37:セラとの出会い2
前回のざっくりあらすじ:風呂でのぼせたニースは、セラと友達になった。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
ランタンの柔らかな光が、小さな部屋を照らす。ラチェットはセラと向かい合い、ニースの黒の意味や、“調子外れ”のこと。それにより予想される問題について、丁寧に話していった。
セラは素直な子のようで、理解出来ない部分には質問もしながら、熱心に聞いた。
「全部黒いと、そんなことがあるんですね」
「そうなんだ。でも、ニースには歌の力はないから……」
「わかりました。ちゃんと黙っておきます」
ニースの色の意味を理解したセラは、胸を張り大きく頷いた。ラチェットは、ほっと安堵の息を吐いた。
「ありがとう、助かるよ」
「セラ、ありがとう」
ラチェットと一緒に、ニースもぺこりと頭を下げた。セラは、にっこり笑った。
「いえ、気にしないでください。私は元々、誰かと話すなんて出来ないんです」
「え……なんで?」
セラの言葉に、ニースは、ぽかんとして顔を上げた。セラは照れくさそうに、はにかんだ。
「本当は、私は宿の中まで入っちゃいけないの。こんな風に椅子に座って、お客様とゆっくりお話するなんて、あり得ないことだから。黙っていることでニースの役に立てるなら、良かったよ」
笑顔のセラとは対照的に、ニースとラチェットは顔をしかめた。
「この国の車馬係って、そんなにひどいお仕事なの?」
「いや、そんなことは、普通はないと思うんだけど……」
二人の言葉に、セラは慌てて言葉を継いだ。
「あ、もちろん、宿のみんなは優しくしてくれます。あの、本当に私は別に、その……」
ラチェットはセラの言葉を遮り、問いかけた。
「そういえばセラちゃんは、こんな遅い時間なのに馬車置き場にいたよね。いくら車馬係でも、セラちゃんはまだ子どもだし、見習いだろう? 真っ暗な馬車置き場や厩に、用事があるとは思えないんだけど」
「あ、それはですね、私の部屋があそこにあるからなんです」
微笑んで答えたセラに、ニースは不思議に思い、尋ねた。
「働いてる人たちって、お風呂場の上の階が部屋なんじゃないの? 従業員の宿舎だって、女将さんが話してた気がするけど」
「あそこには、旦那さま……ここのご主人のご家族と、親戚の方が住んでるんだよ。自分の家から通ってる雇われ人もたくさんいるけど、元々この宿屋は、家族経営だったから」
ラチェットは考え込むように、顎に手を当て、呟いた。
「じゃあ、セラちゃんは、ここの家族ではないんだね」
「そうです。私は……」
セラは気まずそうに俯くと、唐突に話を変えた。
「あの、そういえば、どうしてお風呂場でお水を使わなかったんですか?」
「え⁉︎」
ラチェットは唖然として、目を見開いた。
「探したけどなかったんだ。あそこにあったの?」
「はい。お風呂でのぼせるお客さまはたくさんいらっしゃいますから。浴室の扉を開けてすぐ横に、水瓶を置いてあるんです。そこに水道の蛇口もあります。廊下には、飲み水の入った水差しとグラスもご用意してありますよ?」
「……気付かなかった」
周りが見えなくなるほど、焦っていたことが恥ずかしかったのだろう。ラチェットは、身悶えるように手で顔を覆った。
セラの話を聞いて、ニースは浴場の記憶を辿り、あっと声を上げた。
「ぼく、靴を置いてきちゃってます」
ニースは、自分の手首にかけたままの鍵を、ラチェットに見せた。ラチェットは、気まずそうに頬をかいた。
「それなら靴は、僕が取りに行ってくるよ」
苦笑いを浮かべたラチェットの言葉に、セラは立ち上がった。
「それでは、私はそろそろお暇しますね。もう夜も遅いですし、お二人もゆっくりお休みになってください。ニース、おやすみ」
微笑んだセラに、ラチェットとニースも微笑みを返した。
「ああ、ありがとう。セラちゃん。助かったよ」
「おやすみ、セラ。またね」
「うん。またね、ニース」
セラが部屋を去ると、ラチェットはニースの靴を取りに出かけた。部屋に一人残ったニースは、自分のベッドに移った。
ラチェットの帰りを待ちながら、窓の外に視線を移すと、ゆらゆらと揺れるロウソクの灯りが見えた。
――きっとあれ、セラだよね。あんな所に住んでるなんて……何か事情があるんだろうな。
ニースはセラにもう一度、「おやすみ」と小さく呟いた。セラの手にあるのだろう小さな明かりは、夜の闇に吸い込まれるように消えていった。
きらきらと眩い朝日が、ラメンタの町を照らす。朝食を取りにラチェットとニースが食堂へ向かうと、先に食事をしていたメグが微笑んだ。
「おはよう、二人とも。昨日はよく眠れた?」
メグは昨日と同じテーブルを、ニースのために確保していた。二人は、挨拶を返しながら席に着いた。
「おはよう、メグ。昨日は……実はぼく、お風呂でのぼせちゃったんだ」
仮面を付けたまま、言い辛そうに答えたニースに、メグは目を見開いた。
「え⁉︎ 大丈夫だったの?」
「うん。ラチェットさんが助けてくれたから」
ラチェットが、気まずそうに頬をかいた。
「まあ、もっと早くに気付けたらよかったんだけどね……」
「でもニースを助けたんでしょう? ラチェットがいて良かったわ。意外と頼りになるのね」
「あ、ありがとう……」
安心して、柔らかな笑みを浮かべたメグの言葉に、ラチェットは頬を赤く染め、はにかんだ。
そこへ、給仕が注文を取りに来た。
「おはようございます。今朝は何になさいますか?」
給仕の言葉に、ニースは期待を込めて問いかけた。
「種類があるんですか?」
「はい。スープや卵などは同じですが、主食はお選びになれますよ。今日はポレンタかコーンブレッドをお選び頂けます。他がよろしければ、ご相談頂ければ、ご用意出来るものもございます」
「コーンブレッドは、パンですよね。ポレンタって何ですか?」
首を傾げたニースに、給仕は朗らかに答えた。
「ポレンタは、トウモロコシの粉で作ったお粥のようなものです」
「おかゆ?」
「ぽってりしていて、チーズと混ぜると美味しいんですよ」
「わぁ! チーズ大好きなんです! ぼく、ポレンタにします!」
ニースは興味津々で、初めての料理を頼んだ。ラチェットは、ちらりとメグの皿を見た。
「メグはパンにしたんだね」
「ええ。美味しいわよ」
微笑んだメグに、ラチェットは頬を染めたまま注文した。
「それなら、僕はコーンブレッドで」
「かしこまりました」
程なくして運ばれてきた皿には、刻んだ野菜が浮いたスープ。それぞれ頼んだ主食と共に、ハムふた切れと小さなチーズ、スクランブルエッグが盛られていた。
食前の挨拶をして、二人は皿に手を伸ばす。ニースは、ふわふわもちもちとしたポレンタの食感に、驚き目を見開いた。
「何かこれ、プチプチします!」
「へえ、そうなんだね。僕のパンも、面白い食感だよ。食べる?」
「いいんですか⁉︎」
「もちろん」
ニースは、ラチェットからパンを一口分けてもらった。
「本当だ。こっちもプチプチしてますね。ぼく、こっちの方が好きかも」
「交換するかい?」
「いえ、大丈夫です!」
ニースは、パクパクと食べ進める。和気藹々と食事を楽しむ二人を、メグが微笑んで見つめていた。
三人が食後のお茶を飲んでいると、マルコムが食堂へやってきた。
「お、ちょうどよかった。ニース、あとでジーナの部屋へ行ってくれ。朝食も運んでやってくれると助かる」
椅子に腰掛けたマルコムの言葉に、ニースは首を傾げた。
「いいですけど……ジーナさんは食堂に来ないんですか?」
ニースの疑問に、メグは肩をすくめた。
「お母さんは昨日の夜、ずっとローブを作っていたみたいなの。今朝声をかけた時はもうすぐ終わるって言ってたけど、やっと出来たのね」
マルコムが、はははと笑った。
「ジーナの自信作だって言ってたよ。あんなに熱心なのは、お嬢の誕生日以来だなぁ」
マルコムの言葉に、ラチェットは苦笑いを浮かべた。
「あのドレスはすごかったですね……」
ニースは、ローブがとんでもない仕上がりになっていないことを心の中で祈った。
給仕がやってくると、マルコムはジーナの分と、自分の朝食を頼んだ。ニースがパンを勧めたので、ジーナの朝食はコーンブレッドのサンドイッチになった。
朝食を食べながら、マルコムはラチェットと公演の打ち合わせを始めた。ニースはメグと二人で、出来たてのサンドイッチを持ち、ジーナの部屋へ向かった。
「おはようございます、ジーナさん。朝ごはん持ってきました」
「ニースか。入ってくれ」
ジーナの部屋の扉をノックすると、なぜか中からグスタフの声が聞こえた。不思議に思いながら扉を開くと、グスタフがジーナの肩を揉んでいた。
「あー、そこ、そこ。そこを、もーちょっと強めに……あー、いいわー」
ジーナの部屋は、ニースたちの部屋より広かった。大きなベッドの上には、ジーナ渾身の作と思われるローブが丁寧に畳んで置いてあり、その横に丸テーブルと椅子がふたつ置かれていた。
壁際には立派な書き物机があり、裁縫道具が広げられていた。その机の前で、ジーナは座り心地の良さそうな椅子に腰掛け、肩を揉まれていた。
ニースたちが入って来たのに気づくと、ジーナは手をひらひらさせ挨拶した。
「おはよー、ニースくーん。もうちょっと待っててねー。……あー、そこを強めにー」
グスタフはジーナの指示に従い、疲れを癒す手伝いを、甲斐甲斐しく続ける。ニースは、丸テーブルにサンドイッチを乗せたトレイを置くと、メグと一緒に窓際の長椅子へ腰を下ろした。
「わぁ! ふかふかだ!」
感嘆の声を漏らしたニースに、メグは、ふふふと笑った。
「そうね。この宿、なかなか質が良いと思うわ」
ふわふわの座面に、ニースは跳ねたい気持ちをぐっと堪え、窓の外を眺めた。
ジーナの部屋の窓は大通りに面しており、外の景色がよく見えた。透明度の高いガラス窓は、少し下に見える街灯の細部まで分かるほどだ。
ラメンタの町は朝から活気に満ちており、様々な店が立ち並ぶ道を、多くの人や馬車が通っていた。
「あ、ほら、見てニース。歩いてるあの人、手に桶を持ってるわ。きっとお風呂の帰りなのね」
メグが指し示す場所を見ると、ちらほらと桶を持って歩く人の姿があった。
「あれ? ここのお風呂には桶があったけど、他の場所にはないのかな?」
ニースが首を傾げていると、肩こりから解放されたジーナがやってきた。ジーナの目は充血しており、顔には疲労の色が浮かんでいたが、ジーナはにっこり笑った。
「あれはねー、あの方が便利だからよー」
「お母さん、便利ってどういうこと?」
メグが疑問を返すと、グスタフも窓際へやってきた。張り切るジーナに一晩中付き合っていたのか、グスタフの顔は寝不足をたたえており、声はあくび交じりの疲れたものだった。
「ふぁ……町の大衆浴場にも桶はある。だが、石鹸や身体を拭く布を着替えと一緒に桶に入れて持ち歩けば、家から歩くのも楽だろう? 皇国の人たちは、みんな風呂が大好きだから、しょっちゅう風呂場に行くのに自分用の桶を用意してるんだ」
ジーナの肩こりが移ったかのように、グスタフは肩を回した。メグは、なるほどと頷いた。
「あのお風呂、気持ち良かったものね。みんな桶まで持ってるなんて、羨ましいわ」
「うん。ぼくもあのお風呂、毎日入りたいぐらいだよ」
すっかり風呂に魅入られた二人に、ジーナは明るく声を上げた。
「さーて。そんなことより、今朝のメインディッシュよ」
ジーナは、サンドイッチの乗ったテーブルに近づき、椅子に座る……かと思われたが、皿を通り過ぎた。そして、ベッドの上に畳んでおいたローブを取ると、大きく広げてニースに見せた。
「さー、ご覧あれー! ハリカの妖精ジーナの、自慢の逸品よー!」
疲れた顔ながらも目をらんらんと輝かせて、自信満々にジーナが広げた手製のローブには、見事な刺繍が施されていた。
マルコムの仮面に合わせたローブは、すっぽりと上からかぶる形で深い藍色のビロードで出来ており、まるで夜空に揺らめくオーロラのように光沢を放っていた。
刺繍は、夜空に輝く星座のように、美しい線を銀糸で描き、胸元には細い紐が蝶結びにされている。ローブの内側は、落ち着いた深い紅色で、上等な赤ワインのような色合いだ。
フードには針金が仕込んであるようで、広いつばのある帽子のような形を保っており、頭頂部が三角錐の形を描くように作られ、尖った先端部はすこし曲げられていた。
幻想的なローブは目を見張る出来栄えだったが、ニースは何よりも、ある一点のみが、とにかく気になった。
「あの、ジーナさん。その、ローブの背中についてる……それは?」
「よく聞いてくれましたー! これは、天使の羽よー!」
ローブの背中には、白い鳥の羽を模したレースが縫い付けられていた。
「これねー、ちゃーんと形を付けれるのー! この羽の形の調整のために、ニースくんがどーしても必要だったのよー!」
羽は、中に仕込んである針金を使い、好きな形に変形させることが出来るものだった。ジーナは、満面の笑みをたたえて獲物を捕まえた。
ローブを着せられたニースは、さまざまなポーズを強要され、ジーナが納得いくまで羽の形を作るのに付き合わされた。
メグは呆れ返りながらも、ジーナに羽の形の感想を伝えていった。ジーナの朝食のサンドイッチは、いつの間にかグフタフの胃袋に収まっていた。




