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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第4章 はじめてのユニゾン】
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38:小さなアシスタント1

前回のざっくりあらすじ:ニースの新しい衣装が完成した。


*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*

 食堂の大きな窓越しに、きらきらと木漏れ日が揺れる。ジーナから解放されたニースは、ラチェット、メグと三人で昼食を取った。徹夜でローブ作りをしたグスタフとジーナは昼寝を始め、マルコムは町へ出かけていた。

 ようやく人心地ついたニースとメグに、ラチェットはマルコムから聞いた公演の話をした。


「今夜早速、公演することになったよ」

「もう依頼が来たんですね。どこでやるんですか?」

「ここだよ」

「ここ?」

「僕たちが今いるここ。この食堂でやるんだよ」


 ラメンタでの最初の公演場所は、一座が泊まっている宿の食堂だった。驚くニースの横で、メグが、カラリと氷を鳴らした。


「さすがマルコムね。最初がここなら、やりやすいわ」

「宿のご主人から、直接頼まれたらしいよ。座長たちは昔もこの町に来てたみたいだし、ハリカのことは知ってたんだろうね」

「そういえばそうだったわね。人気のあったお母さんの踊りに、負けないようにしないと」


 気合いを入れるメグに、ラチェットは微笑み、話を続けた。


「ニースの衣装が間に合って良かったよ。たった一晩で仕上げるなんて、ジーナさんはやっぱりすごいね」

「見たら、もっと驚くわよ。私のドレスと良い勝負だもの」

「へえ。それは楽しみだな」


 くすくすと笑い合う二人に、ニースは小さくため息を吐いた。


「あそこまですごいのじゃなくても、良かったんじゃないかなって思いますけど……」


 苦笑したニースに、メグが、ふふふと笑った。


「でもなかなか良かったと思うわよ。まあ、やりすぎだとは私も思うけど」

「メグは慣れてるんだね」

「私は娘だもの。とっくの昔に諦めてるわ」


 メグは仕方ないと言うように、肩をすくめた。ニースは気持ちを切り替えようと、冷たい茶を飲み、ラチェットに目を向けた。


「ラチェットさんはピアノを弾くんですよね。ぼく、ずっとピアノを聞きたかったから、楽しみです」


 笑みを浮かべたニースに、ラチェットは、くいと眼鏡を上げた。


「そんなに楽しみなら、いまちょっとだけ借りて弾いてみようか。夜の公演では、ニースの歌に合わせて弾くことになるからね」

「わぁ! いいんですか⁉︎」

「もちろんだよ」


 ニースはラチェットの言葉を聞いて、目を輝かせた。メグが、からかうように笑った。


「ずいぶん太っ腹ね」

「元々、午後は調律するつもりだったんだよ。それに、ニースは弟みたいなものだからね。ニース、仮面をつけてね」

「はい!」


 ニースが仮面を付けたのを確認すると、ラチェットは給仕に声をかけた。


「すみません。店長と少し話をさせて頂けませんか」

「あ、はい!」


 給仕は慌てて、店長を呼びに行った。程なくして、厨房の奥からコック帽を被った壮年の男性が顔を出した。


「店長、こちらのお客様です」

「ああ、分かった」


 店長は緊張した面持ちで、丁寧に口を開いた。


「私が店長のエイノです。お客様、お食事に何か問題でもございましたでしょうか?」

「いえ、食事は大変美味しかったですよ。話したいのは別のことなんです」


 ラチェットは安心させるように、微笑んで言葉を継いだ。


「僕は今夜こちらで公演を行う、旅の一座ハリカのピアニストで、ラチェットと申します。本番前の調律と、宣伝を兼ねたピアノ演奏を一曲させて頂ければと思ったのですが、よろしいでしょうか」

「これはこれは。ピアニストの方でしたか。演奏して頂けるなら、断る理由なんてありませんよ。ぜひお願い致します」


 エイノと名乗った店長は、喜んでピアノの鍵を開けた。ラチェットはテーブル下に置いていた鞄を広げると、軽く鍵盤を押して、音を確かめ始めた。

 工具で調整しながら、ラチェットは何度も短い旋律を奏でる。調律が進む度に整っていく音が、大通りまで心地よく響いた。


 ピアノの音色に気づいた人々が、次々に店へ入ってくる。昼時を少し過ぎた時間だというのに、食堂は、あっという間に満席となった。エイノは嬉しそうに顔をほころばせて、厨房へと戻っていった。


「よし。これでいいかな」


 ピアノの音が整うと、ラチェットは立ち上がった。ニースは期待に瞳を輝かせて、じっと見つめた。ラチェットが丁寧に一礼すると、客席から拍手が溢れ、小さな演奏会が始まった。


 ラチェットの指が滑らかに動き、空間に音を散りばめていく。弾むようなピアノの音色に、メグが座ったまま小さくステップを踏んだ。ニースは胸を躍らせ、息を呑んだ。


 ――オルガンと音が全然違う! これがピアノなんだ。あんな真っ黒な箱から、こんなに綺麗な音が出るなんて……!


 鮮やかな演奏に、店の客のみならず道行く人々も足を止め、窓から店内を覗き見る。給仕まで手を止めてしまい、厨房の奥からエイノの怒鳴り声が響いたが、それすらラチェットのピアノはうまく巻き込み、旋律を奏でていった。


 演奏が終わると、居合わせた幸運な客たちと共に、ニースは心からの拍手を送った。大きな拍手を受けてラチェットは立ち上がり、一礼すると微笑んだ。


「今夜、こちらでさらに素晴らしい公演をお目にかけたいと思います。どうぞ私たち、旅の一座ハリカの演奏を聞きに、また今夜いらしてください」


 ラチェットの話を聞いて、店内に歓声が上がった。ラチェットはエイノに礼を言うと、ニースとメグを連れて店を出た。食堂に集まった客たちは、席の予約をしようと店員に詰め寄る。エイノは嬉々として、予約を次々に受けていった。



 煌めく日差しの中、そよ風が優しく花壇の花を揺らす。宿泊客用の専用扉から外へ出ると、ニースは興奮した気持ちを押さえきれず、弾む声をあげた。


「ラチェットさん、すごかったです! いつものオルガンやオカリナも、もちろんすごいですけど、すごくカッコ良かったです!」

「そうかい? ありがとう」


 ラチェットは、照れくさそうに頬をかいた。前を歩いていたメグが、にこやかな笑みを浮かべて振り返った。


「そうね。ああやってちゃんとピアノを弾いてると、確かにカッコ良かったわ」

「あ……ありがとう」


 メグの言葉に、ラチェットの顔が耳まで一気に赤くなった。メグはくすくすと笑うと、不意に呟いた。


「あら? どうしたのかしら、あの子」


 訝しげなメグの視線の先に、ラチェットとニースが目を向けると、セラがいた。セラは真剣な面持ちで、食堂の裏口近くの壁に耳を当てていた。ニースはセラに歩み寄り、声をかけた。


「セラ、どうしたの?」

「ひゃっ! ご、ごめんなさい! サボってたわけじゃなく……って、ニース?」


 セラは叱られると思ったのか、体をびくりと震わせたが、近づいて声をかけてきたのが、仮面を被ったニースだと気付くと、胸をなでおろした。親しげな二人の様子に、メグは微笑んだ。


「この子、確か昨日の車馬係の子よね。ニース、友達になったの?」

「うん。セラっていうんだ。ぼくと同い年の女の子だよ」

「え! 女の子なの⁉︎」


 メグは、まじまじとセラを見つめた。


 ――確かに女の子だわ。ずいぶん細いわね。ちゃんと食べてるのかしら?


 華奢な体つきのセラは、相変わらず前髪が鼻先まで伸びており、分厚い髪で目元が見えなかった。まるで男の子のような前つばの帽子には、綺麗な赤い長髪をまとめて帽子の中に押し込んでいる事が窺えた。


 ――女の子なのに……車馬係だからって、こんな服なの?


 セラの服は、清潔感はあるが年季を感じさせるダボダボの麻のチュニックだった。腰の部分に紐を巻き、ゆったりした麻のズボンを履いて裾を捲っている。履いているクタクタの靴も、どう見ても大きさが合わなかった。


 ――まるで誰かのお下がりを無理やり着せられてるみたいね。


 メグは、足の先から頭の先まで、じっくりセラを見つめた。セラは、居心地悪そうに身をよじった。セラから目を離さないメグに、ラチェットは苦笑いを浮かべた。


「メグ。小さい子をそんなに驚かせちゃいけないよ」


 ラチェットに(たしな)められ、メグは気まずそうに眉根を寄せた。


「あら、そうね。私ったらつい……。ごめんなさいね。せっかく可愛らしいのに、もったいないと思って」

「いえ、そんな! お、お客さまに謝られるようなことなんて何も!」


 必死なセラに、メグは柔らかく微笑むと、優雅に膝を折った。


「初めまして、セラ。私はメグよ。よろしくね」

「は、はい。よろしくお願いします」


 メグがにっこり笑うと、セラは頬を染めて頷いた。すると不意に、食堂裏の扉が開いた。


「ん? 誰かと思ったら、セラか。……あ! ラチェットさん、先ほどはありがとうございました!」


 裏口から出てきたのは、エイノだった。にこやかに笑みを浮かべたエイノに、ラチェットは微笑みを返した。


「いえ。僕たちも今夜の舞台に向けて、いい宣伝になりましたから」


 穏やかに大人の会話をするラチェットとエイノを眺めながら、ニースがぼんやりしていると、セラがニースの肩をつついた。


「ねぇ、ニース。舞台って……ラチェットさんは、すごい人なの?」


 セラの囁きに、隣で聞いていたメグが、ふふっと笑った。


「二人とも、あそこの日陰で話しましょう」


 メグは二人の手を取り、厩へ向かう。ニースとセラは驚いたものの、何も言わずについて行った。



 眩い日差しを、厩の深い(ひさし)が遮る。そよそよと風が吹く日陰は、いくぶん涼しさを感じられた。

 庇の下には、四角い干し草(ベール)がいくつも積まれていた。メグは、そのうちの一つに腰を下ろし、セラに笑いかけた。


「もしかしてセラは、ピアノをこっそり聞いてたの?」

「あの……ごめんなさい!」


 オロオロしながら頭を下げたセラに、メグは微笑んだ。


「いいのよ、謝らなくて。今回は宣伝だったから、気にしなくていいの」

「宣伝……ですか?」

「ええ。それに、子どもからお金を取るほど、私たちは野暮じゃないわ。ただでさえ、立ち聞きする人なんてしょっちゅうなんだから。子どものうちぐらい、好きに聞いたらいいのよ」

「ありがとうございます!」


 セラは、安心した様子で微笑んだ。メグは、優しい笑みを浮かべた。


「セラ。私たちみんな、旅をしながら舞台に上がって、音楽や踊りをしてるのよ。もちろん、ニースもね」

「ニースも?」


 厩の周囲には人はおらず、庇の下は影になり薄暗い。ローブのフードを目深に被っているニースの顔を、誰かに見られる心配はなさそうだった。

 不思議そうなセラに、ニースは仮面を外して、笑みを返した。


「うん。ぼくもだよ。ハリカのメンバーなんだ」

「ハリカ?」

「旅の一座の名前だよ」

「そうなんだ。ニースも旅芸人さんなんだね!」


 はしゃぎ声を上げたセラに、メグは、にっこり笑った。


「それでね、私たち今夜またあの店で演奏するの。良かったら、セラも見にきてくれる?」

「えっと、私は……」


 セラは俯き、ズボンをぎゅっと握った。ニースは、はっとして顔を曇らせた。


「メグ。セラは、中に入っちゃいけないらしいんだ」

「へ? 中に入っちゃいけない?」


 メグの言葉に、セラは俯いたまま、こくりと頷いた。


「はい。私は、食堂や宿の中に入っちゃダメなんです。迷惑をかけちゃうから……」

「迷惑? 車馬係だからかしら」


 メグは顎に手を当てて少し考えていたが、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべた。


「それなら、お客じゃなくて、私たちの手伝いをしてくれないかしら」


 意外な言葉に、セラは、ぽかんと口を開けた。


「お手伝い、ですか?」

「そうよ。手伝いって言っても、ちゃんとした仕事だから、お給金も出すわ。もちろん、衣装もね。車馬係として入れなくても、一座の一員としてなら堂々と入れるでしょう?」

「えっと、でも……」


 戸惑うセラに、メグは畳み掛けた。


「もちろん、宿屋のご主人や女将さん、エイノさんにも許可をもらうわ。私はね、ニースの友達のセラに、壁越しじゃなく、ちゃんと私たちの舞台を見て欲しいの。みんながいいって言ったら、セラは、やってくれる?」


 セラは考え込むように、長い前髪をいじった。そこへ、ギィと扉の開く音が響いた。慌てて仮面を付けるニースの耳に、男の声が聞こえた。


「セラ、話は聞かせてもらったよ」

「トリフォンさん……」


 セラがトリフォンと呼んだ男は、前日に一座の馬を預かった大人の車馬係だった。厩から出てきたトリフォンは、メグとニースに頭を下げた


「突然割り込んですみません。お話が聞こえてしまったもので。私は皆さまの馬をお預かりしております、車馬係のトリフォンです。セラがお世話になっているようで……」


 メグは立ち上がり、優雅に膝を折った。


「いえ、お気になさらず。私は踊り子のメグ。この子はニースと言います。仮面を被ってますけど、怪しくはありませんから」

「ええ。昨日お見かけしましたから、心得ています」


 トリフォンは微笑んで答えると、セラに目を向けた。


「セラ、せっかくのご厚意だ。甘えさせてもらいなさい」

「でも……」

「気にしなくても大丈夫だ。今日の仕事はほとんど終わっているし、後は俺だけで大丈夫だよ。それに宿屋のみんなだって、セラに楽しんで欲しいと思ってる。何も心配する事はないんだよ」


 言い聞かせるようなトリフォンの話にも、セラは迷ったように俯いたままだった。トリフォンは、ぽんと優しくセラの頭を撫でた。


「大丈夫だ。前みたいなことにはならないよ。俺からも、ベニーノさんに話しておくから」

「えっと、それなら……。よろしくお願いします」


 囁いたトリフォンの言葉に、セラは不安げながらも、ようやく頷いた。ぺこりと頭を下げたセラに、メグは満足気に微笑んだ。


「ありがとうございます、トリフォンさん。では、このままセラをお借りしますね」

「ええ。セラをよろしくお願いいたします」


 トリフォンが微笑むと、メグはセラの手を引いて、宿へ歩き出した。ニースは慌ててお辞儀をし、二人の背中を追いかけた。

 心地良い風に乗り、頑張れというような馬のいななきが響く。トリフォンは明るい日差しを浴びながら、にこやかに手を振り、三人を見送った。

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