446:真心の先に5
前回のざっくりあらすじ:ニースは、祈歌を新しく作ろうと考えたが、ココに止められた。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
*次話の投稿は、12月21日(土)となります。
空になった皿は、セラの手でワゴンへ避けられている。テーブルに残るのは、温かな湯気の漂う茶のカップと、苦手な野菜と格闘しているリリーの皿だけだ。
アンヘルは両手を組み、ニースとセラへ語りかけた。
「天の導きは、王国の平和に必要不可欠な存在だ。だが、王国の兵器数は極端に少ない。今回の戦いで防衛力が脆弱だと知られてしまったから、お前が国にいても大きな抑止力にはならないだろう。そこで私は戦後、ニースを外交官のような立場に出来ないか、殿下に提案している」
「外交官、ですか?」
「お前は各国と繋がりがあるだろう? そして歌の力もある。それらを武器にして、王国に利のある話をまとめる仕事だ。そうすればお前は王国のために働きながら、セラさんと自由に世界を動ける」
「世界を……」
ニースはセラと顔を見合わせた。アンヘルは、淡々と話した。
「だが問題は殿下だ。殿下は、力の大きな天の導きを警戒している。お前が裏切ることを懸念しているんだ」
ニースの脳裏に、悪魔と叫んだナーセルの顔が浮かんだ。眉根を寄せたニースを、アンヘルはじっと見つめた。
「殿下はお前を鎖で繋ぎ、意のままに扱おうと考えておられる。だがそんなことをしなくとも、お前は国のために動くと、私は伝えていくつもりだ」
「兄様……」
「殿下は一筋縄ではいかない相手だが、一つ一つ手を打っていこう。この戦いは、ちょうど良い機会とも言える。お前が信じられる存在だと示すんだ」
「分かりました」
「これから町にいる間は、出来る限り民に姿を見せてほしい。国は、王一人で動かせるわけではない。民の心を掴めば、殿下も無理強いは出来ないはずだ」
「はい。やってみます。色々ありがとうございます、兄様」
「ああ」
ニースは、なぜ今、アンヘルがこの話をしたかったのかを理解した。
――これから僕は、殿下とたくさん話をしなきゃいけない。兄様はその前に、これからのことを考えて動けるようにって、教えてくれたんだ。
ニースは嬉しさを感じながら、カップに口を付けた。アンヘルは微笑んで、言葉を継いだ。
「お前にはこれから頑張ってもらうとして。妃殿下も無事に見つかったから、まずはヘレナを帰さなければな」
「ヘレナ?」
「昨日会った時、聞かなかったのか?」
顔を歪めたアンヘルに、ニースは頭を振った。
「特に何も。ただ、ヘレナを守るために、エミルが従者になったって……」
言いかけたニースは、はっとしてカップを置いた。
「まさか……ヘレナを守るって、殿下から?」
「参ったな。知らなかったのか」
頭を抱えたアンヘルを見て、ニースは寒気を感じた。
「ヘレナは殿下に、無理矢理連れてこられたんですか?」
「……ああ。人質にするためにね」
「そんな! だって僕、おじいちゃんが死んだから、みんなは関係ないって伝えてたのに!」
声を荒げたニースに、ようやく食事を終えたリリーが、びくりと震えた。イリナが苦笑して、立ち上がった。
「私とリリーは、先に出てるわね」
「あ……ごめんなさい」
「いいのよ。あなた、あとはお願いね」
イリナはロベルトに後を任せ、リリーを抱いて去っていった。残ったニースたちの間に、重い空気が漂う。
パチパチと暖炉の炎が弾けるのを聞きながら、アンヘルは静かに口を開いた。
「お前がエルネストを通じて交渉していたと、殿下から伺っている。だがそれも、殿下にはお見通しだったんだよ」
「僕がもっと上手くやれてたら……」
ニースは、ギリリと歯噛みした。苦しげなニースを、セラが気遣うように見つめる。ロベルトがカップを置き、呟いたニースに語りかけた。
「ニース君。殿下は一国の王太子だ。腹の探り合いで勝つのは難しい」
「ロベルトの言う通りだ。お前は充分頑張った」
アンヘルにも慰められたものの、ニースは頭を振った。
「僕は全然ダメなんです。昨日だって結局、殿下の前でルポルや父さんと話したし、エミルの所にも行っちゃったし」
「ニース、それは気にするな。むしろ目の前にいるのに無視したら、かえって怪しい」
「それに、ヘレナが連れ出されたからエミルが付いてきて。それで足を失くしたんです。全部僕のせいです」
「ヘレナとエミルのことは、殿下を止められなかった私に責任がある。お前は気にしなくていい」
「兄様……」
ニースは涙を堪え、口を結んだ。アンヘルは、穏やかに言葉を継いだ。
「殿下がヘレナを求めたのは、妃殿下が亡くなられたと思っていたからだ。妃殿下がご無事だったのだから、ヘレナを妾に取られる心配はない。エミルと一緒に帰せると思う」
「妾に……ただの人質じゃなかったんですね。だからエミルが守らなきゃならなかったんだ」
「そういうことだ。だが殿下はお前を飼うために、次の手を打ってくるだろう。セラさんの存在を殿下は知ったから、次に狙われるのはセラさんだ。セラさんを王城に捕らえておこうと、殿下は考えられるはずだ」
名前を出され、セラは息を飲んだ。ニースは瞳に怒りを込めて、アンヘルを見つめた。
「セラに手は出させません」
「もちろんそのつもりだ。王都まで動きはないと思うが、念のためエドガー隊の女性にセラさんの護衛を依頼しておいた。戦闘時は無理だが、平常時に出歩く際は必ず一緒に行動してほしい」
意外な話に、ニースは驚いた。
「カサンドラさんとダナさんに?」
「そう。その人たちだ。個別の依頼は受けると、ジェラルド殿が言っていたからね。昨日会った時に依頼しておいた。交代で護衛に当たってくれるよ。今日も、もうすぐ来るはずだ」
「兄様、ありがとうございます!」
「あ、ありがとうございます!」
ニースと共に、セラも慌てて頭を下げた。アンヘルは表情を引き締め、話を続けた。
「戦闘中は、ニースか私のそばにいてくれれば、セラさんは大丈夫だろう。エルネストはニースを好意的に見てくれているが、それでも殿下の影だ。殿下の命があれば、動かなければならない。それを忘れるな」
「……はい」
「ベンジャミン少尉やフィリップ司令、その他の国の連中にも、用心してほしい。どこの国もニースを手に入れたがってる。隙を見せないようにしてくれ」
「ベンは大丈夫です。アグネス先生も。国は違いますけど、二人とも僕とセラのことを考えてくれているので」
「それでも、警戒は怠らない方がいい。何がきっかけで、彼らの気持ちが変わるかは分からないんだ。信じられるのは身内だけだよ」
「兄様……」
ニースは寂しさを感じて、拳を握りしめた。アンヘルは、安心させるように微笑んだ。
「とはいえ、一番危ないのは殿下だ。最悪の場合は、ロベルトも手を貸してくれる。だからお前は、殿下の信頼を得られるように動いてくれ」
「ロベルト義兄様が?」
ロベルトは頷き、切なげに微笑んだ。
「リリーがいるからね」
「リリーって……まさか、義兄様!」
「昨日アンヘルから話を聞いてね。イリナと相談して決めたんだ。もしもの時は、リリーをアンヘルの養子にして、王宮へ上げる」
ニースは拳を震わせ、頭を振った。
「そんなこと、ダメですよ!」
「大丈夫だ。ただ上げるわけじゃない。私もアンヘルも、この戦いで功を立て、力を付けるつもりでいる。そうすれば、リリーは人質というより、対等な繋ぎ役になれるだろう」
「だからって、僕のためにリリーの未来を決めちゃダメです!」
「何も君のためだけじゃない。最初は行儀見習いのような扱いだろうが。上手くいけば、リリーは王子殿下の妃の一人になれるかもしれない。そうなれば、うちの商会も伯爵家ももっと大きくなれる」
「そんな……!」
アンヘルが宥めるように、ニースに語りかけた。
「ニース。これはあくまでも、最後の手段だ」
「兄様……」
「幸い、リリーは王子殿下と仲が良いと、イリナが話していた。今後も関係が良好なら、自然とそうなる可能性だってあるんだよ」
「だけど!」
「お前の枷に使える人間は、そう多くない。リンドたちにこれ以上迷惑をかけたくないんだ。私たちに出来るせめてもの罪滅ぼしなんだよ、これは」
「罪滅ぼしだなんて……」
唇を噛むニースに、ロベルトが声をかけた。
「ニース君。どうしても納得出来ないなら、この手段を使わずに済むよう動いてくれ」
「ロベルト義兄様……」
「君を使うのに人質など必要ないと。自由を与えても、君は決して裏切らないと王太子殿下に示せばいいだけだ。これは最後の手段なのだから」
ロベルトの穏やかな低音に、ニースはゆっくり頷いた。
「分かりました。絶対そんなことさせません。必ず殿下に認めてもらいます」
「その意気だ」
ニースは、カラカラに乾いた喉に、冷め切った茶を流し込んだ。
――どんなに頑張っても、殿下が僕を悪魔だと思っていたら信じてもらえない。どうにかして、悪魔じゃないって思ってもらわなきゃ。それで、王国のために動いてるんだって分かってもらって……。
ニースは考えを巡らせ、目を伏せる。すると、コンコンと扉が叩かれた。
「ニース、食事は終わった?」
響いたベンの声に、ニースは立ち上がり扉を開けた。
「うん。終わったよ。どうしたの?」
「兄上が、殿下のところに来てる。ニースも呼んで欲しいって」
「分かった」
ベンの兄、フィリップは、リベラに挨拶するべく宿を訪ねていた。ニースはセラ、アンヘルと共にキールの部屋へ向かった。
暖かな部屋に、質の高い紅茶の香りが漂う。キールの部屋の前室には、柔らかなソファとテーブルが置かれており、そこにキールと向かい合うフィリップの姿があった。
「やあ、ニース君。久しぶりだね」
「フィリップ様、お久しぶりです。その節はありがとうございました」
「いいんだよ。私にとっても君は大事な友人だ。セラさんも綺麗になったね」
「ありがとうございます!」
北回りの同盟軍を率いているフィリップは、皇国貴族フェローシャス侯の嫡男で、ベンの兄だ。八年前ペリフローニシの町で、ニースに“調子外れ”の証明書を渡しており、メグに告白して振られた過去も持つ。
そんなフィリップの、貴族然としながらも穏やかな物腰は、ニースにとって懐かしいものだった。
親しげに挨拶を交わす二人を、キールが険しい顔で見つめる。アンヘルが、そっと声をかけた。
「フィリップ司令。ご挨拶はその辺にしてはいかがでしょうか」
「ああ、すまない。懐かしくてね。また後で、メグさんのことも教えてくれるかい」
「あ、ええと……はい」
ニースとセラは、メグがラチェットと結婚したと話したら、フィリップがどんな顔をするかと考え、苦笑した。
キールは、ニースが戸惑いを見せた事に安堵したようで、幾分表情を和らげた。
「そなたらも座るといい」
「はい、殿下。ありがとうございます」
リベラとナーセルは、すでに挨拶を受けたようで部屋におらず、エルネストとフィリップの護衛兵が壁際に立っているだけだ。ニースとセラは、キールに近いソファへ並んで腰を下ろした。
アンヘルは、ベンと共に立ったまま控える。キールは足を組み、ゆったりと話した。
「それで、今後の動きだったな」
「ええ。ベンジャミンが預かってきた、南軍のフォルス司令の案では、ニース君はこのまま我々と共に王都を目指すべきだとありました。そこで挟撃するようにと」
「我もそう思う。だがひとつ気がかりなのは、ニースが抜けて南軍の歌は大丈夫かということだ」
「それに関しては、ニース君の囮役を務めたほどの歌い手がおりますので。心配はいらないかと」
フィリップに、ちらりと視線を向けられて、ニースはキールに目を向けた。キールは頷き、話を促す。ニースは緊張を感じながらも、口を開いた。
「その歌い手はユリウスといって、一緒に音楽院で学んだ僕の親友です。二つの黒を持っているので、力はかなり強いです。ユリウスなら大丈夫だと思います」
「そなたのお墨付きなのだな」
「はい。それに、こっちには僕とルイサ様がいます。たぶん、帝国軍は僕らの方に注力するしかないはずです。南軍に天の導きがいないからって手を抜いてくれれば、むしろユリウスたちは簡単に押し返してくれると思います」
「ほう。それほど強いのか。ユリウスという者の歌は」
キールは愉快げに口角を上げた。アンヘルが苦笑して声を挟んだ。
「殿下。ユリウス君はパトリック会長のお孫さんです」
「パトリック殿の? であれば、共和国の歌姫の婚約者か」
「左様です。彼は帝国に恨みを持っていますし、歌姫奪還に心血を注いでいます。負けることはないでしょう」
「そうか。ならば、心配は不要だな」
頷いたキールに、フィリップは穏やかに話した。
「予定通り、モスルで三日滞在し、兵を休めます。王都への進軍ルートも、以前お話した通りに進める予定です」
「承知した。同盟軍の力、今しばらくお借りする」
「もちろんです」
「だが、ニースの護衛に皇国の力はもう必要ない。そなたの弟君には礼を言う」
ふっと笑みを浮かべたキールに、フィリップは眉根を寄せた。
「殿下。これは同盟軍として必要なことです」
「ニースの護衛には、皇国兵しかおらぬのにか?」
「我々はニース君の身を案じて、精鋭をお付けしているだけです」
睨み合う二人の様子に、ニースはどうしたらいいのかと視線を彷徨わせた。セラが不安げに、ニースの手を握る。
成り行きを見守っていたベンが、静かに声を挟んだ。
「殿下。発言をお許し頂いても?」
「構わぬ」
キールだけでなく、アンヘルも見定めるようにベンを見つめる。ベンは一歩前へ出て、意見を述べた。
「私は、ニースの歌に魅入られた人間です。ニースを守るために軍に入りました」
「ニースの歌にだと?」
「はい。八年前、初めてニースの歌を聞いた時の衝撃や興奮は、今も忘れられません。音楽の歌は、鳥の囀りのようで。私の心を掴んで離しませんでした」
「鳥のような歌、か」
ベンは心から幸せそうに微笑んだ。キールは真意を探るように目を細め、フィリップが何を言い出すのかと顔をしかめる。
ベンは表情を引き締め、言葉を継いだ。
「我々がニースを守る意図を、ご心配なされるのは当然ですが。私にとっては、ニースが生き生きと歌える環境こそが重要です。ですので、皇国人としてではなく、友人としてニースを守っていることを、ご理解頂ければ」
「そうは言っても、そなたは皇国少尉だ」
「はい、そうです。ですので、ひとつ提案を」
「言うてみよ」
ベンは、ちらりとエルネストを見た。
「我々はこれまで、エルネスト殿と協力してニースの護衛に当たってきました。もし可能であれば、今後も協力して任に当たれればと思います」
「エルとか」
「もちろん、他の方でも構いません。殿下がニースの護衛に相応しいと思われる方と、協力していきたいと思います」
ベンはハッキリ述べると、じっとフィリップを見つめた。
「私は例え兄が相手でも、ニースの自由を奪う相手には立ち向かうつもりです」
「ベンジャミン、何を……!」
「兄上。私は本気ですよ。不服なら、今すぐ私を護衛の任から外せばいい」
「私に、そのような他意などない!」
ベンの話は、フィリップにとって痛い所を突かれた形だ。しかしそれを表に出すわけにはいかない。フィリップは、ぐっと声を詰まらせた。
キールは愉快げに声を上げて笑った。
「力のない歌に、ずいぶん魅了されたものだな」
「はい。私はニースのファンですから」
「良かろう。たとえ嘘だとしても、面白い。気に入った」
キールは、必死に表情を取り繕うフィリップに、にこやかな笑みを向けた。
「よく出来た弟君をお持ちだな、フィリップ殿」
「……ええ。自慢の弟ですよ」
キールはベンに、後ほどニースの護衛役を紹介すると約束すると、フィリップに退室を促した。フィリップは護衛兵を連れ、見送りに立ったベンと共に、部屋を出る。
王国人とセラだけとなった部屋で、アンヘルが、ほっと声を漏らした。
「殿下。まだ王都奪還前です。フィリップ司令を、あまり刺激なさらない方が」
「ベンジャミン少尉だったか。彼の人となりを知りたかっただけだ。そなたとて同じであろう」
「まあ、そうですが」
苦笑するアンヘルに、キールは静かに話した。
「アンヘル。妃とナーセルだが、モスルに置いていこうと思う。王都奪還まで、またイリナに頼めるか?」
「そのつもりでおりました。アージェンの屋敷も、今修繕を急がせています」
「すまぬな。それから……」
キールは切なげに顔を歪め、言葉を継いだ。
「ニースの歌でも治らなかったと聞いた。エミルはもう連れていけぬ」
「……はい」
「エミルと共に、ヘレナも故郷へ帰してやれ」
ニースたちは、自分たちが何かを言う前に、キールの方からヘレナを帰すと言われ、驚いた。アンヘルが、戸惑いながらも問いかけた。
「よろしいのですか?」
「元々、妃が見つからなければという約束だ。エリックにも意向を聞いてやれ。帰りたいなら帰れとな」
「……かしこまりました」
キールはニースに目を向け、ふっと微笑んだ。
「そなたは良い家族を持ったな」
「殿下。僕は、その……」
「偽る必要はない。二つの家族を、大事にしてやれ」
「……はい」
キールの意図が分からないながらも、ニースは頷きを返した。キールは、ゆっくり紅茶を飲みながら、窓から差し込む光を見つめていた。




