486:氷解の歌声2
前回のざっくりあらすじ:ヘロスの町の風呂屋で、セラとダナは、帝国人の姉妹と出会った。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現が含まれます。ご注意下さい*
*次話の投稿は、3月12日(木)となります。
柔らかな印象のある木造の浴室は、その見た目に反して、ひりつくような熱い蒸気で満たされている。ダナがユリヤと話すうちに、セラも、じわじわと汗をかき始めた。
何も身につけていない身体は、血流の流れが良く見える。熱を持ち赤くなり始めたセラ以上に、透けるようなダナの白肌は真っ赤だ。
茹で蛸のようになりつつあるダナに、ポリーナが語りかけた。
「ダナ様。妹を責めないで頂けませんか。私たちは、あなた様を心配しているだけなんです」
「その、様っていうのやめてよ。何でそんなに、あたしを心配するの?」
「なぜ敵方についておられるのか分かりませんが、ダナ様は陛下と同じ、地の民の末裔だとお見受けしましたから」
「地の民? 皇帝は、それの末裔なの?」
「はい。私たちは陛下を直接見たことはありませんが、陛下とダナ様の色はよく似ています」
「色?」
「髪や肌、目の色です」
初めて聞く話に、ダナは、ぽかんと口を開けた。
「皇帝も白髪と白い肌で、赤目なの?」
「はい。陛下の髪は白銀だというお話なので、少し違うかもしれませんが。姿絵と同じに見えるので」
「それで関係があると思ったんだね」
ダナは、なるほどと頷き、言葉を継いだ。
「ごめんね。あたしは皇帝とは何の関係もないよ。生まれも育ちも、ここからずっと南に離れたモレンドだから」
「モレンド?」
「砂漠の国だよ。帝国と真逆で、一年中物凄い熱いの。雪なんか降らないし、どこに行っても砂だらけ」
「物凄い熱い……このサウナのような感じですか?」
「ううん。ここは湿っぽいけど、砂漠はもっと埃っぽいんだ」
国の気候が全く違うと聞いて、ダナが本当に遠い所から来たのだと、ポリーナたちは納得したようだった。ユリヤが残念そうに、はぁとため息を吐いた。
「やっぱり違うんだよ、姉さん」
「……そうね。地の民は、皇帝陛下しかおられない。陛下が勝たれることを、願うしかないのだわ」
苦しげに話す姉妹に、セラは、おずおずと問いかけた。
「あの、ポリーナさん。地の民って、何なんですか?」
セラの声に、ポリーナは怯えたように、ぴくりと肩を震わせる。ユリヤが苦笑いを浮かべ、代わりに答えた。
「地の民は、大昔に世界を治めていた人たちですよ。私たちを楽園に導いて下さるお方なんです。陛下は、その血を受け継ぐ最後の生き残りって言われてます」
「最後の?」
「皇帝一族が地の民の血筋だったんですけど、陛下が即位された際に、みんな処刑されましたから。今は陛下しか、残っていないんです」
セラとダナは、じっと話に耳を傾ける。ユリヤは、朗読でもするように話を続けた。
「ずっと昔、雪のように無垢で真っ白な地の民は、大地の精霊に深く愛されて、世界を統べる玉座に座っていました。その頃の世界は精霊の祝福を受けていたので、どこも春のように暖かく過ごしやすい楽園だったそうです。でも王たる地の民は、ある日やって来た侵略者に、その座を奪われました。逃げ惑う地の民を守るために、精霊は国ごと雪で覆い隠しました。それ以降、この国は不毛の大地になったんです。だから私たちは、地の民を敬って精霊の憂いを払わないといけないんです」
ユリヤの話は、帝国に昔から伝わる御伽話で、皇帝による独裁政治の所以となっているものだ。帝国人なら子どもでも知っている話だが、セラとダナは初耳だった。
「陛下は世界を取り戻し、私たちを楽園へ導くと約束して下さいました。この戦いに勝てば、もう寒い思いをしなくていい。たくさんの花や植物に囲まれて、明るい日の下で毎日楽しく暮らせるって。だから、陛下には絶対勝ってほしいんです」
皇帝は開戦に先立ち、国民に戦争の必要性を説いていた。姿は見せなかったものの、音声通信を用いて主要都市に向けて演説したのだ。
ヘロスでは研究所から町中に音声が流され、市民は直接皇帝の話を聞いた。その声を思い出しながら話すユリヤは、夢見る乙女のようだった。
しかし、その荒唐無稽な話を聞いたセラは、困惑してダナに問いかけた。
「ダナさん。この話って、本当なんでしょうか?」
「ある意味本当なんじゃない? 皇帝じゃなくても戦争に勝てば、国は潤うと思うから」
あっさり言ったダナの言葉に、黙っていたポリーナが目を瞬かせた。
「皇帝陛下じゃなくてもいいって、どういうことですか?」
「ここまで雪が多いのは、世界でも帝国だけだっていうのは分かるよね」
「はい」
「戦争に勝てば、もっと過ごしやすい土地を手に入れられる。そこに帝国人みんなで移り住めば、楽園に住むことになるでしょ。でもそれって、今の皇帝じゃなくても、戦争に勝てるなら誰でも出来ることだから」
ポリーナは信じられない様子で、声を震わせた。
「それは、陛下がこの地を捨てるということですか?」
「そう思うよ。地の民だか何だか知らないけど、皇帝だって人間なんだから。変な力があるとか、聞いたことないし」
「確かにそうですけど……。精霊の祝福を取り戻せれば、この国は変わるんです」
「変わるって、具体的に何がどう変わるの?」
「えっ……」
ダナの切り返しに、ポリーナは固まった。ダナは流れ落ちる汗を拭いながら、言葉を継いだ。
「石と発掘品で暮らしやすくするなら、まだ分かるけどさ。雪だらけのこの国を、いきなり年中春にするとか、そんなの無理でしょ。精霊の祝福っていうのも、皇帝の神性を高める方便なんじゃない?」
「そんな……嘘だって言うんですか⁉︎」
「だって気候を変えるなんて、とんでもないことだよ? それに帝国の歴史は数百年続いてて、ずっと皇帝一族が支配しているよね。しかもその間、帝国から戦争を仕掛けることはあっても、攻められたことはなかったはずだ。本当に精霊がいるなら、皇帝のいる帝都ぐらい祝福してくれたっていいじゃない」
「それは……」
ダナの話は筋が通っており、説得力があった。たじろいだポリーナに、ダナは淡々と話を続けた。
「そんなこともしてくれないんだからさ。精霊なんて嘘っぱちか、相当ケチくさいのかのどっちかだと思うよ。皇帝が戦争に勝ったって、そんなケチくさい精霊が国を良くしてくれるなんて、あたしは思わない。奇跡に縋るより、自分で動いた方が良いと思うよ」
言い聞かせるようなダナの話を聞いて、ユリヤが不安げに、ポリーナの腕を掴んだ。
「姉さん。陛下が戦争に勝っても、私たちはここを出なきゃいけないの?」
「ユリヤ……」
「父さんたちは山で眠ってるのに。離れなきゃダメ?」
ユリヤの問いに、ポリーナは黙り込んだ。姉妹の家族は、どうやら亡くなっているようだと察したものの、ここから先は家族の問題だ。ダナはこれ以上長居する必要はないと、立ち上がった。
「セラ、そろそろ出よう。暑いのは慣れてるけど、さすがに上せてきた」
「そうですね。ユリヤさん、ポリーナさん。お話聞かせてくれて、ありがとうございました」
セラは、ぺこりと頭を下げて、ダナと共に水を浴びに行った。
ゆっくり水をかけ、二人は火照った身体を冷ます。肌から熱が引いても身体の芯は温まっており、心地良い疲れがセラたちを包んだ。だが、先ほどの会話を思い返すセラの表情は、優れないままだった。
身体の怠さを感じながら二人が脱衣所へ戻ると、そこにいるはずのカサンドラの姿がなかった。何かあったのかと、セラとダナは急いで着替え、ロビーへ出る。
するとカサンドラは、ガラナの入った蓋付の籠の上に座り、エルネストと話をしていた。
「しっかり温まってきたみたいだね。二人とも、顔色が良くなってる」
ひらひらと手を振り笑ったカサンドラに、ダナは脱力した。
「中にいないから、びっくりしたよ。何でこっちにいるの?」
「そう、それ! このエロ蛇がさ、女湯を覗こうとしてたんだよ」
咎めるように言ったダナに、カサンドラは籠を叩きながら答えた。ダナは額に手を当て、ため息を吐いた。
「ガラナ……。後でお仕置きしないと」
眉間に皺を寄せたダナに、セラは苦笑した。
「そういえば、ガラナちゃんはおじさんだって、前にダナさん言ってましたね」
「そう。しかも、すっごいエロオヤジみたいに喋るんだ」
「エロオヤジ……?」
セラは想像しようとしたものの、うまくいかずに首をひねる。三人の会話に、エルネストが肩をすくめた。
「蛇に覗かれたって、どうってことないだろうに。言葉が分かるってのも面倒だな」
「言葉が分からなくたって止めないと。風呂屋に動物を入れるなんて、ダメなんだからさ」
「なら、部屋に置いてくりゃ良かったろうが」
「それは無理。ガラナは寒いの苦手なんだ」
「こんだけ雪の中で動いてるのにか?」
ダナとエルネストが話しているのを横目に、カサンドラが気を利かせてセラに水筒を差し出す。
水を飲みながらセラたちが談笑していると、ロビーの奥から、ニースたちの賑やかな声が響いた。
「聖皇国の蒸し風呂とは全然違ったけど、楽しかったね」
「まあね。これでレイを捕まえたりしなければ、良い国だったんだけどな」
「そうですね。お嬢様にも、いつかお楽しみ頂けるといいのですが」
「それにしても、まさか少尉があんなに粘るとはな。予想外だった」
「私は結構、我慢強いんですよ。でも、ジェラルドさんはさすがでしたね」
「ふふ。皆さんの素敵な姿を見れる貴重な機会ですからね。粘らなければ損ですよ」
「ジェラルド! 浮気するなんて酷いよ!」
「浮気だなんて、そんな。でも、嫉妬するマノロも可愛いですよ」
ニースとユリウス、ジミーの朗らかな話に続いて、エドガーたちとベンの、何やら意味ありげな話も響く。
一体、男たちは風呂で何をしてきたのかと、ダナとカサンドラが顔を見合わせる中、セラはニースに駆け寄った。
「ニース、おかえり! 帝国のお風呂どうだった?」
「すごく温まったよ。待たせちゃった?」
「ううん。大丈夫。ニースが上せてないか心配だったけど、楽しかったなら良かったよ」
ニースは、セラと初めて会った時に風呂で倒れた事を思い出し、苦笑した。
「僕とユリウスは、何回も水を浴びながら入ってきたんだ。エドガーさんたちとベンは、どれだけ熱さに耐えれるかって競争してたけどね」
ニースはセラと手を繋ぎ、砦へと歩き出す。ひとしきり感想を話したニースは、自分ばかり話してしまったと苦笑した。
「セラはどうだった? 冷えてない?」
ニースはセラの体温を逃さぬよう肩を抱き寄せ、マントで包み込んだ。セラは、ほんのり顔を赤くして微笑んだ。
「大丈夫だよ。まだ身体の中からポカポカしてる。外が気持ちいいなんて、不思議だね」
「そっか。セラもたくさん入ったんだね」
「うん。それでね、ポリーナさんとユリヤさんっていう姉妹と、サウナで一緒になったの」
セラは、民間人の二人から聞いた事を話した。
「帝国の人は、黒は不吉だからって避けてるみたいで。みんな私を見て、すぐに出てったの。でも、ポリーナさんたちはダナさんが皇帝と似てるからって、親切にしてくれたんだよ。ダナさんが一緒にいてくれて良かったよ。私一人じゃ、入り方が分からなくて、すぐに出てきたかも」
笑い話のようにセラは話したが、ニースには空元気のように感じられた。
かつてセラは、父親に目の色を指摘されたため、前髪を伸ばして瞳を隠し続けていた。そんなセラが受けた心の痛みを想像し、ニースは切なさを感じた。
「……その話、僕もマノロさんから聞いたよ」
ニースは男風呂で、マノロが集めた町の情報を聞いていた。その中には、皇帝の噂や主張。歌い手について言われてるのだろう、帝国の伝承も含まれていた。
「黒が不吉だっていうのは、ここからもう少し南西にある、山奥の廃村に伝わってた昔話が元になってるんだって。そこがポルテさんの生まれ故郷らしいんだ」
「ポルテさんって、ミランさんが助けた帝国の天の導きだよね? 不吉だって言われてる村にいたなら、大変だったんじゃない?」
「うん。それで、ポルテさんがまだ小さい時に、当時皇子だった皇帝が村から連れ出したんだって。クーデターが起きた後、村の人たちはポルテさんの報復を恐れて、村を捨てて逃げたらしいよ。もしかしたらその人たちも、そこの村の出身なのかも」
「もしそうなら……ポリーナさんはポルテさんのことを、知ってるかも。ユリヤさんは私より年下みたいだったから、知らないかもしれないけど」
セラはポリーナたちの姿を思い浮かべ、考えながら話した。
「ポリーナさんは、皇帝がポルテさんを連れて行ったのを、どう思ってたのかな。ダナさんのそばに私がいるのを、すごく心配してたけど」
苦しげなセラの呟きを聞いて、ニースは肩を抱く手に力を込めた。
「それって、皇帝が地の民っていう特別な存在だからでしょ? 帝国の人たちを幸せな楽園に導く救世主だっていう」
「うん。そうみたい」
「その話は、クーデターで即位した皇帝が、自分の正当性を高めるためにでっち上げたんだろうって、マノロさんが話してたよ」
「でっち上げ……。ダナさんも、そんな感じのこと言ってたよ」
セラは、こくりと頷いたが、悲しげに言葉を継いだ。
「でも、ポリーナさんたち帝国の人にとっては、皇帝が希望だったみたいなの。一年中寒いから、普通の人たちの暮らしは厳しいみたい」
「そうだろうね。帝国は発掘品をたくさん持ってるけど、食料は足りないんだって。寒いから、あんまり農作物が育たないらしくて。輸入に頼ってたのが、戦争で途絶えちゃったから大変みたい」
「そっか……。戦争なんて、しなきゃ良かったのにね」
ニースとセラの話を黙って聞いていたユリウスが、切なげに声を挟んだ。
「仕方ないと思うよ。食料を輸入に頼るってことは、命綱を握られてるようなものだから。皇帝は危機感を感じてたんじゃないのかな」
「危機感?」
「帝国には帝国の正義があるんだよ。まあ、だからってレイを攫ったのは許さないけどね」
怒りを込めながらも、ユリウスは真っ直ぐ前を見ながら言った。ニースは、町並みを眺めて顔を歪めた。
「皇帝やあの人のことは許せないけど。セラが会った姉妹みたいに、町の人たちは騙されてるようなものなんだよね。僕たちが侵略する形になっちゃったけど、和解出来たらいいな」
「ニースは優しすぎるよね。まあ、だからこそ、オレも恨みの矛先を間違えないようにしようって思えるんだけどさ」
ユリウスは、肩の力を抜いて笑った。二人の話に、ベンが、ふわりと笑みを浮かべた。
「歌い手のことも、誤解が解けるといいね。どんな力も、使う人によって善悪は変わる。歌の力だけじゃなく、権力や武力だって同じことなんだ。伝承に捉われて、人を見ないまま一律に、歌い手や天の導きを蔑ろにしていいはずがない。ユリウスみたいに、矛先を間違えないようになってほしいよ」
優しくも力強く語ったベンの言葉に、エルネストやジミー、エドガーたちも頷く。皆の温かい気持ちを感じ、ニースとセラ、ユリウスは、ありがとうと微笑んだ。
固まって通りを歩くニースたちの姿は目立つようで、街行く人々からは相変わらず冷たい目が向けられている。ニースは、いつかこの眼差しが和らぐ日が来る事を、町を包む青空に願った。




