527:極光の下で1
*前回のざっくりあらすじ:ユリウスとレイチェルは、ラチェットの飛空船で皇国に向かう事になった。
二年ぶりにレイチェルと話をしたニースとセラは、翌日から穏やかな日々を過ごした。二人は毎日のようにユリウスとレイチェルの部屋を訪ね、夜遅くまでボードゲームや読書、お喋りを楽しむ。
そんな日々の中で、ニースの護衛として常にそばにいるベンやルポルたちと、レイチェルとの接点も自然と増えた。当初、軍服姿のベンたちに怯えていたレイチェルだったが、交流を続ける内に徐々に慣れ始めた。歌う事への恐怖心は変わらなくとも、少しずつ落ち着きを取り戻していくレイチェルの姿に、ニースたちは胸を撫で下ろした。
しかし、笑顔が増えてきたレイチェルと対照的に、ニースの笑みはぎこちないものだ。戦場を離れて数日が経ったある朝、ベンは宿に篭りきりのニースを案じ、語りかけた。
「歌わなくていいからさ。今日はラチェットさんのピアノだけでも、聞きに行かない?」
レイチェルの様子を確認した後、すぐにビオスタクトへ旅立つ予定だったラチェットだが、レイチェルとユリウスを秘密裏に皇国へ送り届けるためには根回しが必要だ。
バードとココの通信を利用して、ラチェットは野営地に残るシーラたちと連絡を取っているが、準備を整えるには時間がかかる。シーラたちの勧めもあり、もろもろの準備が終わるまで、ラチェットはニースたちと同じ宿に滞在する事となった。
そうしてラチェットは、ニースたちがのんびりと過ごす間、町の酒場で演奏をしていた。兵士の頼みで始まった演奏会は、予想以上に町の人々に喜ばれ、ラチェットの元にはひっきりなしに演奏依頼が届いていた。
気晴らしに町へ出かけようと誘うベンに、自室で朝食を終えたニースは、飲みかけの食後の茶を置いて頭を振った。
「ううん。行かないよ」
「ピアノ、聞きたくないの?」
「聞きたいけど、僕は目立つから。ベンが行きたいなら、行ってきていいよ。ラチェットさんは明日も演奏あるって言ってたし、ルポルたちと交代で聞いてきたら?」
「いや、そういうわけにはいかないよ」
ニースの返事に、ベンは小さくため息を吐いた。そこへ、コンコンと扉を叩く音が響き、ルポルが困惑した様子で部屋に入ってきた。
「ルポル、おはよう。どうしたの? セラは?」
「セラさんはまだ寝てるよ。ついさっきココから連絡があったから、伝えようと思ったんだ」
「連絡?」
ニースとセラの部屋は隣同士だ。連日、ユリウスたちと夜遅くまで遊んでいるため、セラはこの所寝坊しがちだった。
部屋の前で警護に付いていたルポルは、エリックに後を任せ、ニースの部屋を訪れたのだった。
「今日、アンヘル様がこっちに来るって」
「兄様が?」
ニースが首を傾げると、ルポルの胸元からバードが顔を出した。
『しかも一人じゃないんだよー。ミランとポルテを連れてくるってー』
「え⁉︎」
まだ自力で飛べないものの、バードの傷はほとんど治り、喋り方も元に戻っている。
思いがけないバードの言葉に、ニースは目を瞬かせた。
「なんでミランさんたちが?」
『なんかねー、謝りたいらしくて』
「謝る? 僕に?」
『んーと、ニースっちとレイチェルに。でもレイチェルは会いたくないかもしれないから、無理ならニースだけでもって』
ニースは困惑しながらも、バードに問いかけた。
「兄様はもう出発してるの?」
『そうらしいよー。昼過ぎには着くってさー』
「そっか……断れないんだね。分かった。ユリウスとレイチェルに相談しないと」
正気を取り戻したポルテと、ニースが会うのは初めてだ。自我を奪われた人形のような姿は痛ましいものだったが、帝国の歌姫であった事に違いはない。ポルテに謝られたとしても許せるものではないだろう。
その上、今のニースは戦争被害の大きさに苦しんでおり、帝国民に対して複雑な感情も抱いている。重いため息を吐いたニースに、ベンが労るように語りかけた。
「アンヘル殿が連れてくるんだ。きっと悪いことにはならないよ」
「そうだね……。ユリウスたちの様子、見てきてくれる? まだ寝てたら迷惑だけど、僕から話したいんだ」
「分かった、行ってくるよ。ルポル、あとはよろしくね」
「はい、ベンジャミンさん」
力無く微笑んだニースに、ベンは頷き、部屋を出て行く。その背を見送り、ニースは冷たくなってしまったカップに口を付けた。
ニースがユリウスたちと会えたのは、もうすぐ昼になろうかという頃だった。遅く起きたセラと共に、ユリウスたちの部屋へニースが向かうと、少し早めの昼食が居間のテーブルに用意されていた。
レイチェルに、アンヘルがポルテとミランを連れてくると伝えるのは、ニースにとって胃の痛いものだ。せっかく落ち着き始めたレイチェルの精神状態が、また不安定になりはしないかと気になったのだ。
セラがパクパクと料理を口に運ぶ隣で、ニースは食事に手をつけないまま、アンヘルたちの話をした。だがその心配は杞憂に終わり、レイチェルは快く頷きを返した。
「お会いしますわ。ポルテさんに」
「大丈夫なの? 無理しなくても、僕だけでもいいんだけど……」
「ええ。ご心配いりませんわ。繋石で縛られる前に、彼女とは何回か話しておりますの。根は悪い人ではありませんし、彼女には、わたくしも謝りたいと思ってましたから」
「レイチェルが?」
「ポルテさんに繋鎖歌を歌ったのは、わたくしですもの」
ユリウスの部屋のソファに座り、レイチェルは切なげに目を伏せた。隣に座るユリウスが、レイチェルの指を絡めるように握る。向かいに座っていたニースは、ゆるりと頭を振った。
「それはレイチェルのせいじゃないよ。その時、レイチェルは操られてたんだから」
「それでもわたくしは、覚えてますもの。他の歌い手たちが死んでしまった今、謝れるのはポルテさんだけですわ。わたくしは、自分の罪ときちんと向き合いたい」
「レイチェル……」
自身にも責任の一端があると話すレイチェルの気持ちは、ニースにはよく分かるものだった。口を噤んだニースを横目に、ユリウスは一口大に切られたサンドイッチに手を伸ばした。
「それでレイの気が済むなら、そうしたらいいよ。はい、口開けて」
「ユリウス、それは……っ!」
「ちゃんと食べないと、会えなくなるよ。ニースも、いつまでも落ち込んでないで」
抗議の声を上げようとしたレイチェルの口に、ユリウスはサンドイッチを押し込むと、ふっと笑みを浮かべた。
もぐもぐと仕方なしに咀嚼するレイチェルが、照れくさそうにしながらもユリウスを睨むのを見て、ニースの重苦しかった胸中は、ほんの少し軽くなった。
するとセラが、口いっぱいに頬張っていた料理を飲み込み、サンドイッチに手を伸ばした。
「そうだよ。ニースも食べないと。はい、あーん」
「え……」
「ほら、あーんってして!」
嬉々としてサンドイッチを押し付けてくるセラに苦笑して、ニースは口を開ける。無事に食べさせる事が出来たと満足げに笑ったセラが、次は何にしようかと瞳を煌めかせると、ニースは慌てて飲み込み、自分から皿に手を伸ばした。
残念そうに眉根を寄せるセラを宥めながら食べ進めれば、いつの間にか胃の痛みは霧散しており、ニースの表情は自然と和らぐ。ようやく食事を始めたニースに、壁際に立っていたベンとジミーが、ほっとしたように目を細めた。
街灯の灯る町中を通り、一台の軍用車が宿の前に止まる。昼を過ぎてしばらくすると、アンヘルたちは予定通りニースたちの泊まる宿へやって来た。
軍服を纏うアンヘルに続いて車から降りたのは、外套のフードで目元を隠したポルテとミランだ。宿の従業員や宿泊客からの視線を遮るように、ミランはポルテに寄り添っていた。
「参謀長、お待ちしておりました」
王国軍人として出迎えたルポルに、アンヘルは小さく頷いた。
「出迎えご苦労。大佐は?」
「レイチェルさんたちと部屋でお待ちです。ご案内いたします」
ルポルの案内で、アンヘルたちは宿へ入る。階段を上って向かうのは、ニースの部屋だ。ユリウスの部屋と同じく、ニースの部屋にも居間がある。昼食を終えたニースたちは部屋を移ると、茶の用意をして待っていた。
「参謀長、お久しぶりです」
「突然すまなかったね、大佐。少しは休めたかな」
「はい。おかげさまで。帝都の方はどうですか?」
「少しずつ進んでいるよ。怪我人の治療と遺体の埋葬は終わった。あとは瓦礫の撤去になるから、作業が本格化する前にこちらへ来たんだ」
立ち上がって迎えたニースは、レイチェルとアンヘルを引き合わせる。レイチェルは、アンヘルがニースの実兄だと話に聞いており、穏やかに挨拶を交わした。
そんな二人の背後で、ミランとポルテがフードを下ろし、外套を脱ぐ。まるで少年のような軽装に身を包んだポルテは、緊張しているのか眉根を寄せている。私服姿のミランは、ポルテを宥めるように切なげな視線をポルテに向けていた。
――ポルテさんって、あんな感じの人なんだ。ミランさんのこと、嫌がってはいなさそう……。
二人を見つめるニースに、ユリウスが座ろうと声をかける。皆がそれぞれ腰を下ろすと、アンヘルはミランとポルテを紹介した。
「こちらがミラン殿とポルテ殿だ。知っての通り、ポルテ殿は帝国の歌姫だったが、今は同盟軍のために歌っている。それで今日は、ポルテ殿から話があるそうでね」
アンヘルに促され、ポルテは震える手を握り、口を開いた。
「その……謝ろうと、思ったんだ。ボクは、とんでもないことをしていたって、よく分かったから。特にレイチェルさんには、酷いことをした。……ごめんなさい」
視線を落とし、唇を噛んだポルテに、レイチェルが切なげに応えた。
「わたくしも謝りたかったんですの。あなたを縛って、申し訳なかったわ」
「ううん、気にしないで。あれは陛下が望んだことだよ。キミは何も悪くない。悪いのは陛下と、陛下を信じたボクだ」
「ポルテさん……」
苦しげに話すポルテの姿に、レイチェルは痛ましげに顔を歪めた。ポルテは、はぁとため息を吐くと、ニースに目を向けた。
「ボクたちを解放してくれたのは、キミだって聞いた。助けてくれてありがとう」
「お礼はいりません。僕はレイチェルを助けたかっただけなので」
「それでもキミは、ボクの命の恩人だよ。キミが歌ってくれなかったら、ボクは今も人形のままだった」
淡々と応えたニースに、ポルテは自嘲するかのように眉尻を下げた。するとユリウスが、静かに声を挟んだ。
「ポルテさん。あなたも操られていた時の記憶があるんですか?」
「あるよ。あれは、体の自由を奪われていただけなんだ。歌わされてる間もそれ以外の時も、感情も意識もしっかりと残ってたし、感触だって覚えてる。いっそ意識がなかったら楽だったのにそうじゃないから、気が狂いそうだったよ。瞬きひとつ、自分の好きに出来ないんだから」
ポルテは苦々しげに話すと、息を吐き、隣に座るミランを見上げた。
「だから、ミランには感謝してるんだ。人形みたいに動けないボクに話しかけて、丁寧に扱ってくれたから」
ふわりと笑みを浮かべたポルテに、ミランは口角を上げた。ポルテは表情を引き締め、レイチェルに語りかけた。
「ボクよりレイチェルさんの方が辛かったはずだよ。あの時、ボクの意識の一部はキミと繋がってたけど、流れ込んでくるキミの感情は悲壮だったから」
「流れ込んでたですって? わたくしの気持ちが……?」
「うん。キミが種主だったからだろうね。キミが感じていた痛みも苦しみも、全部ボクは知ってる。だから、今はほっとしてるんだ。会いたいって願ってた想い人は、ユリウスさんなんだよね?」
キラリと瞳を煌めかせたポルテに、レイチェルは照れくさそうに頷いた。ポルテは頬を緩め、ふぅと息を漏らした。
「本当に良かった。キミの願いが叶って」
心の底から安堵したように呟いたポルテに、レイチェルは柔らかな笑みを浮かべた。穏やかに見つめ合うレイチェルとポルテを見て、ニースの胸が痛んだ。
――ポルテさんは敵だったのに、レイチェルのことを本気で心配してたなんて……。
謝られても許せないと感じていたニースの心の壁に、小さく亀裂が入る。唇を噛んだニースの拳を、セラが温もりを分けるように優しく包み込んだ。




