51:夏の街道1
前回のざっくりあらすじ:ラメンタの町に、ニースを探すアンヘルが現れたが、女将は約束を守り、素顔のことは話さなかった。
短い命を謳歌する蝉の声が響き、石畳に映る逃げ水を追うように、二台の派手な馬車が街道を走る。ニースたち旅の一座はラメンタの町を出発後、皇国中心部へ向けて、街道を南下していた。
平坦な道でも、馬車での旅は必ず一定の距離や時間毎に休憩を取る。乗っている人間のためではなく、馬車を引く馬のためだ。馬も生き物なのだ。水や食事を与え休憩させなければ、長い旅路を耐えられない。
その日、何度目かの休憩を挟むべく、二台の馬車は街道脇に止まった。ようやくの休憩で、ニースはローブを脱ぎ、仮面を外すと、木陰でぐったりと座り込んだ。
様子のおかしいニースに気付いたのだろう。馬に水を与えたマルコムが、眉を潜めた。
「ニース、大丈夫か?」
一行を照りつける夏の太陽は、街道沿いの畑から湯気が上がるほど、日を追う毎に暑さを増した。その上、暑さだけではなく、徐々に湿度も上がっている。
ニースの仮面は、目元には細工がされているが、口元は小さな穴があるだけだ。それでもニースは仮面を被ったまま、グスタフと共に御者台の上に座り、旅を続けてきた。
蒸し暑さの中で、ローブを着て仮面をつけていたニースの体は、悲鳴を上げていた。
「えっと……。なんかちょっと、頭がクラクラしてます」
ぼんやりとしながら答えたニースに、メグが、はっとして声を上げた。
「あら、大変! ニース、それ熱中症じゃない?」
「熱中症……?」
ニースは、幼い頃は温暖な気候の伯爵領に住んでいたが、伯爵家では夏の暑い日に外に長時間いる事などなかった。クフロトラブラへ移り住んでからは、夏の日差しは強くとも、標高が高いため気温はさほど上がらなかった。そのためニースは、熱中症とは無縁だった。
首を傾げたニースに、セラが心配そうに水筒を手渡した。
「ニースは、ラメンタのお風呂でのぼせたでしょ? 熱中症って、それと似たようなことだよ」
ニースは水を飲むと、体が生き返る気がした。そこへジーナが干し肉を薄く切り、ニースに渡した。
「ニースくーん。お水だけじゃなくて、これも食べてねー」
干し肉は、大量の塩に漬け込んでから干してあるため、そのまま食べると塩辛いはずだ。しかしニースには、不思議と塩気が感じられなかった。
「あれ? 塩っぱくない……」
「それは重症かもしれないな。気がつかなくて悪かった」
驚くニースに、グスタフは顔をしかめながら、蜂蜜の瓶を開けた。スプーンと一緒にニースに渡すと、グスタフは、ひと舐めするように促す。
ニースが戸惑いながらも蜂蜜を舐めると、口の中に、ふわりと甘さが広がった。
頬を緩めたニースの額に、メグが濡らした布を当てた。
「熱中症の時はね、水と塩と甘味を一緒にとらないとダメなのよ。なんでか知らないけど、昔からそうなの。私も踊ってて具合が悪くなると、そうするわ」
「そうなんだ。みんな、物知りだね」
ニースが力なくふわりと微笑むと、ラチェットがオルガン馬車を開けた。
「ニースはこっちに乗って、横になった方がいいと思うよ。この中は不思議と暑くならないみたいだし、仮面もローブもつけなくていいだろう?」
穏やかに語りかけるラチェットを横目に見ながら、マルコムがニースの仮面に手を伸ばした。
「ラチェットの言う通りだ。仮面は俺がもうちょっと細工しておくよ。少し考えがあるんだ」
ニースは迷ったが、メグがさっさとオルガン馬車の中に毛布を引いて、ニースを呼んだ。
ニースはメグに逆らうなどという、恐ろしい事は出来ない。ニースは黙って、オルガン馬車に横になった。
「ニース。時々水を飲んで、干し肉も食べるんだよ。気持ち悪い時は、すぐ言うようにね」
ラチェットはニースに声をかけながら、ゆっくり開口部を閉めた。その様子を見ていたセラが、小さく呟いた。
「なんか、あそこに寝て閉められちゃうと、大きな棺桶みたい」
「セラちゃんは本当に容赦ないな」
苦笑いを浮かべたマルコムの隣で、グスタフが立ち上がり、声をあげた。
「よし。次の町にとにかく向かおう。皇国での依頼まで、あともう少しだ。そろそろスピードを上げないとな」
グスタフの言葉に、メグたちは頷きながら出発の準備をした。しかしセラだけは、準備をしながらも首を傾げていた。
セラは、メグ、ジーナと共に馬車へ乗り込むと、走り出した馬車に揺られながら、メグに尋ねた。
「メグさん、皇国の依頼って何なんですか?」
「それ、私も詳しくは知らないのよ。お母さん、どんな依頼なの?」
話を向けられたジーナは、意味ありげにニヤリと笑った。
「うふふー。気になるー?」
セラは何があるのかと、背筋を正して答えた。
「はい。気になります」
「それはねー」
「それは……?」
「まだヒミツー!」
思わせぶりに言ったジーナに、メグは眉を吊り上げ、立ち上がった。
「ちょっと、お母さん!」
突如始まった親子喧嘩に、セラは呆気に取られた。騒がしいメグたちの声は、後ろを走るオルガン馬車まで響いた。
街道を走る二台の馬車の前方。ハリカと書かれた箱馬車から響くメグとジーナの甲高い声は、一向に終わりが見えない。取っ組み合いの喧嘩でもしているのか、前を行く大型の馬車は時折ぐらりと揺れた。
その様をのんびりと眺め、オルガン馬車の御者台に座るマルコムは笑った。
「またお嬢たちは相変わらずだなぁ」
「ニースが寝てるから、もう少し静かにしてほしいんだけど……」
マルコムが手綱を握る隣で、ラチェットは馬車の小窓から、オルガンとニースの様子を注意深く見ていた。ニースは、もそりと上体を起こし、微笑んだ。
「ぼく、だいぶ楽になってきたから、大丈夫です」
ニースは水を一口飲み、言葉を継いだ。
「それに、ぼくも気になります。皇国での依頼って、どんなのなんですか?」
ニースの率直な問いかけに、ラチェットは戸惑うように視線を漂わせた。
「マルコムさん、ニースに教えてもいいですか?」
「ん? いいんじゃないか?」
「そうですか……」
ラチェットは眉をひそめ、ニースの顔をじっと見た。
「いや、やっぱりやめておこう。ニースに言うのは」
真剣な眼差しで言ったラチェットに、ニースは立ち上がり抗議の声を上げた。
「なんでですか⁉︎」
「だって、またニースが気を失ったら危ないから」
「そんなに怖い所で演奏するんですか……?」
ニースは、思わず肩を両手で抱いた。マルコムがニースをちらりと見て、はははと笑った。
「ラチェット、そんなにニースを怖がらせなくてもいいだろう。ニース、大丈夫だよ。別にとって食われるわけじゃないんだ」
「マルコムさん、僕は知りませんよ? ニースは、ラース山脈の話でさえ、怖がってたんですから」
困惑した様子で話すラチェットに、ニースは心外だと、唇を尖らせた。
「ぼく、もうあの時みたいに、昔話で怖がったりしません!」
「ああ、そうだよな、ニース。ラチェットは心配しすぎなんだよ」
「わかりました。そこまでマルコムさんが言うなら、お任せします」
ラチェットは冷ややかな目線で、マルコムから馬車の手綱を受け取った。マルコムは肩をすくめ、小窓から中を覗き込んだ。
「俺たちは、皇国の皇都……アマービレ王国で言う所の、王都みたいな所だな。そこに行くんだよ」
「この国の王様がいる所ですか?」
首を傾げるニースに、マルコムは丁寧に説明をした。
「ああ、そうだ。王様っていうか、皇国の君主……つまり、一番偉い人のことは、帝って言うんだけどな」
「呼び方が違うんですか?」
「呼び方以外にも色々違いはある。例えばアマービレ王国だと、手柄を立てた貴族に国王から領土を下賜されたりするだろう? 皇国にはそれがない。皇国の貴族は、帝から領土をもらうんじゃなく、最初からその地域で力を持った人間が貴族になって、帝を支えているんだよ」
初めて聞く話に、ニースは、ぽかんと口を開けた。
「領土が増えないのに支えるんですか?」
「ああ。帝は、皇国の中で特別な存在でな。皇国は、先祖崇拝がすごく強い国なんだ。で、国民全員の先祖を辿ると、一人の人間に行き着くって考えられてる」
「すごい話ですね」
驚くニースに、マルコムは上機嫌で話した。
「だろ? それで、その先祖を祀る祭祀を取り仕切るのが、代々の帝なんだよ。大事なご先祖さまを、忙しい自分たちに代わって祀ってくれてる帝は、国民全員から慕われてる。皇国の貴族は、帝を支えることで自分たちの領土を治めやすくしてるんだ」
ニースは、難しい事はよく分からなかったが、王様がいない国もあることは理解出来た。
「色んな国があるんですね」
「それで、話が逸れたが、その帝が今回の依頼主ってわけだ」
「え?」
あっさりと言ったマルコムの言葉に、ニースは唖然とした。
「えっと……。依頼主が帝さまって……王様の前で演奏するっていうのと同じですよね?」
「そういうことだ」
ニースにとって王族は、雲の上の存在だ。ようやくニースは理解すると、へなへなと座り込んだ。その様子に、マルコムは安心させるように笑った。
「ははは。大丈夫だ。ニースだけ歌うんじゃなく、みんなで演奏するからな。それに、御前演奏になるが主役は俺たちじゃないんだ」
「主役……ですか?」
「ああ。今回の依頼は、皇女殿下……王国でいうところの、お姫様の成人祝いのパーティでの演奏なんだよ。だから、主役はお姫様ってわけだ。俺たちはあくまでも盛り上げ役だよ」
「も、盛り上げ役……失敗したら……お姫様の前で失敗したら……?」
ニースは、ぶつぶつと呟くと、目を白黒させて、ばたりと後ろへ倒れ込んだ。
「ニース⁉︎ おい、ラチェット! 馬車を止めろ!」
「だから言ったのに……」
顔を真っ青にして叫んだマルコムに、ラチェットは文句を言いながらも、急いで馬車を道の端に寄せた。
慌てふためくマルコムは、オルガン馬車に扉がないと叫びだし、ラチェットはため息をつきながらハンドルを回した。
その一方でグスタフの馬車は、オルガン馬車の騒動に気づかないまま、どんどん走っていった。
セラたちを乗せたグスタフの馬車は、順調に街道を進んでいた。終わりが見えないかと思われた、メグとジーナの親子喧嘩だったが、意外なことにグスタフの裏切りによって、あっさりと終焉を迎えた。
「なるほど。陛下の御前演奏なんですね」
「ああ、そうだよ」
メグたちの言い争いを横目に、セラは御者台に座るグスタフから話を聞いていた。
「でも、なんでみなさんに、陛下から演奏依頼が来るんですか?」
「それはだな……」
グスタフの言葉を奪うように、メグに引っ張られた髪を整えながら、ジーナが答えた。
「それはねー、陛下がまだ皇太子だった頃に、旅先で私たちの演奏を聞いて気に入ってくれたからよー」
メグはぐったりした様子で椅子に座り、ずり下がった肩紐を直した。
「お母さんじゃなくて、最初から、お父さんに聞けば良かったわ……」
「みなさんって、以前にも皇国に来たことがあったんですね!」
嬉しそうに笑うセラに、グスタフは笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、そうだよ。その時にベニーノさんの所の宿に泊まったんだ。当時はまだ先代がやってたけどな」
「あ、そういえば、この前そのことを聞いた気がします」
セラとグスタフの会話に、横からメグが口を挟んだ。
「私が皇国に来たのは、今回が初めてだからね、セラ」
メグは水筒を取り出そうとして、ふと馬車の後方のガラス窓を見た。
「あら? オルガン馬車は?」
「え? ニースたち、後ろにいないんですか?」
「あらー。もしかして、逸れちゃったのかしらー」
メグの声に、セラも背伸びをしてガラス窓を覗いた。ジーナが突き出し窓を開けて後ろを確認するが、オルガン馬車の姿は見えなかった。
「グスタフー! 止めてー!」
ジーナが声を張り上げると、グスタフは街道の端に馬車を止めた。しかし、セラたちが待てども待てども、オルガン馬車は現れなかった。
■皇国と帝について■
このお話はフィクションであり、現実にある国々の政治体制とは一切関わりありません。
よろしくお願いいたします。




