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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第4章 はじめてのユニゾン】
55/647

45:苦難の末に1

前回のざっくりあらすじ:ラメンタでの最後の公演で、セラが歌う事になった。


*物語の展開上、一部にセンシティブ、及び、過激、暴力的、残酷な表現や描写が含まれます。ご注意ください。

 ラメンタの町での最後の公演を前に、ニースたちは昼の公演に出かけた。ジーナは出発準備のため、町へ買い出しに出かけたり荷物を詰めたりと大忙しだ。セラは、いつものようにトリフォンと二人で車馬係の仕事をしていた。


「セラ、そろそろ昼の休憩に入っていいぞ」

「ありがとうございます! お先にいただきますね」


 セラは額の汗を拭うと笑みを浮かべ、食堂の裏口に向かった。扉をノックすると、エイノが笑みを浮かべて顔を出した。


「こんにちは、セラ。今日のお弁当だよ」


 セラの住む納屋に、台所はない。セラはいつもエイノから食事をもらっているが、疲れた身体に早起きは酷だ。寝坊しがちなセラの朝は忙しいため、昼夜の二食だけ食べる生活を送っていた。

 セラは出来立てのお弁当を受け取ると、幸せそうに微笑み、ぺこりとお辞儀をした。


「エイノさん、ありがとうございます!」


 エイノは笑顔でセラに手を振り見送ると、厨房へと戻った。セラは、ほかほかの包みを手に、納屋へ向かった。


「今日は何かな……」


 わくわくした気持ちで木箱に腰掛けると、セラは、ほんのり温かな包みを開いた。


「うわあ! サンドイッチだ! おいしそう!」


 中身は、焼きたてのホットサンドだった。ふんわり漂う香ばしいパンの香りに、セラのお腹が、ぐぅと鳴った。


「いただきまーす!」


 にへらと口元を緩め、大きく口を開けて、セラはパンに齧り付く。とろりとしたチーズとハム、温かでカリリと焼けたパンが、セラのお腹を満たしていった。


「んー! おいひい(おいしい)!」


 セラが幸せを感じていると、突然、納屋の扉がバタンと開かれた。セラが、はっとして顔を上げると、昔は優しかったはずの父、ヘラルドが、顔を真っ赤に染めて、刺すような目付きで立っていた。


「お……お父さん……」


 ヘラルドは酒臭い息を吐きながらも、しっかりとした足取りでセラへ近づき、無言でセラに手をあげた。


「……っ!」


 セラは思い切り頬を叩かれ、声も出ないままに床を転がった。セラの小さな身体は、納屋の片隅に立てかけられていた干し草用フォークにぶつかり、大きな音を立てた。

 何かが盛大に崩れる音を聞いて、トリフォンが納屋へ駆けつけた。


「セラ、どうした!」


 トリフォンの目に、くたりとしたセラを荷物のように肩へ担ぐヘラルドの姿が見えた。


「ヘラルド⁉︎」


 トリフォンの声に、ヘラルドはギラリと目を光らせ、振り向いた。

 ヘラルドの顔は耳まで赤く染まり、息は荒い。血走った獰猛な目つきには恨みの色が込められており、とても正気には見えなかった。


「セラを離せ!」


 トリフォンはセラを助けようと、ヘラルドに掴みかかろうとした。すると、ヘラルドはセラを、思いきりトリフォンへ投げた。

 トリフォンは咄嗟にセラを抱きとめると、そのまま床に背を打ち付けた。


「……っ!」


 息の出来ないトリフォンにヘラルドは近づき、気を失っているセラを押しのけた。ヘラルドはトリフォンに跨り、執拗に顔を殴った。


「ぐっ……がはっ!」

「お前が、お前らが隠していたのか! 金の成る木だというのに!」


 トリフォンは抵抗しようとしたが、程なく意識を失い動かなくなった。


「お前らなんぞに取られてたまるか。俺はこいつで生まれ変わるんだ……!」


 ヘラルドは、トリフォンに唾を吐きかけ不敵に笑うと、セラを担いで納屋を後にした。馬たちが興奮した様子でいななく声が、馬車置き場に響いた。



 ニースたちが昼の公演を終えて宿へ戻ると、宿の前には人だかりが出来ていた。その中には、町の警備兵が何人も行き来していた。

 物々しい雰囲気に何か起きたのだと察し、ニースたちは慌てて宿の入り口へ向かう。すると、人だかりの中からジーナが駆け寄ってきた。


「グスタフ!」

「ジーナ! よかった、無事か!」


 グスタフは、ジーナを抱きしめ微笑んだ。しかしジーナは、グスタフを引き剥がし、慌てた様子で言葉を継いだ。


「大変よ! セラちゃんが攫われたの!」

「何だって⁉︎」


 予想もしていなかった話に、メグが、くらりと目を回した。


「セラが、なんで……」

「メグ……!」


 気を失いかけたメグを、ラチェットが支える。ジーナは、女将から聞いた話を皆に伝えた。


「犯人は、セラちゃんのお父さんだそうよ。トリフォンさんが止めようとして、殴られたの。今は警備隊の人たちと、ご主人さんや店長さんたちが探してくれてるけど、まだ見つからなくて……!」


 トリフォンは、目も開けられないほどに顔が腫れ、出血もしていたが、辛うじて命を取り止めた。異変に気付いたエイノが、時間を置かずに発見したからだ。

 意識を取り戻したトリフォンは、うまく喋れなかったものの、セラが攫われたと必死に伝えたのだった。


 話を聞いたニースは、他人事と思えず、呆然と呟いた。


「そんな……。セラのお父さんが、セラを……?」


 ニースの脳裏には、実父ゲオルグに斬りかかられた日の事が蘇っていた。震えるニースの肩に、マルコムがそっと手を置いた。


「大丈夫だ。警備隊がきっと見つけてくれる」


 気遣うマルコムの言葉に、グスタフが頷いた。


「ああ。そうだな。私たちは、とにかく部屋に戻ろう。ここにいても邪魔になるだけだ」


 セラを探しに行きたくとも、町を詳しく知らないニースたちに出来る事はない。一行は不安を抱えたまま、グスタフの部屋へ向かった。



 太陽が町の家々を、容赦なく照りつける。暑さを和らげようと窓を開けても、グスタフの部屋には風も入らない。テーブルを囲むニースたちの間には、重苦しい空気が漂った。

 セラの事が心配なのだろう、ジーナが覚束ない手付きで茶を入れた。ニースは外した仮面を触り、焦る気持ちを誤魔化し続けた。


 そこへ、コンコンと扉をノックする音が響いた。グスタフが扉を開けると、女将がいた。


「女将……」

「少しよろしいですか?」

「ええ。構いません」


 入ってきた女将に、ニースは思わず立ち上がった。


「何かわかったんですか⁉︎」

「はい……え⁉︎」


 ニースに声をかけられ、女将は驚いた様子で目を見開いた。


「もしかして、ニースくん?」


 女将の呟きに、ニースは仮面を忘れていた事に気付き、慌てて被った。ラチェットが、気まずそうに語りかけた。


「あの、女将さん。ニースの()のことは……」


 ラチェットの言葉に、女将はしっかりと頷いた。


「もちろん、誰にも言いません。私は女将です。お客様のプライバシーを守るのが務めですから。それに、ニースくんはセラの大切なお友達だもの」


 セラの事が心配なのだろう。女将は苦しげに顔を歪め、セラの名を口にした。

 女将に椅子を勧め、グスタフは真剣な眼差しで問いかけた。


「それで女将さん、何か進展は?」


 女将は申し訳なさそうに腰を下ろし、ぎゅっと手を握りしめた。


「あの男……セラの父親のヘラルドですが、最近賭場で口にしていた話があったようなんです」

「どんな話なんです?」


 皆が女将に注目する中で、女将は悔しげに肩を震わせた。


「自分の娘……セラが歌い手であることを、トリフォンや私たちが隠していたと。娘は高く売れるから、大金が手に入ると……」

「なっ……!」


 女将の言葉に、グスタフたちは絶句し、ニースは愕然とした。


 ――セラを売る? 皇国にも、人買いがいるの?


 人身売買はどこの国でも禁じており、奴隷の存在もない。しかし裏社会では、働き手となる子どもや欲望の捌け口となる女性などをひっそりと攫い、売り買いする者がいた。

 そういった良からぬ者たちにとって、歌い手は価値ある商品となる。歌を使()()()歌い手は、発掘品を持つ者にとって、数多く手に入れたい存在だからだ。


 決して表では許されることのない商売だが、一部の富裕層が裏社会と繋がりを持つというのは、ありふれた話だ。ニースが住んでいた王国でも、子どもの失踪事件は度々起きている。

 ニースは身を守るために、伯爵家に住んでいた頃から、そういった危険がある事を教えられていた。


 ラチェットが、苦々しく声を荒げた。


「セラちゃんは、歌い手ではありません。それに、人身売買は極刑を免れない重罪のはずです。どうにかならないんですか?」

「今、街道を封鎖して、町の隅々まで捜索しているそうです。近くの町や村へも伝令を出して、子どもを連れた人物は身元をしっかり改めるようにと、通達を出したそうです」


 女将の話を聞いて、グスタフが悔しげにため息を吐いた。


「……やれることはやっている、というわけか」


 グスタフの言葉に皆、俯いた。するとマルコムが、はっと顔を上げた。ジーナがすかさず、突き刺すような目でマルコムに問いかけた。


「どうしたのよ、マルコム」


 マルコムは、臆する事なく口を開いた。


「この前、いたんだ。ニースのことで、変なことを言ってきたやつが」


 マルコムの言葉に、ジーナとグスタフは顔を見合わせた。


「それって確か……!」

「ああ。たぶんそこに連れていかれてるかもしれない」


 大人たちは頷き合うと、慌てた様子で立ち上がった。話が見えず、ニースと女将が呆然としていると、メグとラチェットも立ち上がった。


「ちょっと、どこ行くのよ⁉︎」

「僕も行きます!」


 部屋を出ようとしたグスタフが振り返り、二人を止めた。


「メグはニースを見ていろ。ニースが一人で動いたら危ない。ラチェットは、二人を守れ。これは座長命令だ」


 グスタフは低い声ではっきりと告げると、マルコム、ジーナと共に駆け出した。


「なんなのよ、座長命令って! 私たちは軍隊じゃないのよ⁉︎」


 メグは苛立った様子で、追いかけようとした。しかしラチェットが、扉の前に立ち塞がる。メグは、両手を広げるラチェットを睨みつけた。


「そこを退きなさいよ!」

「メグ、落ち着いて! 座長の言うことも一理ある。今、ニースを一人にしちゃいけない」

「それならラチェットが残ればいいでしょ!」


 メグはラチェットを押し退けようとしたが、ラチェットは一歩も引かなかった。


「メグ、それじゃダメなんだって! 危ないのはわかるだろ……!」

「セラが危ないのに、じっとしてなんかいられないわ!」


 呆気に取られているニースと女将の前で、二人の取っ組み合いが始まった。あまりに必死なメグの様子に、ニースと女将は、どう止めていいのか分からなかった。



 西日の差し始めた部屋に、ドタバタと争う物音が響く。暴れるメグを、ラチェットは必死に抑えた。

 メグは踊り子だが、ラチェットはピアニストだ。ラチェットの方が力は強いものの、体力や持久力は、メグに軍配が上がる。

 疲れの出てきたラチェットは、不意にバランスを崩して転んだ。


「うわっ!」


 パリンと音がして、ずり落ちたラチェットのメガネが割れた。レンズの欠片が、薄っすらとラチェットの頬に赤い線を描く。

 それを見て、メグは顔を青ざめた。


「あっ……」


 メグがこれまで暴れて来たのは、非力な自分の攻撃など、男のラチェットには大した事はないと思っていたからだ。

 しかし、ラチェットは怪我をした。とんでもない事をしてしまったと感じ、メグの頭は真っ白になった。


 ラチェットは、蔓の曲がったメガネから割れた方のレンズを取り除き、急いでかけ直した。


「メグ、大丈夫⁉︎ 怪我はない⁉︎」


 ラチェットは、呆然とするメグの手を取り、怪我がないかと確認する。慌てるラチェットの姿に、メグは我に返った。


「ごめんなさい、ラチェット。私は大丈夫なのよ。それよりあなたの方が、血が……」


 メグに言われて初めて、ラチェットは頬の違和感に気付いた。ラチェットは、そっと傷口に触れると、指先についた血を見つめた。


「……あ、ああ。大丈夫。このぐらいはすぐに治るから」


 ラチェットは一瞬顔を歪めたが、メグを安心させるように微笑んだ。女将がラチェットに、手布(ハンカチ)を差し出した。


「今はまだ、トリフォンの治療に来ているお医者さまが応接室にいらっしゃるはずです。行きましょう」

「いや、このぐらいは別に……」


 手布を受け取り、頬に当てながらも、ラチェットは断ろうとした。しかしメグが、真剣な表情で女将に頭を下げた。


「女将さん、お願いします」

「メグ。僕は大丈夫だよ」


 メグは顔を上げると、渋るラチェットに目を向けた。


「ダメよ。顔の傷なのよ? ちゃんと治療を受けて来て」

「いや、でも……」

「大丈夫。私はもう、お父さんたちを追いかけようとはしないわ。ちゃんとここで、ニースと待ってるから」


 真剣な眼差しで言うメグを、ラチェットは探るように見つめた。しばし二人は見つめ合っていたものの、ラチェットは、ふっと笑みを浮かべた。


「わかった。ニースのことを頼むね」

「ええ」


 女将の案内でラチェットは部屋を出る。不安を感じていたニースは、肩の力が、どっと抜けるのを感じた。


 ――良かった。どうなるかと思った。


 しかしニースと違い、メグは辛そうに顔を歪め、閉まった扉を見つめていた。


 ――メグはラチェットさんのこと、本当に心配なんだ……。


 ニースはメグを慰めようと、お茶を入れ、カップを差し出した。


「メグ、座ろうよ」

「ニース……ありがとう」


 メグは泣きそうに顔を歪め、腰を下ろすと、カップにゆっくり口をつけた。涙を堪えるメグを見て、ニースの胸は痛んだ。


 ――メグとラチェットさんが、こんな喧嘩になるなんて。セラが早く見つかればいいのに……グスタフさんたち、どこに行ったんだろう。


 ニースは、セラの事が気がかりだったが、メグが落ち着くまでは何も言わずにいようと、静かに茶を飲んだ。


 開け放たれた窓から、そよ風が僅かに入り込む。メグは茶を飲み干すと、はぁとため息を吐いた。


「私ってバカね。こんなことばかりして……。どうしてラチェットに、優しく出来ないのかしら」


 メグは、胸の中に降り積もった後悔を吐き出すように、ぽつりぽつりと声をこぼした。その声は小さすぎて、ニースには何を言っているのかよく聞こえなかった。

 それでもニースはただ、メグの話を黙って聞いた。メグはやがて、小さく鼻をすすった。


「ごめんね、ニース。セラのことは、あなたが一番心配なのに」

「ううん。心配なのは、メグやみんなだって同じだよ」

「ニースは、しっかりしてるわね」


 メグは、ふっと笑うと、部屋のランプに火を灯した。いつの間にか日はすっかり傾いて、外は夕焼け色に染まっていた。


「お父さんたちが、向かった場所なんだけどね……。私、なんとなく予想がつくのよ」


 メグは、ゆっくり語り出した。今度は、ニースの耳にもはっきりと聞こえる声だった。


「ニースの歌を聴いて、歌い手だって思った人が時々来るのは、ニースも知ってるでしょう?」

「うん」


 ラメンタは大きな町のため、歌い手を知っている者も多い。そのため、歌の力を借りれないかと、公演後のグスタフやマルコムに、問い合わせがくる事もあった。

 ニースが、こくりと頷くと、メグは静かに言葉を継いだ。


「その中にね、いたのよ。ニースを()()()()()って言う人が」


 ニースは驚き、目を見開いた。メグは、揺れる炎を瞳に映し、話を続けた。


「もちろん、お父さんたちは断ったわ。すぐに追い返しもしたの。私は詳しくは知らないけれど、どうやら近いうちに、()()()()()()()()()があるらしくて。何度か来たのよ。夜の公演の後とかにね」


 メグの顔が歪み、ギリリと奥歯を噛みしめる音が響いた。


「私たちは、ニースの歌を道具だなんて思っていないわ。それは、ニースが“調子外れ”だからじゃなくて、私たちが純粋に歌を音楽として好きだからよ。それなのに、ふざけたことを……」


 ニースは、自分がどれだけメグのたちに守られているのかを感じた。そして、セラを危ない目に合わせてしまったのだと、責任も感じた。


「ぼくが、セラに歌を教えたから……」

「それは違うわ」


 メグはニースの手を取り、じっと見つめた。


「セラは楽しそうだったでしょ? 女将さんだって言ってたじゃない。あんなに楽しそうなセラを見たのは久しぶりだって」

「そうだけど……」


 ニースは、唇を噛んで俯いた。そこへ外から、警備兵の駆け回るような足音や、何かを叫ぶような声が聞こえた。俄かに騒がしくなった様子に、メグは表情を引き締め、立ち上がった。


「何かしら」


 メグは窓から下を覗いたが、街路樹の葉が邪魔で、様子は見えなかった。


「ここからじゃ見えないわね」


 小さく舌打ちしたメグは、窓を閉め、ニースに目を向けた。


「ニース。仮面を被って、あっちの隅にいて。少し見てくるわ」

「危ないんじゃない?」

「大丈夫。廊下を覗くだけよ」


 ニースはメグの指示に従い、身を隠す。ぼんやりと照らすランプの明かりの中、メグは静かに扉へ手をかけた。

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