501:決戦を前に3
前回のざっくりあらすじ:ニースたちはパラシュートの訓練を行った。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
*体調不良のため、一週間ほど更新をお休みします。次話の投稿は、遅くても4月20日(月)までに行いたいと思います。お待たせする事になり、申し訳ないです。
太陽が一日中昇らない極夜の季節は、昼間でも夜のように暗い。それでも、同盟軍の野営地には発掘品の明かりが煌々と灯り、兵士たちは来るべき戦いに備えて準備を進めている。
夜の降下訓練を終えた翌日。少しずつ気合いの入っていく空気を感じながら、ニースは最後の作戦会議が行われる幕舎へ向かった。
「ニース、おはよう。昨日はお疲れ様」
「ラチェットさん、おはようございます。おかげさまで、どうにか終われました」
エルネストやベンたちと歩くニースに、ラチェットが声をかける。
前夜の降下訓練は、怪我人も脱落者も出す事なく無事に終わりを迎えていたが、ラチェットは飛空船の操縦者だ。地上へ降下したニースたちと顔を合わせる事なく、前夜は幕舎へ戻っていた。
労うラチェットに、ニースは笑みを返す。しかし、その顔を見たラチェットは眉根を寄せた。
「ニース、ちゃんと眠れてる? 疲れてるように見えるが」
「え……。あ、はい。眠れてますよ」
「セラちゃんのこと、気になるんじゃないのかい?」
「それは……まあ」
心の内を言い当てられ、ニースは気まずさを感じて目を逸らす。すると、視線の先に見えた懐かしい顔に気付き、ニースは声を上げた。
「アグネス先生! 戻られたんですね!」
ニース帰還の知らせを受けたアグネスは、作戦会議へ出るべく、ミラン、ポルテと共に戻ってきていた。
ラチェットとの会話から逃げるように、ニースはアグネスの元へ駆け寄る。会議の行われる幕舎へ入ろうとしていたアグネスは、ニースの声に足を止めた。
「ニース。あなたもよく頑張ったわね。まさか空を飛んで帰ってくるなんて、驚いたわ」
「はい。ありがとうございます。ミランさんは一緒じゃないんですか?」
「彼ならイサク様と来るはずよ。私はポルテさんを救護所に預けて、先に来たから」
アグネスは微笑んだものの、ニースの後ろから歩いてきたラチェットを見て、目を瞬かせた。
「ラチェット先生までいるの?」
「飛空船は、ラチェット先生の家のものなんです」
「じゃあ、血の儀式はラチェット先生が?」
教皇の姪であるアグネスも、古代船に王家の血が必要だという話は知っている。心配そうに顔を歪めたアグネスに、ラチェットは苦笑した。
「お久しぶりです、アグネス先生。その儀式ですが、僕はしていませんよ」
「えっ……!」
「血を継ぐ者がいればいいだけなんです」
唖然とするアグネスに、ラチェットは話を逸らすように言葉を継いだ。
「それより、ここに来たのは僕だけじゃないんですよ。シーラ先生とジョルジュ先生も来てるんです」
「シーラとジョルジュが? そういえば、シーラは軍の諜報員だったわね」
「ええ。ジャンさんも一緒ですよ。……ほら、噂をすれば」
ラチェットが、ちらりと目線を送った先には、会議のために歩いてくるシーラたち三人の姿があった。シーラとジャンが寄り添って歩くのを見て、アグネスは眩しげに目を細めた。
「カルマートに、寝返った元帝国スパイがいるとは聞いていたけれど。ジャンのことだったのね。……シーラ、幸せそうね」
アグネスは切なげに呟き、二人に手を振った。アグネスに気付き、シーラとジャンが会釈する。そんな二人を置いて、ジョルジュが瞳を輝かせて駆けてきた。
「アグネス先生!」
「ジョルジュ、元気そうね。シモン先生は?」
「お元気ですよ。こっちには私だけ来たんです」
「よく許してもらったわね。空を飛ぶ船なんて、シモン先生なら自分で乗りたかったでしょうに」
「それは……師匠には話せないこともあったので」
ジョルジュは、ちらりとニースに視線を送った。ニースは頷き、ココのいる胸元に手を当てた。
「ジョルジュ先生にはお話しして、協力してもらってるんです。シーラ先生と、ジャンさんにも」
「そう。私たちは秘密の仲間ってことね」
ニースが全てを言わなくとも、アグネスは察した様子で微笑んだ。ジョルジュが嬉しげに頬を赤らめたが、アグネスは気にする素振りもなくシーラたちを迎える。
皆と挨拶を終えると、ニースたちは幕舎へ入った。
幕舎にはすでに多くの将校たちが集まっているが、席順は特に決められていない。エルネストたちが片隅に控え、ニースは空いた席に、ラチェットと並んで座る。アグネスはそれを見て、周囲を見回した。
「セラは一緒じゃないのね?」
「……はい。会議には、出ないので」
ニースは目を伏せ、ぼそりと答えた。言い辛そうなニースの隣へ、アグネスは心配そうに腰を下ろした。
「セラと何かあったの?」
「いえ、あの……」
ニースは気まずさを感じて口ごもる。アグネスの隣を確保したジョルジュが、横から声を挟んだ。
「パラシュートの訓練で失敗したんですよ、セラ君は」
「パラシュート?」
「凧のようなもので、身一つで空から降りるんですよ」
アグネスは、ニースたちが空から直接帝都へ降りると聞き、眉根を寄せた。
「そんな方法で行こうとしてたのね。訓練が必要なら、私が行くのも無理なのかしら」
アグネスも帝都に行く気でいたと分かり、ニースとジョルジュ、ラチェットも驚き目を瞬かせた。
「アグネス先生も、行く気だったんですか⁉︎」
「当たり前よ。一発殴ってこないと気が済まないじゃない」
仄暗い瞳で、ふっと笑みをこぼしたアグネスに、ジョルジュが頭を振った。
「気持ちは分かりますが、殴り込みに行くなんて無理ですよ!」
「そうね。今からじゃ、間に合わないもの」
「そういう意味ではなくて。帝都に行くのはあまりに危険です。それに、あの人のことはもう忘れましょう!」
必死の形相で言うジョルジュに、アグネスは苦笑した。
「心配してくれるのね。ありがとう。でも、忘れたいから行きたかったのよ。皇帝のことも、引っ叩いてやりたかったし」
「えっ……皇帝を?」
ぽかんとしたジョルジュに、アグネスは真顔で頷いた。
「帝国の天の導きがね、女性なのだけれど、かなり酷い扱いを受けていたの。あの男といい、皇帝といい、帝国の男はろくでもないわ」
吐き捨てるように言ったアグネスに、ジョルジュは息を飲む。ラチェットが苦笑して、宥めるように語りかけた。
「今日の会議次第ですが、ニースたちがレイチェル君を正気に戻せば、全軍で行くことになると思いますよ」
「そうね。そのために私もこっちへ来たんだもの。しっかり参加させてもらうわ」
アグネスは不敵な笑みを浮かべる。そこへ、イサクとミランも幕舎へ入ってきた。
「アグネス、そこに座るのか?」
後ろからかけられたイサクの声に、アグネスは微笑んで立ち上がった。
「いえ。ニースと少し話していただけです」
「ならば、私と向こうへ座ろう」
唐突に現れた二人の天の導きに、ジョルジュは面食らいながらも顔を歪めた。
「アグネス先生、そちらの方々は?」
「あら、イサク様とお会いしてなかったの?」
「イサク様と仰るんですか」
ジョルジュは立ち上がり、睨み付けるようにイサクを見つめた。イサクは愉快げに、ふっと笑みを浮かべた。
「ああ。私は聖皇国の天の導き、イサクだ。枢機卿でもある」
「す、枢機卿⁉︎」
イサクの地位の高さに、ジョルジュは慌てて頭を下げた。
「失礼しました! 私はアルモニア音楽院で、シモン博士の助手をしております、ジョルジュといいます」
「シモン博士……天才発明家のお弟子さんか」
柔和な笑みを浮かべるイサクの隣で、ミランが、へぇと声を漏らした。
「あの変人も弟子を取ったのか」
「あなた様は?」
「俺はミラン。カルマートの天の導きだった」
「だった?」
「今は、亡命を希望しててな」
「亡命? なんでまた……」
ニヤリと笑ったミランに、ジョルジュは訝しげに眉根を寄せる。ミランは揶揄うような目で、アグネスに語りかけた。
「俺をずいぶん責めてたくせに、あんたもなかなかやるじゃないか。若い男を引っ掛けるとは」
「何の話よ」
「あんたの恋人なんだろ? その男」
「は?」
ミランの言葉に、アグネスは目を瞬かせる。ジョルジュが顔を赤くして、声を張り上げた。
「ち、違います! 私はまだ、そういう関係ではなくて!」
「へえ。まだ、ね」
ひっくり返りそうな声で否定したジョルジュに、ミランが笑い、イサクが微笑んだ。
「なるほど。そういうことなら、アグネス。君はここにいるといい」
「イサク様?」
「私はミランと向こうにいよう。君と一緒にいて、国に残している妻に心配をかけてもいけないからね」
「心配って……そんなことありませんでしょうに」
苦笑したアグネスを残し、イサクとミランは離れた席へと向かう。歩き去る二人の背を、ジョルジュは呆然と見つめた。
「妻って……。イサク様はご結婚なさってるんですか?」
「そうよ。ミランさんも、好きな方がいらっしゃるわ。まあ、叶うかは分からないけれど」
「……そうなんですね」
ぐったりした様子で、ジョルジュは椅子に座り直した。アグネスは納得いかなそうに首を傾げながらも、腰を下ろす。一連のやり取りを眺めていたニースとラチェットは、顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。
ニースたちが席に落ち着いて程なくすると、総司令のフォルスと、フィリップ、アンヘルたちも揃った。帝都攻撃の作戦会議が始まると、飛空船とパラシュートをいかに有効活用するかに焦点が当てられた。
「帝都郊外のこの辺りには、敵部隊も障害物もないため、直接着陸することが出来そうです。ここを利用して、降下部隊が降りやすいよう、市壁の外側から急襲をかけようと思います」
参謀長であるアンヘルが、帝都近辺の地図を広げ、作戦案の大枠を話していく。ラチェットたちは訓練の合間に飛空船を飛ばし、帝都の遥か上空、鳥も飛ばないような高度から、展開している敵軍の情報を集めていた。
パラシュートを使えない兵士の中にも、手練れの者は数多くいる。そんな兵士たちを飛空船で帝都郊外へ下ろし、敵を引きつけると、アンヘルは話した。
「近場から直接攻撃をかければ、敵兵の多くは市壁へ向かうでしょう。帝都内が手薄になった隙に、降下作戦を実行。この時、降下部隊は二班に分け、皇帝と研究所を同時に抑えます」
パラシュート降下部隊は二つに分けられる。皇帝の住う皇城を攻める、エドガーたち砂漠の護衛を中心とした部隊。レイチェルがいると思われる研究所へ向かう、ニースとユリウスを中心とした部隊だ。
ラチェットたちの飛空船は、降下部隊が飛んだ後はそのまま本陣へ戻る手筈となった。
「歌姫奪還の知らせは、研究所の機材を使い、ニース大佐から直接、通信で伝えてもらう予定です。連絡を受け次第、我々はシシアから一気に攻め込む。帝都は完全に包囲してありますから、皇帝が逃げたとしても捕らえることは可能でしょう」
皇帝を抑えられなくとも、レイチェルさえ取り戻せれば、遠距離攻撃は行われない。その隙を突いて、帝都に全軍で攻め込む作戦は、以前に話し合っていた案そのままだ。異論が出るはずもなく、会議は順調に進んだ。
「皇帝と元音楽院副学長のエクシプナ、そしてドロモス博士の生死は問いません。ですが、殺害した場合は必ず遺体を回収して下さい。匿うのは、どこの国でも禁止です」
真顔で話すアンヘルの言葉はひどく冷たいものだが、集まった将校たちは心得ていると一様に頷いた。
大枠が固まった作戦会議は、部隊編成や細かな動きの話し合いに移っていく。真剣に意見が交わされる中で、ニースは息苦しさを感じ、静かに拳を握りしめた。
――生死は問わない……。あの人たちはレイチェルを攫ったし、それだけのことをしている。僕だって許せないし…… これは戦争だから、仕方ないことなんだ。
手のひらに、じわりと滲んだ不快な汗に、ニースは微かに顔を歪める。複雑な気持ちを抱えるニースに、ラチェットが労わるような眼差しを向けた。
「ニース、無理に納得しなくていい」
囁いたラチェットに、ニースは目を見開いた。
「ラチェットさん……」
「生きるか死ぬか、そういう場所にニースは行くんだ。その場ではきっと、悩む余裕はないだろう。だから今は、自分が生き残ることだけ考えて」
「自分が生き残る……」
「そう。人の命の前に、まずは自分の命だよ。……セラちゃんも、それが心配なんじゃないのかな」
セラの話を出され、ニースは胸の痛みを感じた。黙り込むニースに、ラチェットは切なげに微笑んだ。
「僕も心配なんだ。ニースは自分を後回しにしがちだろう?」
「それは……」
「ニースにセラちゃんしかいないのと同じように、セラちゃんにも、ニースしかいないんだよ。ちゃんと行く前に話した方がいい」
言い聞かせるように話すラチェットに、ニースは唇を噛んだ。隣に座るアグネスが、囁き合う二人をじっと見つめていた。




