494:鳥の船2
前回のざっくりあらすじ:ニースたちはビオスタクトの町に着いた。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
*次話の投稿は、3月30日(月)となります。
品の良い調度品で整えられた部屋に、優しい春の木漏れ日が差し込む。部屋には楽しげな声と共に、「あー」や「うー」といった幼子特有の喃語も響いた。
床に膝を着いたセラが、クマのぬいぐるみを手に「おいで」と声をかける先には、ラチェットとメグの息子ニコルがいる。ニコニコと笑いながら、たどたどしい足取りで歩くニコルを見て、ニースは目を細めた。
「髪はメグに似て、肌色はラチェットさんと同じなんですね」
シーラ、ジャンと共にソファへ座るニースに、女中頭のアイリが珈琲を入れたカップを渡す。
広々とした居室の壁際には、ルポルとレミスが立っている。マルコやエリックたちは部屋の外で待機しており、エルネストとベンは別室で屋敷の護衛兵と警備体制の打ち合わせを行なっていた。
双子やビビアン、ニコルに囲まれるセラを、愛おしげに見つめるニースに、向かいに座るメグが微笑んだ。
「そうなの。お義母様のお話だと、顔も小さい頃のラチェットに似てるらしいのよ」
「そうなんですね」
カップから立ち上る香ばしい香りに、ニースは、ほっと息を吐いた。
部屋には、先ほど玄関先で会ったラチェットの母オリビアと、ジーナ、グスタフ、マルコムに加え、マルコムの妻メアリ、ラチェットの父エルトンと考古学者のイルモ、舞踏科教授のビアンカ。そしてラチェットもいる。ニースは懐かしい人々と共に、テーブルを囲んでいた。
グスタフが砂糖の小瓶とミルクポットを手に、ニースに笑いかけた。
「まだ一歳なのに、ニコルは音楽にも興味を示してるんだ。先が楽しみでしょうがない」
「そうねー。バイオリンに手を伸ばしたのは本当にびっくりしたわー」
のほほんと言うジーナに、オリビアが胸を張った。
「ラチェットちゃんとメグさんの子ですもの。将来有望で間違いないわ。ニコルちゃんも教授になるかもしれないわね。ねえ、ニアちゃん」
オリビアは、膝にいる黒猫のニアの顎を撫で、笑いかける。その傍らでエルトンが、カップを置いて苦笑した。
「オリビア。それは気が早過ぎるだろう」
妻の言葉を窘めたエルトンだが、言葉とは裏腹に、その目は嬉しそうだ。イルモがエルトンの心を読んだように、ふっと笑みを浮かべた。
「音楽に限らず、可能性は充分ありますよ。教授になれるのは、アルモニア音楽院だけではありませんから」
「そうね。ラチェット先生は頭がいいもの。メグさんの運動神経もあれば、何でも出来そうだし」
頷いたビアンカに、ラチェットが苦笑して頭を振った。
「メグのことは分かりますが、僕のことは持ち上げすぎですよ」
「ラチェットったら。謙遜し過ぎても嫌味になるわよ」
揶揄うように、くすりと笑ったメグに、ラチェットは照れくさそうに目を向けた。
「謙遜って……メグはそう思ってくれてるの?」
「当たり前じゃない。私の素敵な旦那様だもの」
「メグ……」
ラチェットとメグが見つめ合うのを眺め、マルコムが愉快げに笑った。
「この様子なら、お嬢に似た子が生まれるのもそう遠くないかもな」
「ふふ。そうね」
メアリが柔らかく微笑み、子どもたちに揉みくちゃにされているセラを助けに腰を上げる。ラチェットは、顔を赤くして小さく咳払いした。
「それより、シーラ先生がジャンさんと一緒だとは思いませんでした。お二人はご結婚されたんですか?」
ラチェットはすでに、シーラが軍の諜報員だった事を知っている。二年前、音楽院の学長ポールがカルマート国軍第三師団の駐屯地から解放された際、話を聞いていたのだ。
また、ジャンはかつて、帝国スパイが隠れ家として利用し、音楽院の教授陣も贔屓にしていたアルモニアの酒場「エクシード」でバーテンダーをしていた。そのためラチェットとメグ、ビアンカもジャンと顔見知りであり、シーラと付き合っていた事も知っている。
そんなジャンが元帝国スパイであり、今はカルマート側に付いている事。ジャンが身を呈してシーラを救った事も、ラチェットたちは知っていた。
話を振られ、シーラは切なげに頭を振った。
「いえ。この戦争が終わったら、結婚しようって話してるんです」
「そうでしたか。ニースたちと同じですね」
ラチェットの一言を聞いて、エルトンとオリビアが痛ましげな視線をニースに向ける。ニースは安心させるように、ふわりと微笑んだ。
「そう遠くないうちに終わりますから。そのためにお願いがあって、ここに来たんです」
ニースの言葉に、エルトンは表情を引き締めた。
「遺跡に入れてほしいということだったね」
「はい。それで、遺跡にある発掘品を使わせてほしいんです」
「残ってるものはそう多くないはずだが……。あるものは、自由に使ってもらって構わない」
「ありがとうございます」
エルトンの力強い返事に、ニースは頭を下げた。イルモが不思議そうに、声を挟んだ。
「しかし、わざわざこっちへ戻ってまで、一体何をする気なんだい? 帝国での戦況はこちらにも届いているが、かなり厳しい戦いだと聞いたよ。皇国の公主殿下も亡くなられたとか」
ルイサの話を出され、グスタフとジーナの顔が苦しげに歪む。マルコムが、ぐっと拳を握りしめて、ニースを見つめた。
「ルイサ様が亡くなられた時、ニースも近くにいたのか?」
「いえ。僕は混成軍にいたので、別行動だったんです。ルイサ様の最期は、ダンテ様が看取られました」
「そうか……。ご夫君に、大切に見送られたんだな」
マルコムは切なげに目を伏せたが、すぐに吹っ切れたように顔を上げた。ニースは穏やかに、頷きを返した。
「はい。ご遺体は幸せそうな顔だったって、ユリウスから聞いてます」
「それなら良かったよ」
ニースの話を聞いて、マルコムだけでなくグスタフやジーナたちも、悲しげながらも納得したように薄く微笑んだ。
苦い空気の中、ニースたちは目を閉じて手を組み、ルイサのために黙祷を捧げる。祈りを終えると、シーラがイルモの問いに答えるべく、静かに口を開いた。
「現在、同盟軍は帝都の近くまで攻め入っています。ですが、帝国軍の抵抗も激しく、そこから先へ攻めあぐねているんです。そこで、ニース君に考えがあるとのことで、私たちも同行させて頂きました」
「皇帝も必死だろうからね。それで戻ってきたわけか。しかし、使えるようなものなんてなかったと思うが」
不思議そうに言ったイルモに、ニースは苦笑した。
「それはまた後で詳しく話します」
「なるほど。機密というわけだね」
この場で話そうとしないニースに、イルモは肩をすくめ、それ以上の問いは控えた。
子どもたちと遊んでいたセラが、メアリにクマのぬいぐるみを預け、ニースの隣へ座る。セラは珈琲を受け取ると、すぐに砂糖と牛乳を足した。
「やっぱりコーヒーには、お砂糖とミルクですよね」
「セラ、まだブラックは飲めないの?」
「飲めないことはないですけど、苦いだけなんて嫌ですから。程よい甘さは、絶対に必要だと思います!」
メグの問いに、セラはきっぱりと答えると、ふと思い出したように言葉を継いだ。
「そういえば、マチルダ先輩やカトレア先輩はどこにいるんですか?」
「みんなならアルモニアにいるわ」
ハリカの他の面々……アコーディオン奏者のフランツや歌手のアラン、踊り子のマチルダ、サックス奏者のカトレア、エスピダたち合唱団は、この場にいない。フランツたちは、アルモニアの町で興行を行っていた。
メグは、ふふふと笑い、話を続けた。
「マチルダがクロードと縒りを戻してね。今はクロードも混ざって、みんなで公演をしてるそうよ」
「公演を? グスタフさんたちがいないのに、フランツさんたちだけでですか?」
「ええ。学生がいなくなった町は寂しいからって、カトレアが働いてた酒場の人に頼まれたそうなの。それがきっかけで、色んな所から呼ばれてるみたいで」
カルマート国は直接的な攻撃を受けておらず、町の様子も戦時中とは思えないほど穏やかなものだ。しかし戦いに出ている兵士や歌い手たちにも家族や友人たちがいる。大切な者の無事を祈るしか出来ない人々は、苦しい心を抱えていた。
メグの話に、ラチェットが頷きを挟んだ。
「アルモニアだけじゃなくて、ここビオスタクトでも依頼があってね。お義父さんたちが演奏してくれてるんだ」
「首都からも依頼が来てるのよね。もうそろそろ、お父さんたちは行くんでしょう?」
メグに問いかけられ、グスタフは、しゅんと肩を落とした。
「ニコルと一緒にいたいが……。そうも言ってられないからな」
「これだけべったりしているんだから、もう充分でしょ」
「メグ……」
呆れたように言ったメグに、グスタフは涙目になる。ジーナが慰めるように、グスタフをニコルの元へと連れ出した。
寂しげなグスタフの背中を見つめ、セラは苦笑した。
「みんな、笑顔になってくれるといいですね」
「なるわよ、きっと。セラとニースも、町の人たちを慰めるために、いっぱい歌ってたんでしょう? ラチェットから聞いたわよ」
メグに笑みを向けられ、ニースは微笑んだ。
「うん、歌ってるよ。石歌だけじゃなく、ラチェットさんが作った歌もたくさん。みんな歌を好きになってくれてるんだ」
「やっぱりね。私が良いって思った歌だもの。みんな好きになって当然だわ」
メグがにっこり笑い、部屋の空気が一段と柔らかくなる。そこへ、執事のルドルフがやって来た。
「お館様、ラチェット様。お客様がおいでです」
「客?」
「誰だ?」
ルドルフは、エルトンとラチェットの耳元で囁いた。首を傾げた二人に、ルドルフは淡々と言葉を継いだ。
「アルモニア音楽院のジョルジュ様と名乗る御仁です」
「ジョルジュ先生が?」
ラチェットは、はっとした様子で立ち上がり、エルトンと共に部屋を出て行く。不意に漏れ聞こえた名前に、ニースとセラ、メグとシーラは顔を見合わせた。
「ジョルジュ先生がなんでここに?」
「私たちが来るって知ってたのかな?」
「私は知らせてないわよ」
「私もです。まさかシモン先生に何かあったわけではありませんよね?」
疑問を口にするニースたちに、ビアンカが、ああと声を挟んだ。
「おじいちゃんなら元気よ。軍に発明品を提供してるんだもの。シーラは分かるでしょう?」
「はい。そうなんですが……」
「ジョルジュ先生が来たのは、私がおじいちゃんに教えたからよ」
「えっ⁉︎」
まさかビアンカが伝えているとは思わず、シーラだけでなくニースたちも驚いた。ビアンカは困ったように、眉根を寄せた。
「まあでも、当ては外れたんだけど」
「当てって、何ですか?」
目を瞬かせたニースに、ビアンカは小さくため息を吐いた。
「てっきりアグネスも来ると思ったのよ。彼女も戦場に行ってるんでしょう?」
「はい。聖皇国軍にいます」
「だからあなたたちと一緒に、こっちに戻るんじゃないかと思ったのよね。ジョルジュ先生に、ぬか喜びさせちゃったわ」
「ぬか喜び?」
申し訳なさそうに言ったビアンカの話に、ニースは首を傾げる。不思議そうにしているニースの腕を、セラは突いた。
「ニース。ジョルジュ先生はアグネス先生のことが好きなんだよ」
「そうなの?」
「うん。アグネス先生を騙すなんてって、あの人のこともすごい怒ってたの」
「そうなんだ」
ジョルジュは常にシモンの世話をしており、穏やかな人物だ。怒った姿を想像出来ず、ぽかんとしたニースに、シーラが頷いた。
「シモン先生の発明だけでなく、ジョルジュ先生の発明も、軍の役に立ったんですよ。あれも愛の力なんでしょうね」
「愛の力?」
「アグネス先生の仇を取りたいって気持ちです」
「仇って……。シーラ先生、アグネス先生は死んでませんよ?」
ニースは冷静に声を挟んだが、シーラの熱い言葉に女性陣は瞳を輝かせた。
「さすがビアンカ先生です! それで知らせてくれたんですね!」
「まあね。ジョルジュ先生の恋は応援しないと」
「ジョルジュ先生、奥手ですもんね。セラ、せめて手紙ぐらいは届けてあげてね」
「もちろんです!」
「メグさん。そのお話、私も知りたいわ」
セラとメグ、ビアンカの話に、オリビアまで興味を示す。わいわいと賑やかな女性たちの姿に、ジャンが申し訳なさそうに視線を落とした。慰めるようにシーラがジャンの手を握るのを見て、ニースは切なさに顔を歪めた。




