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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第7部 願い【第26章 戦火 】
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448:再会を誓って2

前回のざっくりあらすじ:ニースは、アグネスの元を訪れた。


*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激、痛ましい表現が含まれます。ご注意下さい*


*次話の投稿は、12月25日(水)となります。

 ガタリとテーブルが動き、ランプの炎が揺れる。胸を押さえたアグネスは、額に冷や汗を滲ませた。


 ――あの男の暗示から外れようとした時と、そっくりだわ……。


 アグネスの耳には、ニースが禁じた際の言葉が延々と響いており、指示を破った事に対する底の知れない恐怖や悲しみ、絶望が胸に広がっていた。

 鳴り止まない幻聴の中で、息苦しさと共に鼓動が早まり、アグネスの視界は黒く染まる。

 それはまるで、暗示に使われた禁じられた香りからの離脱症状のようで、アグネスにとっては馴染み深い苦しみだった。


 しかし、ニースが本来やろうとした事は、そこまでのものではなかった。

 ココがアグネスを不安に感じているため、仕方なく白い音風を使っただけなのだ。禁を犯そうとした場合に想定した反応は、該当する行動を止めるという、至って単純なものだった。


 紙に書くよう言ったのも、きちんと効果があるとココに示すためであり、苦しげに蹲るアグネスの反応は、ニースにとって想定外の出来事だ。

 ニースは焦って立ち上がり、アグネスに手を伸ばした。


「先生、大丈夫ですか⁉︎」

「え、ええ……」

「すみません、強くしすぎたかも!」


 歌の力を持つ者は、白い音風に抵抗力がある。黒を持つアグネスに、ニースは強めに力を使っていた。そのため、思いがけない反応に繋がったのだった。

 アグネスは、ゆっくり息を吐くと愉快げに笑い出した。


「アグネス先生?」

「あはは……! ごめんなさいね。これはすごいわ」


 書こうとする意思を手放し、苦しみから解放された後にアグネスを包むのは、何とも言えない幸福感だ。許されたと感じられる喜びは甘いものだが、その感覚が意味するのは決して抗えない精神的な支配であり、恐ろしいものだった。


 ――何てことなの。白にこんな力があったなんて。暗示よりずっと強烈だわ。使い手がニースじゃなかったら、どうなってたか……。


 アグネスは目に滲んだ涙を拭うと、椅子に座り直し、真顔で口を開いた。


「この力は危険すぎるわね。白の使い手を増やすのは問題だわ」

「アグネス先生……」

「でも、ニース。ここまで出来るのは、今はあなただけなんじゃないかしら」


 アグネスに見つめられて、ニースは腰を下ろしながら頷きを返した。


「たぶんそうだと思います。でも、なんでそう思ったんですか?」

「これまでの経験と研究、それから今の自分の感覚からよ」


 ココが色違いの瞳で、アグネスを見上げる。アグネスは真剣な面持ちで、淡々と話した。


「対象者の肉体と精神に働きかける。これは祈歌でも使われている技術よ。でもそれをあなたは、思考や行動にまで作用させ、反応まで細かく指定して制限をかけた。しかも、メロディも歌言葉も使わずに。こんなとんでもないこと、ただ白を使えるようになったぐらいで、出来るものじゃない。音風を自在に使いこなせるあなただから、出来ることだと思うわ」


 アグネスは残念そうに、はぁと息を吐いた。


「レイチェルもまだ、出来ないことでしょう。上手く使えたら脱出出来たかもしれないけれど、あの男に悪用されることもない。幸か不幸か分からないわね」

「先生……」

「こんな危険なこと、決して他に漏らしてはダメよ。いくらでも悪用出来る上に、世界の仕組みがおかしくなる。私も、これまでの白に関する研究は一部破棄するわ。いいわね?」

「もちろんです」


 アグネスが、白い音風の危険性を充分理解したのを感じ、ニースは、ほっと胸を撫で下ろした。


「ねえ、ココ。もういいでしょ?」

『そうね。アグネスは信用出来そうだわ。外してもいいわよ』


 一人と一羽の会話を聞いて、アグネスは眉を寄せた。


「もしかしてニース。この()()を解くことも出来るの?」

「はい。出来ますよ。解放歌を聞くか、僕がまた白い音風を使えば外れます」

「そう。でもそれは、しない方がいいわ」


 意外なアグネスの言葉に、ニースは目を瞬かせた。


「え、でも……」

「私も研究者なの。研究したいという欲を理性で押し留めてるけど、根っこにあるのは、あの男と同じよ。これがどこで外れるかは分からない。だからこのままにしておいて」

「そんな……! 僕は、そういうつもりでやったんじゃないです。先生なら大丈夫ですよ!」


 ニースには、白い音風で誰かを動かす気はない。ココを納得させるためにやっただけだ。

 言い聞かせるように話すニースに、アグネスは頭を振った。


「ニース。あなたは人を簡単に信じすぎるわ。騙されていた私が言えることじゃないけれどね」

「先生……」

「人はいつだって間違える時があるの。でもこれは、決して誰にも明かしてはいけないものだわ。過ちは許されない」


 ニースは、きゅっと唇を噛んだ。アグネスは優しい笑みを浮かべた。


「そんな顔しないの。もし外したい時は、解放歌を聞けばいいんでしょう?」

「……はい」

「それなら、いつだって聞こうと思えば聞けるわ。だから、気にしないで」


 気にするなと言われても、ニースにとっては断腸の思いだ。黙り込むニースに苦笑して、アグネスはココへ語りかけた。


「ココ様。私に御身をお見せ下さった理由を、お聞かせ頂けますか?」

『そんな丁寧に話さなくていいわ。様もいらないわよ』

「そう申されましても」

『あなたがそんな態度なら、何も話さないわ。さっきニースに話してたみたいに、普通に話して』


 じっとココに見つめられて、アグネスは肩を落とした。


「分かったわ。あなたがそう言うなら、従う」

『あなたたちがカルデナを神聖視するのは分かるけど、そこに私を混ぜないで欲しいわ。メアリはいつも通りに話してくれたのに』

「メアリも知ってるの?」

『ええ。私は元々、マルコムの鳩としてハリカにいたのよ』

「あの子ったら。うまく隠したものね」


 くすくすと笑うアグネスのそばへ、ココはトコトコと歩み寄った。


『それで用件だけど。さっき言ってたカルデナの手記を見せてもらいたいの』

「見なくても、あなたなら分かるのではないの?」

『カルデナが書き残したものはいくつもあるのよ。そのどれが残ってるのか、見てみないと分からないわ』


 レイチェルを攫ったエクシプナは、手記の写本を手にしている。エクシプナが何を知り、どう使う気なのかを知るためには、ニースたちも手記を解読しなければならない。

 しかしその解読は、未だ出来ていないのだ。それを知ったニースとココは直接見るしかないと考え、アグネスに頼もうと決めていた。


 ココの話に、アグネスは困ったように眉を寄せた。


「あなたの望みなら叶えたいけれど……。聖地へ行かなければならないのよ。あなたの存在は知られたくないのでしょう?」

『ええ。でも、あなたなら私を隠して連れて行けるでしょう? あなたが教皇に近い人間で、教会で自由に動ける人だってニースから聞いてるわ』

「それはまあ。出来ないわけではないけれど」


 戸惑うアグネスを見て、ニースは、ふぅと息を吐き、静かに声を挟んだ。


「アグネス先生。先生もご存知のように、歌の力には危険な部分もあります。その何を、あの人に知られてしまったのか。それを早めに知らないと、何か仕掛けられても対応出来なくなると思うんです」

「ニース……」

「王国はたぶん取り戻せます。でもその後、僕たちはレイチェルを助けに行かないといけません。帝国に行く時に、後手に回らないようにしたいんです。ココを連れてってもらえませんか。お願いします」


 ニースは願いを込めて頭を下げた。アグネスは額に手を当て、はぁとため息を吐いた。


「そうね……。確かにこのままだと、いつ読み解けるか(らち)が明かないし。これが一番の近道でしょう。分かったわ」

「ありがとうございます!」


 ニースは安堵して顔を上げた。ココは、ぴょんとアグネスの肩に乗った。


『よろしくね、アグネス』

「ええ。そうと決まれば、出来るだけ早く発てるようにしましょう」


 アグネスは、毛布にココを包むようにして立ち上がった。ニースは、飲み掛けだった茶を飲み干し、立ち上がる。ニースの懐で一羽残されたバードが、寂しそうにもぞりと動いた。



 休養日二日目も、ニースとセラは精力的に動いた。セラは町の人々の治療を行い、ニースは多くの武器に歌の力を込め直す。

 そうして昼を回った頃、ニースの元へアンヘルが顔を出した。


「ニース、お疲れ様。補給部隊が来たのは聞いたかい?」

「兄様、お疲れ様です。聞きました。午後はそっちにも歌いに行く予定です」


 この日、町には補給部隊が到着していた。解放された王国の町は、帝国軍に物資を奪われているため、同盟軍は今もラース山脈を通って物資を運んでいる。

 高速輸送が出来るよう、補給部隊は発掘品の車を使っており、歌い手の存在は不可欠だ。ニースの歌の力なら、かなりの距離を走れるため、帰りはより速く進めるだろう。

 ニースの返事を聞いて、アンヘルは満足げに微笑んだ。


「そうか。明日、部隊が戻るのに合わせて、エミルとヘレナも出発することになったよ」

「そうですか」

「それで今夜、町民も集めて祝勝の宴を開くことになった。広場に舞台を設けるから、そこでニースに歌ってほしい。頼めるかな」


 急な話に、ニースは目を瞬かせた。


「お祝いのお祭りですか。歌わせてもらえるのは有り難いですけど……この町も、そんなに余裕ありませんでしたよね。大丈夫なんですか?」

「ああ。補給が来たから、古くなった食材を使うんだよ。兵の士気も上がるし、ちょうどいいんだ」

「でも、町の人も呼ぶんですよね?」

「その分は、ロベルトが出す。隠していた保存食が、かなりあるらしい。匿ってくれたお礼にって用意してた酒もね」


 ロベルトは、イリナたちのためにリュッケ村へ物資を運ぶ予定だった。しかし、帝国軍の隙を縫って運ぶのは難しく、市壁の外に用意しておくしか出来なかったのだ。

 酒も保存食も、数ヶ月の間にかなり熟成されている。これ以上は日持ちしないものもあり、村への礼は別途用意して届けるつもりなのだと、アンヘルは話した。


 話を聞いたニースは、なるほどと頷いた。


「分かりました。歌が楽しいって、みんなに知ってもらって。僕が怖くないって、分かってもらえるようにします」

「頼んだよ」


 アンヘルはニースの肩を叩いて去っていく。ニースは兄の背を見送り、宴で何を歌おうかと考えながら石歌を歌い続けた。



 夕焼け色が空を染め、町の至る所に篝火が焚かれる。広場に降り積もっていた雪は、同盟軍兵士と町民の手で除けられ、石畳が顔を出していた。

 家々から貸し出されたテーブルや椅子が、ぎっしりと広場に置かれ、多くの酒や料理が並ぶ。たくさんの人々が見守る中、キールとリベラが壇上に上がり、王都奪還への決意を述べた。

 その様を、遅れてやって来たエミルとヘレナが、広場の片隅から見つめていた。


「エミル、寒くない?」

「うん。大丈夫。ヘレナこそ、辛くない?」

「大丈夫よ、このぐらい」


 片足を失ったエミルは、松葉杖をついて立っていた。二人とも分厚い外套を羽織っており、吐く息は白い。

 微笑み返したヘレナに、エミルは切なげに頭を振った。


「寒さじゃなくてさ」


 エミルは言いながら、壇上へ目を向けた。ちょうどキールの挨拶が終わり、町の人々が歓声を上げ、そこかしこで酒杯を打ち鳴らす音が響いた。

 舞台を降りながら、町の有力者と話す王太子夫妻の姿は、仲睦まじいものだ。気遣うように言ったエミルに、ヘレナは苦笑した。


「妃殿下のご無事を願ったのは私よ?」

「でも、ヘレナは逃げる気がなかった。それってそういうことだろ?」


 確かめるように問われ、ヘレナはふっと笑った。


「何度も言うけど。望んじゃいけないものってあるのよ」

「ヘレナは俺と違って頭が良いけど、察しが良すぎるのも考えもんだよね。昔から我慢してばかりだ」

「あら。したくない我慢はしないのが私の主義よ。大体、ニースの重荷になるのは嫌だもの」

「そうだね」


 エミルは肩をすくめ、あっと声を上げた。


「俺さ、ちょっと小便」

「少しぐらい言葉を濁しなさいよ。そんなだからモテないのよ」

「兄弟なんだし、いいだろ。適当に座ってて。たぶん時間かかるから」

「一人で行ける?」

「お前に手伝われたら、出るもんも出ないよ」


 眉根を寄せたヘレナに、エミルは、からりと笑って歩いて行った。ヘレナは、仕方ないと小さくため息を吐く。

 空いてる席はないかと辺りを見回すと、不意に肩を叩かれた。


「ヘレナ」

「エリック?」


 ヘレナが振り向くと、エリックがいた。ヘレナは不思議に思い首を傾げた。


「あんた、何してるの? ニースの護衛は?」

「今は休憩時間」


 エリックは、くいと指で壇上を示した。舞台の上にはニースとセラが上っており、舞台の片隅にマルコの姿があった。


「これから歌うんだってさ。だから、その間に俺とマルコは交代で休憩を取れる」

「へえ。ニースが歌うのね。ルポルは?」

「殿下と先に宿に戻ったよ。殿下は歌を聞く気がないんだってさ」

「そう」


 兵士たちが拍手を送り、町の人々が不思議そうにニースとセラを見つめる。手を繋いだ二人の歌声が流れ出し、ヘレナは目を閉じ、耳を傾けた。


「やっぱりニースの歌は綺麗ね。聞かないなんてもったいないわ」

「……殿下と一緒に聞きたかった?」


 寂しげなエリックの問いかけに、ヘレナは目を開いた。


「まだあんた、そんなこと言うの?」

「諦めきれないから」

「なら……なんでここに残るのよ」


 じっと見つめるヘレナから、エリックは目を逸らした。暗くなっていく広場に、篝火の火が揺れる。

 エリックは、ぐっと拳を握りしめた。


「俺さ。このままは嫌なんだよ。今のままじゃ、ヘレナを守りたくたって守れない。だから、力をつけたいんだ。殿下に意見出来るぐらい」

「エミルみたいに、足を失くすかもしれないのに?」


 怒ったようなヘレナの声に、エリックは目を見開いた。


「心配してくれてるの?」

「そりゃ心配するに決まってるでしょ。知り合いが怪我したり死んだりするのなんか、ごめんだわ」


 ヘレナは腕を組み、ふいと顔を背けた。エリックは、はははと乾いた声を漏らした。


「そうだよね。うん。ヘレナは優しいから……」


 エリックは、はぁとため息を吐き、項垂れた。ヘレナは、エリックから目を背けたまま呟いた。


「だから、帰ってきなさいよ」

「へ?」

「ちゃんと帰ってきたら、考えてあげるわよ。あんたのこと」

「……は?」


 ぽかんとしたエリックを、ヘレナは睨みつけた。


「あんたを待っててあげるって言ってんの! 何度も言わせないでよ!」

「いや、でも……」

「こんなことなら、言うんじゃなかったわ!」


 踵を返して歩き出すヘレナの肩を、エリックは慌てて掴んだ。


「待ってよ!」

「待たないわよ! あんたが帰る前に、気の利く良い男を捕まえてやるんだから!」

「絶対帰ってくるから! ごめんって!」

「うるさい!」


 引き止める手を振り払い、顔を真っ赤にしながら歩くヘレナに、エリックは頬を緩ませながら追い縋る。

 騒がしい二人を遠目に見て、酒を飲んでいたダミアンが肩をすくめた。


「エリックなら、どうにかしてくれるかと思ったが。花嫁姿には、まだまだ遠そうだな」

「父さん。嫁に出したくないって、言ってなかった?」


 ダミアンの酒の相手は、エミルだった。エリックの姿に気付き、エミルはさり気なくヘレナを置き去りにしたのだ。

 酒を禁止されているエミルは、湯気の立つスープを手に問いかける。ダミアンは、はははと笑った。


「まあ、前はな。だがさすがに、一人娘の幸せな姿をそろそろ見たくてな」

「それなら、ヘレナには他の相手を見つけないと。殿下は、王都を取り戻したら帝国本土に反撃する気だし、エリックが手柄を立てて戻るまで、たぶん年単位でかかる。そうなったら、とっくに行き遅れだよ」

「そうだな。それでもエリック以外に、貰い手がいるようには思えない。無事に帰ってきてほしいところだ」

「父さんとルポルもだよ。絶対死なないで」

「私なら大丈夫さ。さすがにこの年で、海を越えるのは無理だ。王都を取り戻したら、必ず帰るよ」


 エミルとダミアンは、無事の再会を願って酒杯と汁椀を打ち合わせる。星が光だした夜空に、ニースとセラの歌声が響いていた。

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