485:氷解の歌声1
前回のざっくりあらすじ:ニースは、ミランの亡命を保留にするよう頼んだ。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現が含まれます。ご注意下さい*
*次話の投稿は、3月10日(火)となります。
窓辺から穏やかな日差しが差し込む部屋に、規則正しい寝息が響く。倒れ込むように眠ったニースは、コンコンと扉を叩く音に身動ぎ、ゆっくり目を開けた。
「ん……もう朝?」
『おはよう、ニース。もう昼よ』
ココが枕元で囁いた言葉に、ニースは慌てて飛び起きた。
「えっ! もうお昼なの⁉︎」
思わず叫んだニースの声は大きく、部屋の外まで届いたようだった。扉の向こう側から、くすくすと笑う声と共に、セラの声が響いた。
「ニース、起きた?」
「セラ、おはよう! ちょっと待ってて!」
ニースが着替えを取り出そうと鞄をひっくり返すと、ユリウスの声が続いた。
「ニース。これから着替えるつもりなら、その着替えを持って出てきなよ。風呂に行こう」
「お風呂?」
意外な話に、ニースは手を止め、扉の隙間から顔を出した。
「帝国にもお風呂があるの?」
「おはよう、ニース。帝国風呂は、熱めの蒸気を使ったものらしいよ。身体が温まるって、お祖父様から聞いたことがあるんだ」
寝癖が付いたままのニースに、ユリウスは苦笑しながらも説明した。セラが少しでも整えようと、ニースの髪に手を伸ばした。
「ここの町は大きいから、そのお風呂があるんだって。疲れてるだろうから疲れを取っておいでって、アンヘルお義兄様が言ってくれたの」
「そうなんだ。分かった」
ニースは手早く顔だけ洗い、バードとココを部屋に残して外へ出た。通路にはセラとユリウスの他に、エルネストとベン、ジミーがいたが、ルポルの姿はなかった。
「あれ? ルポルは?」
「ルポルお義兄さんは、先にアンヘルお義兄様とお風呂に入ってきたんだよ。今は、ケイトさんの所に行ってるよ」
「兄様とルポルが一緒に……?」
珍しい組み合わせに、ニースは目を瞬かせた。ベンが歩きながら、肩をすくめた。
「昨日さ、ルポルの番号が四番だって話をしたろう?」
「うん。ファンクラブのだよね」
「そう。アンヘル殿は、六番目なんだよ」
ニースは、何のためにルポルが風呂へ誘われたのか察し、苦笑した。
「フィリップさんが教えたんだね。それでルポルは、交換させられたの?」
「いや、断ったって。それで怖かったから、癒しをもらってくるって出かけていった」
「癒し……」
ケイトの独特な口調を思い浮かべ、ニースは、なるほどと頷いた。エルネストが呆れた様子で小さく笑った。
「くだらないことのために、俺の部下を呼び出しやがって。アンヘルといい、司令といい。お前らの兄貴は、二人ともどうかしてるよ」
理解出来ないと話すエルネストに、セラが唇を尖らせた。
「私はユリウスが羨ましいです。ニースの一番最初のファンは、私だったのに」
不満げに呟いたセラに、ユリウスは笑った。
「オレはスポンサー特典だから。第一、それを言うならルポルの方が先なんじゃないの?」
「ルポルお義兄さんは、家族だから数えちゃダメなの」
「それならセラだって、ニースの家族になるんだから会員にならなくていいんじゃない?」
「か、家族……! でも、それとこれとは別の話なの!」
茶化すユリウスに、セラは照れくさそうに顔を赤くする。楽しげに笑うユリウスを、ジミーが温かな目で見守った。
そうして、わいわいと賑やかに話しながらニースたちが砦を出ると、頭上には青空が広がっていた。
「良い天気だね」
「うん。最近は雪の量も減ってきたね」
風もなく、穏やかな日の光に照らされたヘロスの街並みを、ニースとセラは眺めながら歩いた。
道や屋根には雪が積もっており、窓辺からは氷柱が吊り下がっているが、目に映る景色は色鮮やかだ。ヘロスでは、長い冬に彩りを加えるため、赤や黄など明るい色で家々を塗っていた。
しかしニースたちは、のんびり景色を楽しむ気にはなれなかった。元は美しい街並みだったろう大通りは、そこかしこで石畳が剥がれ、建ち並ぶ家の窓ガラスが割れたりと無残な姿だからだ。
同盟軍は住民に配慮して町へ戦車を入れなかったため、その被害は比較的小さく済んだ。だが、住民にとっては苦痛に変わりないだろう。
ニースは胸の痛みを感じながら、街行く人々を目で追った。
「今度は僕たちが、侵略する側になっちゃったんだね」
後片付けに追われるヘロスの人々から向けられる視線は、冷たいものだ。ニースは、これまで救ってきた共和国や王国の様子を思い浮かべ、呟いた。
セラが慰めるように、ニースの手を掴んだ。
「しょうがないよ。こうしないと、レイチェルを助けに行けないんだもん」
「うん。そうなんだけどね。この人たちは、何も悪くないから」
「ニース……」
ごめんねと気持ちを込めて、ニースはセラの手を握り返す。手を繋いで歩く二人を、ユリウスたちが無言で見守る。
そこへ背後から、呼び止める声が響いた。
「ニース、セラ! ちょいと待っとくれよ」
「カサンドラさん?」
ニースが振り向くと、カサンドラだけでなくエドガーとダナ、ジェラルド、マノロも砦を出て歩いてきていた。どうしたのかと足を止めた二人の元へ、カサンドラは駆け寄った。
「間に合って良かったよ。……エルネスト。セラを一人で風呂に入れる気かい?」
睨み付けるカサンドラに、エルネストはため息を吐いた。
「軍が押さえてんだ。問題ねえだろ」
「それは男風呂の話だろ? 女風呂は民間人も使ってるってさ」
「そうなのか?」
カサンドラの横から、マノロが声を挟んだ。
「ついさっき聞いたから、確かだよ。女は数が少ないから、一般にも使わせてるって。帝国には女スパイもいるから、セラを一人にしない方がいいよ」
「そうか。悪かったな」
マノロには素直に笑ったエルネストに、カサンドラは不服そうに顔を歪める。それを横目に見ながら、セラはダナに問いかけた。
「ダナさん。ガラナちゃんもお風呂に入るんですか?」
「いや。ガラナは入らないよ」
「じゃあ、その籠は?」
ダナは、いつもガラナを入れている籠を背負っていた。首を傾げたセラに、ダナは、にっこり笑った。
「ガラナだよ。外の見張りを頼もうと思って」
「そうなんですね。ガラナちゃん、よろしくね」
セラは籠越しにガラナに語りかける。ガラナは籠の蓋を少し押し上げて、舌をチロチロと出した。
ヘロスの風呂屋は、赤く塗られた箱型の建屋だった。疲れを癒してきたのだろう、数人の同盟軍兵士と入れ替わるように、一行は中へ入る。
男女別の入り口はロビーにあり、その片隅にダナはガラナの籠を置いた。
「エルネストも見張りに残るんでしょ? ガラナのこと、よろしくね」
「おうよ」
エルネストを残し、ニースたちは男風呂へ。セラは、ダナ、カサンドラと共に女風呂へ向かった。
セラたちが脱衣所へ入ると、数人いた女性たちが驚いた様子で動きを止めた。
「……なんか、びっくりされてますね」
「まあ、あたしたちは余所者だからね」
明らかに歓迎されていない雰囲気にセラは戸惑い、ダナが肩をすくめた。カサンドラが女性たちの間へ堂々と割り込み、セラを手招いた。
「ほら。さっさと脱いで、入ってきな」
「カサンドラさんは、入らないんですか?」
「ガラナが見張ってはいるけど、脱衣所で何かあっても困るだろう? あたいは後で入りに来るから、今はダナと行ってきな」
カサンドラに急かされて、セラは不安を感じながらも服を脱ぐ。部屋にいた女性たちは、慌ただしく身だしなみを整え、逃げるように去って行った。
三人だけとなった脱衣所で、ダナも真っ白なローブを脱ぐ。セラとダナはタオルや石鹸を手に、浴場へ向かった。
「蒸し風呂だって聞いたんですけど、普通のシャワー室ですね」
「奥に扉があるから、その向こうじゃない? さっさと洗って行こうよ」
二人は手早く身を清め、さらに奥の小部屋へ向かう。可愛らしい蔦模様の描かれた木製の扉を開けると、大量の湯気が中から出てきた。
「うわ、すごい!」
「早く入らないと」
セラとダナは、慌てて中へ入り扉を閉めた。熱せられた床板の温度と、初めて吸い込んだ高温の蒸気に、二人は思わず息を止める。
ほのかな明かりに照らされた室内には女性が二人いたが、セラたちはそれ以上、一歩も動けなかった。
「あ、熱い!」
「これ無理だ! 一回出るよ!」
二人は悲鳴のような声を上げて、慌てて外へ出る。ひやりとした空気にほっと息を吐いていると、ギィと扉が開かれた。
「あの……サウナは初めてですか?」
そっと顔を出したのは、セラより少し小さい栗毛の少女だった。おずおずと問いかけた少女に、ダナは苦笑を返した。
「うん。あたしたち、外から来たから」
「……そう、ですか」
ダナの言葉を聞いて、少女は困惑した様子で視線を彷徨わせた。すると、少女の後ろから顔のよく似た女性が出てきた。
「ユリヤ、大丈夫?」
「姉さん。大丈夫だけど……やっぱり違ったみたい」
「そう」
ユリヤと呼ばれた少女は、姉だという女性に答えると、取り繕ったように笑みを浮かべた。
「あの、サウナに入るなら、水を拭いた方がいいですよ」
「水?」
「身体に残ってる、シャワーの水滴です。あと、熱いなら床にタオルを敷くといいです。ちょっと我慢してれば慣れますよ」
ユリヤは、姉と共に水を浴びに行った。セラとダナは顔を見合わせ、言われた通りに身体を拭い、再び中へ入る。
タオルの上に座り、じっとしていると、徐々に呼吸出来るようになっていった。
「さっきの、ユリヤちゃんでしたっけ。教えてもらえて助かりましたね」
「そうだね。エドたちは大丈夫かなぁ?」
じんわりと身体に熱が溜まるのを感じながら、二人は朗らかに話した。するとユリヤたちが、また小部屋へ戻ってきた。
「あ、さっきはありがとう」
「い、いえ……」
にっこり笑ったセラから、ユリヤは気まずそうに視線を逸らす。セラは、先ほどニースと話した事を思い返した。
――レイチェルを助けるために必要だから、ここへ来たけど。この人たちに、それは関係ない。結局私たちは、町の人たちにとっては侵略者なんだ。
親切にしてもらえても、仲良くはなれないのだと感じ、セラは、しゅんと肩を落とした。しかし、ユリヤたちが部屋を出る事なく腰を下ろしたのを見て、セラは意を決して語りかけた。
「あの、私はセラっていいます。あなたの名前はユリヤさん、なんですよね?」
「え……。あ、はい。そうですけど……」
ユリヤが困惑した様子で、もごもごと口籠ったのを見て、ダナがセラを小突いた。
「セラ。無理に話しかけちゃダメだよ」
「そうですね、ごめんなさい」
ダナに窘められ、セラは俯いた。すると、ユリヤの姉がダナに問いかけた。
「あの、私はユリヤの姉でポリーナです。その……あなた方は、同盟軍の方なんですよね?」
意外にもユリヤの姉が名乗ったので、ダナは驚きながら頷いた。
「そうだよ。あたしはダナ。同盟軍で傭兵をやってるんだ」
「ダナ様、ですか」
ポリーナは、ちらりとセラを見て話を続けた。
「そちらの方の瞳は黒いですよね。ダナ様は、なぜ共におられるのですか?」
「なぜって……。ていうか、様とか付けなくていいよ?」
ポリーナの問いに、ダナは首を傾げた。セラは、ポリーナたちが歌い手を避けたいのだと気付き、はっとして手を握りしめた。
ユリヤが咎めるように、ポリーナの膝を突いた。
「姉さん。そんなこと言ったら、あの子が可哀想だよ」
「でも、黒は災いを呼ぶのよ。ダナ様に何かあったら……」
「そうだけど、ダナ様は敵だよ。皇帝陛下とは違う」
皇帝と聞いて、ダナは表情を引き締めた。
「ねえ。黒が災いって何? あなたたちは、あたしと皇帝に何か繋がりがあると思ったの?」
「あ、ええと……」
ダナの問いに、ユリヤが気まずそうに、もごもごと答えた。
「黒は凶事を呼び寄せる不吉な色だという、言い伝えがあるんです」
「ずいぶんな迷信だね。黒は歌い手の証だよ。このサウナにだって色んな石が使われてるけど、歌い手がいなかったら使えない。それなのに、そんな話を信じてるの?」
「それは……」
険のあるダナの声に、ユリヤは口を噤む。先ほど水を浴びてきたばかりだというのに、ユリヤの額には汗が滲んでいた。




