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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第4章 はじめてのユニゾン】
56/647

46:苦難の末に2

前回のざっくりあらすじ:セラが、父ヘラルドに攫われた。


*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、痛ましい表現が含まれます。ご注意下さい*

 薄暗い部屋の扉に、メグの華奢な手が伸びる。廊下を覗こうと、メグは静かに開けようとしたが、扉は不意に勢いよく開かれた。


「痛っ!」

「メグ⁉︎」


 突如開いた扉は、メグを直撃した。メグの上げた小さな悲鳴に、ノックもせずに扉を開けた張本人……ラチェットは、慌てて部屋へ入ってきた。


「ごめん! まさか、そこにいるとは思わなくて!」


 額を押さえて(うずくま)るメグの顔を、ラチェットは覗き込んだ。

 ラチェットの眼鏡は、レンズが片方しか残っておらず、曲がった蔓は無理やり伸ばして布で固定してあった。

 焦点が合い難いのだろう。ラチェットは目を細め、顔を近付けたり離したりしてメグを見つめる。そんなラチェットの頬には、消毒液の跡が付いていた。


「腫れてないかい? 他にぶつけた場所は?」

「うぅ、大丈夫よ……。ちょっとぶつかっただけだから……」

「本当にごめん。僕としたことが、ノックを忘れてて」


 メグは、痛みに目を潤ませながらも立ち上がる。ラチェットはメグを椅子へ座らせると、部屋を見渡した。


「メグ。ニースは?」

「ぼく、ここにいます」

「うわっ……⁉︎」


 奥の暗がりから、ニースは一歩、歩み出た。

 ニースに驚かせる気はなかったものの、怪しい仮面が、突然ぬっと出てきたのだ。ただでさえ視界がハッキリしないラチェットは驚き、腰を抜かしそうになった。

 固まるラチェットに、ニースは気まずさを感じて頭を下げた。


「驚かせて、ごめんなさい」

「……いや、いいんだ」


 ラチェットは、ふぅと息を吐き、気持ちを整えると、にっこり笑った。


「二人とも、朗報だよ。セラちゃんが見つかった」

「本当に⁉︎」


 ラチェットの言葉に、メグは勢いよく立ち上がり、ニースは声もなく、へなへなと床に膝をついた。


「ニース、大丈夫かい?」

「すみません。安心したら力が抜けちゃって……」


 手を差し伸べたラチェットに、ニースは、えへへと笑って恥ずかしさを誤魔化した。

 ラチェットはニースを引き起こし、メグの隣に座らせる。メグは焦りを堪えて、ラチェットに問いかけた。


「それで、セラはどこ? 無事なの?」


 メグはラチェットに掴みかかりそうになりながらも、ぐっと手を引っ込めた。ラチェットはさり気なく、テーブルを挟んで向かい合うように腰を下ろした。


「セラちゃんは無事だよ。今は応接室で治療を受けてる。殴られて怪我をしているけど、大きな怪我ではないって」

「よかった……」


 メグはへなへなと、椅子に座り込んだ。ニースは仮面を外し、窺うように問いかけた。


「あ、あの……ラチェットさん。セラのお父さんは?」

「セラちゃんのお父さんは、捕まったそうだ。警備隊の詰所に連れていかれたと聞いたよ」

「それじゃ、セラのお父さんは……」

「人身売買は、どこの国でも重罪だ。例え家族でも許されないよ。それに、トリフォンさんも殺しかけたんだ。しばらくは取り調べを受けるだろうけど、その後は……処刑されるだろうね」


 ニースにも予想出来た事だが、はっきり告げられた事実は重いものだ。ニースはセラの気持ちを想い、苦しさに顔を歪めた。


 薄暗い部屋に、沈痛な空気が漂う。黙り込んだニースの傍らで、空気を変えるように、メグが声を挟んだ。

 

「そういえば、お父さんたちはどうしたのよ」


 思い出したようなメグの問いに、ラチェットは苦笑した。しかしラチェットが答える前に、部屋の扉が開いた。


「おいおい。俺たちはついでとか、そりゃないぜ、お嬢」


 ゆっくり部屋へ入ってきたのは、マルコムだった。メグは気まずさを誤魔化すように、マルコムを睨んだ。


「ちょっと、マルコム。無事だったのはいいけど、ノックぐらいしなさいよ」

「中から話し声が聞こえたし、扉もちゃんと閉まってなかったからな。まあ、そう怒るなって」


 マルコムの頬には殴られたような跡があり、唇の端も切れていた。だが治療は受けてきたようで、マルコムの手には氷嚢が握られていた。

 マルコムは頬に氷嚢を当てながら、ラチェットの隣に座った。


「俺は怪我をしたが、グスタフとジーナは擦り傷すらない。二人とも今は食堂で、事情を話してる」


 マルコムは、おどけたように肩をすくめた。


「俺は顔を怪我していたから、そのままこっちに来たんだ。二人がいれば、説明なんか充分だろ」

「お父さんたちなら、大丈夫だと思ったわ」

「みなさん無事で良かったです」


 メグとニースは、安心して笑みをこぼした。マルコムは、疲れた様子で言葉を継いだ。


「それで今夜の公演なんだが、会場になるはずの食堂が、警備隊に押さえられてるからな。公演は中止だ」

「なんで食堂に警備隊が? 襲われたのって、納屋でしょ?」


 首を傾げたメグに、ラチェットが答えた。


「町の人たちも、セラちゃんの捜索に加わったんだ。それで、捜索の指揮を執るのに急遽接収されたって、女将さんが言ってたよ」

「そんなことってあるのね」


 マルコムは、穏やかに話を続けた。


「それから明日の出発だが、少し遅らせることになった。セラちゃんのこともあるし、何日延期するかは、これから相談だな」


 マルコムの話に頷きながら、メグは問いかけた。


「宿はどうするの?」

「宿はご主人の厚意で、とりあえず一週間は押さえてもらっている。俺たち以外の客は、この騒ぎでみんな宿を移ったそうだ。警備隊が撤収して、食堂が使えるようになるまで、新しい客は取らないらしい」

「……そうなのね」


 メグは気の毒に感じた様子で、目を伏せた。マルコムの話が終わると、ニースは、そわそわして口を開いた。


「あの……セラの様子を見に行ってもいいですか?」


 ニースの問いに、マルコムは微笑んで答えた。


「ああ。そろそろ治療も終わる頃だろう。警備兵に色々聞かれて動揺していたし、ニースの顔を見た方が、セラちゃんも落ち着くかもな」

「わかりました。ぼく、行ってきます」


 ニースは表情を引き締め、仮面を手に立ち上がった。すると、メグも立ち上がった。


「私も行くわ」


 マルコムは、すかさずメグを止めた。


「お嬢は明日にしとけ。あまり何人で行っても、かえってセラちゃんが疲れるだけだ」

「そう。……そうよね」


 メグが肩を落として座ると、今度はラチェットが立ち上がった。


「ニースは応接室の場所を知らないだろう? 僕が案内するよ」

「え⁉︎ なんでラチェットがそんな場所知ってるのよ!」


 はっとして声を上げたメグに、ラチェットは肩をすくめた。


「さっき治療を受けに行ったから」

「あ……」


 ラチェットの言葉に、メグは気まずそうに顔を歪めた。ラチェットは、ふっと笑みを浮かべた。


「メグ、マルコムさんをよろしくね。怪我をしてるから」

「……分かったわよ」


 メグは憎々しげに、じっとりとした視線をラチェットに送った。しかしラチェットは気にするそぶりもなく、ニースを連れて部屋を出て行った。

 マルコムは、いつもと違う二人の様子に苦笑いを浮かべた。



 ラチェットは、仮面を付け直したニースと共に一階へ降りた。応接室の扉をノックしようとすると、中からすすり泣く声が聞こえてきた。ラチェットは、困ったように眉根を寄せた。


「セラちゃん、泣いてるみたいだね。ニース、どうする? もう少し待った方が良さそうだけど」

「そうですね……。明日にした方がいいのかな」

「でもニースは慰めに来たんだろう? ロビーで待つのも手だよ。部屋に戻ってもいいけど」

「うーん……」


 どうしようかとニースが悩んでいると、応接室の扉が開いた。


「では、私はこれで。教会には、すぐ派遣してもらえるよう伝えておくよ」

「ありがとうございます。少しでも治るといいんですが……」


 出てきたのは、ラチェットの怪我を診た医者とベニーノだった。医者はラチェットの顔を見て、心配そうに語りかけた。


「おや、君は先ほどの。まだ体のどこかが痛むのかね」

「いえ、先生。先ほど運ばれた女の子の事が気になりまして……」


 医者は、ラチェットの後ろで隠れるように立っているニースを見て、微笑んだ。


「今は泣いているが、入ってあげるといい。じきに落ち着くよ」

「わかりました」

「ありがとうございます」


 ニースが、ぺこりとお辞儀をすると、医者はベニーノを連れて去っていった。



 ニースとラチェットは、閉まりきっていなかった扉から、応接室の中を覗いた。セラは、ソファに座る女将に抱きつき、すすり泣いていた。

 ニースは、自分がかつてリンドの胸で泣いた事を思い出し、胸の痛みを感じた。


 セラの頬は少し腫れているが、他に目立った傷はない。女将はセラの背中を撫でながら、ニースたちへ切なげな笑みを向けた。

 少しだけ待ってねと言うような視線に、ニースとラチェットは軽く頷き、部屋へ入った。ラチェットは、そっと扉を閉め、ニースは仮面を外す。二人は、セラが落ち着くのをその場で待った。


 しばらくしてセラが泣き止むと、女将はコップに水を注ぎ、セラに渡した。セラは一気に水を飲み干し、ニースたちがいる事に気がついた。


「あ……」


 泣いていたのを見られ、恥ずかしかったのだろう。セラは頬を赤くして俯いた。女将は、優しい笑みをニースたちに向けた。


「お待たせしてすみません。どうぞお座り下さい」

「ありがとうございます」

「セラ、勝手に入ってごめんね」


 二人はセラを気遣いつつ、向かいのソファに腰を下ろす。女将が、セラの頭をくしゃりと撫でた。


「セラ。もう大丈夫かしら」

「はい。女将さん、ありがとうございました」

「何か簡単な夕食を持ってくるわ。お腹空いたでしょう?」


 女将が微笑むと、セラは耳まで真っ赤になり、小さく頷いた。女将は、ニースとラチェットにも微笑みを向けた。


「お二人も、ご一緒にどうですか。ここにお持ちしますから」


 ラチェットとニースは顔を見合わせたが、二人が返事を決める前に、ニースのお腹が、ぐうと鳴った。

 ラチェットが微笑み、目線で促す。ニースは苦笑いを浮かべ、答えを返した。


「えっと……お願いしてもいいですか?」

「ええ。すぐ用意しますから、お待ち下さいね」


 女将は微笑んで頷くと、部屋を出ていった。


 柔らかなランプの炎が、三人だけの部屋を照らす。セラは俯いたまま、ぽつりと呟いた。


「あの……ニース、心配かけちゃったね。ごめんね」


 気まずそうに言ったセラに、ニースは頭を振った。


「ううん。セラが謝る必要なんてないよ。セラは何も悪くないんだから」


 優しいニースの声音に、セラは顔を上げ、泣きそうに口元を歪めた。


「うん……うん。……ありがとう」


 ニースは立ち上がり、セラの隣へ座った。ニースがそっとセラの背を撫でると、ラチェットが手布(ハンカチ)を差し出した。

 セラは手布を受け取り、目に滲んだ涙を拭う。はぁと息を吐くと、セラは小さな声で語り出した。


「あのね、私ね。……お父さんのこと、大好きだったの」


 ニースはそっと、セラの背を撫で続けた。


「お父さん、昔は優しかったの。私、もうあんまり覚えてないけど。お母さんが生きていた頃は……お父さんは、優しかった」


 セラはキュッと唇を噛んで俯き、ぽつり、ぽつりと、震える声で言葉をこぼした。


「いつかまた、あの頃みたいになれるって。お母さんがいなくても、きっと、お父さんと、暮らしていけるって……そう、思ってた。思ってたんだよ、私……」


 セラは、ニースへと顔を向けた。ニースには痛いほどセラの気持ちがよく分かった。ニースは小さく頷いて、セラの手を握った。セラは、ぎゅっとニースの手を握り返した。


「でもね、今日、わかったよ。……もう、無理なんだって。大好きなお父さんは……もう、いないんだって」


 セラは、絞り出すように言うと、顔をくしゃりと歪めて、手で顔を覆った。髪を結んでいたリボンが外れ、はらりと赤く長い髪が落ちた。

 ずっと燻っていた、セラの心のしこりを解すように、ニースはそっと、セラの頭を撫でた。


 セラの慟哭が、部屋に響く。ラチェットが立ち上がり、セラの背をぽんぽんと、赤子をあやすように優しく叩いた。

 ランプの炎がゆらゆらと揺らめいて、泣きじゃくるセラを照らす。ニースとラチェットは、セラが泣き止むまで、頭と背を優しく撫で続けた。



 女将が食事を運んでくる頃には、セラはすっかり泣き止んでいた。ラチェットが貸した手布は、そのままセラに譲り渡される事になった。

 たくさん泣いたセラは、よほどお腹が空いていたようで、貪るように夕食を食べた。ニースは驚いたが、セラがご飯を食べられて良かったと、心から思った。


 一通り食べ終えると、セラは満足したように笑みを浮かべた。そして表情を引き締め、口を開いた。


「女将さん。私、ニースたちと一緒に行こうと思います」


 セラの声は、決して自棄になって言ったものではなく、意思を込めた声音だった。


「今まで、たくさんお世話になって、お父さんのことも……。たくさん、迷惑をかけてしまって……」


 申し訳なく感じているのだろう。セラの言葉は、少しずつ小さくなっていった。女将は優しい微笑みを浮かべ、セラの頭を撫でた。


「迷惑なんて、かけられてないわ。私たちみんな、セラの成長を見守るのが好きだったのよ。あなたが元気に笑って暮らしてくれることが、私たちの喜びなの」

「女将さん……」


 セラは再び泣きそうに、顔をくしゃりと歪めたが、今度は唇を噛んで泣くのを堪えた。

 自分の頬をぽんぽんと両手で軽く叩き、ふぅと息を吐くと、セラは努めて微笑みを浮かべた。女将はセラの背中を押すように、ゆっくりと頷いた。

 セラは立ち上がり、ニースとラチェットに、ぺこりと頭を下げた。


「私、みなさんと一緒に行きたいです! よろしくお願いします!」

「うん。よろしくね、セラ」


 ニースは笑みを浮かべ頷いたが、ラチェットは苦笑いを浮かべた。


「僕は嬉しいけど、その言葉は座長に言ってほしいかな?」


 ニースは、ふふふと笑い、セラは恥ずかしそうに、えへへと笑った。女将はセラの笑顔を見て、愛おしげに顔をほころばせた。


 すっかり夜更けとなった町には、穏やかな眠りの時が満ちている。グスタフへの挨拶は翌朝へと持ち越しになり、セラは旅立ちの日まで女将の部屋に泊まる事となった。

 ニースとラチェットは、ほっと安堵しながら部屋へ戻り、慌ただしい一日を終えた。満天の星空には、二つの月が優しい光を放っていた。

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