447:再会を誓って1
前回のざっくりあらすじ:ニースはキールの信頼を勝ち取ろうと心に決めた。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激、痛ましい表現や描写が含まれます。ご注意下さい*
*次話の投稿は、12月23日(月)となります。
フィリップから告げられた三日間の休養日は、ニースにとっても貴重な時間だった。キールだけでなく国民の信頼を得るためには、僅かな時も無駄には出来ない。
王国の天の導きとして、やらなければならない事も目白押しで、ニースは慌ただしく動いた。
まず最初に、フィリップとの話を終えたニースは、王太子一家と共にルイサの宿を訪れた。ルイサは疲れが溜まっている様子だったが、ニースとセラを見ると目を輝かせた。
「二人とも無事で良かったわ」
「ルイサ様も、お力をお貸しくださってありがとうございました」
「いいのよ。ニース君が約束通り、みんなを助けてくれたのだもの。元気だとお便りを見て、どれほど安心したか」
ルイサは、ハリカやマルコムの事を聞きたそうだったが、この場にはキールたちがいる。リベラとナーセルの紹介が主であり、ニースが時間を取るわけにはいかない。
王太子一家は昼食まで共にすると聞き、ニースとセラは早々にその場を辞した。
「ニース君たちも、ゆっくりしていけばいいのに」
「すみません。義兄の様子も気になるので」
「そういえば、足を怪我したのだったわね。回復を祈ってるわ」
「ありがとうございます」
ルイサと夫ダンテの間には、相変わらず微妙な距離感があった。キール夫妻の睦まじさとの対比もあり、ニースとセラは何とも言えない気持ちを抱えて、救護所へ足を向けた。
「ルイサ様、まだマルコムさんのこと考えてるのかな」
町を歩きながら、ぼそりと呟いたセラに、ニースは小さく頷いた。
「うん。王子殿下のことを見る目も、なんだか寂しそうに見えたね」
ナーセルは、ニースと初めて会った時と違い、ルイサを「悪魔」とは呼ばなかった。子どもらしい無邪気さで話しかけてくるナーセルを、ルイサは眩しそうに見ていたのだった。
約一年前、皇国の海軍基地でルイサやダンテと話した事を思い返し、セラは、はぁとため息を吐いた。
「もうお子さんは無理かもしれないけど。それでも、養子を取るとか色々出来るし。ダンテ様のことだって嫌いじゃないんだから、甘えたらいいのにね」
「そうだね」
モヤモヤしたものを感じても、立ち止まっている暇はない。次の目的地である救護所へ着くと、エミルだけでなく多くの負傷兵を前に、二人は早速聖歌を歌い出した。
歌う二人の視界の端に、時折知った顔が映る。アンヘルから話を聞いたのであろう。ルポルやエリックたちが、代わる代わるエミルとヘレナの元を訪れており、二人は歌いながら手を振った。
エミルたちが昼食の時間となると、ニースとセラも休憩を取った。帰郷を許されたエミルは、動きを確かめるように手を動かした。
「教会の人たちもすごいけどさ。ニースの歌って、段違いなんだな」
「そんなに変わった?」
「うん。血の巡りがすごく良くなってる。体の怠さも減ってるし。これなら、明日にでも出れるかも」
「そんな急がなくても。義足だって日にちかかるでしょ?」
「大丈夫だよ。クフロトラブラは、補給部隊の中継点になってるから。あそこにも教会の人たちがいるんだ。そこで作ってもらえるように、手紙でも書いてもらうよ」
前夜、血の気が薄かったエミルの顔は、健康的な色を取り戻していた。キールの心が変わらない内に、エミルは町を出たいのだと察し、ニースは視線を落とした。
「僕のせいでごめんね」
「聞いたの?」
「うん。アンヘル兄様から。ヘレナのこと、守ってくれてありがとう」
エミルは気遣うように、笑みを浮かべた。
「ニースが気にする必要ないよ。殿下の側付きなんて、滅多に経験出来ないことさせてもらえたしさ」
「でも、それで足が……」
「これはニースのせいじゃない。名誉の負傷だよ」
「だけど、母さんは悲しむよ」
「それは……」
エミルは困ったように、はぁとため息を吐いた。
「アンヘル様も余計なことを。気にして欲しくないから黙ってたのに」
「ごめん」
「だから、謝るなって。お前は可愛い弟なんだからさ。笑ってればいいんだよ」
「……うん」
エミルは手を伸ばし、ニースの肩を叩いた。ぎこちない笑みを浮かべたニースに、ヘレナが微笑んだ。
「でも、アンヘル様には感謝してるわ。あんなに心配して下さるなんて思わなかったから」
「兄様は昔から優しいよ?」
「だってニース。あなたいじわるされてたのよ。私はそうは思わないわ」
「それは理由があったから」
「伯爵様ね。あの方が諸悪の根源よ」
ふんと顔を背けるヘレナを見て、ニースは苦笑して話題を変えた。
「あのさ。殿下はエリックにも帰るか聞くといいって仰ってたんだけど。エリックも何か理由があって来たの?」
「あー、それは……」
エミルは、ちらりとヘレナを見た。外方を向くヘレナの頬が、ほんのり染まる。セラが、ニースの腕を突いた。
「ニース。それはエリックさんって人に聞いた方がいいんじゃない? お友達なんでしょ?」
「そうだけど」
「帰るかどうか決めるのは、そのエリックさんだもん。エミルお義兄さんとヘレナお義姉さんに聞いても、困らせちゃうよ」
「そっか。分かったよ」
ニースを窘めたセラに、ヘレナがぎゅうと抱きついた。
「セラちゃんは、可愛い上にとってもいい子ね!」
「い、いえ……」
セラは照れくさそうに、えへへと笑った。セラが家族に受け入れられるのを見て、ニースは胸が温かくなるのを感じた。
その後ニースとセラは、日暮れまで休みなく歌い続けた。救護所にいた負傷兵はかなりの数だったが、二人の聖歌でほとんどの治療が終わった。
夕焼けに染まる空に、患者だけでなく祈手や治癒士の喜びの声が響いた。
ちらちらと雪の舞う町を、二つの月が淡く照らす。町民たちが眠りに落ちた深夜、ニースはベンを連れて宿を抜け出した。
ニースは、ある事を心に決めて真っ直ぐに歩いていた。ベンは、少し離れて付いてくる部下たちの気配を確認しながら、ニースに語りかけた。
「セラさんに黙って来て良かったの?」
「うん。アグネス先生と二人きりで話したかったから」
「二人きりって……」
顔をしかめたベンに、ニースは微笑んだ。
「変な意味じゃないよ?」
「俺は分かるよ。ただ、セラさんがどう思うか考えたか?」
「だから黙って来たんだよ。今日の話は、誰にも言えないから」
「俺にも?」
「ベンなら無理に聞いたりしないし、ちゃんと黙っててくれるでしょ?」
ふわりと笑うニースに、ベンは苦笑した。
「ずるいよな。ニースは」
「ごめんね。誰にも見つかりたくないなんて、ワガママ言って」
「いいよ。エルネストはキール殿下に付いてるし。あのマルコとエリックだっけ? 護衛にって送られたけど、まだ全然素人みたいだしさ」
キールがニースの護衛に付けたのは、マルコとエリックだった。エリックは武功を上げると張り切っており、まだ帰らないと決めたのだ。
二人はキールから、片時もニースのそばを離れるなと命を受けていた。警護するだけでなく、ニースの周囲で何があったのかを逐一報告するためだ。
義勇兵でしかない二人は、剣や弓の腕は買われていたものの、異国の正規軍と牽制し合うほどの事は期待されていなかった。
キールの懸念は見事に当たり、マルコとエリックは、昼過ぎに行ったベンたちとの顔合わせからガチガチに固まっていた。
まだたった半日しか経っていないが、二人は慣れない任務に相当疲れた様子だった。夜番を請け負ったマルコは、ニースの部屋の前で立ったまま眠っていた。
ニースはマルコの寝顔を思い出し、くすくすと笑った。
「あんなに綺麗に立ったまま眠れるなんて、びっくりしたよね」
「本当だよ。いびきがなかったら、完璧だった」
声を殺して笑いながら、ニースとベンは歩く。
二人の行き先は、日中にいた救護所だ。薄暗い道を歩き、ニースが中へ入ると、入り口そばでアグネスがランプを手に待っていた。
「本当に来たのね」
「アグネス先生、こんばんは。すみません、無理言って」
「いいわよ。こっちへ」
しんと静まり返った救護所には、エミルのように祈歌では治らなかった人々だけが残っている。患者のいなくなった大部屋の一つにニースは案内された。
「ベン、あとは頼むね」
「ああ。人払いしておくよ」
ベンを廊下に残し、ニースは大部屋の中央に置かれた椅子に腰を下ろした。ランプで照らされたテーブルには、温かなポットが用意されており、アグネスはカップへ茶を注ぐ。
小麦色の液体からは茶葉の香りと共に、ふわりと香辛料の独特な香りが漂い、ニースは懐かしさを感じた。
「これと似たお茶を、昔、聖皇国で飲んだことがあります」
「たぶん種類は同じものね。伝統的な飲み物なのよ。ミルクに茶葉とスパイスを入れて煮出してあるの。温まるわ」
人のいない大部屋は暗く、冷え切っている。アグネスは傍らに置いていた毛布に包まると、もう一枚をニースに渡した。
「それで、何の話なの?」
ニースは毛布を肩からかけ、両手でカップを包んだ。
「あの件についてです」
「それなら昼も話したけど。フィラカスから連絡が来るまでは、何とも言えないわ」
日中、ニースは聖女の手記の解読について、アグネスに尋ねていた。手記を国外へ持ち出すわけにいかないため、フィラカスに解読を頼んでルイサの元へ指導に来たのだと、アグネスは話した。
その話を聞いたニースは、内緒で相談したいことがあると、アグネスに深夜の密会を頼んだのだ。
「私の手で解読するつもりだったけれど。あの時は帝国に押されていたでしょう? だから、公主殿下の力を上げることが先決だと思って」
「あの、それなんですけど……。ルイサ様にこれ以上教えるのは、やめてもらえないかなって思ってたんです」
アグネスから指導を受けるよう、ルイサに提案したのはニース自身だ。意外なニースの話に、アグネスは顔をしかめた。
「それはなぜ? 王国のため?」
「いえ。白い音風の秘密を知ったからです」
「白の秘密?」
「これは重唱には当てはまらなくて。僕たち天の導きが一人で出す白い音風に限ってなんですけど……。アグネス先生なら大丈夫だって信じてるから、言いますね」
「ええ」
アグネスは訝しげにニースを見つめる。ニースは茶を一口飲み、緊張で乾いた口を潤すと、しっかり見つめ返した。
「僕の白い音風には、人を操る力があります」
にわかには信じられない話に、アグネスは、ぽかんと口を開けた。
「操るですって?」
「はい。僕はそれで、帝国兵を殺しました」
目を伏せたニースの言葉に、アグネスは息を飲んだ。
「人の生死まで操れるというの?」
「正確に言うと、人だけじゃないです。生き物全てに対してです」
「な、何よ、それは……」
アグネスは、ふるりと震えながらも、身を乗り出した。
「それは帝国との戦いで知ったの?」
「いえ。教えてくれた人がいます」
「それは誰?」
「その人を先生に紹介したくて」
ニースは懐からココを出した。アグネスは、不思議そうに首を傾げた。
「伝書鳩? でもこの目は……」
『初めまして。私はココよ』
突然響いた可憐な声に、アグネスは周囲を見渡した。
「何、今の声は。私はここって、どこ?」
『ここよ。それに、ココは名前!』
「ここは名前? 謎かけなの? 意味が分からないわ」
ココが必死に話しても、アグネスは暗がりに目を凝らすだけだ。ニースは笑いを堪えて、声を挟んだ。
「アグネス先生。今のは、この子の声ですよ」
「この子?」
「ココっていうんです。この子」
ニースが見つめる白い鳩を、アグネスは目を丸くして見つめた。
「ココ?」
『ええ。私はココよ』
「鳥が喋って……名前がココ? まさか……」
息を飲んだアグネスの体が、ふらりと揺れた。倒れるのかと、ニースは慌てて手を出す。
しかしアグネスは、ガッとテーブルを掴んで体勢を立て直すと、目をカッと見開き、ココに顔をぐいと近づけた。
「あなた! まさかあの!」
『ち、近いわ……』
「アグネス先生! 声が大きいです!」
身震いして後退ったココを、ニースは抱き上げた。アグネスは、はっとして口を押さえた。
「ごめんなさいね。興奮してしまって」
「い、いえ……」
口では謝ったものの、アグネスの瞳は獲物を見つけたようにギラギラと輝いたままだ。頬を引きつらせたニースの顔を見て、アグネスは腰を下ろし、カップに口を付けた。
戸惑いながら見つめるニースの前で、アグネスは、ゆっくり飲みきると、ふぅと息を吐いた。
「もう大丈夫よ」
「本当ですか?」
「ええ。リラックス作用もあるから」
ニースはココを抱いたまま、静かに腰を下ろした。アグネスは苦笑して、口を開いた。
「その子。聖カルデナのココね?」
「……はい。そうです」
「どういうことなのか、教えてもらえる?」
ニースの手の中で、ココが身じろぐ。ニースは、そっとテーブルにココを放した。
『あなたには話すつもりよ。だから私の存在を明かしたの。でも、その前に……ニース』
ニースはココに目を向けられ、はぁとため息を吐いた。
「どうしてもやらなきゃダメ?」
『そういう約束よ。私はアグネスのことを、どこまで信じていいか分からないもの』
「……分かった」
アグネスは何の話かと、じっと見守る。ニースは覚悟を決めて、アグネスに目を向けた。
「アグネス先生。〝ココの存在や、ココが話したこと。それから、今日僕と話したことを、誰かに伝えるのを禁じます〟」
ニースは、白い音風の力を込めて言った。アグネスは、ぽかんとしたまま頷いた。
「ええ、分かったわ」
「アグネス先生。今、僕は先生に白い音風を使いました」
「え?」
「書いてみてもらえますか。僕たちが今、話していたことを」
ニースは懐から、手帳と鉛筆を取り出した。アグネスは戸惑いながらも受け取り、書こうとした。
「……っ!」
アグネスは胸を押さえ、荒い息を吐く。床に落ちた鉛筆が、カラカラと音を立てた。




