537:叶えたい想い2
前回のざっくりあらすじ:ニースはマーサと再会を果たした。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現が含まれます。ご注意下さい*
*更新時間遅くなりすみません。次話は予定通り、7月17日(金)となります。
街灯のない薄暗い町を、ニースとルポルは発掘品の明かりで照らしながら歩く。
ニースが夜のクフロトラブラを歩くのは、九年前、旅立つ前に歌った公演の夜以来だ。その時に見た多くの人が笑い合う町並みと違い、ニースの前に広がるのは星明かりに照らされた静かな家々だった。
人々が寝静まった町を、冷たさの残る風がそよそよと吹き抜ける。どこか寂しさを感じる景色を眺め、ニースは小さくため息を吐いた。
――静かだな……。小さな頃は、こうやってゆっくりするのが当たり前だったはずなのに。なんだか落ち着かない。
明かりを手に歩くニースの足取りが、ほんの少し重くなる。そんなニースをちらりと見やり、ルポルは苦笑した。
「ニースは知らないと思うけどさ。いつもはこんなんじゃないんだ」
「え?」
「町だよ。人がいなくて寂しいなって、顔に書いてある」
「そんなに分かりやすかった?」
「うん。分かりやすいよ、ニースは」
はははと小さく笑い声を上げると、ルポルは明かりの届かない暗い町に目を向けた。
「クフロトラブラは小さな町だけど酒場もあるし、いつもなら酔っ払いもたくさんいるんだ。今日はみんな、明日の祭りを楽しみにして寝てるんだと思う」
「そうなんだ。酒場には、ルポルも行ったことあるの?」
「まあね。でも、父さんたちには言うなよ」
「なんで?」
「兄貴やマルコたちと行ったんだけどさ。その時は俺、まだ成人してなかったから」
王国軍の入隊試験に合格し、ルポルがクフロトラブラの町を出たのは、十四歳の頃だ。未成年が夜に出歩くのは褒められたものではないが、ルポルは度々リンドの目を盗んで家を抜け出していた。
四歳上の兄エミルとマルコは同い年で、エリックはエミルたちの一歳下だ。すでに成人していた三人に連れられて、夜の街で遊んでいたのだと、ルポルは話した。
「秘密って言っても、みんな顔は知ってるからな。店に入っても酒はさすがに飲ませてもらえなかったから、兄貴のを少し舐めたぐらいだったけど」
「そんなことしてたの⁉︎」
「俺はお前と違って、良い子じゃなかったからな」
ルポルは頭の後ろで手を組み、歩きながら星空を見上げた。
「結構楽しかったよ。みんなでわいわい飲んでるとさ、女の人が時々声かけてくるんだ。それなのに兄貴はビビって何も出来なくて、マルコはがっつき過ぎて振られてばっかで。エリックはそれなりに遊んでたけど……今思えばあれって、姉貴の気を引きたくて必死だったんだろうな。面白かったなぁ」
「そっか、マルコも……。みんなで楽しく遊んでたんだね」
切なげに言ったニースに、ルポルはおどけたように笑った。
「あ、今はそんなことしないよ? 俺はもう、ケイト一筋だから」
「なんでそこでケイトさんが出てくるの?」
「あー、分かんないならいいよ。でもとにかく、今のはケイトとセラちゃんには言うなよ」
「……分かった」
妙に真剣な眼差しで言ったルポルに、ニースは不思議に思いながらも頷きを返した。ルポルは、ほっとした様子で鼻歌を歌い出す。
音程が外れているものの、機嫌の良さそうなルポルの鼻歌は、ラチェットが作った恋の歌だ。ルポルは楽しげに歌っているが、音のズレた旋律は物悲しいもので、ニースは自然と、ルポルの心中に思いを巡らせた。
「ルポルはケイトさんが好きなのに……ごめんね」
「どうした、急に?」
「ラメンタに行くのに、ケイトさんは一緒に行けないでしょ? 寂しいんじゃないかなって思って」
申し訳なさそうに眉根を寄せたニースに、ルポルは肩を竦めた。
「別にニースのせいじゃないんだから、気にするなって。それに昔と違って、今のラース山脈には道が出来てる。死ぬような危険もないし、車なら一週間もあれば行き来出来るみたいだし。すぐ帰ってこれるんだから、何の問題もないよ」
同盟軍が開いたラース山脈の道は、王国での戦いが終わった後、しっかりと整えられていた。これまで設けられていなかった国境門も山脈の中程に作られ、両国の兵士がそれぞれ詰めている。
かつてニースが通った時と違い、今では多くの旅人や商人が行き交う道は、冬季も使える上に行き来にかかる日数も段違いに少なくなっていた。
安心させるように微笑んだルポルに、しかしニースは頭を振った。
「ルポルがそうでも、ケイトさんはきっと本当は寂しいんじゃないかな。結婚前に、知らない町に一人で残らなきゃならないんだから」
「それはまあ、確かに」
「それにセラだって、ケイトさんと一緒に行きたかったって思ってるんだよ。セラの故郷がこんなに近くなったのに、歌い手だからってだけで国境を越えられないなんて、理不尽すぎるよ」
「まあな。でも、仕方ない。今回は無理だけど、そのうちまた機会はあるよ。ケイトが王国人になったって、しっかり周知すればいいわけだしさ」
「そうとも限らないよ。同盟会議の話、ルポルも聞いたでしょ? 結婚してたって、もし統一機関なんてものが出来ちゃったらどうなるか分からないよ」
「それも心配いらないって。陛下やアンヘル様が、色々頑張って下さってるんだからさ」
手にした明かりが照らす夜道の先に、市門の篝火が揺れる。ルポルは、からりと笑うと、夜番の門兵に声をかけ市門を開かせた。
市壁の外に広がる牧草を、山から吹き下ろす風がゆらゆらと揺らす。兵士と挨拶を交わして門を潜るニースの微笑みには、微かに影が差していた。
ギイと音を立てて市門が背後で閉まると、ニースは胸の奥に燻る不安を吐息と共に吐き出した。
「兄様や陛下なら、きっと上手くやってくれると思うんだけど。それでもやっぱり、心配なんだ」
「ニース……」
「任せっぱなしで、本当にいいのかな。僕に出来ることが、何かあればいいんだけど」
闇に溶けるようなニースの黒髪が、夜風に揺れる。ニースが空を見上げると、数えきれない星と共に細く小さな三日月が昇っていた。
――おじいちゃんと話したあの夜も、こんな空だった。僕はただ、色んな人と楽しく歌いたくて旅に出たのに、世界がこんなに変わっちゃうなんて。あの頃みたいに歌い続けるには、どうしたらいいんだろう。
旅立つ決意をした遠い日を思い返しながら、ニースは歩を進める。気遣わしげなルポルの視線を感じたものの、ニースはそれ以上何も言わずに家路を急いだ。
ゆらゆらと暖炉の炎が小さな居間に揺れる。ニースたちが家へ帰り着くと、リンドが一人、暖炉前の揺り椅子に腰掛け、レースを編んでいた。
「おかえり、二人とも。寒かったでしょう? お茶を入れるわね」
ヘレナの婚礼衣装に使うのだろう、編みかけの白いレースを籠に入れ、リンドは立ち上がる。ありがとうと礼を言って椅子に座るルポルを横目に、ニースは台所に立つリンドに歩み寄った。
「お母さん、僕が入れるよ」
「ニースが?」
「うん。色々覚えたんだ。お母さんは座って待ってて」
にっこり笑ったニースに、リンドは嬉しげに微笑み、ルポルの向かいへ座った。ルポルは気まずげに視線を逸らし、眉根を寄せた。
「ニースのやつ、良いところ見せようとしやがって」
「ニースはそういうつもりでやってるんじゃありませんよ」
「それは俺も分かってる」
ムッと顔を歪めたルポルに、リンドは、くすくすと笑った。ニースが手際よく入れた茶を渡すと、リンドはカップに口を付け、ほっと息を吐いた。
「美味しいわ。ハリカの皆さんに教えて頂いたの?」
「うん。ジーナさんとラチェットさんに」
「ジーナさんは分かるけれど……ラチェットさんにも?」
「ラチェットさんは料理も上手なんだ。何でも出来るんだよ」
微笑みながら言ったニースに、リンドは愛おしげに目を細めた。
「本当に大きくなったわね。小さかったニースも、とっても賢くて可愛くて優しかったけれど。今も変わらないのね」
「そうなのかな」
「そうよ。真っ直ぐに育ってくれて、お母さんは嬉しいわ」
リンドはハンカチを取り出し、目元を押さえる。感極まった様子のリンドに、ルポルが呆れたように声を漏らした。
「母さんはニースに甘いよな。でも今のニースに、可愛いなんて言うのはやめてやりなよ。大人の男なんだからさ」
「子どもはいくつになっても可愛いものなのよ」
「ふうん。それって俺も?」
ニヤニヤと揶揄うように言ったルポルを見て、リンドは真顔で頷いた。
「もちろんそうよ。ルポルも可愛いわ」
「え、いや……」
「だからあなたたちが、可愛いお嫁さんを連れてきてくれて本当に嬉しいのよ。生きて帰ってくれて、ありがとう」
「何言ってんだよ……」
リンドは同じような事を日中にも言っていたものの、その時はマルコの両親の事やマーサの来訪もあった。どこか遠慮のあった昼間と違い、今のリンドの声には何の陰りも含まれておらず、心の底をさらけ出しているのは明白だった。
柔らかな笑みを浮かべたリンドから、ルポルは照れくさそうに目を逸らす。ニースは胸の奥にじんわりと温もりが広がるのを感じて、目を伏せた。
――マルコが守ったのは、僕たちの未来だけじゃない。リンド母さんたちの心も守ってくれた。自分の家族は置いてけぼりにしてまで……。
マルコの死を聞いて泣き崩れた、マルコの母の姿がニースの脳裏に浮かぶ。ともすれば、申し訳ないと再び気持ちが落ち込みそうなものだが、目の前で心の底から無事を喜ぶリンドの存在に、ニースの心は自然と凪いでいた。
――謝るより、僕はちゃんとお礼を言わなきゃ。マルコに。
ニースはゆっくりと目を開き、目尻に残る涙を拭うリンドに微笑んだ。
「僕たちが帰ってこれたのは、マルコやみんなが命がけで守ってくれたからなんだ。僕、明日はマルコのために歌いたい」
「そうしなさい。きっとマルコにも届くわ」
パチパチと暖炉の炎が爆ぜる音を聞きながら、ニースは温かな茶を口にする。久しぶりに湧き上がった歌いたいという想いが、ニースの身体中に染み渡っていった。
翌日に開かれた町ぐるみの宴は、張り切った町民たちの手で祭りに変わり、想像以上に賑やかなものとなった。
ニースの歌だけでなく、町に住む音楽家たちの演奏も行われ、楽しげな笑い声が空へ昇って行く。
挨拶に立った町長の口から、ルポルが国王の親衛隊隊長になる事、エリックが国境警備隊の副隊長として就任する事などが伝えられ、祭りはさらに盛り上がりを見せた。
マルコの死を悼み、像を立てるつもりだという話に至ると、それならニースとルポル、エリックも一緒に、町の英雄像にしようと人々が言い出し、ニースたちは恥ずかしさを感じながらも受け入れるしかなかった。
祭りが終わると、ニースたちは十日ほど、のんびりと日々を過ごした。ニースは毎日のようにセラと町の様々な場所で歌い、エリックは国境警備隊に挨拶に赴いたり、運転の練習を行った。ルポルは結婚式の準備の傍ら、マルコの英雄像建立の計画を詰め、ラメンタへの旅支度も進めていく。
カルデナ教の教会郵便を使い、ラメンタに出していた訪問伺いの返事が届く頃には、セラとケイトはリンドたちとすっかり打ち解けた。
ニースたちが不在の間、ケイトは町長の館ではなくルポルの部屋で過ごす事に決まり、ニースたちは安心して皇国へ向かう準備を整えた。
「おじいちゃん。僕、またちょっと出かけてくるね」
出発の朝、牧場の片隅にある木の下に、ニースは立っていた。マシューが眠るその場所に、ニースは町へ帰ってきてからというもの、毎日のように足を運んでいる。
いつものようにマシューのために歌ったニースは、咲いたばかりの花を数本手折ってきており、木の根本にその花を供えた。幹に手を添えて語りかけるニースの耳に、駆け寄ってくる軽やかな足音が届く。
朝のうちに、町に住むエリックがセラとケイトをバスに乗せ、牧場へやってくる手筈だ。足音の主を脳裏に思い浮かべ、ニースは頬を緩めて振り向いた。
「セラ、おはよう」
「ニース、おはよう! 行ってきますの挨拶、終わった?」
「うん。終わったよ。行こうか」
ニースはセラと手を繋ぎ、牧場の小道を歩く。牧草の合間に小さな花々がぽつりぽつりと咲いており、朝露に煌めいていた。




