535:帰還5
前回のざっくりあらすじ:ニースたちはエルネストに別れを告げて、クフロトラブラへ向かった。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
市門を潜ったニースたちは、町の中心部にある町長の館へ向かった。知らせを聞いた住民たちが次々に沿道へ顔を出し、ゆっくりと進むバスに手を振り、歓声を上げる。
健闘を称え、無事の帰還を祝う人々の姿を見て、ニースは胸の痛みを感じ、拳を握りしめた。
――クフロトラブラのみんなは、僕たちをこんなに歓迎してくれてる。ここにマルコはいないのに……。
懐かしい故郷への凱旋は、嬉しい事ばかりではない。町長やマルコの家族に、マルコの死を伝えなくてはならないと、ニースは苦しげに顔を歪める。
セラがそっとその手を握り、エリックがマルコの形見の剣を胸に抱いた。
そうしてたどり着いた館の前では、町長が興奮した面持ちで待ち構えていた。
「ウォルンタス侯爵閣下、よくぞいらっしゃいました! 戦勝の喜びを申し上げます!」
満面の笑みを浮かべる町長に、ニースは気まずさを感じて苦笑した。
「お久しぶりです、町長さん。でも、そんなに堅苦しくしないでください。侯爵になっても、僕はマシューおじいちゃんの孫ですよ」
町長とは、ニースも顔見知りだ。仰々しくよそよそしい挨拶は、ニースにとって居心地の悪いものだった。
そんなニースの心中を察したのだろう。町長は、がははと笑った。
「そうか。貴族になってもニースは変わらないか」
「はい。僕は僕です。昔みたいに話してもらった方が嬉しいです」
「分かった。では遠慮なくそうさせてもらおう」
町長は愉快げに言うと、ルポルとエリックに目を向けた。
「お前たちもよく帰ってきてくれたな。だが、マルコはどうした?」
「立ち話もなんですから、中にいいですか?」
固い表情で話すルポルに、町長は察したように眉根を寄せた。
「……そうだな。そちらのお嬢さん方もかな?」
「はい。彼女たちのこともお話しますから」
「分かった。行こう」
町長に案内され、ニースたちは応接室に通された。茶を出され、人払いが済まされると、ルポルはおもむろに書状を町長に手渡した。
「国王陛下からです。まずはお読みください」
「謹んでお受けする」
恭しく受け取った書状を、町長は真剣な眼差しで開く。中には、ニースをしばらくクフロトラブラに匿ってほしいことや、バスに乗せてきた品の内訳などが書かれていた。
一通り目を通した町長は、深いため息を吐いた。
「やはり、マルコは死んだのか」
「はい。それで、マルコのご家族は」
「もうそろそろ来るはずだ。お前たちの家族もな」
町長は額に手を当て、軽く首を振ると、穏やかな目をセラとケイトに向けた。
「それにしても、お前たちが嫁を連れ帰ってくるとはな」
キールの書状には、セラとケイトの事も書かれていた。目を細めた町長に、セラとケイトは、重い空気を少しでも軽くしようと微笑んだ。
「初めまして。ニースの婚約者のセラです」
「あたしはケイトです。ルポルと結婚の約束をしています」
「素敵なお嬢さん方だ。こんな可愛らしい子を嫁に出来るとは、ニースもルポルも幸せ者だな」
優しい笑みを浮かべた町長に、ルポルが声を挟んだ。
「まだ式は挙げていないんです。だから、彼女たちに部屋を貸してもらいたくて」
「もちろん引き受けよう。ニースはどうする?」
「僕は……」
ニースは戸惑い、ルポルに目を向けた。ルポルは、ニッと笑みを浮かべた。
「ニースの家はあるだろ? 部屋は兄貴が使ってるけど、じいちゃんの部屋はそのままなはずだ。寝る場所には困らないよ」
「うん。ありがとう」
ニースがほっと胸を撫で下ろすと、パタパタと廊下を駆ける足音が響いた。その直後、ノックもされずにガチャリと扉が開き、ニースたちは驚き顔を上げた。
「エリック!」
「母さん!」
興奮した面持ちで駆け込んで来たのは、エリックとマルコの両親たちだった。エリックの母は、歓喜の声を上げてエリックを抱きしめ、エリックの父が安堵の涙を滲ませる。
町長が、呆れたようにため息を漏らした。
「お前たち。気持ちは分かるが、急に入ってくるな」
「すみません、町長」
苦笑したマルコの父親の傍らで、マルコの母が部屋を見回した。
「町長、マルコはどこだい?」
期待に目を輝かせるマルコの母に、町長は声を詰まらせる。ルポルが静かに、一歩踏み出した。
「マルコはいません」
「え?」
「亡くなりました」
騒がしかった部屋を、しん、と静寂が打った。一拍遅れて、マルコの母が乾いた声を漏らした。
「いやだよ。変な冗談はやめておくれ」
「俺の責任です。マルコは、俺とエリックを逃すために戦って死にました」
「……本当に、マルコが?」
「マルコは、最期まで勇敢に戦いました。陛下からも、勲章を預かってます」
真顔で告げるルポルの前で、マルコの母親は呆然と立ち尽くした。エリックが母親の元を離れ、布で包んだ折れた剣を、マルコの母に差し出した。
「おばさん。これ、マルコの剣です」
「剣……?」
「遺体は残りませんでした。これだけ、残ったんです」
マルコの母の手が、剣に伸びる。震える手で折れた剣を抱きしめたマルコの母は、重さに耐え切れないように膝をついた。
俯いたまま、一言も声を発しないマルコの母に、ニースは絞り出すように語りかけた。
「おばさん、ルポルは自分のせいだって言ったけど、本当は違うんです。マルコはルポルたちと一緒に、僕の身代わりを買って出てくれて。だから、マルコが死んだのは僕の……」
ニースは最後まで言葉を継げなかった。ゆっくり顔を上げたマルコの母親は儚げな笑みを浮かべており、ニースは息を呑んだ。
マルコの母は、震える声で問いかけた。
「マルコが、あんたの身代わりに?」
「……はい」
「そうかい。それならあの子は……きっと本望だね」
「え……」
罵詈雑言を浴びせられても構わないと、ニースは覚悟を決めていたが、返ってきた言葉は思いがけないものだった。
固まるニースに、マルコの母はボソリと呟いた。
「あの子は、あんたの歌が好きだったよ」
「おばさん……」
「あの子がどうして騎士を目指したと思う? 大事なものを守りたいって、あの子は言ったんだよ。まだこんな小さなうちから、剣が欲しいってねだってね」
マルコの母の目から、涙がほろりとこぼれた。皆が静かに見守る中、マルコの母はルポルとエリックに目を向けた。
「ルポル、エリック。あんたらのことも、あの子は大事に思ってたよ。だから、あんたらを守って死ねたなら、あの子はきっと満足してるはずだ」
「おばさん……無理しないで」
「無理なんてしてないさ。あの子が選んだことを、母親の私が否定してどうするんだい。褒めてやらなきゃ。いっぱい、いっぱい褒めて……」
堪えきれない嗚咽を漏らすマルコの母を、マルコの父親がそっと抱き寄せる。ニースたちは、何も言えず立ちすくんだ。
そこへ、コツコツと控えめなノックの音が響き、ニースの養父母でルポルの両親である、ダミアンとリンド、そして姉のヘレナが顔を出した。
「おばさん、どうしたの……?」
「ヘレナ……」
驚くヘレナに、エリックがふらふらと歩み寄り、ぎゅうと抱きしめる。
マルコが最後に望んだのは、エリックとルポルが恋人の元へ帰る事だった。ヘレナの元へ無事に帰って来れたと、エリックはマルコに伝えたかったが、それはもう叶わない。周囲の視線を気にする事なく、エリックはヘレナの首筋に顔を埋めた。
ヘレナは戸惑いながらも、泣くのを堪えるようなエリックの背を優しく撫でる。ダミアンとリンドは、苦しげに顔を歪めているニースとルポルを見て、切なげに眉根を寄せた。
ニースとルポルは、マルコの両親が去るまで、ダミアンたちに目を向けられなかった。
町長たちと一通り話を終えると、ニースたちはエリック一家に別れを告げ、懐かしい牧場の家へ向かった。
春の始まりと言っても、標高の高いクフロトラブラはまだまだ寒い。町外れにある家にはバスで行った方がいいだろうと、ニースたちは荷の軽くなったバスに乗り込んだ。
ダミアンとヘレナは、王国奪還戦の際に数回軍用車に乗っているが、リンドは発掘品の車自体が初めてだ。恐る恐る腰を下ろすリンドに、セラが緊張を解すように語りかける。
ヘレナの双子の兄エミルは牧場で留守番をしているため、セラとケイトも挨拶したいと同行している。ヘレナとケイトは同い年という事もあり、意気投合した様子で話が弾んでいた。
短距離とはいえ、ルポルの運転ではリンドが怖がるだろうと、運転席にはニースが座り、バスはゆっくり走り出す。
女性たちの喋り声が車内に響く中、固い表情でハンドルを握るニースに、ダミアンが目を細めた。
「こんな大きな車も運転出来るんだな」
「はい。これは僕のバスですから」
「ニースの? これが?」
まさかニース個人の持ち物と思わず、ダミアンは目を瞬かせる。ニースと同じく体を強張らせていたルポルが、ふっと表情を和らげた。
「父さん。ニースはもう侯爵様なんだよ? このぐらい持ってて当然だって」
「そうか」
苦笑したダミアンを、ちらりと横目で見て、ニースは唇を尖らせた。
「ルポル、変なこと言わないで。これは貰い物で、僕が買ったわけじゃないから」
「ごめんごめん」
ニースとルポルは、ダミアンたちと再会を喜びあったものの、マルコを死なせてしまった事もあり、表情は暗いままだった。
そんな二人の顔が、ほんの少し和らいだ事に、ダミアンは安堵の息を漏らした。
「懐かしいな。まるで昔に戻ったみたいで安心するよ」
「父さん……」
「こうして家族が揃うことが出来たのも、マルコのおかげだ。マルコがお前たちの笑顔を守ってくれた」
ハンドルを握るニースは、目に滲みそうになる涙を瞬きで散らした。ルポルが、ああと頷きを挟んだ。
「そうだね。マルコなら、いつまでもしんみりしてないで笑えって言いそう」
「その通りだ。マルコは、お前たちを悲しませるために散ったわけじゃない。マルコを思うなら笑ってやれ」
「はい」
諭すように話すダミアンに、ルポルは小さな笑みを浮かべる。ニースは前を見つめ、唇をきゅっと引き結んだ。
そうして程なくしてたどり着いた丸太造りの家では、羊の世話を終えたエミルがニースたちを待っていた。パチパチと暖炉の炎が揺れる中、狭い居間に家族全員が集まり言葉を交わす。
マルコが亡くなったと聞いたエミルは、切なげに目を伏せたものの、納得したように顔を上げた。
「マルコらしいな。あいつ、昔から面倒見が良かったし」
「うん。そうだね」
「でも、お前らは辛かったろう? よく頑張ったな」
「エミル……」
エミルの言葉に、ニースは口を噤む。ルポルが目元をほんのり赤くして、エミルを睨んだ。
「兄貴に褒められても嬉しくないって」
「照れなくていいんだぞ、弟よ」
「照れてない!」
ふんと顔を逸らしたルポルを見て、ケイトがくすりと笑った。その柔らかな微笑みを見て、エミルはわざとらしいほど、ぐったりと肩を落とした。
「ニースは分かるけど、ルポルにまで先を越されるとはなぁ。ケイトさん、俺と同い年なんですよね? 俺じゃダメですか?」
「ごめんなさぁい。あたしは、ルポル一筋なんですぅ」
「ぐっ……」
のんびりとした口調で、あっさり叩き切られたエミルは、悔しげに拳を握りしめる。重い空気を変えるにしては、あまりに本気すぎるその様子に、ルポルが呆れたように問いかけた。
「兄貴、まだ良い人がいないのかよ」
「そんな簡単に出来るわけないだろ。見ろよ、この足を」
エミルの左足には、木を削って作られた義足がはめられている。ズボンの裾からのぞく義足を、どこか誇らしげに見せながら、エミルは切なげに眉根を寄せた。
「これを作ってくれた教会の女の子に声をかけたんだけどさ。聖女に憧れてるから、結婚したくないって言われたんだ」
「兄貴。まさかと思うけど、いきなり結婚申し込んだの?」
「何か悪い?」
「いや……」
「変なの」
頬を引きつらせたルポルに、エミルは首を傾げて笑った。ニースは穏やかに流れる時を眺め、目を細めた。
――エミルの方が、僕よりマルコと一緒にいたはずなのに。エミルはちゃんと笑ってる。マルコのお母さんだって笑おうとしてた。僕も笑わなきゃ。マルコのために。
リンドから茶を受け取り、ニースはカップに口を付ける。柔らかな香りがニースの黒い前髪を揺らし、胸に燻る後悔や苦い思いを、温もりがゆっくりと押し流していった。




