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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第7部 願い【第28章 決戦】
587/647

503:決戦を前に5

前回のざっくりあらすじ:ニースは、バードとココに叱られた。


*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現や描写が含まれます。ご注意下さい*


*次話の投稿は、4月27日(月)となります。次話以降は、また隔日投稿に戻せればと思っています。どうぞよろしくお願い致します。

 風のない静かな夜に、しんしんと粉雪が降りる。ニースたち同盟軍の作戦会議から四日が過ぎ、帝都への出撃前夜となった。真っ白な雪が厚みを増していく野営地には、緊張を解すように兵士たちの笑い声が響く。

 決戦を前に、多くの兵士が気持ちを高めようと酒を酌み交わし、近隣の町から招いた娼婦たちとのひと時を楽しんでいた。同盟軍は制圧下に置いた町々を丁重に扱っており、歌い手や兵士が歌う音楽の歌をきっかけに、帝国民とも友好的な関係を築いたのだ。


 しかしその喧騒は、上級将校の幕舎が集まる野営地中心部には届かない。篝火に浮かび上がるニースの幕舎は静けさに包まれており、暖かく保たれた幕舎内にはペンを走らせる音だけが響いている。

 火石のランプの灯りを頼りに、ニースは一人、机に向かう。時折手を止め、考え込むように何度も文面をなぞるニースの手元を覗き込み、バードは首を傾げた。


『ニースっち、さっきから何書いてるのー?』


 ニースはゆっくりと時間をかけて書き付けており、その文面は、まだ数行にも満たない。

 間延びした声で問いかけたバードに、ニースは真剣な面持ちのまま淡々と答えた。


「手紙だよ。セラと話す約束だけど、来ないなら書き残すしかないから」


 二羽に気持ちを打ち明けたニースは、セラにどう話したらいいのかと散々悩んだが、出撃準備に追われるうちに冷静さを徐々に取り戻した。

 セラと話をしなければ飛空船を飛ばさないとココは言ったが、軍が動く計画を遅らせる事は出来ないのだ。どれだけ言い難くとも腹を括って話すしかないと、ニースは覚悟を決めていた。

 だが出撃前夜となっても、セラは一向に現れなかった。


『手紙ねー。それで、()()も一緒に渡す気なの?』


 机の片隅に置かれた小箱を見つめ、バードは言った。ニースは、ちらりと小箱を見やり、頷きを返した。


「うん。本当は持って行くつもりだったけど……。僕が帰るまで、セラに預けようと思って」

『ニースっちの形見になるように?』


 訝しげに問いかけたバードに、ニースは苦笑した。


「そうじゃないよ。僕が帰るつもりがあるっていう、意思表示だから」

『それならいいけどさー。会わなくて本当にいいの?』

「……うん。顔を見ちゃうと、ちゃんと話せるかも分からないし」

『ふーん……。ココは、それでいいの?』


 ニースは気まずげに、ぼそりと話すと、再び手紙を書き始めた。バードはため息のような声を漏らし、ベッドへ飛び移る。

 枕のそばで羽繕いをしていたココは、隣へやって来たバードに、小さく頷いた。


『仕方ないわ。セラがどうしても会いたくないなら、そうするしかないでしょうから』

『セラっちがそれで納得すると思う?』

『それは分からないわよ。でも、一番大事なのはニースの気持ちなの。手紙を書き残すことで、怖気付かずに行けるならそれでいいわ』


 ニースとセラの関係は二人の問題であり、ココが手を出せるものではない。ココにとって重要なのは、戦いに赴くニースの精神状態だ。

 将として、負けを意識するのではなく、いかにして勝つか考えてほしいと、ココは願っていた。


『私はね、バード。ニースのやる気が出るなら、どんな方法でも構わないのよ。死ぬ可能性を考えていたら、きっと勝てない。私は、ニースにもレイチェルにも……天の導きには幸せになってほしいだけなの』

『そうだね。俺っちもこれ以上、天の導きが死ぬところは見たくないよ』


 ニースの邪魔にならないよう、二羽は囁くように言葉を交わす。そうしてニースが手紙をようやく書き終えようという頃、幕舎の外からルポルの声が響いた。


「ニース、夕食を持ってきたよ」

「ありがとう。置いといてくれる? これが終わったら食べるから」


 振り向かずに応えたニースの背後で、食器を並べる音が響く。最後の一文を丁寧に書くニースの背に、ルポルの話は続いた。


「今夜はみんな自由にさせてるから、人が足りないんだ。食べ終わった皿は、朝までそのままにしておいて」

「分かった。ルポルもケイトさんのところに行くの?」

「そのつもり。護衛には、ベンジャミンさんとレミス軍曹が付くから。また明日ね」

「うん。ありがとう。ケイトさんによろしくね」


 ルポルが幕舎を出たのだろう、垂布が擦れる音が響くのを聞きながら、ニースはサインを書き記す。

 食欲は沸かないものの、インクが乾くのを待つ間、少しは食事を口にしようと振り向き、ニースは唖然とした。


「セラ……」


 テーブルには二名分の皿が並べられており、その傍らでセラが立っていた。固まるニースに、セラは切なげに顔を歪めた。


「聞いたよ。ニース、最近あんまりご飯食べてないんでしょう?」

「あ、えっと……」

「明日には出発なんだよ。ちゃんと食べないと、戦う前に負けちゃうよ。冷めちゃう前に食べよう?」

「……うん」


 ニースとセラはテーブルを挟んで向かい合い、腰を下ろす。ニースは助けを求めるようにバードとココを探したが、二羽の姿はどこにもなかった。


 ――ルポルが連れていったんだ……。いきなり二人きりだなんて。


 先ほどまで、セラに話すべき事を手紙に書いていたニースだが、激しく動揺したためになかなか声を出せない。黙り込むニースに、セラは目線で食事を促す。

 決戦への活力を付けるためだろう、夕食はいつもより豪勢だ。だが、ただセラに心配させないようにと料理に手を付けたニースには、味はさっぱり分からなかった。



 終始無言だったものの、セラがいた事で、ニースは数日ぶりに食事をまともに終えた。

 何も言わないまま、セラは空になった皿を下げ、食後のお茶を入れてニースに差し出す。ニースは湯気の立つカップを受け取り、離れていくセラの指先を目で追った。


「心配かけて、ごめんね……」


 ようやく発したニースの声は、弱々しいものだった。俯きがちに言ったニースに、セラは自分のカップを手に座り直した。


「ちゃんと食べてくれて良かったよ。みんな、本当に心配してたんだよ?」

「みんなって?」

「ニースと会ってって、私に言いに来たのは、ココちゃんだけじゃないの」


 気落ちするニースを見兼ね、セラの元には多くの人が訪れていた。ユリウスやラチェット、ベンやルポルはもちろんのこと、アグネスやシーラ、エドガーたちも、出撃前にニースと会うよう、セラを説得したのだった。


「ケイトさんには、毎日のように言われてね。でも、会ったらきっと泣いちゃうと思って、なかなか来る気になれなかったの。だけど、ご飯を残してばっかりだって聞いて、気になって」

「……ごめん」


 気まずさを誤魔化そうと、ニースはカップに口を付ける。セラは躊躇いがちに、言葉を継いだ。


「エルネストさんなんか、これを渡して来たんだよ。いらないって言ったんだけど、受け取ってもらえなくて。ニースから返しておいてくれる?」


 セラは言いながら腰に付けた鞄を開き、小瓶を取り出した。ニースは茶を飲みながら、小瓶に半分ほど入っている蜂蜜色の液体をちらりと見やり、首を傾げた。


「何これ?」


 ニースの問いに、セラはほんの少し頬を染めて、言い辛そうに答えた。


「えっとね……惚れ薬だって」

「……っ⁉︎」


 噴き出しそうになった熱いお茶を、ニースは、ごくりと飲み込んだ。喉がカッと熱くなるのを感じて咳き込むニースに、セラは苦笑した。


「そんなに慌てなくても。入れてないよ?」

「あ、うん……」


 視線を彷徨わせるニースに、セラは沈んだ声で話を続けた。


「エルネストさんが、なんでこんな薬を渡したか分かる?」

「えっ……。ええと……」

「ニースは真面目だから、これを使えば責任を取るために必ず帰ってくるって言われたの」


 唐突な問いにニースは狼狽えたが、セラは気にするそぶりもなく、淡々と話した。

 そのあまりの内容に、ニースは息を飲んだ。


「何でそんな……」

「エルネストさんだけじゃないよ。他の人たちからも、同じようなことを言われたの。ラチェットさんとベンさんは、言わなかったけど」


 皆が似た事をセラに勧めていたと知り、ニースは唖然とした。セラは表情を固くし、じっとニースを見つめた。


「ニース、帰る気なかったんだよね? みんなを守るために、いざとなったら一人でどうにかするつもりだったんでしょ?」

「え……」

「ニースが何を考えてるか、みんな分かってるんだよ。だからニースが諦めないようにって、こんなとんでもないことを勧めてきたの」


 バツの悪さを感じ、ニースは視線を落とす。項垂れたニースに、セラは穏やかに話した。


「私もね、そうなんじゃないかって思ってたの。だって、私が会いたくないって言っても、きっといつものニースなら、仲直りしようって来るはずだから」

「セラ……」


 ニースは唇を噛み、ゆっくり顔を上げた。ニースを見つめるセラは儚げに微笑んでおり、その目には涙が滲んでいた。


「ニースはズルいよね。私のことだけ安全な場所に残して、一人で危ないことをしに行っちゃう。一緒にいてって言ったのは、ニースなのに」

「……ごめん」

「謝らなくていいよ。ニースに私は必要ない。そうでしょ?」


 セラの頬に、涙が一筋溢れる。ニースは拳を握りしめ、頭を振った。


「違う。そうじゃなくて……」

「ニースがどう思ったって、やろうとしてたことはそういうことだよ」


 冷たさの滲むセラの声に、ニースは嫌われたと感じて、声を詰まらせた。セラは涙を拭い、表情を引き締めた。


「だから私決めたの。もうニースを待つのはやめる」

「セラ……」

「アグネス先生と一緒に、私も帝都に行くよ」


 思いがけない一言に、ニースは目を見開いた。


「セラが帝都に?」

「ニースが自分勝手にするなら、私も好きにするから」


 セラは決意を込めるように、ぐいと茶を飲み干し、立ち上がる。呆然としていたニースは、はっとして、去ろうとするセラの手を掴んだ。


「待って、セラ! そんなのダメだ!」

「離してよ! ニースには関係ないでしょ!」

「関係ないなんてないよ! だってセラに何かあったら」

「私だって、そう思ってるんだよ!」


 セラは叫びながら、ニースの手を振り解き、睨み付けた。


「帰ってくるか分からない人を待ってるなんて、私には出来ないの。どこかに行っちゃうかもしれないなら、追いかけるしかないでしょう?」

「セラ……」

「私のことは、放っておいて。今までと同じように」


 毅然と言い放つセラの目から、次々に涙が流れる。再び背を向けたセラを、ニースは背後から抱きしめた。


「ごめん」

「そんな言葉聞きたくない!」

「そうじゃなくて。不安にさせてごめん。ちゃんと帰るから。約束する」


 ぎゅうと抱きしめるニースの声は震えていた。ニースの腕から抜け出そうともがいていたセラは、抵抗をやめて俯いた。


「何で今になって言うの……。今更そんなこと言われても、信じられないよ」

「だから、ごめん。でも、言えなかったのは約束を破りたくなかったからなんだ。約束したから、今度は絶対に守る」


 真摯に語りかけたニースに、セラは答えずに涙を流す。ニースはセラの肩にそっと手を置き、セラを振り向かせた。


「でもね、セラ。本当にいいの?」

「……っ、何が?」

「その……僕の隣にいて、いいの? 僕が帰っても、セラを幸せにしてあげられるか、分からないんだ。むしろ、もっと苦しめることになるかもしれなくて……」

「苦しめるって?」


 セラは涙を拭い、鼻をすする。困惑するセラに、ニースは切なさを感じながら言葉を継いだ。


「あのね。僕は王国で侯爵になったでしょ? 王国貴族は世襲制だから、家を継ぐ子どもが必要で。もちろん、セラが言ったみたいに養子を迎える方法もあるんだけど……。その、セラが子どもを産まないってなると、色々言ってくる人も出てくるかもしれなくて」


 ニースは天の導きであるだけでなく、国王キールの信頼を得て、王国軍の大佐にもなっている。その地位の高さに加え、見目も良いニースには、多くの女性が群がる事が予想された。

 庶民の出のセラを妻とする事は、キールから許可を得ているものの、子が成せないとなれば、側室を迎えるよう勧める声が上がるだろう。

 実際には男性側に問題があったとしても、王国では女性の側に問題ありと責められる事が多いのだ。ニースは、セラが心ない言葉で傷付けられる事を、何より危惧していた。


「もちろん、僕は出来る限りセラを守るつもりだし、セラ以外の人なんて考えられない。でも、煩い人はたくさんいるはずなんだ。セラは、それでもいいの?」


 探るように問いかけたニースに、セラは怒ったように顔を歪めた。


「何でそんなこと聞くの? それこそ、そんなの関係ないよ。音楽院でだって、イジワルされたことはたくさんあったもん。レイチェルとだって、いっぱい戦ったもん。私は、どんな時だってニースを諦めないよ」

「セラ……!」


 はっきり言ったセラに、ニースは感極まり、ぎゅうと抱きしめた。


「ごめん、本当にごめんね」


 掠れた声で言ったニースに、セラは再び涙を滲ませた。


「ニース……私を置いて行かないでね」

「置いて行かない。絶対離さない。きっとみんなと、無事に帰ってくるから」

「きっとじゃなくて、絶対に帰ってきて」

「約束する。約束するから。だから、待っててほしいんだ。セラに何かあったらって思うと、何も手につかないから」


 セラの涙が、ニースのシャツにじわりと滲む。ニースはセラを囲う手を緩め、セラの涙を指で拭った。


「セラ……。帝都に行かないで、ここで待っててくれる?」

「……分かった。待ってるから、必ず帰ってきて」

「うん。必ず帰るよ。レイチェルを連れて、みんなで」


 赤く腫れたセラの目元に、ニースは唇を落とす。セラは涙を堪えて鼻をすすり、ふわりと微笑んだ。

 ニースは心からの誓いを込めて、セラと口付けを交わす。想いと温もりを通わせ合うと、ニースは安堵の笑みを浮かべた。


「そういえば、セラに渡しておきたいものがあったんだ」


 手紙が置きっ放しだった机に手を伸ばし、一緒に置いていた小箱を、ニースは手に取った。


「母様の指輪なんだけど、石はココにあげちゃったでしょ? だから、代わりに宝石を付けたんだ」


 ニースは言いながら、小箱を開く。中身は、紅玉(ルビー)が嵌められた母クララの指輪だ。赤く透き通って煌く紅玉は、小ぶりなものの鮮やかで、金の指輪とよく合った。

 ニースは指輪を手に取り、セラの左手を掴んだ。


「本当は、僕がネックレスにして持っていようと思ってたんだけど。これをセラに預かっててほしくて」

「えっ⁉︎ そんな大切なもの、無理だよ!」


 婚約指輪と重ねる形で、薬指に嵌めようとするニースから、セラは慌てて手を引っ込めた。

 ニースは、しゅんと肩を落とし、窺うようにセラを見つめた。


「大事なものだから、セラに預かってて欲しかったんだ。セラも、僕の宝物だから。でも、迷惑だった?」

「私が宝物⁉︎」


 セラは顔を赤くして、視線を彷徨わせた。


「えっと、迷惑じゃないよ。預かるのは構わないんだけど、私が付けるのはちょっと怖いっていうか……。箱のまま……だと盗まれたら困るし、ええと……」


 恥ずかしそうにぼそぼそと話すセラに、ニースは苦笑して、小箱の中から金の鎖を取り出した。


「それなら、ネックレスにしておいたら預かってくれる?」

「……うん。それなら」


 ほんのり桜色に色付いたセラの首に、ニースは形見の指輪を下げた。かつてニースが贈った手作りの首飾りと並ぶ指輪に、ニースは目を細めた。


「いつもセラを感じたいから、髪と同じ赤いルビーにしたんだけど。セラが付けても似合うね」

「そ、そうかな……」


 ニースは、照れくさそうにはにかんだセラの赤い髪に、さらりと触れて、そのまま流れるようにセラの手を握った。


「帰るまで、母様の指輪をよろしくね」

「うん。待ってるね」


 ニースはもう一度口付けると、セラを幕舎まで送って行った。いつものように手を繋ぎ微笑み合う二人の姿に、護衛として付いて歩くベンとレミスが、安心したように優しい笑みを浮かべた。


 二人は、白い雪に並んで足跡を付けていく。雪の止んだ幻想的な夜空に、光の帯が七色に煌いた。

 繋いだ手から感じるセラの温もりを、ニースはしっかりと胸に刻みつける。全て終わったら、セラと二人で美しいオーロラをゆっくり眺めようと、ニースは瞳に決意を宿した。

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[一言] ちょっとセラは甘いですよね。本当にニースと行きたいのならもっと体力作りとか戦う術を身につけないと無理だと思うのです。 護衛がいると言っても、それだけに頼るのはいけない。 ニースはずっと体力作…
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