」
「ふん。まあ、メガネに免じて許してやるか。貴様のピアノはなかなかだったからな」
睨み合いをやめたパトリックに、ラチェットは照れくさそうに笑みを浮かべ、頭を下げた。
「あ、ありがとうございます。ただ、僕はラチェットという名前でして……」
「我輩は貴様等の名は聞いておらん」
パトリックは、ひどく冷たい目でラチェットを一瞥すると、ニースに笑みを向けた。
ニースへ向けたパトリックの顔は、思わずゾッとするほどの、薄気味悪い満面の笑みだった。
「天の導き様。貴殿のお名前を、我輩にお教え願えますかな」
ニースは、びくりと体を震わせたが、助けてもらった事を思い出し、小さく答えた。
「えっと……ニースです……」
「ふむ。天の導き様は、ニースという名か。なるほど、なるほど」
パトリックは満足そうに頷いた。マルコムが何か言いたげに口を開こうとしたが、先にロビンが歩み寄り、口を開いた。
「パトリック様。そろそろお時間でございます」
「ふむ。もうそんな時間かね」
パトリックは、懐から金色の丸い小物入れのような物を取り出し、蓋を開いてちらりと見ると、至極残念そうに肩を落とした。そして、ロビンが恭しく差し出した杖を受け取った。
「このまま真っ直ぐ街道を行くなら、また次の町で会えましょう。ニース様、ティオミソスでお待ちしておりますぞ」
パトリックは帽子を上げ、不気味な笑みを浮かべてニースに挨拶をすると、馬車へ乗り込んだ。
ロビンが御者台に上ると、パトリックの馬車が動き出す。ニースはラチェットに支えられながら馬車を降り、ぺこりと頭を下げて見送った。マルコムは不愉快さを全身から溢れさせ、舌打ちをした。
「なんだ、あのじじい。ニースを助けてくれたことには礼を言うが、あんな胸糞悪いやつは久々だ」
ニースはラチェットに礼を言うと、オルガン馬車の縁に腰掛け、水筒に口をつけようとして、はっとした。
「あ……水筒、返しそびれちゃった……」
ラチェットが、ニースの背を支えるように荷物をずらし、微笑んだ。
「まあ、また次の町で会えるらしいから、いいんじゃないかな?」
「あんなやつとまた会うなんて、俺は嫌だからな」
心底嫌そうに言ったマルコムに、ニースとラチェットは苦笑いを浮かべた。
その後ニースは、その場で少々体を休ませた。ニースの体調が落ち着き、ようやくオルガン馬車が走り出す頃には、空には夕焼け色が満ちていた。
一方その頃。グスタフたちは、なかなか来ないオルガン馬車に痺れを切らし、街道を戻っていた。
「うわ、何あの馬車。趣味悪いわね」
街道を戻る途中、思わずメグが呟いてしまったのは、夏の太陽に負けないほど、ギラギラと輝く豪華絢爛な馬車とすれ違ったからだった。
しばらく馬車を走らせたものの、オルガン馬車の姿を見る事はなく、西の空で太陽は姿を隠し始める。グスタフは、街道脇に少し開けた場所を見つけると、馬車を止めた。
「仕方ない。とりあえず今日はここで野宿をしよう。向こうの馬車にも荷物はあるから、一晩ぐらいどうにかなるはずだ」
グスタフは穏やかに話したが、馬車から降りたセラとメグは不安の色を浮かべた。
「ニースたち、一体どうしたのかな。一本道だったはずですよね?」
「もしかして、ニースがまた具合悪くなったのかしら……」
二人が心配する隣で、ジーナはせっせと野宿の準備を始めた。
「ほらほらー。悩んでいても仕方なーい。美味しいご飯を作っていれば、匂いに釣られてやってくるわよー」
明るく言ったジーナに、メグは、うんざりした顔を向けた。
「お母さん、また熊を呼んだりしないでね」
「熊ですか……?」
顔を青ざめたセラの頭を、ぽんぽんとグスタフが宥めるように撫でた。
「セラ、メグの話は気にするな。山での話だ」
セラは小さく頷くと、恐怖を誤魔化すように、馬車から馬を外し、世話を始めた。グスタフは火を起こし、ジーナは料理を始める。メグは馬車扉の段差に腰掛け、ぼんやりと街道を眺めた。
辺りが闇に包まれ、空には星が瞬く。焚き火の炎が揺らめく中で、スープの良い香りが漂い始めた頃。メグがぼんやりと眺めていた街道の奥に、ランタンの明かりがゆらゆらと動いた。
「あ、あれって……」
メグが立ち上がり目を凝らしていると、セラが馬の蹄の音に気付き、声を上げた。
「この蹄の音、オルガン馬車の馬たちです!」
メグの目にだんだんと派手な装飾の大きな馬車が見えてきた。ニースたちが、ようやく追いついたのだ。
「すごい、ジーナさんの言った通りです! 匂いに釣られて来ましたね!」
はしゃぐセラたちが見守る中、オルガン馬車は、ゆっくりと近づき、グスタフの馬車の後ろに止まった。
「ようやく追いついた……」
「今日は散々だったな……」
ラチェットとマルコムは、疲れきった顔をして御者台から降りた。ラチェットはそのまま後ろへ回り、ハンドルを動かしてオルガン馬車を開けた。
セラたちは即座にオルガン馬車へ駆け寄り、ニースに声をかけた。
「ニース、大丈夫だった?」
「ニース、また具合悪くなったのね。可哀想に。遠慮しないで、私たちの馬車で寝たらいいのに」
「お腹空いてるかなー? ニースくんも食べれるスープを作っておいたからねー」
三人の女性たちが、ニースだけを囲んで心配しているのを見て、さらに疲れが増した気がする、マルコムとラチェットだった。




