503:決戦を前に5
前回のざっくりあらすじ:ニースは、バードとココに叱られた。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現や描写が含まれます。ご注意下さい*
*次話の投稿は、4月27日(月)となります。次話以降は、また隔日投稿に戻せればと思っています。どうぞよろしくお願い致します。
風のない静かな夜に、しんしんと粉雪が降りる。ニースたち同盟軍の作戦会議から四日が過ぎ、帝都への出撃前夜となった。真っ白な雪が厚みを増していく野営地には、緊張を解すように兵士たちの笑い声が響く。
決戦を前に、多くの兵士が気持ちを高めようと酒を酌み交わし、近隣の町から招いた娼婦たちとのひと時を楽しんでいた。同盟軍は制圧下に置いた町々を丁重に扱っており、歌い手や兵士が歌う音楽の歌をきっかけに、帝国民とも友好的な関係を築いたのだ。
しかしその喧騒は、上級将校の幕舎が集まる野営地中心部には届かない。篝火に浮かび上がるニースの幕舎は静けさに包まれており、暖かく保たれた幕舎内にはペンを走らせる音だけが響いている。
火石のランプの灯りを頼りに、ニースは一人、机に向かう。時折手を止め、考え込むように何度も文面をなぞるニースの手元を覗き込み、バードは首を傾げた。
『ニースっち、さっきから何書いてるのー?』
ニースはゆっくりと時間をかけて書き付けており、その文面は、まだ数行にも満たない。
間延びした声で問いかけたバードに、ニースは真剣な面持ちのまま淡々と答えた。
「手紙だよ。セラと話す約束だけど、来ないなら書き残すしかないから」
二羽に気持ちを打ち明けたニースは、セラにどう話したらいいのかと散々悩んだが、出撃準備に追われるうちに冷静さを徐々に取り戻した。
セラと話をしなければ飛空船を飛ばさないとココは言ったが、軍が動く計画を遅らせる事は出来ないのだ。どれだけ言い難くとも腹を括って話すしかないと、ニースは覚悟を決めていた。
だが出撃前夜となっても、セラは一向に現れなかった。
『手紙ねー。それで、ソレも一緒に渡す気なの?』
机の片隅に置かれた小箱を見つめ、バードは言った。ニースは、ちらりと小箱を見やり、頷きを返した。
「うん。本当は持って行くつもりだったけど……。僕が帰るまで、セラに預けようと思って」
『ニースっちの形見になるように?』
訝しげに問いかけたバードに、ニースは苦笑した。
「そうじゃないよ。僕が帰るつもりがあるっていう、意思表示だから」
『それならいいけどさー。会わなくて本当にいいの?』
「……うん。顔を見ちゃうと、ちゃんと話せるかも分からないし」
『ふーん……。ココは、それでいいの?』
ニースは気まずげに、ぼそりと話すと、再び手紙を書き始めた。バードはため息のような声を漏らし、ベッドへ飛び移る。
枕のそばで羽繕いをしていたココは、隣へやって来たバードに、小さく頷いた。
『仕方ないわ。セラがどうしても会いたくないなら、そうするしかないでしょうから』
『セラっちがそれで納得すると思う?』
『それは分からないわよ。でも、一番大事なのはニースの気持ちなの。手紙を書き残すことで、怖気付かずに行けるならそれでいいわ』
ニースとセラの関係は二人の問題であり、ココが手を出せるものではない。ココにとって重要なのは、戦いに赴くニースの精神状態だ。
将として、負けを意識するのではなく、いかにして勝つか考えてほしいと、ココは願っていた。
『私はね、バード。ニースのやる気が出るなら、どんな方法でも構わないのよ。死ぬ可能性を考えていたら、きっと勝てない。私は、ニースにもレイチェルにも……天の導きには幸せになってほしいだけなの』
『そうだね。俺っちもこれ以上、天の導きが死ぬところは見たくないよ』
ニースの邪魔にならないよう、二羽は囁くように言葉を交わす。そうしてニースが手紙をようやく書き終えようという頃、幕舎の外からルポルの声が響いた。
「ニース、夕食を持ってきたよ」
「ありがとう。置いといてくれる? これが終わったら食べるから」
振り向かずに応えたニースの背後で、食器を並べる音が響く。最後の一文を丁寧に書くニースの背に、ルポルの話は続いた。
「今夜はみんな自由にさせてるから、人が足りないんだ。食べ終わった皿は、朝までそのままにしておいて」
「分かった。ルポルもケイトさんのところに行くの?」
「そのつもり。護衛には、ベンジャミンさんとレミス軍曹が付くから。また明日ね」
「うん。ありがとう。ケイトさんによろしくね」
ルポルが幕舎を出たのだろう、垂布が擦れる音が響くのを聞きながら、ニースはサインを書き記す。
食欲は沸かないものの、インクが乾くのを待つ間、少しは食事を口にしようと振り向き、ニースは唖然とした。
「セラ……」
テーブルには二名分の皿が並べられており、その傍らでセラが立っていた。固まるニースに、セラは切なげに顔を歪めた。
「聞いたよ。ニース、最近あんまりご飯食べてないんでしょう?」
「あ、えっと……」
「明日には出発なんだよ。ちゃんと食べないと、戦う前に負けちゃうよ。冷めちゃう前に食べよう?」
「……うん」
ニースとセラはテーブルを挟んで向かい合い、腰を下ろす。ニースは助けを求めるようにバードとココを探したが、二羽の姿はどこにもなかった。
――ルポルが連れていったんだ……。いきなり二人きりだなんて。
先ほどまで、セラに話すべき事を手紙に書いていたニースだが、激しく動揺したためになかなか声を出せない。黙り込むニースに、セラは目線で食事を促す。
決戦への活力を付けるためだろう、夕食はいつもより豪勢だ。だが、ただセラに心配させないようにと料理に手を付けたニースには、味はさっぱり分からなかった。
終始無言だったものの、セラがいた事で、ニースは数日ぶりに食事をまともに終えた。
何も言わないまま、セラは空になった皿を下げ、食後のお茶を入れてニースに差し出す。ニースは湯気の立つカップを受け取り、離れていくセラの指先を目で追った。
「心配かけて、ごめんね……」
ようやく発したニースの声は、弱々しいものだった。俯きがちに言ったニースに、セラは自分のカップを手に座り直した。
「ちゃんと食べてくれて良かったよ。みんな、本当に心配してたんだよ?」
「みんなって?」
「ニースと会ってって、私に言いに来たのは、ココちゃんだけじゃないの」
気落ちするニースを見兼ね、セラの元には多くの人が訪れていた。ユリウスやラチェット、ベンやルポルはもちろんのこと、アグネスやシーラ、エドガーたちも、出撃前にニースと会うよう、セラを説得したのだった。
「ケイトさんには、毎日のように言われてね。でも、会ったらきっと泣いちゃうと思って、なかなか来る気になれなかったの。だけど、ご飯を残してばっかりだって聞いて、気になって」
「……ごめん」
気まずさを誤魔化そうと、ニースはカップに口を付ける。セラは躊躇いがちに、言葉を継いだ。
「エルネストさんなんか、これを渡して来たんだよ。いらないって言ったんだけど、受け取ってもらえなくて。ニースから返しておいてくれる?」
セラは言いながら腰に付けた鞄を開き、小瓶を取り出した。ニースは茶を飲みながら、小瓶に半分ほど入っている蜂蜜色の液体をちらりと見やり、首を傾げた。
「何これ?」
ニースの問いに、セラはほんの少し頬を染めて、言い辛そうに答えた。
「えっとね……惚れ薬だって」
「……っ⁉︎」
噴き出しそうになった熱いお茶を、ニースは、ごくりと飲み込んだ。喉がカッと熱くなるのを感じて咳き込むニースに、セラは苦笑した。
「そんなに慌てなくても。入れてないよ?」
「あ、うん……」
視線を彷徨わせるニースに、セラは沈んだ声で話を続けた。
「エルネストさんが、なんでこんな薬を渡したか分かる?」
「えっ……。ええと……」
「ニースは真面目だから、これを使えば責任を取るために必ず帰ってくるって言われたの」
唐突な問いにニースは狼狽えたが、セラは気にするそぶりもなく、淡々と話した。
そのあまりの内容に、ニースは息を飲んだ。
「何でそんな……」
「エルネストさんだけじゃないよ。他の人たちからも、同じようなことを言われたの。ラチェットさんとベンさんは、言わなかったけど」
皆が似た事をセラに勧めていたと知り、ニースは唖然とした。セラは表情を固くし、じっとニースを見つめた。
「ニース、帰る気なかったんだよね? みんなを守るために、いざとなったら一人でどうにかするつもりだったんでしょ?」
「え……」
「ニースが何を考えてるか、みんな分かってるんだよ。だからニースが諦めないようにって、こんなとんでもないことを勧めてきたの」
バツの悪さを感じ、ニースは視線を落とす。項垂れたニースに、セラは穏やかに話した。
「私もね、そうなんじゃないかって思ってたの。だって、私が会いたくないって言っても、きっといつものニースなら、仲直りしようって来るはずだから」
「セラ……」
ニースは唇を噛み、ゆっくり顔を上げた。ニースを見つめるセラは儚げに微笑んでおり、その目には涙が滲んでいた。
「ニースはズルいよね。私のことだけ安全な場所に残して、一人で危ないことをしに行っちゃう。一緒にいてって言ったのは、ニースなのに」
「……ごめん」
「謝らなくていいよ。ニースに私は必要ない。そうでしょ?」
セラの頬に、涙が一筋溢れる。ニースは拳を握りしめ、頭を振った。
「違う。そうじゃなくて……」
「ニースがどう思ったって、やろうとしてたことはそういうことだよ」
冷たさの滲むセラの声に、ニースは嫌われたと感じて、声を詰まらせた。セラは涙を拭い、表情を引き締めた。
「だから私決めたの。もうニースを待つのはやめる」
「セラ……」
「アグネス先生と一緒に、私も帝都に行くよ」
思いがけない一言に、ニースは目を見開いた。
「セラが帝都に?」
「ニースが自分勝手にするなら、私も好きにするから」
セラは決意を込めるように、ぐいと茶を飲み干し、立ち上がる。呆然としていたニースは、はっとして、去ろうとするセラの手を掴んだ。
「待って、セラ! そんなのダメだ!」
「離してよ! ニースには関係ないでしょ!」
「関係ないなんてないよ! だってセラに何かあったら」
「私だって、そう思ってるんだよ!」
セラは叫びながら、ニースの手を振り解き、睨み付けた。
「帰ってくるか分からない人を待ってるなんて、私には出来ないの。どこかに行っちゃうかもしれないなら、追いかけるしかないでしょう?」
「セラ……」
「私のことは、放っておいて。今までと同じように」
毅然と言い放つセラの目から、次々に涙が流れる。再び背を向けたセラを、ニースは背後から抱きしめた。
「ごめん」
「そんな言葉聞きたくない!」
「そうじゃなくて。不安にさせてごめん。ちゃんと帰るから。約束する」
ぎゅうと抱きしめるニースの声は震えていた。ニースの腕から抜け出そうともがいていたセラは、抵抗をやめて俯いた。
「何で今になって言うの……。今更そんなこと言われても、信じられないよ」
「だから、ごめん。でも、言えなかったのは約束を破りたくなかったからなんだ。約束したから、今度は絶対に守る」
真摯に語りかけたニースに、セラは答えずに涙を流す。ニースはセラの肩にそっと手を置き、セラを振り向かせた。
「でもね、セラ。本当にいいの?」
「……っ、何が?」
「その……僕の隣にいて、いいの? 僕が帰っても、セラを幸せにしてあげられるか、分からないんだ。むしろ、もっと苦しめることになるかもしれなくて……」
「苦しめるって?」
セラは涙を拭い、鼻をすする。困惑するセラに、ニースは切なさを感じながら言葉を継いだ。
「あのね。僕は王国で侯爵になったでしょ? 王国貴族は世襲制だから、家を継ぐ子どもが必要で。もちろん、セラが言ったみたいに養子を迎える方法もあるんだけど……。その、セラが子どもを産まないってなると、色々言ってくる人も出てくるかもしれなくて」
ニースは天の導きであるだけでなく、国王キールの信頼を得て、王国軍の大佐にもなっている。その地位の高さに加え、見目も良いニースには、多くの女性が群がる事が予想された。
庶民の出のセラを妻とする事は、キールから許可を得ているものの、子が成せないとなれば、側室を迎えるよう勧める声が上がるだろう。
実際には男性側に問題があったとしても、王国では女性の側に問題ありと責められる事が多いのだ。ニースは、セラが心ない言葉で傷付けられる事を、何より危惧していた。
「もちろん、僕は出来る限りセラを守るつもりだし、セラ以外の人なんて考えられない。でも、煩い人はたくさんいるはずなんだ。セラは、それでもいいの?」
探るように問いかけたニースに、セラは怒ったように顔を歪めた。
「何でそんなこと聞くの? それこそ、そんなの関係ないよ。音楽院でだって、イジワルされたことはたくさんあったもん。レイチェルとだって、いっぱい戦ったもん。私は、どんな時だってニースを諦めないよ」
「セラ……!」
はっきり言ったセラに、ニースは感極まり、ぎゅうと抱きしめた。
「ごめん、本当にごめんね」
掠れた声で言ったニースに、セラは再び涙を滲ませた。
「ニース……私を置いて行かないでね」
「置いて行かない。絶対離さない。きっとみんなと、無事に帰ってくるから」
「きっとじゃなくて、絶対に帰ってきて」
「約束する。約束するから。だから、待っててほしいんだ。セラに何かあったらって思うと、何も手につかないから」
セラの涙が、ニースのシャツにじわりと滲む。ニースはセラを囲う手を緩め、セラの涙を指で拭った。
「セラ……。帝都に行かないで、ここで待っててくれる?」
「……分かった。待ってるから、必ず帰ってきて」
「うん。必ず帰るよ。レイチェルを連れて、みんなで」
赤く腫れたセラの目元に、ニースは唇を落とす。セラは涙を堪えて鼻をすすり、ふわりと微笑んだ。
ニースは心からの誓いを込めて、セラと口付けを交わす。想いと温もりを通わせ合うと、ニースは安堵の笑みを浮かべた。
「そういえば、セラに渡しておきたいものがあったんだ」
手紙が置きっ放しだった机に手を伸ばし、一緒に置いていた小箱を、ニースは手に取った。
「母様の指輪なんだけど、石はココにあげちゃったでしょ? だから、代わりに宝石を付けたんだ」
ニースは言いながら、小箱を開く。中身は、紅玉が嵌められた母クララの指輪だ。赤く透き通って煌く紅玉は、小ぶりなものの鮮やかで、金の指輪とよく合った。
ニースは指輪を手に取り、セラの左手を掴んだ。
「本当は、僕がネックレスにして持っていようと思ってたんだけど。これをセラに預かっててほしくて」
「えっ⁉︎ そんな大切なもの、無理だよ!」
婚約指輪と重ねる形で、薬指に嵌めようとするニースから、セラは慌てて手を引っ込めた。
ニースは、しゅんと肩を落とし、窺うようにセラを見つめた。
「大事なものだから、セラに預かってて欲しかったんだ。セラも、僕の宝物だから。でも、迷惑だった?」
「私が宝物⁉︎」
セラは顔を赤くして、視線を彷徨わせた。
「えっと、迷惑じゃないよ。預かるのは構わないんだけど、私が付けるのはちょっと怖いっていうか……。箱のまま……だと盗まれたら困るし、ええと……」
恥ずかしそうにぼそぼそと話すセラに、ニースは苦笑して、小箱の中から金の鎖を取り出した。
「それなら、ネックレスにしておいたら預かってくれる?」
「……うん。それなら」
ほんのり桜色に色付いたセラの首に、ニースは形見の指輪を下げた。かつてニースが贈った手作りの首飾りと並ぶ指輪に、ニースは目を細めた。
「いつもセラを感じたいから、髪と同じ赤いルビーにしたんだけど。セラが付けても似合うね」
「そ、そうかな……」
ニースは、照れくさそうにはにかんだセラの赤い髪に、さらりと触れて、そのまま流れるようにセラの手を握った。
「帰るまで、母様の指輪をよろしくね」
「うん。待ってるね」
ニースはもう一度口付けると、セラを幕舎まで送って行った。いつものように手を繋ぎ微笑み合う二人の姿に、護衛として付いて歩くベンとレミスが、安心したように優しい笑みを浮かべた。
二人は、白い雪に並んで足跡を付けていく。雪の止んだ幻想的な夜空に、光の帯が七色に煌いた。
繋いだ手から感じるセラの温もりを、ニースはしっかりと胸に刻みつける。全て終わったら、セラと二人で美しいオーロラをゆっくり眺めようと、ニースは瞳に決意を宿した。




