43:セラの秘密3
前回のざっくりあらすじ:セラとラチェットが歌えるようになった。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現や描写が含まれます。ご注意下さい*
町を照りつける日差しは徐々に強くなり、厩の日陰も小さくなっていった。セラに歌の旋律を教えていたニースは、じわりと滲んだ汗を拭った。
「そろそろ終わりにしようか」
「うん。そうだね。ニース先生、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げたセラに、ニースは微笑んだ。
「ぼくたち、一週間ぐらいここに泊まるんだ。だから、セラが暇な時でいいから、またやろう?」
「いいの?」
「うん。最後まで覚えたいでしょ?」
練習の甲斐あって、セラは半分ほど旋律を覚えていた。ニースの言葉に、セラは嬉しげに笑った。
「うん! ありがとう!」
そこへ、ジーナの明るい声が響いた。
「二人とも、ちょっといいかしらー?」
眩い陽射しの中を、ジーナは一人、張り切った様子で歩いてきた。ニースは、何か良いことでもあったのかと思いながら、答えた。
「はい、大丈夫ですよ。そろそろ中に戻ろうと思ってたんです」
「そうなのねー。それならちょうど良かったわー」
ジーナは、にっこり笑みを返すと、セラの手を取った。
「セラちゃん、ちょっと付き合ってくれるー?」
「え?」
「別に取って食べたりしないからー」
戸惑うセラを見つめるジーナの目は、爛々と輝いていた。ニースはその目に、見覚えがあった。
――ジーナさん、また服を作る気なんだ。セラがまた可愛くなるのかも。
ニースは、不安げなセラを安心させようと、朗らかに笑いかけた。
「セラ、行っておいでよ」
「そ、そう……? じゃあ……分かりました」
ニースの笑みを見て、セラは迷いながらも頷いた。ジーナは満足げに微笑むと、セラの手を握ったまま、ニースに目を向けた。
「ニースくんは、グスタフの部屋に行ってねー。メグちゃんとラチェットが待ってるからー」
ジーナはニースの返事を待たずに、セラを連行していった。二人の背を見送りながら、ニースは首を傾げた。
――メグとラチェットさんが? もう次の舞台、決まったのかな?
ニースは不思議に思いながらも、仮面を付け直し、言われた通りにグスタフの部屋へ向かった。
そよ風が、開け放たれた窓辺の蔦を揺らす。午前中のうちに、宿の各部屋は掃除されていた。
綺麗になったグスタフの部屋では、げっそりとしたラチェットが、項垂れて椅子に座っていた。扉を開けたニースは、仮面の下でパチパチと目を瞬かせた。
「えっと……ラチェットさん、大丈夫ですか……?」
ラチェットの向かいに座るメグが、ニースを手招きした。
「ラチェットは大丈夫よ、気にしなくても。そうよね? ラチェット」
「あ、ああ……うん。気にしなくて大丈夫だよ。本当に……」
ラチェットの力ない返事に、本当に大丈夫なのかとニースは心配になった。しかし、メグがにっこりと笑みを浮かべて椅子を勧めるので、迷いながらもニースは座った。
ニースが仮面を外すと、メグは笑みを潜めて話し始めた。
「あのね、二人とも。これから話すことを、よく聞いてね」
メグは、セラの体にあった傷について、二人に話した。ニースとラチェットは、驚き目を見開いた。
「え⁉︎ それ、本当?」
「まさか、セラちゃんが……」
メグはセラの傷を思い出し、苦々しく唇を噛んだ。
「ええ、本当よ。今朝この目で、しっかりと見たわ」
「気になるところは確かにあったな。もっと早くに気付くべきだった……」
悔しげなラチェットの呟きに、ニースも顔を歪めた。
「ぼくも、変だなって思ったところ、あったのに」
「何を知ってるの?」
身を乗り出したメグに、ニースとラチェットは、思い思いに気になった点を口にした。
「セラは、いつも何かに怯えているみたいだったんだ。腰は低いし、沢蟹も知らないし」
「沢蟹はまあ、いいと思うけど。車馬係とはいえ、あの馬車置き場のどこに住んでるのかは気になるよ」
「セラはあんな所に住んでるの⁉︎」
メグは怒りを露わにして立ち上がると、ラチェットに掴みかかった。
「うわっ! め、メグ⁉︎」
「何でそんな大事なこと、言わなかったのよ!」
「ごめん! 許して!」
ラチェットは、本気を出せばメグを突き飛ばす事も出来るだろうが、そうはしなかった。ラチェットはひたすら謝ったが、メグはラチェットを離さない。
そうこうしてる間に、ラチェットの胸元のボタンが一つ飛んだ。ニースは必死に、メグを宥めた。
「メグ! ラチェットさんは何も悪くないよ! 離してあげて!」
ニースに腕を掴まれて、メグは、はっとして手を離した。
「ごめんなさい。私、ついカッとなっちゃって……」
「う、うん。まあ大丈夫だよ。ボタンはつければ、直るから……」
いつも柔和なラチェットも、さすがにこたえた様子だった。ラチェットが微妙な距離感を醸し出しつつ答えたのを見て、メグは顔を青ざめ、力なく腰を下ろした。
「ごめんね、ラチェット……」
メグは、ぐっと唇を噛み、両手で顔を覆った。ニースは、恐る恐る問いかけた。
「それで、メグはセラのことをどうするつもりなの?」
メグは悔いるようにため息をつくだけで、返事をしなかった。そこへ、扉をノックする音が響いた。メグは、はっとして顔を上げた。
「ニース、仮面を!」
ニースは慌てて、仮面とフードを被った。ラチェットが扉を開けると、グスタフと宿屋の女将が立っていた。
「メグはいるか?」
「座長……。はい、います」
グスタフは部屋へ入ると、女将に椅子を勧めた。女将は断ったが、ゆっくり話をしたいとメグが言うと、ようやく席についた。
「女将さん。父から聞いたと思いますが……」
女将は、メグの言葉に唇を噛み、頷いた。
「ええ。まさかそれほど酷いことになってたなんて……」
「女将もご主人も、二人とも気にはなってたが、怪我については知らなかったそうだ」
グスタフが悲しそうに顔を歪めてメグに伝えると、ラチェットがメガネを、くいと上げた。
「気になってたということは、何かあるんですね。女将さん。どういうことなのか、僕たちにも話して頂けませんか?」
「……分かりました」
女将は膝の上で両手を握りしめ、頷いた。爽やかな風を通す窓を、ニースは静かに閉めた。
町の喧騒が、窓越しに遠く響く。ニースが椅子に座ると、女将は絞り出すように語り始めた。
「セラは、今から三年前……まだ四歳だった頃に、母を亡くしました」
セラには、心優しい両親がいた。セラの両親は、女将とベニーノの友達で、家から通いで車馬係として仕事をしに来ていた。しかしある日、セラの母親は馬に蹴られて亡くなった。町で馬が暴れて、巻き込まれたのだった。
「あの子の母親が亡くなってから、あの子の父……ヘラルドは、酒と賭け事に溺れてしまいました」
ヘラルドは人が変わったようになり、酒に酔ってはセラに暴力を振るい、賭博で金を使い果たし、雪だるま式に借金を作っていった。
ヘラルドは仕事にも来なくなったため、結果的に車馬係もクビになった。やがてセラの住む家は借金の形に取られ、セラは途方にくれた。
「本当はセラを、私たちで引き取るつもりでした。ですが、あの子は頑なに拒みました。あの子は、母親に似てしっかりした子なんです。自分が働いて、父親と昔のように暮らすんだって言って……」
小さな子どもを見習いとして働かせる店は少なく、このままではセラの身も危なかった。そのため、ベニーノが助け舟を出し、セラは宿屋で車馬係見習いとして働く事となった。
「私たちは、それならばと従業員宿舎に住まわせようとしたんです。でも借金取りに見つかってしまって、お客様にも迷惑がかかるようになって……」
女将の話に、ラチェットが頷いた。
「セラちゃんを隠して守るために、馬車置き場に住まわせたんですね」
「はい。あの子は今、納屋に住んでるんです。あんな場所に、隠すしか出来なくて……」
女将は、目に涙を浮かべて鼻をすすった。メグの目と、仮面の下のニースの目にも、涙が浮かんだ。女将は、悔しげに顔を歪め、話を続けた。
「でも、それでも。セラの父からは、隠せませんでした。あの子がここで働いてることを、ヘラルドは知ったんです」
女将は、握った拳にさらに力を入れた。手の内に、爪が刺さるのではないかという勢いだった。
「セラはヘラルドのために、頑張っていたのに……! あの男は、あの子にお金をたかるようになったんです!」
ヘラルドは家を失くしてからも仕事をせず、借金取りから身を隠しながら、町で悪さをして酒を飲み、暮らしていた。
そんなヘラルドは、セラに金をたかりに来るようになった。女将たちは、ヘラルドを見かければ追い返したが、気づくのが遅れて追い返せない時もあった。恐らくその時に、ヘラルドから暴行を受けていたのだろうと、女将は語った。
メグは、ギリリと歯軋りをして立ち上がり、テーブルをバンと叩いた。
「許せない……許せないわ……!」
「メグ、お前が怒っても仕方ない」
「だけど、お父さん!」
グスタフは立ち上がり、言い募るメグの肩をポンと叩いた。
「なに、別に何もしないってわけじゃない。私もしっかり話してきたんだ」
メグは、ぐっと唇を噛んで椅子に腰を下ろした。ラチェットが、不思議そうに声を挟んだ。
「座長、何をするつもりなんです?」
グスタフが口を開く前に、女将が答えた。
「みなさんに、お願いがあります」
女将は立ち上がると、深々と頭を下げた。
「どうか、セラを連れて行ってあげてもらえませんか」
声を挟まず、真剣に話を聞いていたニースだったが、思わず口を開いた。
「……セラを?」
女将はニースに、切なげな笑みを向けた。
「あなたが、セラとお友達になってくれたのよね? 本当にありがとう」
女将は、グスタフとベニーノが話をしている間、セラとニースが厩のそばにいるのを、支配人室から見ていた。
声は聞こえなかったため、セラが何をしているのかはわからなかったが、ニースと一緒にいるセラは心から楽しそうに笑っていた。女将は数年ぶりにセラの笑顔を見れたと喜んでいたのだ。
女将は感謝の気持ちを伝えるように、ニースの手を取った。ニースは慌てて立ち上がり、仮面の下で目を泳がせた。
「いえ、ぼくは特になにも……」
「セラにはずっと友達がいなかったの。だから、あなたと友達になれて、セラはきっと嬉しかったはずだわ」
「ぼくも、そんなに友達が多いわけじゃないんです。セラと友達になれて嬉しかったので、気にしないでください」
「優しいお友達があの子に出来て、本当に良かった」
女将は、目に涙を浮かべながら頭を下げた。ニースは胸の痛みを感じて、口を結んだ。
――セラもぼくと同じだったんだ。優しかったお父さんが急に変わって。でもみんな、セラのことを大切にしてくれて……。セラのそばに、女将さんたちがいてくれて良かった。
ニースの目には、優しそうな女将とマシューたちの姿が重なって見えた。セラが女将たちから愛されていることを、ニースだけでなくメグやラチェットも感じた。
メグは、真剣な眼差しでグスタフを見上げた。
「それでお父さんは、女将さんたちの話を引き受けたのね」
「ああ、そうだ。今はまだ小さいが、車馬係としての仕事は知っているし、これから色々教えていけば、そのうちマルコムの手品を覚えたりも出来るだろう。それにな……」
グスタフは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、言葉を継いだ。
「危ない人間から身を隠して生きるなら、旅の一座はちょうどいい」
グスタフの話ぶりを聞いて、ニースは、まるで本物の山賊みたいだと思った。メグは満足気に微笑んだ。
「わかったわ。女将さん、私たちにセラのことは任せてください」
メグの言葉に、ニースとラチェットも頷いた。女将は、ほっとした様子で、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。セラには、後で話しますので。よろしくお願いいたします」
女将が部屋を去ると、ニースは窓を開け、仮面を外した。風がふわりと入り込み、ニースは、ふぅと息を吐いた。
グフタフは椅子にどかっと腰を下ろすと、緊張を解すように明るく声を上げた。
「いやあ、こんなことがあるとはな。まるで物語のような身の上話だよ」
「本当にそうですね」
おどけて言うグスタフに、ラチェットは切なげな笑みをこぼした。しかし次の瞬間、ラチェットの顔は凍りついた。メグが不敵な笑みを浮かべていたからだ。
「お父さん、ちょっといいかしら。話があるの」
「ん? なんだメグ、改まって」
「め、メグ。ニースもいるんだから手荒なことは……」
あたふたするラチェットを横目に、メグはニースにも笑みを向けた。
「ニースも、よく聞いてくれるかしら」
「は、はい……!」
口元に笑みを浮かべたメグの目は、笑っていなかった。ニースは身の危険を感じ、即座に椅子に座った。メグは立ち上がり、両手をテーブルにつくと、キラリと瞳を光らせて、有無を言わさぬ声音で告げた。
「セラには、マルコムの助手じゃなくて、ニースと一緒に歌ってもらうわ」
「……はぁ?」
緊張感の漂う部屋に、男三人の間の抜けた声が響いた。びゅうと吹き込んだ風が、部屋に残った重い空気を吹き飛ばしていった。




