42:セラの秘密2
前回のざっくりあらすじ:セラの身体に傷がある事を、メグは知った。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現や描写が含まれます。ご注意下さい*
そよ風に吹かれ、心地よさそうに馬がいななく。食堂を出たニースたちは、日陰を求めて馬車置き場へ向かった。厩の周りでは、車馬係のトリフォンが、馬を引いて歩かせていた。
セラはトリフォンに駆け寄り、ぺこりと頭を下げた。
「トリフォンさん、おはようございます。お休みを頂いてしまって、すみません」
「おはよう、セラ。気にしなくていいんだよ。ちゃんとセラが休んでくれて良かった」
トリフォンは心から嬉しそうに笑うと、ニースとラチェットに目を向けた。
「昨日の演奏、私もお客様の案内をしながら、聞かせて頂きました。素晴らしかったです」
「ありがとうございます」
「セラも、上手だったんですよ」
ニースの言葉に、セラは照れくさそうに耳を赤くして俯いた。トリフォンは柔らかな笑みを浮かべ、セラの頭を撫でた。
「セラも頑張ったんだね」
「はい」
さらさらと赤い髪が揺れ、セラは嬉しげに頬を緩めた。優しそうなトリフォンに、ラチェットは朗らかに問いかけた。
「少し歌の練習をしたいのですが、音を出しても良い場所って、ありませんか? 出来れば日陰が良いのですが」
「それなら、昨日ニース君たちがお話されてた、厩の横でいいと思いますよ。私以外は近づきませんし、私もお預かりしている馬たちの世話があります。掃除や散歩など色々動いてますから、音を出しても問題ありません」
トリフォンに言われて、ラチェットは厩へ目を向けた。干し草の積まれた庇の下は、しっかり影が出来ている。ラチェットは、なるほどと頷いた。
「確かに良さそうですね。馬は驚きませんか?」
「大丈夫です。昨日の演奏も、子守唄にしてましたから」
「そうですか。わかりました。では、厩の脇を少しお借りしますね」
「ええ。どうぞ」
三人はトリフォンに礼を言い、厩へ向かった。
柔らかな風が頬を撫で、草の匂いが鼻をくすぐる。日は徐々に高くなっているが、庇の下は涼しく感じられた。
ラチェットとセラは、干し草に腰掛けた。ニースは日陰に入って仮面を外すと、こほんと小さく咳払いした。
「えっと。それじゃあこれから、歌の歌い方を教えます」
ニースは緊張した面持ちで、ぺこりとお辞儀をした。ラチェットが力強く拍手をし、セラが戸惑いながらも手を叩いた。
「僕もせっかくだから教えてもらうよ」
「よ、よろしくお願いします」
ラチェットはメガネをくいと上げて真剣そのもの。セラは緊張しつつも、やる気に満ち溢れている。ニースは、丁寧に二人に教え始めた。
「最初は、歌う時の姿勢からです」
ニースは二人の姿勢を整えると、基本的な歌い方を一通り教えていった。
歌声の種類や、声の響かせ方。音程の滑らかな移動や、一音ずつ区切って歌声を出す事。ニースの指導は的確で、熱心な二人の生徒は、瞬く間に綺麗な歌声が出るようになった。
特にラチェットは、普段からオカリナを吹いていたからか飲み込みが早く、ニース先生の教える事は、あっという間になくなってしまった。
鳥のように自由に声を出せるようになったラチェットに、ニースは期待を込めて語りかけた。
「ラチェットさん。『故郷に吹く風』を、歌ってみてもらえませんか?」
「僕が? 歌えるかな……」
ラチェットは緊張した面持ちで、ニースのために初めて作った曲を歌い出した。意味のない音で歌われる旋律が、ラチェットの高めの男声で響く。
ニースは初めて聞くラチェットの歌声に、ふわりと笑みを浮かべた。
――セラの言った通りだ。歌って、歌い手だけのものじゃないんだ……!
ニースとセラは、大人の歌声に聞き惚れた。ラチェットは歌い終えると、興奮した様子で声を上げた。
「歌えた! 歌の力がないのに、ニースみたいに歌えたよ!」
「すごい! ラチェットさん、上手ですね!」
セラに褒められて、ラチェットは照れくさそうに頬を赤らめた。
「セラちゃんも、いい声だったよ」
「そ、そうですか?」
セラの歌声も、か細いものだが、しっかりと出ていた。ラチェットほどではないにせよ、鳥のように歌う事は出来ている。
不安げなセラに、ニースは微笑み、頷いた。
「うん。セラも、すごく良かったよ」
「そうなんだ……。ありがとう!」
「良かったね、セラちゃん」
嬉しげな二人に、ニースは先生として、まとめの言葉を伝えた。
「あとは、歌声の出し方に慣れるように、普段から呼吸の仕方を意識します。そうすれば、だんだんと安定した歌声が出るようになります。これで、ぼくの授業を終わります」
ニース先生の歌講座は、無事に終わりを迎えた。セラとラチェットは、心から拍手を送った。
「ニース先生、ありがとうございました!」
「ニースは教えるのが上手だね。僕も時々歌うようにするよ。舞台では歌わないだろうけど、作曲の時にいちいちオカリナを用意しなくて済みそうだ。ありがとう」
ラチェットに先生役を褒められて、ニースは照れくさく感じ、頬をかいた。
「昔、歌い手の先生に教わったことを、そのまま教えただけですよ」
「それでも、上手だと思うよ。誰でも歌えるなんて、大発見だよ。ニースとセラちゃんのおかげだ。ありがとう」
ラチェットの言葉に、ニースとセラは微笑みあった。ラチェットは、朗らかに言葉を継いだ。
「次は、セラちゃんに歌を覚えてもらわないとね」
「へ? 今ので歌えるようになったんじゃないんですか?」
ぽかんとしたセラに、ニースは歌の先生として頷いた。
「セラがメロディを自分で作れるなら、これで歌えるよ」
「メロディっていうのは、なに?」
ニースとラチェットは、丁寧にセラに説明をした。セラは噛みしめるように目を伏せて、小さく何度も頷いた。
「自分で音を組み合わせるのは、難しそう……。先生、私に歌のメロディも教えてください!」
「先生はもう恥ずかしいから、やめてほしいけど……。歌えるように、教えるよ」
「やったー!」
セラは大喜びで、ニースに抱きついた。ニースは、パチパチと目を瞬かせながらも、不思議な胸の温かさを感じ、はにかんだ。
照れくさそうなニースの姿を見て、ラチェットが意味ありげな笑みを浮かべた。
「それじゃあ、ニース。セラちゃんのことは任せたよ」
ラチェットは片目をパチリと瞑ると、手を振って宿へ帰ってしまった。取り残されたニースは、セラに根気強く歌を教えたが、セラはなかなか旋律を覚えることが出来なかった。
――セラ、楽しそう。ここにいる間に、ちゃんと教えてあげたいな。
一生懸命に覚えようと頑張るセラを見て、ニースは心から応援したいと思った。
きらきらと眩い陽射しが、町に降り注ぐ。大通りに面したジーナの部屋では、メグとジーナがセラの服を見繕っていた。
「なかなか良いのがないわねー。いっそのこと、最初から作っちゃおうかしらー」
部屋には、小さな頃にメグが着ていた服が、所狭しと並べられていた。二人はメグのお下がりを再利用して、セラの服を用意するつもりだったが、使えそうな物は少なかった。
ジーナの呟きに、メグが、はぁとため息を吐いた。
「お母さん、少し休憩しましょう。私、疲れたわ」
「そうねー。お茶を飲んでから、続きをやりましょー。セラちゃんを測って、型紙も起こさないとねー」
二人は伸びをすると、気分転換に部屋を出た。すると、ニースの澄んだ歌声が聞こえてきた。
「あら? ニースが歌ってるわ」
「メグちゃん、こっちよー。こっちー」
歌声に気づいたメグを、ジーナは階段へ呼んだ。階段の踊り場には、馬車置き場が見える窓があり、風を通すため開け放たれていた。そこから歌声が聞こえると、ジーナは気付いたのだ。
二人は厩の横にニースとセラが立っているのを見つけ、驚いた。ニースの歌が終わると、セラが真似をして歌いだしたからだ。セラの歌声はニースのように響きはしないが、か細い歌声が辛うじて二人の耳に届いていた。
「お、お母さん、あれって……」
「セラちゃんも、歌い手だったのかしら……?」
二人が唖然としていると、階下から軽快な大人の歌声が聞こえてきた。
「……え? まさかこの宿って、専属の歌い手がいるの?」
一座のいる宿には、火石のランプやランタンはあるが、石を使った機械類は他に見当たらない。宿の煙突からはもくもくと煙が上がっており、風呂の湯でさえ薪で沸かしているようなのだ。専属の歌い手がいるようには、メグには思えなかった。
歌い手の姿を確かめようと、二人はそっと二階を覗いた。すると、小声で歌を口ずさむラチェットが、部屋の鍵を開けようとしているところが見えた。
「ラチェット⁉︎」
「メグちゃん。どういうことなのか、聞きにいくわよ……!」
いつもと違い、真剣味のあるジーナの言葉に、メグは頷く。そこからの二人の動きは、速かった。
「ラララ……うわっ!」
ラチェットが扉の鍵を開ける瞬間に、ジーナが後ろからラチェットを羽交い締めにし、部屋に入った。メグは扉の鍵を後ろ手に閉め、開け放たれていた窓を下ろした。
「何をす……ひっ⁉︎」
ジーナは、抵抗するラチェットをベッドの上に転がし、メグと共に仁王立ちになり睨んだ。
「だ、誰なんだ……!」
突然の出来事に、ラチェットは目を白黒させて震えたが、目の前に立ち塞がっているのが、ジーナとメグだと気づくと、呆然として固まった。
「ジーナさん……メグ?」
「ラチェット。これから尋ねることに、正直に答えなさい。嘘をつくんじゃないよ」
いつもの明るい声とは違う、ドスの効いたジーナの声と、決して逃しはしないという、メグの鋭い目つきに、ラチェットは涙目になりながらも頷くしかなかった。
最恐の女性二人に捕まってしまったラチェットだが、意外にも二人からの尋問は至極まともな内容だった。ラチェットはベッドの上で正座し、何の問題もなく受け答えた。
「つまり、ラチェットは絶対に歌い手ではないと?」
ジーナとメグは、ベッドの傍らに椅子を寄せ、座っていた。ジーナの問いに、ラチェットは即座に頷いた。
「はい。僕の生まれ育ったカルマート国には、すでにご存知の通りアルモニア音楽院があります。国民は全員、七歳になると響石で歌い手の検査を受けます。歌石と違って、響石は歌わなくても、歌の力があるかどうか、分かるんです」
メグは顎に手を当て、噛みしめるように呟いた。
「だから反応しなかったラチェットは、歌い手ではないわけね」
「そうだよ」
緊張した面持ちで頷くラチェットに、ジーナはさらに問いかけた。
「それで? どうしてラチェットが歌を歌えるのかな?」
「それはさっきも言った通り、歌い手じゃなくても歌を歌えることがわかったからです」
「嘘を言わない!」
「嘘ではありません……!」
ジーナの鋭い瞳にも臆することなく、ラチェットは真っ直ぐに答えた。ジーナは、ラチェットの青い瞳に偽りの色がない事を見て取った。
「わかったわ。信じましょう」
「お母さん、いいの⁉︎」
「ラチェットの目は嘘を言ってないわ」
ラチェットは震える体からどっと力が抜けるのを感じたが、まだ気を抜いてはいけないと、心を奮い立たせた。今度はメグが、眼光鋭くラチェットを睨んだ。
「それで? セラも歌い手じゃないけど、歌を歌えるっていうわけ?」
メグの問いにも、ラチェットは正直に答えた。
「それは分からない。セラちゃんは、歌石も響石も使ってないみたいだから、調べてみないと。でも、今ニースが教えているのは、僕が作った歌だから、もし万が一歌い手でも問題は起きないよ」
「そういう問題じゃないの!」
「ひっ……!」
一体、何がいけなかったというのか。ピシャリと怒鳴られたラチェットは、メグの考えがわからず、途方にくれた。
固まってしまったラチェットを見て、メグは立ち上がり、ベッドに膝を乗せた。
「ねえ、ラチェット……」
メグは女豹のように顔を近づけながら、指をラチェットの胸元に這わせた。メグの潤んだ瞳とぷっくりとした唇に、ラチェットは目を奪われた。
メグはラチェットの首の後ろまで、ついと指を動かし、甘く切ない吐息の混じる声で、囁くように語りかけた。
「セラが歌い手かどうかは、どうでもいいの。セラが歌を歌えるのか。ニースみたいに音楽として歌えるのかって、私は聞いてるのよ?」
メグの顔を至近距離で見つめ、ラチェットは、ごくりと唾を飲み込んだ。胸の内に湧き上がる、恐怖とは違った感情を必死に堪え、ラチェットは答えた。
「に、ニースみたいに歌えるかは分からないけど、練習すれば歌えるようにはなるはずだよ……。ぼ、僕だって、オカリナ吹いててこれだけ歌えるようになったわけだし……」
声を裏返しながらも、決して視線を逸らす事なく、ラチェットは言いきった。メグは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべるとラチェットの耳元で囁いた。
「ありがとう」
吐息と共にかけられた、メグの艶やかな声は、ラチェットの全身を駆け巡った。
メグは首から手を離し、ラチェットの肩をトンと押す。顔を真っ赤にしたラチェットは、重力に逆らうことなく、ベッドへ倒れ込んだ。
「お母さん、これは使えるわ」
メグは妖艶な笑みを浮かべて立ち上がると、ジーナに振り返った。倒れたラチェットが気を失っているのを見て、ジーナは目を見開いた。
「メグちゃん……。あなた、ずいぶん成長してたのね……」
ジーナは自分の娘ながら少し怖いと感じ、ラチェットを同情の目で見つめた。




