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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第4章 はじめてのユニゾン】
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29:ラース山脈2

前回のざっくりあらすじ:ラース山脈の話を聞いて、ニースは気絶した。


*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*

 ニースが気を失ったため、馬車列から離れてしまったオルガン馬車だったが、追いつくのには、さほど時間はかからなかった。グスタフたちは、少し開けた平らな場所で、馬車を止めて休んでいた。


「すみません、遅れてしまって」


 御者台から降りてきたラチェットに、グスタフは笑った。


「私たちも、今休み始めたところだ」


 グスタフは道の先を指し示した。道の傍らには、打ち払った枝が積まれていた。


 滅多に人の通らない稜線へ続く山道は、整備されていない。大きな岩がゴロゴロあり、道幅は山の上に進むほど狭く、ギリギリ一台の馬車が通れる程度しかない。

 低木の茂みが道に枝を伸ばしている箇所もあり、車輪が引っかかると、枝を打ち払って進まなければならなかった。


 積まれた枝を見て、ラチェットは苦笑した。


「これは大変でしたね」

「まあな。だが、馬にもいい休憩だよ」

「そうですね。この子たちも休ませないと」


 狭く険しい道を、馬は重い車体を引いて登っている。一行は、度々馬車を止めて休憩を取る必要があった。


 ラチェットがオルガン馬車から馬を外し、休ませる。ニースも手伝おうとしたが、ラチェットに断られた。その様子に、マルコムが首を傾げた。


「何かあったのか?」

「えっと……。ぼく、さっき気を失っちゃって」

「は⁉︎ 具合でも悪いのか?」


 驚くマルコムたちに、ラチェットが気まずそうに話した。


「僕がニースを怖がらせてしまったので。ニース、ちゃんと休んでね」

「はい。ありがとうございます」


 ニースはグスタフたちと共に、ゴツゴツした岩に腰掛けた。ジーナが気遣い、水筒を渡した。


「ニースくん、大丈夫なのー?」

「はい。大丈夫です」

「そおー? 具合悪い時はすぐに言ってねー」

「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」


 元気そうなニースの姿に、グスタフたちは胸を撫で下ろした。馬を休ませるのを手伝いながら、メグが大きなため息を吐いた。


「でも本当に、無理は禁物ね。山を登るのがこんなに辛いなんて、思わなかったわ」


 メグのぼやきに、案内役兼護衛として雇われた中年の男、アントニーが笑った。


「はは。これだけ大きな馬車がこの道を通るなんてことは、滅多にないですからね。俺たちも話を聞いた時はびっくりしましたよ」


 アントニーは、息子のグレゴリーと共に、一座の山脈越えのため雇われた。二人は普段、クフロトラブラで猟師として働いているが、たまにいる山脈越えをする物好きな旅人たちの案内役を、代々請け負っている家系だった。


 アントニーは槍と弓が上手く、グレゴリーは弓が得意だ。二人とも馬車を動かせるため、今回の案内役には適任だった。

 一座が借りている二台の幌馬車も、アントニー親子所有の馬車だ。二人は皇国へ着いたら、交易で使えそうな品をいくつか仕入れて、馬車を持ち帰る予定だった。


 弓の確認をしていたグレゴリーが、感心した様子でオルガン馬車に目を向けた。


「しかし、まさかあんなデカイ馬車が、この山道を楽に通れるとはなぁ」


 一行の馬車の中で、最も重そうなオルガン馬車だが、意外にも四台の馬車の中で一番楽に山道を登っていた。

 大きな不思議な車輪は、道に突き出ている岩を物ともせず踏み越えていき、オルガン馬車を引く二頭の馬も、ほかの馬に比べて疲労が少ないように見えた。


「ああ。それはたぶんこの馬車が、発掘品だからだと思いますよ」


 ラチェットが馬に水をやりながら、気怠げに答えを返した。ラチェットにとっては、馬車よりも中身のオルガンの方が大切なようで、馬車にあまり興味はなさそうだった。

 対してニースは、普通の馬車とオルガン馬車の違いに驚いていた。


「ぼくもびっくりしました。あんなに大きな岩を乗り越えていたのに、オルガンはそんなに揺れませんでしたし」

「それは僕も助かったよ。こんな道で揺らしたら、オルガンが壊れるからね」


 ラチェットは大きく頷くと、冗談混じりに肩をすくめた。


「ニースはぼんやりしちゃって、オルガンを見ていてくれないし。僕は本当に冷や冷やしたよ」


 ラチェットの言葉は責めるものではなかったが、ニースは申し訳なく感じて俯いた。


「すみません、ラチェットさん」


 その様子に、メグがラチェットを睨んだ。


「ちょっと、ラチェット。ニースにそんな言い方ないじゃない。元はと言えば、あなたがニースを怖がらせたから、ニースは気を失ったんでしょ」


 メグは手頃な木に馬の手綱をくくりつけると、うなだれるニースに近づき、後ろからそっと抱きしめた。


「可哀想なニース。ラチェットの事なんかほっといて、私と前の馬車にいましょうよ」

「でも……」

「め、メグ⁉︎」


 メグの豊かな膨らみが、ニースの頭を包む。まだ小さなニースは何とも思わなかったが、ラチェットは慌てて、声を上げた。


「ごめん、メグ! 頼むから、ニースから離れて!」

「い・や・よ! そんなにニースにオルガンを見張らせたいわけ?」

「違う! そうじゃない! いや、そうなんだけど、そうじゃないんだ!」


 ラチェットは訳の分からないことを言いながら、メグをニースから引き離すと、ニースの両手をしっかり掴み、謝った。


「ニース、ごめん。本当にごめん。もうしないから。怖い話はしないから。だから許してください……」


 ラチェットは跪き、悲壮感溢れる声でニースに懇願した。必死に謝るラチェットに、ニースは戸惑いながらも小さく頷いた。

 そんな二人を見て、メグは渋々ラチェットを許した。馬に餌を与えていたマルコムが、顔をニヤニヤさせてラチェットに尋ねた。


「それで? 一体何の話をして、ニースに気を失わせたんだ?」


 ラチェットは、マルコムの顔を見ると、言い辛そうに頬をかいた。


「いや、その……ラース山脈が、大地の裂け目の上を通ってるって話で……」

「は? それだけのことで?」


 からかう気満々だったマルコムは、ラチェットの返事を聞いて唖然とした。マルコムの言葉にニースは、ムッとして立ち上がった。


「だって、怖いんですよ! 大地の裂け目は()()()()()()()で、鬼が出てきて、バクって食べられちゃうんです!」


 身振り手振りを交え、大真面目で言うニースの姿に、皆、声を上げて笑った。納得いかないニースは、口を尖らせ小さく呟いた。


「なんでみんな笑うのかな……」


 そんなニースの姿を見て、グレゴリーは水筒の水を一口飲むと、優しく語りかけた。


「ニースくん。それって、あれだろう? 町で言われているお伽話を聞いたんだろう?」


 グレゴリーの言葉に、ニースはこくりと頷いた。グレゴリーは肩をすくめ、話を続けた。


「あれはね、あくまでも()()()()だよ。小さな子どもたちが、山や森に入り込まないように、大人が作った作り話なのさ」

「……作り話ですか?」


 アントニーも、グレゴリーの話に合わせるように、落ち着いた声でニースに話した。


「そう、グレゴリーの言う通りだよ。だから、別に鬼が出てきてニースくんを食べたりはしない。安心しなさい」


 ニースは、しばらく首を傾げて考えたが、ゆっくり頷き、ラチェットに頭を下げた。


「ラチェットさん、ごめんなさい。ぼく、てっきり鬼が来ちゃうと思って……」


 ラチェットも、ニースに謝った。


「いや、いいんだよ。僕もごめんね。走る馬車の上で話すことじゃなかったかもしれない」


 仲直りする二人を見て、メグはにっこりと笑った。しかしグスタフが、はははと笑って爆弾を落とした。


「まぁ、鬼は出なくても、足を滑らせて大地の裂け目に落ちたら死ぬし、熊や狼は出るから、下手すると食われてしまうがな」

「熊に食われ……⁉︎」


 グスタフの言葉を聞いて、再び気を失うニースをラチェットが抱きとめた。メグとジーナが、抗議の声を上げながらグスタフを叩く。マルコムとアントニー親子がため息を吐く中で、グスタフの悲鳴がこだましていった。



 びゅうと強い風が、遮るもののない山肌を吹き抜ける。ラース山脈の稜線へたどり着いた四台の馬車は、速度を上げて走り出した。

 オルガン馬車の御者台の上で、どこまでも続く山並みを見つめ、ニースは感嘆の声を漏らした。


「うわあ……! すごいですね! あんなに遠くまで見えるんだ」


 ここまでの山道と違い、稜線を通る道には、大きな岩は少なかった。背の高い木はほとんどなく、低木もまばらにしか生えていない。

 春の草が小さく芽吹く山肌には、砂礫(されき)を含んだ黒っぽい土が山の峰を結ぶように、細い道を描く。山頂付近には万年雪が残るが、比較的標高の低い場所ではすでに雪は解け、所々に小さな小川のように水の流れを作っていた。


 キラキラと瞳を輝かせるニースに、手綱を握るラチェットは笑った。


「そうだね。こんなに気持ちいいとは思わなかったよ。風は冷たいけど、意外と暖かいものだね」

「そうですね」


 春とはいえ、標高の高い山の上だ。まだ空気は冷たく、風が吹くとより寒さを感じる。それでも、日中は春の陽射しがぽかぽかと照らすので、比較的暖かさはあった。

 雄大な景色に時折見惚れながら、ニースたちは皇国を目指し、進んでいった。


 一行は夕暮れ前に野宿をし、長い旅の中で、寒さに体温を奪われないように気をつけた。日の出ているうちに出来る限り距離を進み、夜は早めに眠る。そんな日々を、ニースたちは何日も過ごした。


 そうして二十日ほどかけて、ラース山脈を通る道の半ばまでやって来た一行の前に、「地獄への通り道」とニースが言った言葉そのもののような道が立ちはだかった。

 馬車を止め、全員が馬車から降りて、死と隣り合わせの恐ろしい道を眺める。メグが小さな悲鳴を上げて、顔を覆った。


「うそでしょ……本気でここを通るの?」


 それまでの山道も、細くはあった。稜線には切り立った崖のような部分も所々にあり、少し遠くへ目を向ければ、大穴に繋がる大地の裂け目が見え、真っ暗で底の見えない暗闇が口を開けているのもわかった。しかし、それでもまだ良い方だった。


 小さな峠を越えて、これから進む道を視界に入れることが出来た一行の目の前には、ナイフのように薄く尖った山の背を、綱渡りでもするかのような狭い道が、細く長く続いていた。

 馬車の車輪の幅とギリギリ同じぐらいの、狭い道の下に広がる、深く暗い裂け目の底は見えない。眩い日の光が照らすのは、草木の生えない急崖(きゅうがい)の上部だけだ。

 一歩足を踏み外したら。馬車が少しでも脱輪したら。一気に大地の裂け目へと飲み込まれてしまう、身もすくむような細道が、一行を待ち受けていたのだった。


 想像を絶する危険な道に、メグだけでなく、グスタフ、マルコム、ラチェットも愕然としていた。皆を宥めるように、アントニーが笑いかけた。


「まあ、みなさんの馬車のように、ここまで大きな馬車で通ったことは、正直今までありません。ですが、慎重に通れば大丈夫なはずです」


 アントニーの言葉に、メグは金切り声を上げた。


「はずって……。いま、()()って言ったわよね⁉︎」

「うわっ、危ない! メグ、ダメだって!」


 アントニーに掴みかかろうとするメグを、ラチェットが必死に止めた。

 一行が立っている場所は、目の前に広がる絶望的な狭い道ほどではないが、それでも取っ組み合いが出来るほど広い道でもないのだ。

 しかし必死なメグとは対照的に、アントニー親子は気にするそぶりもなく、のんびりと答えた。


「今から出発すれば、日暮れ前にはこの難所を抜けられるはずです」

「まあ、ここが一番の難所だから。お嬢さんも諦めなって」


 アントニー親子の言葉に、メグは、がくりと膝をついた。ラチェットがメグの背を支え、宥めるように声をかける。

 そんな二人を横目に、マルコムがニースの肩に手を置いた。


「ニース、大丈夫か?」


 マルコムの言葉に、ニースは答えられなかった。

 ニースは、カタカタと小刻みに震えて、目の焦点が合っておらず、今にも口から泡を吹いて倒れそうなほど、恐怖に震えていた。

 ニースの()()()は、一座の誰よりも酷かった。小さなニースの、あまりの怖がりように、アントニー親子は困ったように顔を見合わせた。



 一行は仕方なく来た道を少し戻り、対策を考えることにした。背の高い木が比較的多く、風の吹き込みにくい開けた場所に、グスタフたちは馬車を止めた。

 御者台から降りると、グスタフは、はぁとため息を吐いた。


「あんな道、どうやって通れば……」


 アントニーが、気遣いながら語りかけた。


「朝一番に出発して、ゆっくり進みましょうか」

「親父。そこまでしなくても、昼前に出るぐらいで、充分間に合うんじゃないか?」

「いや、それは無理だろう」


 グレゴリーも会話に混ざり、三人は難所を越える方法を真剣に話し始めた。


 グスタフたちが相談している間、ニースたちは野宿の準備を始めた。馬を休ませると、ニースは暗い表情のまま倒木に腰を下ろした。

 戦々恐々とする一座の中で、ただ一人動じなかったジーナが、張り切って袖をまくった。


「少し早いけどー。夕食の支度を始めちゃいましょうかー」


 ジーナは場を和ますように、料理の腕を振るい始めた。火を起こすと聞いてニースは少し元気を取り戻し、手伝った。

 ニースが火を起こすと、ジーナは何本も炭を加え、火を移していった。ニースは何を作るのかと興味を抱いた。


「ジーナさん、なんでそんなに炭を使うんですか?」

「うふふー。ちょっと美味しいのを、作っちゃおうと思ってねー」


 ジーナは笑いながら答えると、マルコムに小さな穴を掘らせた。


「マルコムー。鍋が入るぐらいにしてねー」


 ジーナは楽しそうに、小麦粉に膨らし粉とバター、少しの水を練り混ぜる。そこへさらに、刻んだチーズと蜂蜜漬けの果物を、蜂蜜ごと混ぜた。

 ジーナは、ニースのように真っ黒な分厚い鍋に、薄く油を敷いて、底に丸く切った蝋引き紙を敷く。そして、先ほど練った生地を流し込み、蓋をした。

 マルコムが掘った穴の底に火のついた炭を入れ、その上に蓋をした鍋を乗せると、さらに蓋の上にも炭を乗せた。


 ぼんやりと様子を見ていたメグが、身を乗り出した。


「あ、お母さんのとっておきじゃない」


 メグは知っているようで、口元をゆるめた。ニースは、きっとものすごく美味しいものが出来るんだろうと思った。

 続いてジーナは、ラチェットに野菜を切るよう指示を出した。


「せっかくだからー。少し奮発しましょうねー」


 ジーナは新しい鍋に油をひいて熱し、ラチェットが泣きながら刻んだ玉ねぎや根菜を軽く炒める。そして、水と豆、瓶詰めのトマト、ハーブを共に加え、火にかけた。

 そこへ、アントニー親子との相談を終えたグスタフが、ウキウキした様子でやってきた。


「お、いいトマトの香りだ。蜂蜜の匂いもするな。ジーナのとっておきかな?」


 嬉しそうなグスタフに、残念そうにジーナは肩を落とした。


「そうよー。でも今日は、お肉がないのよねー。干し肉を入れてもいいんだけどー。これにはやっぱり、新鮮なお肉の方が美味しいからー」


 するとその時、突然木々の葉が大きく揺れた。一行が目を向けると、大きな熊が茂みの中から顔を出した。熊は、料理の香りにつられて、やってきたのだった。

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