46:苦難の末に2
前回のざっくりあらすじ:セラが、父ヘラルドに攫われた。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、痛ましい表現が含まれます。ご注意下さい*
薄暗い部屋の扉に、メグの華奢な手が伸びる。廊下を覗こうと、メグは静かに開けようとしたが、扉は不意に勢いよく開かれた。
「痛っ!」
「メグ⁉︎」
突如開いた扉は、メグを直撃した。メグの上げた小さな悲鳴に、ノックもせずに扉を開けた張本人……ラチェットは、慌てて部屋へ入ってきた。
「ごめん! まさか、そこにいるとは思わなくて!」
額を押さえて蹲るメグの顔を、ラチェットは覗き込んだ。
ラチェットの眼鏡は、レンズが片方しか残っておらず、曲がった蔓は無理やり伸ばして布で固定してあった。
焦点が合い難いのだろう。ラチェットは目を細め、顔を近付けたり離したりしてメグを見つめる。そんなラチェットの頬には、消毒液の跡が付いていた。
「腫れてないかい? 他にぶつけた場所は?」
「うぅ、大丈夫よ……。ちょっとぶつかっただけだから……」
「本当にごめん。僕としたことが、ノックを忘れてて」
メグは、痛みに目を潤ませながらも立ち上がる。ラチェットはメグを椅子へ座らせると、部屋を見渡した。
「メグ。ニースは?」
「ぼく、ここにいます」
「うわっ……⁉︎」
奥の暗がりから、ニースは一歩、歩み出た。
ニースに驚かせる気はなかったものの、怪しい仮面が、突然ぬっと出てきたのだ。ただでさえ視界がハッキリしないラチェットは驚き、腰を抜かしそうになった。
固まるラチェットに、ニースは気まずさを感じて頭を下げた。
「驚かせて、ごめんなさい」
「……いや、いいんだ」
ラチェットは、ふぅと息を吐き、気持ちを整えると、にっこり笑った。
「二人とも、朗報だよ。セラちゃんが見つかった」
「本当に⁉︎」
ラチェットの言葉に、メグは勢いよく立ち上がり、ニースは声もなく、へなへなと床に膝をついた。
「ニース、大丈夫かい?」
「すみません。安心したら力が抜けちゃって……」
手を差し伸べたラチェットに、ニースは、えへへと笑って恥ずかしさを誤魔化した。
ラチェットはニースを引き起こし、メグの隣に座らせる。メグは焦りを堪えて、ラチェットに問いかけた。
「それで、セラはどこ? 無事なの?」
メグはラチェットに掴みかかりそうになりながらも、ぐっと手を引っ込めた。ラチェットはさり気なく、テーブルを挟んで向かい合うように腰を下ろした。
「セラちゃんは無事だよ。今は応接室で治療を受けてる。殴られて怪我をしているけど、大きな怪我ではないって」
「よかった……」
メグはへなへなと、椅子に座り込んだ。ニースは仮面を外し、窺うように問いかけた。
「あ、あの……ラチェットさん。セラのお父さんは?」
「セラちゃんのお父さんは、捕まったそうだ。警備隊の詰所に連れていかれたと聞いたよ」
「それじゃ、セラのお父さんは……」
「人身売買は、どこの国でも重罪だ。例え家族でも許されないよ。それに、トリフォンさんも殺しかけたんだ。しばらくは取り調べを受けるだろうけど、その後は……処刑されるだろうね」
ニースにも予想出来た事だが、はっきり告げられた事実は重いものだ。ニースはセラの気持ちを想い、苦しさに顔を歪めた。
薄暗い部屋に、沈痛な空気が漂う。黙り込んだニースの傍らで、空気を変えるように、メグが声を挟んだ。
「そういえば、お父さんたちはどうしたのよ」
思い出したようなメグの問いに、ラチェットは苦笑した。しかしラチェットが答える前に、部屋の扉が開いた。
「おいおい。俺たちはついでとか、そりゃないぜ、お嬢」
ゆっくり部屋へ入ってきたのは、マルコムだった。メグは気まずさを誤魔化すように、マルコムを睨んだ。
「ちょっと、マルコム。無事だったのはいいけど、ノックぐらいしなさいよ」
「中から話し声が聞こえたし、扉もちゃんと閉まってなかったからな。まあ、そう怒るなって」
マルコムの頬には殴られたような跡があり、唇の端も切れていた。だが治療は受けてきたようで、マルコムの手には氷嚢が握られていた。
マルコムは頬に氷嚢を当てながら、ラチェットの隣に座った。
「俺は怪我をしたが、グスタフとジーナは擦り傷すらない。二人とも今は食堂で、事情を話してる」
マルコムは、おどけたように肩をすくめた。
「俺は顔を怪我していたから、そのままこっちに来たんだ。二人がいれば、説明なんか充分だろ」
「お父さんたちなら、大丈夫だと思ったわ」
「みなさん無事で良かったです」
メグとニースは、安心して笑みをこぼした。マルコムは、疲れた様子で言葉を継いだ。
「それで今夜の公演なんだが、会場になるはずの食堂が、警備隊に押さえられてるからな。公演は中止だ」
「なんで食堂に警備隊が? 襲われたのって、納屋でしょ?」
首を傾げたメグに、ラチェットが答えた。
「町の人たちも、セラちゃんの捜索に加わったんだ。それで、捜索の指揮を執るのに急遽接収されたって、女将さんが言ってたよ」
「そんなことってあるのね」
マルコムは、穏やかに話を続けた。
「それから明日の出発だが、少し遅らせることになった。セラちゃんのこともあるし、何日延期するかは、これから相談だな」
マルコムの話に頷きながら、メグは問いかけた。
「宿はどうするの?」
「宿はご主人の厚意で、とりあえず一週間は押さえてもらっている。俺たち以外の客は、この騒ぎでみんな宿を移ったそうだ。警備隊が撤収して、食堂が使えるようになるまで、新しい客は取らないらしい」
「……そうなのね」
メグは気の毒に感じた様子で、目を伏せた。マルコムの話が終わると、ニースは、そわそわして口を開いた。
「あの……セラの様子を見に行ってもいいですか?」
ニースの問いに、マルコムは微笑んで答えた。
「ああ。そろそろ治療も終わる頃だろう。警備兵に色々聞かれて動揺していたし、ニースの顔を見た方が、セラちゃんも落ち着くかもな」
「わかりました。ぼく、行ってきます」
ニースは表情を引き締め、仮面を手に立ち上がった。すると、メグも立ち上がった。
「私も行くわ」
マルコムは、すかさずメグを止めた。
「お嬢は明日にしとけ。あまり何人で行っても、かえってセラちゃんが疲れるだけだ」
「そう。……そうよね」
メグが肩を落として座ると、今度はラチェットが立ち上がった。
「ニースは応接室の場所を知らないだろう? 僕が案内するよ」
「え⁉︎ なんでラチェットがそんな場所知ってるのよ!」
はっとして声を上げたメグに、ラチェットは肩をすくめた。
「さっき治療を受けに行ったから」
「あ……」
ラチェットの言葉に、メグは気まずそうに顔を歪めた。ラチェットは、ふっと笑みを浮かべた。
「メグ、マルコムさんをよろしくね。怪我をしてるから」
「……分かったわよ」
メグは憎々しげに、じっとりとした視線をラチェットに送った。しかしラチェットは気にするそぶりもなく、ニースを連れて部屋を出て行った。
マルコムは、いつもと違う二人の様子に苦笑いを浮かべた。
ラチェットは、仮面を付け直したニースと共に一階へ降りた。応接室の扉をノックしようとすると、中からすすり泣く声が聞こえてきた。ラチェットは、困ったように眉根を寄せた。
「セラちゃん、泣いてるみたいだね。ニース、どうする? もう少し待った方が良さそうだけど」
「そうですね……。明日にした方がいいのかな」
「でもニースは慰めに来たんだろう? ロビーで待つのも手だよ。部屋に戻ってもいいけど」
「うーん……」
どうしようかとニースが悩んでいると、応接室の扉が開いた。
「では、私はこれで。教会には、すぐ派遣してもらえるよう伝えておくよ」
「ありがとうございます。少しでも治るといいんですが……」
出てきたのは、ラチェットの怪我を診た医者とベニーノだった。医者はラチェットの顔を見て、心配そうに語りかけた。
「おや、君は先ほどの。まだ体のどこかが痛むのかね」
「いえ、先生。先ほど運ばれた女の子の事が気になりまして……」
医者は、ラチェットの後ろで隠れるように立っているニースを見て、微笑んだ。
「今は泣いているが、入ってあげるといい。じきに落ち着くよ」
「わかりました」
「ありがとうございます」
ニースが、ぺこりとお辞儀をすると、医者はベニーノを連れて去っていった。
ニースとラチェットは、閉まりきっていなかった扉から、応接室の中を覗いた。セラは、ソファに座る女将に抱きつき、すすり泣いていた。
ニースは、自分がかつてリンドの胸で泣いた事を思い出し、胸の痛みを感じた。
セラの頬は少し腫れているが、他に目立った傷はない。女将はセラの背中を撫でながら、ニースたちへ切なげな笑みを向けた。
少しだけ待ってねと言うような視線に、ニースとラチェットは軽く頷き、部屋へ入った。ラチェットは、そっと扉を閉め、ニースは仮面を外す。二人は、セラが落ち着くのをその場で待った。
しばらくしてセラが泣き止むと、女将はコップに水を注ぎ、セラに渡した。セラは一気に水を飲み干し、ニースたちがいる事に気がついた。
「あ……」
泣いていたのを見られ、恥ずかしかったのだろう。セラは頬を赤くして俯いた。女将は、優しい笑みをニースたちに向けた。
「お待たせしてすみません。どうぞお座り下さい」
「ありがとうございます」
「セラ、勝手に入ってごめんね」
二人はセラを気遣いつつ、向かいのソファに腰を下ろす。女将が、セラの頭をくしゃりと撫でた。
「セラ。もう大丈夫かしら」
「はい。女将さん、ありがとうございました」
「何か簡単な夕食を持ってくるわ。お腹空いたでしょう?」
女将が微笑むと、セラは耳まで真っ赤になり、小さく頷いた。女将は、ニースとラチェットにも微笑みを向けた。
「お二人も、ご一緒にどうですか。ここにお持ちしますから」
ラチェットとニースは顔を見合わせたが、二人が返事を決める前に、ニースのお腹が、ぐうと鳴った。
ラチェットが微笑み、目線で促す。ニースは苦笑いを浮かべ、答えを返した。
「えっと……お願いしてもいいですか?」
「ええ。すぐ用意しますから、お待ち下さいね」
女将は微笑んで頷くと、部屋を出ていった。
柔らかなランプの炎が、三人だけの部屋を照らす。セラは俯いたまま、ぽつりと呟いた。
「あの……ニース、心配かけちゃったね。ごめんね」
気まずそうに言ったセラに、ニースは頭を振った。
「ううん。セラが謝る必要なんてないよ。セラは何も悪くないんだから」
優しいニースの声音に、セラは顔を上げ、泣きそうに口元を歪めた。
「うん……うん。……ありがとう」
ニースは立ち上がり、セラの隣へ座った。ニースがそっとセラの背を撫でると、ラチェットが手布を差し出した。
セラは手布を受け取り、目に滲んだ涙を拭う。はぁと息を吐くと、セラは小さな声で語り出した。
「あのね、私ね。……お父さんのこと、大好きだったの」
ニースはそっと、セラの背を撫で続けた。
「お父さん、昔は優しかったの。私、もうあんまり覚えてないけど。お母さんが生きていた頃は……お父さんは、優しかった」
セラはキュッと唇を噛んで俯き、ぽつり、ぽつりと、震える声で言葉をこぼした。
「いつかまた、あの頃みたいになれるって。お母さんがいなくても、きっと、お父さんと、暮らしていけるって……そう、思ってた。思ってたんだよ、私……」
セラは、ニースへと顔を向けた。ニースには痛いほどセラの気持ちがよく分かった。ニースは小さく頷いて、セラの手を握った。セラは、ぎゅっとニースの手を握り返した。
「でもね、今日、わかったよ。……もう、無理なんだって。大好きなお父さんは……もう、いないんだって」
セラは、絞り出すように言うと、顔をくしゃりと歪めて、手で顔を覆った。髪を結んでいたリボンが外れ、はらりと赤く長い髪が落ちた。
ずっと燻っていた、セラの心のしこりを解すように、ニースはそっと、セラの頭を撫でた。
セラの慟哭が、部屋に響く。ラチェットが立ち上がり、セラの背をぽんぽんと、赤子をあやすように優しく叩いた。
ランプの炎がゆらゆらと揺らめいて、泣きじゃくるセラを照らす。ニースとラチェットは、セラが泣き止むまで、頭と背を優しく撫で続けた。
女将が食事を運んでくる頃には、セラはすっかり泣き止んでいた。ラチェットが貸した手布は、そのままセラに譲り渡される事になった。
たくさん泣いたセラは、よほどお腹が空いていたようで、貪るように夕食を食べた。ニースは驚いたが、セラがご飯を食べられて良かったと、心から思った。
一通り食べ終えると、セラは満足したように笑みを浮かべた。そして表情を引き締め、口を開いた。
「女将さん。私、ニースたちと一緒に行こうと思います」
セラの声は、決して自棄になって言ったものではなく、意思を込めた声音だった。
「今まで、たくさんお世話になって、お父さんのことも……。たくさん、迷惑をかけてしまって……」
申し訳なく感じているのだろう。セラの言葉は、少しずつ小さくなっていった。女将は優しい微笑みを浮かべ、セラの頭を撫でた。
「迷惑なんて、かけられてないわ。私たちみんな、セラの成長を見守るのが好きだったのよ。あなたが元気に笑って暮らしてくれることが、私たちの喜びなの」
「女将さん……」
セラは再び泣きそうに、顔をくしゃりと歪めたが、今度は唇を噛んで泣くのを堪えた。
自分の頬をぽんぽんと両手で軽く叩き、ふぅと息を吐くと、セラは努めて微笑みを浮かべた。女将はセラの背中を押すように、ゆっくりと頷いた。
セラは立ち上がり、ニースとラチェットに、ぺこりと頭を下げた。
「私、みなさんと一緒に行きたいです! よろしくお願いします!」
「うん。よろしくね、セラ」
ニースは笑みを浮かべ頷いたが、ラチェットは苦笑いを浮かべた。
「僕は嬉しいけど、その言葉は座長に言ってほしいかな?」
ニースは、ふふふと笑い、セラは恥ずかしそうに、えへへと笑った。女将はセラの笑顔を見て、愛おしげに顔をほころばせた。
すっかり夜更けとなった町には、穏やかな眠りの時が満ちている。グスタフへの挨拶は翌朝へと持ち越しになり、セラは旅立ちの日まで女将の部屋に泊まる事となった。
ニースとラチェットは、ほっと安堵しながら部屋へ戻り、慌ただしい一日を終えた。満天の星空には、二つの月が優しい光を放っていた。




