48:重なる想い2
前回のざっくりあらすじ:世界で初めて、歌詞が出来た。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、痛ましい表現が含まれます。ご注意下さい*
まだ昼の暑さが残る町を、涼しげな夜風が撫でる。お別れ公演の時が近づき、会場となる店にはたくさんの人が詰めかけた。
いつもは閉められている大通り沿いの窓は開け放たれ、店に面した通りの一角は、立ち見席となっている。既に店内は満席だが、それでも町の人々は続々と集まっていた。宿屋の主人ベニーノは大喜びで、せっせと入場料を受け取った。
決して安くはない料金だが、皆、楽しみなようで誰もが笑顔だ。いつもなら、酒場となる夜の店には来ない客も多くおり、老夫婦や子ども連れの家族の姿もあった。
そんな表の騒がしさに気づく事なく。ニースとセラはジーナの部屋で準備を整えると、店へ向かった。
「二人揃うとやっぱりいいわねー」
ローブと仮面を纏った二人が歩く姿に、衣装を作ったジーナが惚れ惚れと声を漏らした。公演までの数日間に、ジーナはニースと揃いの衣装を、セラのために作り上げていた。
ジーナの呟きに、セラは嬉しげに笑った。
「この羽とっても素敵で、私、大好きです! 鳥さんになったみたい!」
ニースのローブと同じように、セラのローブにも羽がある。上機嫌でピコピコと羽を動かしながら歩くセラに、ニースは微笑んだ。
「セラは鳥が好きなの?」
「うん! 私、動物さんはみんな好きだよ!」
「そうなんだ。ぼくも動物は好きだよ。みんな可愛いよね」
和やかに話しながら、ニースたちは店の裏口から中へ入る。するとマルコムが二人に気付き、満足げな笑みを浮かべた。
「二人とも来たか。俺の仮面もバッチリだな」
ローブだけでなく仮面も、ニースとセラはお揃いだ。しかし同じ模様で色違いのセラの仮面は、長い前髪で見えない。それでもマルコムは、こだわりの仮面作りに一切手抜きをしなかった。
マルコムは、セラ救出時に怪我を負ったのと反対側の頬に、紅葉のような跡をつけたまま、セラの仮面を作り上げた。今のマルコムは、さらにもう一つ追加された紅葉の跡も含め、模様のようにして舞台化粧を施している。
そんなマルコムの顔を見て、セラは、ぺこりと頭を下げた。
「マルコムさん。怪我してまで作ってくれて、本当にありがとうございました! この仮面も、私、大好きです!」
月のような淡い黄色の仮面を、セラは大層気に入っており、渡されてからは四六時中付けていた。
マルコムは微笑み、セラの頭を軽く撫でた。
「俺もこんなに喜んでもらえて嬉しいよ。この髪飾りは、お嬢が選んだのか?」
セラの赤い髪には、金冠のような髪飾りが付けられている。マルコムの問いに、メグが横から笑った。
「当たり前でしょ。お父さんに任せるわけいかないもの」
セラの髪飾りはメグの助言を受けて、グスタフが用意したものだ。フードを被っても、ちらりと覗く髪飾りは、セラの赤い髪に映え、一層幻想的に見えるのだ。
メグは、にっこり笑ってセラにフードを被せた。
「本当はフードなんてセラにはいらないけど、ニースとお揃いだから仕方ないわね。でもね、セラ。あなたの可愛さは、フード越しでもちゃんと分かるわ。みんなに見てもらいましょうね」
「みんなですか?」
「ええ。あなたの舞台を、これだけの人が楽しみに来てくれたのよ」
メグに促され、舞台袖となっている厨房から、セラは店内を覗いた。先日よりもさらに増えた観客に驚きを隠せず、セラは体を縮こめた。
「こ、こんなところで歌うんですか……?」
「そうよ。たくさん練習したんだもの。大丈夫よ。自信を持って」
公演までの数日間、ニースとセラは何度も練習を繰り返した。歌詞もすっかり覚え、セラの歌声もだいぶ滑らかになっていた。
しかしメグの言葉にも、セラは固まったままだ。ニースは心配に感じ、セラの顔を覗き込んだ。
「セラ、緊張してる?」
「だ、だ、大丈夫……」
気遣わしげに問いかけたニースに、セラは小さく頭を振った。だがどう見ても、大丈夫そうには見えない。
するとマルコムが、はははと笑いながら、水の入ったグラスをセラに差し出した。
「セラちゃん、無理しなくていいんだよ。少し飲んで落ち着くといい」
「は、はい……」
セラは震える手でグラスを受け取ろうとした。しかしマルコムは不意に、グラスの上を掴んだ。
「へ?」
驚き、マルコムの顔を見上げたセラに、マルコムはパチリと片目を瞑った。
「セラちゃんは、オレンジは好きかな」
「オレンジ?」
マルコムは、胸ポケットから絹の小さな布を取り出すと、布をグラスの上にかけて、パチンと指を鳴らした。グラスから布を取り外すと、先ほどまで水だったはずの中身は、果汁に変わっていた。
「うわぁ……!」
セラは感嘆の声を漏らし、ゴクゴクと果汁を飲み干した。
「すごい……! これ、本物です!」
セラは、すっかり緊張が消えたようで、空になったグラスを何度も見つめていた。ニースは、マルコムが女性と仲良しになる理由がわかった気がした。
そこへ、ラチェットと最後の確認をしていたグスタフが声をかけた。
「みんな、そろそろ準備はいいか?」
グスタフは、いつものようにピッチリとしたスーツを着ていた。皆が頷くと、グスタフはエイノに声をかけ、舞台へと上がった。
客席には、女将がトリフォンを車椅子に乗せて連れてきていた。トリフォンは片目が潰れ、顔は包帯だらけだが、セラの応援に来たのだ。
店の外で客の整理をしながら、ベニーノも舞台へ耳を傾ける。エイノは従業員たちと共に、片隅から舞台を見守った。
「紳士淑女、少年少女、老若男女のみなさま。お待たせいたしました。旅の一座ハリカの公演の始まりです! どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
グスタフが口上を述べて、お別れ公演が始まる。最初はメグの踊りからだ。
「今や伝説となったハリカのダンサー。妖精ジーナの踊りを受け継ぐ、魅惑の美少女メグの登場です!」
ラチェットのピアノと、グスタフのバイオリンの軽快なメロディに合わせてメグが踊る。メグの手には大きな輪が握られており、メグは手や足に輪をかけて、回しながら美しく舞った。
人々は初めて見る華麗な踊りに、歓声を上げた。メグがポーズを決めると拍手が湧き起こった。
「続きまして、幻惑の奇術師マルコム!」
マルコムがメグのいる舞台へと上がると、ラチェットたちの演奏を背景に手品が始まった。
マルコムの手にもいくつも小さな輪が握られており、その一つ一つを観客へと見せていく。そしてマルコムは、切れ目のないはずの輪を、メグの持つ大きな輪へ引っ掛けたり外したりと、大小の輪を使った手品を次々と行った。
さらに、布から鳥を出す手品や、カードや杖を使った不思議な技の数々に、観客たちはあっという間に魅入られていった。
そうして盛り上がった舞台で、ニースとセラの出番となった。グスタフが満面の笑みで、声を張り上げた。
「それではいよいよ、皆さまお待ちかねの演目へと参りましょう。世界初の歌手! ハリカの天使、ニースとセラの演奏です!」
紹介と共に二人が姿を現わすと、割れんばかりの拍手が起こった。集まった観客たちは、先日の歌い手誘拐事件の事を知っているのだ。
セラはたくさんの拍手に驚き、身を強張らせた。ニースはセラの手を握り、囁いた。
「セラ。大切な人にだけ歌えばいいよ」
「大切な人……」
観客席の最前列には、女将とトリフォンがいる。二人の顔を見て、セラはニースの手を握り返し、しっかりと前を向いた。
「ありがとう、ニース。私、がんばる」
「うん」
ニースはラチェットに視線で合図を送る。ラチェットは微笑み、ピアノを奏で始めた。
ニースとセラは、練習してきた通りに、二人そろって歌い始めた。二人の声は一つに重なり、心地良い旋律を響かせる。集まった人々は、その歌に言葉があると気付き、耳を澄ませた。
心に染み渡る澄んだ歌声が、詞を紡いで心を揺らす。
幼い日の想い出や、二度と会うことの叶わない温もり……。歌声に目を瞑れば、ありありと記憶が蘇り、胸の内から湧き上がる懐かしい想いに、自然と涙が込み上げた。
詞は想いを乗せて、歌声は懐かしい情景を運ぶ。じんわりと胸の内が温かくなるのを、観客たちは感じていた。
ニースとセラの初めての斉唱が終わると、拍手が沸いた。二人はにっこりと笑みを浮かべ、ぺこりとお辞儀をする。集まった人々は満たされた笑顔で、拍手を二人に送り続けた。
アンコールも含めて公演が全て終わると、グスタフ、マルコム、ジーナは、口々にお疲れ様と声をかけ、上機嫌で裏口から宿へと戻っていった。
メグは、ファンとなった男たちから花束を受け取っており、ラチェットは、メグに押し寄せる人の整理に必死だ。
そんな中で、セラの元に女将とトリフォンがやってきた。
「セラ、お疲れ様」
「頑張ったな。素晴らしかった」
「女将さん、トリフォンさん! 観に来てくれて、ありがとうございました!」
嬉しそうに、はにかんだセラに、ニースは微笑んだ。
「セラ。ぼくは先に部屋に戻るね。みんなとゆっくり話して。また明日ね」
「うん、ありがとう。おやすみ、ニース」
「おやすみ」
セラにとって、故郷で過ごす最後の夜だ。次に女将たちと会えるのは、いつになるか分からない。大切な人との時間を楽しんでほしいと、ニースは心から願った。
ニースが店の裏口から外へ出ると、二つの月が大きく丸くなっていた。
――綺麗な満月だ……。お別れ公演が上手くいって良かった。これからのぼくとセラも、双子月みたいに並んで歌っていけたらいいな。
達成感に満たされてニースは月を仰ぐ。そこへ、宿泊客用の専用扉の方から、大きな拍手と、妙に甲高いダミ声が響いた。
「いや、実に素晴らしい。見事な歌でしたな」
ニースが振り返ると、アクリ村にいた初老の男パトリックが立っていた。
パトリックは、アクリ村にいた時とはまた違う、上質な光沢感のある服を着て、豪奢な杖をついている。ぼんやりと街灯に照らされるその姿は、異様な雰囲気を放っていた。
ニースは突然話しかけられて驚いたが、褒められた事に気がつき、頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
「いやいや、これほど見事に歌を使う、天の導き様に頭を下げられては、我輩が困りますぞ。顔をお上げ下さい」
今のニースは、仮面を被りローブを着たままで、自分の姿を直接見せていない。しかし、パトリックとはアクリ村で顔を合わせている。
天の導きだと知られている事に、ニースが戸惑いながら顔を上げると、パトリックは笑っていた。夜闇に浮かび上がる笑みに、ニースの背筋が、ぞくりと寒くなる。
そこへ、メグが裏口から出てきた。
「ニース、お疲れ様!」
メグは晴れやかに声をかけたものの、ニースの正面にパトリックがいる事に気付き、すっと声の温度を下げた。
「あら、どちら様?」
冷たい眼差しで睨むメグに、パトリックは、にこやかな笑みを向けた。
「踊り子のお嬢さん。そう警戒しなくとも、我輩は怪しい者では……」
月明かりに照らされて、ニィと笑みを浮かべたパトリックの顔は、どうにもきな臭いものだった。メグの胸に、警鐘が鳴り響いた。
「ニース!」
「えっ?」
パトリックが言い終わる前に、メグはニースの手を掴むと、宿の裏口から中へと駆け込んだ。
取り残されたパトリックは、突然の出来事に呆然と立ち尽くす。バタンと扉が閉まる音に、パトリックは、ようやく何が起こったのか気付いた。
「我輩がわざわざ話してやったというのに、なぜ逃げる! 話を聞かんかぁぁ!」
パトリックは怒りに肩を震わせ、杖を地面に叩きつけると、勢いよく踏みつけた。
宿の外から、パトリックの喚き声が上がる。メグは、ニースを無理やり引きずるようにして、三階まで駆け上がった。
「め、メグ、どうしたの⁉︎」
唖然とするニースにメグは答えず、グスタフの部屋へ向かう。ノックもせずに勢いよく扉を開けると、メグはニースを押し込んだ。
「お、おい、メグ……」
部屋で着替えようとしていたグスタフは、慌てて体を隠し、顔を赤らめた。メグは後ろ手に扉の鍵をかけると、すぐさま扉に耳をつけ、外の様子を窺った。
「……うん。大丈夫みたい」
ほっと胸を撫で下ろすメグに、グスタフはズボンを履き直しながら、訝しげな視線を向けた。
「何かあったのか?」
メグはグスタフに答えず、テーブルの上の水差しに手を伸ばし、二つのコップに水を注いだ。一つをテーブルに置くと、メグはニースを呼び、自分はコップに口をつけた。
「メグ、私の分は……?」
グスタフは泣きそうに顔を歪めたが、メグは動かない。ニースは、グスタフのために水を注いだ。
「グスタフさん、これどうぞ」
「君は本当に優しいな……! ニース、ありがとう」
ニースから水をもらい、グスタフは幸せそうだ。嬉しげに水を飲むグスタフに、メグは呆れたように、はぁとため息を吐いた。
「お父さん、チャックが開いたままよ」
グスタフは目線を下げ、小さな悲鳴をあげた。慌てて後ろを向くグスタフに、ニースは同情を感じずにいられなかった。
グスタフが服をきちんと着直して、ニースと共に席に着くと、メグは真剣な面持ちで口を開いた。
「さっきね、見るからに怪しい男がいたのよ」
「怪しい男?」
グスタフは顔をしかめて腕を組み、身を乗り出した。ニースは慌てて、声を挟んだ。
「ち、違うよ、メグ。あの人は、アクリ村にいたおじいさんだよ」
グスタフとメグは、揃って首を傾げた。
「アクリ村のおじいさん……?」
「ニース。あんなダミ声の、気色悪い金持ちみたいなおじいさんは、アクリ村にはいなかったわよ」
メグの言葉に、グスタフは一層、眉間の皺を深めた。
「ダミ声の金持ちのじいさんだと?」
グスタフの様子に、ニースは不安を感じながらも答えた。
「えっと、アクリ村を出る直前に、グスタフさんと話していた、確か、商人のおじいさんで……」
「あのじじい、この町にまで来ていやがったのか」
いつもは顔に似合わず、丁寧な語り口で話すグスタフが、まるで本物の山賊のように、汚い口調で言った。低くドスの利いた声に、ニースは恐ろしさを感じ、肩をぷるりと震わせた。
メグはグスタフに、訝しげに問いかけた。
「お父さん、知ってるの?」
「ああ。アクリ村で、ニースのことで話があると言ってきたじじいなんだが、とんでもないじじいでな。胸糞悪い奴なんだよ」
グスタフは吐き捨てるように言うと、小さく舌打ちした。そのあまりの凶悪さに、ニースの足まで震えだした。
「面倒だが、出来ることは限られてるからな。……ニース」
「ひゃい!」
突然グスタフに話しかけられて、ニースの声が裏返った。グスタフは、自分が怖がらせてしまった事に気がつき、気まずそうに頬をかいた。
「すまなかった。つい、カッとなってしまってな……」
グスタフが、いつもの穏やかな口調に戻ったので、ニースの震えは、ようやく収まった。ニースは申し訳なく感じ、俯いた。
「えっと……ごめんなさい。グスタフさん」
「ああ、いいんだ。気にしないでくれ」
グスタフは気遣うように、ニースに問いかけた。
「それで、そのじいさん……パトリックっていう商人らしいんだが、何か言われなかったか?」
「えっと……特に何も。歌を褒められたぐらいで……」
「そうか」
「あ、でも……」
「でも?」
グスタフとメグが、真剣な眼差しをニースに向ける。ニースは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「えっと……何か言われたわけじゃないんですけど。なんとなく、その……。昔を思い出しました」
ニースの言葉に、二人は首を傾げた。ニースは、はっきりしない感覚を、どうにか言葉にして絞り出した。
「あ、えっと、なんていうか。うまく言えないんですけど。昔、ぼくが生まれた家にいた時のことっていうか……」
ニースは何とも言えない不安を感じ、身を縮めるようにして俯いた。グスタフは小さく頷くと、優しい笑みをニースに向けた。
「ニース、心配するな。私たちが、ちゃんと君を守るから」
「そうよ。昔みたいな怖い思いは絶対させないわ」
力強い二人の言葉に、ニースは顔を上げた。二人の優しい笑みが、ニースには温かく感じられた。
「とにかく、あのパトリックっていうじいさんが、もしまた現れたら、すぐに私たちの所へ逃げるんだ。決して話をしたり、聞いたりしてはいけない」
「はい」
ニースは、詳しいことはわからなかったが、アクリ村で何か危ない話をグスタフがされたと考え、素直に頷いた。グスタフは安心させるように、笑いかけた。
「よし、明日は早い。心配なら、ここで一緒に寝るか?」
「いえ。ラチェットさんが一緒ですから」
ニースの言葉に、メグは、はっとした。
「あ……。ラチェットのこと、すっかり忘れてたわ」
メグは、自分に群がる客をラチェットに押し付けて帰っていた。メグは誤魔化すように、片目を瞑り、舌を出した。
「少し休んだら戻るつもりだったけど……もう今更ね。ニース、ラチェットに謝っておいて」
「うん。わかった」
ニースが頷くと、メグは自分の部屋へと帰っていった。
ニースは、グスタフに付き添ってもらい、自分の部屋へ戻る。部屋の中では、メグの熱狂的なファンたちに、服を掴まれてボロボロになったラチェットが待っていた。
ニースは、ラチェットと明日の早朝にもう一度風呂に入ろうと約束して、眠りについた。




