502:決戦を前に4
前回のざっくりあらすじ:同盟軍は、帝都攻撃の作戦会議を行った。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
*まだ本調子でないため変則的となりますが、次話の投稿は三日後、4月23日(木)とさせて頂きます。温かい目でお待ち下さってる読者の皆様に、心から感謝申し上げます。
広々としたニースの幕舎に、ランプの炎が揺れる。作戦会議を終えたニースは、外套や上着を脱いでココとバードを自由にさせると、深い息を吐いた。
――話した方がいいって言われても、セラが会ってくれないんだ。それに……。
ラチェットから言われた言葉が、ニースの脳裏にぐるぐると回る。ニースは疲れ切った顔で、ぼんやりとテーブルに目を向けた。
いつもなら、セラやユリウスたちと共に食事を取るテーブルには、ニース一人分の昼食が置かれているだけだ。
作戦開始が五日後に決まったため、皆それぞれ準備を始めている。エルネストやベンたちも、食事を運ぶとすぐに打ち合わせに出かけた。幕舎の外には、ルポルとレミスが護衛として立っているが、中にいるのはニースとココ、バードだけだった。
ニースは緩慢な動作で、腰に下げている銃をテーブルの片隅に置くと、椅子ではなくベッドに腰を下ろした。寂しげに俯くニースに、ココが心配そうに語りかけた。
『ニース、お疲れ様。ご飯は食べないの?』
ココはテーブルに乗り移り、ほかほかと湯気の上がるスープを見て言った。
戻ってきたばかりの幕舎は冷えているが、ベンが火石の暖房を入れてから出かけたために、室温は徐々に温まりつつある。
ニースは小さく頭を振り、ベッドに身を横たえた。
「少し休んでから食べるよ」
『そう……』
『せっかく温かいのに、冷めちゃうよー? もったいないなー』
ココは切なげに目を伏せたが、バードは咎めるように言いながらニースの胸に乗った。ニースはそっと手を伸ばし、バードの背を撫でた。
「冷めてもちゃんと食べるよ」
『本当かなー。昨日も今朝も、そう言って残してたでしょ。ちゃんと食べないと、動けなくなるよ?』
「うん……」
ニースは気まずさを感じ、話を逸らした。
「ねえ、それよりさ。バードとココはどうするの?」
『どうするって、何が?』
「どっちかは、僕と一緒に行ってくれるんでしょ? バードが行ってくれるの?」
飛空船を飛ばすのはラチェットだが、まだ一人で動かせるわけではない。シーラたちの協力だけでなく、ココやバードの補助も必要だ。
レイチェルを助けに研究所へ行くにも、内部構造を知る二羽の協力は必要不可欠なため、バードとココには別行動を頼まなければならなかった。
ニースの問いに、バードは頭を振った。
『ニースっちと一緒に行くのはココだよ。でも、メガネっちたちがここに戻ったら、俺っちもニースっちのところに合流するつもりだけど』
「え……。こっちに戻ったら、セラのところにいてくれないの?」
『そんなに心配なら、ちゃんと話したらいいでしょー。避けられたって、逃げないように追いかければいいんだからー』
しっかりしろと言うように、バードはニースの胸を足で叩く。ニースは顔を曇らせ、片腕で目を覆った。
「そんなことして、嫌われたくない」
『嫌われるわけないでしょ。何でそうなるんだよー』
「だって、セラは僕を送り出そうと頑張ってくれてるんだよ。行かないでって言いたいのを我慢してくれてるのに……」
『それなら我慢させなきゃいいでしょ。全部言わせて、受け止めればいいだけだよー』
苦しげに話すニースに、バードは呆れたように答えた。ニースは腕を下ろして天幕を見上げ、ため息混じりに呟いた。
「そんなの無理だよ。僕だって、セラと同じなんだから」
『……どういうこと?』
「セラがメグみたいに強くないのと同じで、僕だってラチェットさんみたいには言えない」
戦争が始まってから、すでに二年経った。これまでの戦いを思い返しながら、ニースはゆっくり身を起こすと、枕を抱えて目を伏せた。
「今までだって、何回も死にかけた。危ないこともしてきたよ。その度に、必ず帰ってくるって約束して、実際そうしてきた。でも……今回は、自信がないんだ」
震えそうな拳を枕ごと握りしめ、ニースは胸に溜め込んでいる不安を口にした。
「訓練ではうまくいったけど、パラシュートで失敗したら終わりだし、帝都の遺跡は全部生きてる。敵だってこれまで以上にたくさんいるし、あんなとんでもない攻撃をしてくるぐらい、向こうも必死なんだ。生きて帰ってくるなんて、約束出来ないよ」
降下訓練を通じて、ニースは帝都の戦いがこれまで以上に厳しいものになると感じていた。
冬の夜空は凍えるような寒さだが、吹き荒ぶ風や雪の中、空へ飛ばねばならないのだ。肌を刺すような冷気を浴びただけでも命の危機を感じる上に、暗闇で地上へ降り立つ恐怖は想像以上だった。
さらに、狙った目的地へ降りるのは至難の業で、下手をすれば味方と逸れる恐れもある。上手く降りれたとしても、その後に予想される戦いの困難さは群を抜いており、ニースの頭には悲観的な考えばかりが浮かんでいた。
ニースは二羽を見つめ、悲しげに微笑んだ。
「セラと離れたくないし、死ぬ気もない。でも、本当に守れる自信がないのに、約束なんて出来ない。それなのに、セラに引き止められたら、僕は何て言えばいい?」
『ニース……』
ココは困惑した様子で口籠る。そんなココとは対照的に、バードは窘めるように応えた。
『それでも、帰るって言わなきゃダメだよ』
「バード……。でも、僕は嘘をつきたくないんだ」
『嘘にしちゃダメなんだよ。何で行く前から諦めるの?』
「諦めてなんか」
『言いたくないんだから、諦めてるんだよ!』
バードは怒ったように声を張り上げ、ニースを睨んだ。
『怖いからって、死に分かれる覚悟なんかしてどうするの! 残される人間も辛いけど、残していく人間だって辛いんだよ! その覚悟を今からするなんて、どうかしてる!』
「残していく人間?」
『ニースのお母さんだってそうだったはずだよ。ルイサだって、ルーンだって。みんな好きな人を置いて死んでいったけど、死にたくて死んだわけじゃないでしょ!』
怒鳴るバードの言葉に、ニースは、はっとして目を瞬かせた。
「ルーンって……。バード、思い出したの?」
『思い出したよ。この前メガネっちが、パスワードを言ったから』
バードは発掘品の機械で、涙など流せない。しかしまるで泣いてるかのような、鼻声に似た声で話を続けた。
『ルーンは、ルーンは……。ちゃんと帰ってくるつもりだったんだ。ライブラリはロックしたけれど、それだって仕方なくだった。必ず帰るって約束をルーンは守れなかったけど、諦めるつもりなんてなかったんだよ。だから俺っちに、あんなパスワードを付けたんだ』
独白するように語るバードの話は、ニースには理解しきれないものだ。だがバードが憤っている事は、ニースにもよく分かる。
いつもと違う言動を見せるバードに、ニースは面食らっていたたものの、真摯に話を聞くべきだと考え、耳を傾けた。
『ニースはルーンと違って、自分から行くって決めた。命をかけろって言われたわけでもないし、みんなだって守るって言ってくれてる。それなのに勝手に諦めるなんて。頼むからそんなことしないでよ。約束しようとする気持ちぐらい、ちゃんと持っててよ』
懇願するようなバードの言葉を聞いて、ニースは戸惑い、俯いた。
「僕だって、諦めたくなんかないよ。でも僕は弱くて、出来ることなんて限られてて。それでもレイチェルを放っておけないし、怖いけど行くしかない。だけど僕は……何かあったとしても、みんなを盾にしたくないんだ」
ニースが何を言うのかと、バードとココは静かに次の言葉を待つ。ニースは、胸の奥底に隠してきた正直な気持ちを口にした。
「ベンにはカミラさんがいて、ルポルにはケイトさんがいる。エリックのことだって、ヘレナが待ってる。ベンたちだけじゃない。他のみんなにだって、それぞれ大事な人がいるんだよ。だから僕は、誰も犠牲になんてしたくない」
『だからって、何で自分が帰るのを諦めることになるの? 全員無事で帰ろうって、気持ちを強く持てばいいだけでしょ』
「そんなの無理だよ。空から侵入出来るチャンスは、今回限りなんだ。だから失敗なんて出来ないし、退くことも出来ない。でも、帝都は危ない所で。だから、誰も犠牲にならずに終われるなんて、そんなこと思えない」
作戦が動き出せば、飛空船の存在を帝国も知る事となる。そうなれば、帝国は空からの攻撃にも警戒を強めるだろう。
まして、ニースたちが行うのは、降下作戦という片道切符だ。どれだけ不利になっても撤退など出来るはずもなかった。
ニースは最悪の事態を想像し、顔を歪めた。
「もし追い詰められて、どうにもならなくなった時には……みんなとレイチェルを帰してもらうために、僕は何でもするつもりだよ。たとえ、白い音風を使ってでも」
いざとなれば、ニースは自分の身を引き換えに、皆を無事に帰してもらえるよう、交渉するつもりだった。その際、エルネストやベンたちが抵抗するようなら、強制的に帰還を指示する心積りでいたのだ。
白い音風で人を操らないという信念を捻じ曲げてでも、ニースは一人でも多くの仲間を救いたいと考えていた。
「みんなさえ帰してもらえれば、あとは僕がちゃんと終わらせる。あの古代兵器が動かなければ、帝都を攻めるのは簡単なはずだから」
言外に自死を仄めかしたニースの声は、か細いものだ。その絞り出すような声音に、バードは痛ましげに目を細めた。
『何でそんなこと言うの。それで平和になったって、誰も喜ばないよ』
「それは分かってるよ。でも、こんな大きな戦いのきっかけを作ったのは僕なんだ。狂化歌を復活させちゃったし、ベンやルポルたちを戦場に行かせちゃうのも僕だ」
『そんな責任感じる必要なんてないでしょ』
「それでも僕は、みんなを犠牲にして自分だけ生き延びるなんて出来ない。それに僕はセラと一緒にいたいけど……セラを本当に幸せに出来るのかも、分からないから」
ぽろりと溢れたニースの言葉に、ココが目を眇めた。
『本音はそれなのね。セラと子どもが出来ないかもしれないから、そう思うの?』
ココの問いかけに、ニースは小さく頷きを返した。
「ココも分からないって言ってたでしょ? 可能性はあるはずだけど、前例がないからって」
ニースは聖皇国からココが戻ってきた後、天の導きと歌い手の間に子が成せるのかを尋ねていた。しかしココも、バードと同じように分からないと答えたのだった。
「セラは、子どもが出来なくてもいいって。どうしても欲しいなら、養子をもらってもいいって言ってくれたけど。本当にそれでいいのか、僕は分からなくて。こうやって寂しい思いをたくさんさせちゃうし、泣かせちゃうし。戦争が終わっても、僕が天の導きだから色んな苦労をさせちゃうかもしれなくて……」
ニースの心にあるのは、セラと共にありたいと願う渇望にも似た気持ちと、そうする資格が自分にあるのかという葛藤だ。胸の痛みを感じ、ニースは自分の胸を掴んだ。
「僕は弱いから、そばにいて欲しいって頼んだんだ。セラは優しいから、僕と一緒にいてくれるって約束してくれて。好きだって言ってくれて、嬉しかった。行かないでって言ってもらえるのも、幸せなんだ。でも僕は、そんなセラを傷付けてばかりで、笑顔にしてあげられない」
『ニース……』
ニースの脳裏に、セラの悲しげな顔が浮かぶ。目頭が熱くなるのを堪え、ニースは薄い笑みを浮かべた。
「だけど僕は……セラに笑顔でいてほしいのに、セラの隣を誰にも渡したくないとも思うんだ。死にたくないし、セラの所にちゃんと帰りたいって思ってる。でもね、カルデナがルーンを思っていたみたいに、僕が死んでもセラの心に残れるなら……それでもいいかなって思えたんだ。馬鹿みたいな話なんだけど」
ニースがセラに向ける愛情は、執着にも似たような強い想いだ。狂おしいほどに胸を焼く熱い気持ちを感じながら、ニースは目元を拭った。
「もし笑顔にするのが僕じゃなくなっても、セラの心に僕がいられるなら、それでいい。だから、誰かが死ななきゃいけないなら、それは僕の方がいい。みんなには未来があって繋げる命があるけど、僕はそうはいかないから」
震える声で話したニースに、ココは深いため息を吐いた。
『それって、セラの気持ちを何も考えてないじゃない。あなたがそんなに自己中心的な人間だとは思わなかったわ。カルデナがどれだけ苦しんだか見せたのに』
「そうだね。僕のこと優しいってみんな言ってくれるけど、そんなことないんだ。僕は僕のことが一番大事だから。でも……」
ニースは拳を握りしめ、ぼそりと呟いた。
「カルデナみたいに泣いて暮らすのを、セラにさせるのも嫌なんだ。だからせめて、こうやって何も言わずに行って、セラに恨んでもらえたら。もし僕が帰ってこれなくても、それならセラが泣くのは少なく済むんじゃないかって思うんだ」
『消極的な消え方ね。そんなこと思うなら、もっと前に、セラから離れるべきだったでしょう』
「うん、そうだよね。でも、僕はセラと離れたくなかった。きっと一緒に幸せになれるって、信じていたかったから」
『それなら最後まで信じたらいいのに。そうして傷付けても、無事に帰れたら何食わぬ顔でセラの隣に戻るんでしょう?』
「うん、まあ……」
『酷い人。自分が楽になるために振り回して、傷つけるなんて。セラの優しさに甘え過ぎだわ』
辛辣なココの言葉を否定する事なく、ニースはただ黙って聞いた。ココは呆れたように、ふっと笑った。
『でも良かったわ。ニースがただの自己犠牲の塊じゃなくて』
「え……どういう意味?」
『今のあなた、とっても人間らしいもの。自分の欲求に忠実になるって、人の大事な一面なのよ。方向性が物凄く後ろ向きで、間違ってると思うけど』
優しく言うココに、ニースは目を瞬かせた。ココは、すっと目を眇め、言葉を継いだ。
『でもね、このまま逃げるのは許さないわ。今あなたが話した気持ち、そのままセラに言いなさい。今のまま行ったら、勝てるものも勝てないわよ』
「え……」
『あなたは大佐で、レイチェル奪還部隊の指揮官でしょう? そのあなたが、最初から弱気だったら必ず負けるわ。エルネストだって、そう言ってたでしょう?』
ココの言葉に、ニースは息を呑んだ。ココは言い聞かせるように、話を続けた。
『あなたが考えているように、あなたの肩には多くの命がかかってる。だからこそ、自分の命も含めて大切にしなきゃいけないの。どんなに絶望的に思えても、逃げ道なんて用意しちゃダメよ。最後の瞬間まで足掻けるように、精一杯今を、貪欲に生きて。ルーンやカルデナのように』
「ココ……」
『セラと話しても後ろ向きなままなら、それは仕方ないわ。でも、ちゃんと話さなきゃダメよ。あなたが話すまで、飛空船は飛ばさない』
はっきり言ったココに、ニースは唇を噛んだ。バードが、ばさりと翼を広げ、大きく頷いた。
『そうだよ。俺っちもココも、協力なんかしてやらないからね! ニースっちを助けたいから、飛空船使うのだって提案したんだ。こんなに思い詰められたんじゃ、やってられないよー』
「それは悪いと思ってるよ。でも、こんな気持ちをセラに話すなんて出来ないよ。この前約束したんだ。もう自分が死ぬような方法を考えないって」
慌てて言い募るニースに、ココは、ゆるりと頭を振った。
『それでもあなたは考えたし、そこから抜け出せないんだから仕方ないの。あなたから言えないなら、私から言うわよ』
「そんな……!」
『分かってる。嫌よね、そんなの。だから出発前にここを訪ねるように、セラには私から頼んでおくわ。……ちょうどルポルがいるし、連れてってもらうから』
愕然とするニースに背を向け、ココは垂布の隙間から表へ出て行く。じっと動かないニースを無視して、バードはベッドの片隅で丸くなった。
心の中がかき乱されるのを感じ、ニースは枕に顔を押し付ける。昼食の冷え切ったスープに、ニースが手をつける事はなかった。




