458:それぞれの夜1
前回のざっくりあらすじ:ニースは、天の導きは自分の子どもを持てないと、ミランから聞いた。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激、暴力的表現や描写が含まれます。ご注意下さい*
*次話の投稿は、1月16日(木)となります。
煌々と明かりに照らされる無機質な通路に、黒い人影が通る。応接室を出たミランは、護衛も連れずに苛立たしげに歩いていた。
――なぜこうも上手くいかない。共和国の歌姫さえ無事に卒業していれば、人妻に声をかける必要もなかったんだ。それなのに……なぜ俺をあんな目で見る!
ミランは悔しげに歯噛みし、茶会を思い返していた。
――何のためにこんな力を持って生まれた? ただの歌い手なら楽しく生きられるのに、天の導きだからって自由もなく、生きた証も残せない。そのくせ国や軍からは、義務だ責任だと押し付けられる。あいつらだって、扱いは同じはずなのに、何であいつらは平気な顔をしていられる!
長い年月をかけ、胸の中に澱のように溜まった鬱憤が、ミランをかき乱す。ミランは瞳に暗い色を仄めかせ、顔を歪めた。
――このまま戦争なんかに行ってたまるか。何のために命をかける。国からようやく出られたんだ。楽しみの一つや二つなけりゃ、割りに合わない……!
どうしようもない憤りを胸に抱え、ミランは歩く。コツコツと足音を響かせる足取りに、迷いはない。
ニースたちより数日前に母艦へ着いていたミランは、すでに艦内の造りを熟知していた。
やがて一つの部屋の前へたどり着くと、ミランは大きく息を吐いて怒りを押し込め、扉を叩いた。
「はぁい。どなたですかぁ?」
中から響いたケイトの声に、ミランは僅かに表情を緩めた。
「ケイトちゃん。俺だよ」
「……え?」
「俺だよ。ミラン」
ミランが穏やかに語りかけても、ケイトの返事はない。ミランは自嘲するかのように、苦い笑みを浮かべた。
「そんなに警戒しないでほしいな。今朝声をかけたのも、昨日みたいにお喋りしたかっただけなんだ」
「あの、でもあたしは……」
ケイトの口調は、いつもと違い固いものだ。戸惑うようなケイトの声に、ミランは目を細めた。
「ニースとも、さっきお茶してきてさ」
「え?」
「会議が早めに終わったからね。それで、誤解は解けたんだよ」
「誤解、ですか……?」
「そう。俺は天の導きにしか興味がないって話をしてきてね。イサクたちに、君が何を言われたか分からないけど。俺は別に、君を取って食おうってわけじゃないんだ」
「……あたしは、特に何も言われてません」
ケイトの言葉を聞いて、ミランは、ふっと笑みを浮かべた。
「それなら、少しでいいから話をさせてもらえないかな」
「でも……」
「部屋に入れてくれとは言わないよ。少し早いけど、食堂で一緒に夕食でもどう? 怖がらせたことを謝りたいんだ」
ミランは片腕を壁に付き、じっと扉の向こうを見つめる。しばらくして、ケイトの声が静かに響いた。
「お部屋に入らないなら……」
「ああ、入らないよ。開けてくれる?」
部屋の扉が静かに開く。ミランは微笑みを浮かべ、困ったような顔をしているケイトに、手を伸ばした。
「君って本当、優しいね」
「え? ……きゃっ!」
ミランに、ドンと突き飛ばされ、ケイトは尻餅を付く。ミランは部屋へ踏み込むと、狭い部屋を一瞥した。
「赤髪の子はいないのか。あの子と楽しくやれたら良かったんだけどなぁ」
「ミラン様……騙したんですか⁉︎」
「騙してなんかいないさ。ニースとは本当にお茶を飲んだし、天の導きにしか興味がないのも嘘じゃない。でも、歌姫には振られてね」
「歌姫ってまさか……」
「ああ。君たちの公主殿下だよ」
「何て恐れ多いことを!」
震えながらも睨み付けるケイトに、ミランはニィと口角を上げた。
「俺、すごく傷ついてるんだよね。慰めてくれない?」
「い、嫌です!」
「ニースの方がいい?」
「そういうわけじゃありません!」
怯えて後退るケイトを、ミランは冷たい目で見据えた。
「嘘付くなよ。さっきの会議でも、みんなニース、ニースって……」
ミランは言いながらケイトを追い詰め、その肩を掴んだ。
「同じ天の導きでも、扱いは歌の力で差が出るんだ。君も経験あるだろう?」
「は、離してください!」
「カルマートには俺がいるってのに。白が出てきた途端にこれだ。俺だって、音風を四つ使えるのにさ」
ケイトは必死に抗ったがミランの力は強く、簡単に床へ押し倒された。恐怖で震えるケイトに、ミランは、ぼそりと呟いた。
「軍の奴らも冷たいよな。散々実験に付き合ってやったのに……」
「嫌っ! 誰か助けて!」
ミランはどこか寂しげに言ったが、ケイトにとっては関係ない事だ。悲鳴を上げたケイトの目に、涙が滲む。
そこへ唐突に、ルポルが飛び込んできた。
「何してる!」
「……っ!」
突然部屋へ入ってきたルポルに、ミランは殴り飛ばされた。ルポルは呆然とするケイトを引き起こし、労わるように語りかけた。
「ケイトさんでしたよね。怪我は?」
「だ、大丈夫……」
「お前……ニースの護衛か」
ニースたちが会議に行ってる間、ルポルは母艦内を把握しようと、マルコやエリックたちと艦内を見て回っていた。確認を終え、解散して部屋に一人戻ってきた所で、ルポルはケイトの悲鳴を聞きつけたのだ。
口元に滲んだ血を拭い、立ち上がったミランを、ルポルは睨みつけた。
「正気ですか⁉︎ 嫌がってる人を押し倒すなんて! 天の導きだからって許されませんよ!」
「何だ、お前。王国は教会と敵対してたはずだが……天の導きを神聖視でもしてんのか?」
ルポルの怒鳴り声にも、ミランは嘲るように笑うだけだった。ルポルはケイトを背に庇い、眉根を寄せた。
「何を言ってるのか、俺には分かりませんが。少なくともニースは、いつだって相手を思って動きます。あなたみたいに、誰かを傷つけたりしない」
「なるほど。歌の力だけじゃなく飼い慣らしやすいから、あいつは人気なわけだ」
「飼い慣らす?」
「とぼけるなよ。王国にとっても、天の導きは大事な道具だろう」
鼻で笑うミランに、ルポルは怒りを滲ませ、叫んだ。
「ニースは道具なんかじゃない!」
「ああ。そういや王国には、発掘品があまりないんだったな。使おうにも、使いどころがないか」
ミランは、くつくつと笑い、一歩踏み出す。身構えるルポルに、ミランは切なげな笑みを浮かべた。
「あいつがいい気でいられるのも、今だけなんだよ」
「あんた、何を言って……」
「俺もニースも、道化だってことだ。どうせいつか潰される。あいつは、いつまで持つかな」
一方的に言い残すと、ミランは開いたままの扉から出て行った。ルポルは剣呑な目つきで、ミランの背を睨む。
ふらりと体を揺らしたケイトが、ルポルの腕を掴んだ。
「ケイトさん?」
「ご、ごめんねぇ。また助けてもらっちゃってぇ」
安心したのだろう。ケイトはいつもの、のんびりとした口調に戻っていた。鼻をすすりながら言ったケイトを支え、ルポルは椅子に座らせた。
「俺がたまたま戻ってきたから気付けましたけど。扉、開けちゃダメですよ」
「うん。そうだよねぇ」
「セラちゃんは出かけてるんですか?」
「歌い手のみんなに挨拶するって、ユリウス君と行ったのぉ」
「なら、大丈夫かな……」
ルポルは、ほっと息を吐き、言葉を継いだ。
「セラちゃんが戻るまで、俺、部屋の前にいますから」
「そういえば、兵隊さんの名前って何だっけぇ?」
「ルポルです」
「そっかぁ。ルポルさん、ありがとうねぇ」
「いえ」
涙を拭ったケイトから、ルポルは手を離す。しかしケイトは、ルポルの腕を離さなかった。
「あの、ケイトさん?」
「あのねぇ……外じゃなくて、ここで待っててくれないかなぁ?」
「え……」
「一人だと怖くてぇ。ダメかなぁ?」
ケイトに上目遣いで見つめられ、ルポルはたじろいだ。
「だ、ダメというか……。俺も一応男なんですけど」
「でもミラン様と違って、ルポルさんは何もしないでしょぉ?」
「そ、それはそうですけど」
「気持ちが落ち着くまででいいからぁ。お話付き合ってぇ」
「話ですか?」
「そぉ。ルポルさん、王国の人でしょぉ? あたし、皇国のことしか知らないからぁ」
力なく微笑んだケイトの手は、小さく震えていた。ルポルは仕方ないと、肩をすくめた。
「俺は王国人って言っても、田舎町の出身で。そんなに面白い話があるわけじゃないですけど」
「それでいいよぉ。座ってぇ?」
「分かりました。セラちゃんが戻るまでですからね」
「ありがとぉ」
ルポルは安心させるように微笑み、向かいに腰を下ろす。ルポルと話すうちに、不安げだったケイトは少しずつ落ち着きを取り戻していった。
一方その頃。応接室を出たダンテは、ルイサを支えるようにして部屋へ戻った。
発掘品の電灯で照らされる室内は、寝室と居室が続き部屋になっているが、ニースの部屋より一回り広く豪奢なものだ。艦長のカラボスは、母艦で最も格調高い部屋を、公主夫妻に用意していた。
しかし、居室の中央にあるはずの重厚感のあるソファは片隅に追いやられ、代わりに簡易ベッドが一台鎮座している。それはルイサに共寝を許されていない、ダンテの寝台だった。
母艦の部屋数に限りがある中、各国要人が集まっているのだ。ダンテのために、もう一室を秘密裏に用意するなど出来るはずもなく、仲睦まじい夫婦を演じるために簡易ベッドが置かれていた。
二人の関係性を示すその小さなベッドに、ダンテは僅かに顔を歪めたものの、ルイサを奥の寝室へ連れて行く。
震えるルイサを豪奢なベッドへ座らせると、ダンテは床に膝をつき、ルイサの手を握った。
「横になって、少し休むといい」
「あなた……」
「大丈夫。誰もここへは通さないから。安心しておやすみ」
じっとルイサの目を見つめ、ダンテは柔らかに話した。しかしルイサは目に涙を溜め、ゆっくり頭を振った。
「違う……違うのよ」
「ルイサ?」
「私は……あなたになんてことを」
ルイサの瞳から、はらりと涙が溢れた。ダンテは胸が締め付けられる思いで、指先でその涙を拭った。
「噂のことか。それなら、気にしなくていい。私の心は君のものだ。君がそれを知っていてくれれば、他人がどう噂しようと、私には関係ないよ」
ルイサを落ち着けようと、ダンテは優しい声音で言った。だがルイサは唇を噛んで俯き、嗚咽を漏らす。
静かに泣くルイサの隣へ、ダンテは腰を下ろし、そっとその背を撫でた。
「自分を責めないでくれ。私は、彼を思う君でも良いと、何度も言ってるだろう?」
「あなた……」
唇を震わせたルイサの肩を抱く手に、ダンテは力を込める。ルイサは鼻をすすると、自嘲するように笑った。
「私は卑怯者よ。あなたの優しさに甘えて、刺の檻に縛り付けてしまった」
「それでいいんだ。君のそばにいられることが、私の喜びだから」
「どうして……」
「もう君を一人で泣かせたくないんだ。せめてこうして、隣にいさせてほしい」
ダンテの脳裏に、結婚前のルイサの姿が浮かぶ。長年護衛としてルイサに仕えてきたダンテは、マルコムへの想いに苦しむルイサを歯痒い思いで見てきた。
そこへ、マルコムが向けてくる想いを断ち切るためにと、ルイサが偽装結婚を持ちかけたのだ。ルイサの事情を知る者で、身分的にも問題なく、信頼出来る相手がダンテだった。
ダンテは全てを覚悟の上で、偽りの婚姻を結んでいた。
「君の夫となれて、私は幸せだよ。この場所を、他の誰でもない私に任せてくれて、良かったと思ってる」
ダンテは心を込めてルイサに話した。しかしルイサは両手を固く握りしめ、頭を振った。
「私は、あなたにそんな想いを寄せてもらえるような人間じゃないわ」
「そんなことはない」
「だって私は……ミランさんの話を聞いて、安心したのよ」
「え?」
思いがけない一言に、ダンテは固まった。ルイサは涙を流しながら、震える声で話した。
「天の導きの私が子を産めないなら。マルコムを諦めて良かったって思ったのよ。今度こそ、心から本当に」
「ルイサ……」
「酷いでしょう? あなたがこんなに私を思ってくれてるのに、私はマルコムのことしか考えていないのよ。あの人の幸せだけを、私はただ願ってる」
ダンテは返す言葉を見つけられず、視線を逸らした。ルイサは涙を拭い、言葉を継いだ。
「ねえ、ダンテ……。この戦争が終わったら、あなたは自由になるといいわ」
ぽつりと落とされたルイサの言葉に、ダンテは目を見開いた。愕然とするダンテに、ルイサは儚げな笑みを浮かべた。
「今すぐに自由にしてあげられたらいいのだけれど。あなたに不名誉な噂がまた立たないように、手を打たなければならないから」
「ルイサ、何を言って……」
「あなたはまだ若いから、やり直せるはずよ。あなたは、あなたの幸せを掴むの。あの人はきちんと幸せを掴んだし、私ももう一人でも大丈夫よ。だから、私と別れ……」
ルイサが続けようとした言葉ごと、ダンテはその唇を奪った。ベッドに押し倒されたルイサの黒髪が、真っ白なシーツに流れる。
呆然とするルイサを、ダンテは思いきり抱きしめた。
「頼むから、言わないでくれ」
「あなた……」
「私を見なくていい。受け入れなくてもいい。だからこれ以上、私を拒まないでくれ」
懇願するダンテの肩は、小さく震えていた。ルイサは、ごめんなさいと何度も呟き、再び嗚咽を溢す。重ならない叫びと心が、ただ静かにシーツの海を濡らしていった。




