28:ラース山脈1
前回のざっくりあらすじ:ニースは一座と共に、クフロトラブラを旅立った。
柔らかな陽射しの中、荷物を満載に積んだ四台の馬車が、縦一列に並んで山道をゆっくり走る。ニースを乗せてクフロトラブラを出発した一座は、ラース山脈の稜線を目指していた。
先頭を走るのは、ハリカと大きく書かれた、派手な装飾の箱馬車だ。グスタフが手綱を握る馬車には、大量の荷物と共に、メグとジーナが乗っている。客車の屋根には、こんもりと荷物が載せられ、布と紐で落ちないように括り付けられていた。
その後ろを走る二台の小さな荷馬車は、案内役の狩人とマルコムが、それぞれ手綱を握っていた。古びた幌がかけられた荷台には、ぎっしりと木箱や樽が積み込まれており、馬車を引く馬たちは、坂を登るのが辛そうだ。
最後尾を走るのは、ラチェットが手綱を握るオルガン馬車だ。その御者台には、ニースの姿もあった。
ラチェットの隣に座るニースは、ローブの袖口を捲し上げ、小窓の隙間から馬車の中を覗いていた。
「ニース、辛くない? 大丈夫?」
心配そうに問いかけたラチェットに、ニースは中を見つめたまま答えた。
「平気です。荷物と一緒に中に詰め込まれるより、ずっといいです」
荷台を見つめるニースの表情は、真剣そのものだった。
オルガン馬車は、古代文明の発掘品だ。貴重な仕掛けのついた馬車だが、その仕掛けは中からは開けられない。外にある丸い車輪にレバーのついたような「ハンドル」と呼ばれるものを回さなければ、開くことが出来ない。
にも関わらず、ラチェットはあろう事か、オルガンの見張り要員としてニースを荷物と一緒に中へ詰め込もうとした。当然、ニースはそれを嫌がった。
その結果、ニースは真剣な面持ちで小窓から荷台のオルガンを覗いているのだ。
ニースの言葉に、ラチェットは苦笑した。
「そうか。ごめんね。本当は、僕が自分で見られればいいんだけど……」
オルガン馬車の中には、大量の荷物がオルガンと一緒に押し込められている。ラチェットは、自分の商売道具であるオルガンを大層気にしており、馬車の走る振動でオルガンが壊れないか、一緒に積んである荷物が崩れて当たらないかと、心配していた。
オルガン馬車の中の荷物のほとんどは、柔らかな布や衣類だ。それらは、布袋に詰めて積まれているため、オルガンに衝撃を与えるようなものではない。しかし、ラチェットはどうにも心配で、オルガンの見張り要員が必要だと、頑なに譲らなかった。
ニースは、宥めるように答えた。
「仕方ないですよ。ジーナさんは筋肉痛ですし、メグとぼくは馬車を動かせませんから」
「うん、まあね。でも、ジーナさんたちが余計なものを買い込まなければ、荷馬車はひとつで足りたはずなんだ。そうすれば、マルコムさんにこの馬車を動かしてもらって、僕が見張れたんだけどなぁ……」
当初、馬車は計三台となるはずだった。一座は、案内役兼護衛として狩人親子を雇っており、その際に荷馬車も一緒に借りていた。一座の馬車は大きいため、山脈越えに必要な物資を積んでも、その三台で済むはずだった。
しかし、ジーナが食料品や服飾品を無駄に購入し、メグが羊毛のセーターなどの洋服類を大量購入してしまった。さらにニースも加わるということで、それならばと馬車を一台追加で借りたのだ。
「すみません。ぼくが増えちゃったから」
苦笑いを浮かべたニースに、ラチェットは慌てて頭を振った。
「ニースは良いんだよ。ニースの分なんて、たかが知れてる。この馬車の半分は、ジーナさんとメグの荷物なんだから」
御者まで追加で雇ってしまうと、旅の食料が不足してしまう。そのため、追加で借りた馬車を、マルコムが動かしていた。狩人親子も二人とも馬車を動かせるが、護衛役として最低一人は自由に動く必要があるからだ。
ラチェットは小さくため息を吐き、話を変えた。
「それにしても、ニースの荷物はずいぶん少なかったね」
「はい。ぼくはまだ背が小さいから、服は畳めば小さく出来るし、おじいちゃんに少しの荷物で旅をする方法を教えてもらいましたから」
小さなニースひとりでも、頑張れば全ての荷物を持ち運べるように、マシューは旅の仕方を教えていた。
ニースの旅の荷物は、着替えや毛布を入れた大きな布袋がひとつ。マーサからもらったストールと、保存食や水筒を入れた小さな背負い袋がひとつ。そして、ナイフと投石紐、火打ち石や財布などを入れておける小さな肩かけ鞄と、マルコからもらった木剣を腰に下げるだけだ。
ラチェットは、感心しきりで微笑んだ。
「すごいなぁ。メグたちにも見習ってほしいよ」
ラチェットの言葉に、ニースは照れくささを感じて、はにかんだ。
ガタゴトと馬車はゆっくり山道を登っていく。山頂から吹く冷たい風に、木漏れ日が、そよそよと揺れた。
ラチェットはメガネをくいと上げると、気持ちを切り替えるように笑った。
「さて、それじゃ、お勉強の時間としようか」
「はい! ラチェット先生!」
ニースにとって、初めての異国への旅だ。ラチェットは、これから訪れる国のことや通る道について、ニースに教えるよう、グスタフから言付かっていた。
キラキラと瞳を輝かせて、元気に返事をしたニースに、ラチェットは、ほんのり苦笑いを浮かべた。
「オルガンは、見ておいてね?」
最初の課題を告げられ、ニースは慌ててオルガンに目を向けた。
「……はい!」
ラチェットは満足げに笑みを浮かべ、穏やかに問いかけた。
「王国に学校はないけど、ニースは世界のことを、どのぐらい知ってるのかな?」
アマービレ王国には、庶民の通う学校はない。子どもたちは、家の仕事を手伝いながら暮らしており、最低限の読み書きは親から教えられる。
親のいない子どもや、貧しい子どもたちも、周りの大人たちから文字を教わっていた。文字さえ覚えていれば、手紙の配達で暮らしていけるからだった。
ニースは、オルガンから目を離さずに、何を知ってるかを話した。
「ぼくが知ってるのは、昔、家庭教師の先生から教わったことと、おじいちゃんから聞いたことぐらいです」
王国に印刷技術はないため、本はほとんど流通していない。あっても、手書きの写本が富裕層の家にわずかにある程度だ。マシューの家には本などあるはずもなく、ニースは本で学ぶこともなかった。
「ぼくは、王国のことは結構知ってると思います」
幼いニースが、伯爵家の家庭教師に教わったことは、基本的な常識とマナー、言葉遣いや貴族の習慣だ。そこには庶民の生活や旅で使える知識はなかったが、ニースはマシューから、生活の知恵や王国内の旅の仕方を教わっていた。
「でも、世界について知ってるのは、本当に少しだけです。世界のどこでも言葉と文字は同じですけど、国によって訛りっていうのがあって、時々伝わらないことがあるとか。ルールが違うとか。そういう、なんとなくのことしか分かりません」
話を聞いたラチェットは、なるほどと頷いた。
「そうか。それなら細かいことは、その都度教えていった方が良さそうだね」
この世界は、多少の訛りはあれど言葉と文字は世界共通だ。そしてどこの国でも、肌の色や人種での差別はない。しかし各国には、それぞれ歴史や文化の地域性があるため、何も知らずにいれば、要らぬトラブルに巻き込まれぬとも限らない。
ラチェットは少し考え、授業を始めた。
青く高い空に、真っ白な雲が流れていく。煌めく春の陽光の中、ラチェットは問いかけた。
「ニースは、世界の形について、どこまで知ってるかな。なんとなくでもいいよ」
ラチェットの問いに、ニースは自信を持って答えた。
「世界の形は絵本で読んでたので、ぼく、分かります!」
「絵本?」
「はい。昔住んでた家で読んだんです。翼を失くした鳥が、足だけで世界を作るお話です」
「ああ、あの話か。あのおとぎ話なら、確かに地理の勉強にはなるね。どんな世界が出来上がったか、話してみてくれる?」
ラチェットに促され、ニースは答えた。
「世界には、四つの大陸と小さな島がいくつも出来たので、そこに八つの国が生まれました」
「そうだね。国は全部で八つだ。その大陸と島が、どんな風に出来てるのかは説明出来る?」
「はい。世界はボールみたいにまん丸で、ぐるっと一周出来ます。でも世界の真ん中には大穴があって、大地の裂け目がそこから、ニョキニョキって続いて大陸を割ってるから、一周するのは大変なんです」
この世界の人々は、古代文明の伝承を通じて、自分たちの暮らす大地が、大きな球体のような形をしていると、理解していた。
星の表面には、「大穴」と呼ばれる巨大な穴があり、その大穴を囲むように四つの大陸がある。元はひとつの大陸だったことが窺える、四つの大陸は、巨大なヒビで「エ」の字を描くように切り裂かれ、分かれていた。「大地の裂け目」と呼ばれる大陸の境目は、大穴と同じく底の見えない深さだ。
しっかりとオルガンを見つめながら答えたニースに、ラチェットは微笑んだ。
「そうだね。じゃあ、大陸の間がどうなってるかは?」
「えっと、ぼくたちがいるアートル大陸と北のラソプノ大陸の間は、海の水がいっぱいになっています。それから、東のルテノー大陸と南のバトス大陸の間は、ほんの少し砂で埋まっちゃってて……」
北の大陸と東西の大陸との間にある、大地の裂け目は、海水が満ちる大海峡だ。北の大陸は周囲を海に囲まれて、完全に孤立している。
東の大陸と南の大陸との間にある、大地の裂け目は、裂け目の端が巨大な砂漠となって、辛うじて二つの大陸を繋いでいた。
「アートル大陸とバトス大陸の間は、海の水が大穴に落ちて、大きな滝が出来てます」
西の大陸と南の大陸との間にある、大地の裂け目は、海からの水が急流となってなだれ込み、そのまま大穴へと巨大な滝を形作って落ちていた。
「でも、ラチェット先生。なんでそんな大きな滝があるのに、海の水はなくならないんでしょうか」
「それはさすがに先生も分からないな……」
ラチェットは、はははと苦笑いを浮かべ、話を変えた。
「それじゃあ、今僕たちがいる西の大陸と、これから向かう東の大陸の間はどうなってるか、わかるかな?」
「はい、先生。アートル大陸とルテノー大陸の間は、大きな山脈で繋がっています」
奈落の底へ落ちるのを防ぐ柵のように、巨大な山々が、大地の裂け目や大穴の周りを囲んでいた。その山脈の一部は、西の大陸と、東の大陸とを繋いでいる。それが、これから一行が進むラース山脈だ。
大穴を囲むように、西、東、南の三つの大陸が地続きになっている様は、まるで、かじりかけのドーナツや、ランドルト環のようだった。
ラチェットは感心した様子で頷いた。
「そう、その通り。西と東の大陸を、北の端で繋いでいる山脈が、ラース山脈だよ。ニースは結構知ってるんだね」
「はい。大好きなお話だったので。ぼくも真似して、粘土で世界を作ってたんです」
ラチェットに褒められて、ニースは、はにかんだ。ラチェットはふっと笑った。
「今日は、これから通るラース山脈について話そうと思ってたけど……もしかして話すことなんて、ないのかな?」
「そんなことないです! ぼくが知らないことも、たぶんたくさんありますから! 教えてください!」
ニースは、しっかりとオルガンを見張りながら返事をした。ラチェットは、愉快げに笑った。
「そうか。ありがとう。じゃあ、ニースの知ってることを先に教えてほしいかな」
「はい。ラース山脈は、さっきも言いましたけど、大陸と大陸を繋ぐように、すごく高い山がたくさんあって、いつもてっぺんに雪が残っています。万年雪って言うんですよね?」
「そう、その通り。……そのほかは?」
「……そのほか?」
オルガンを見張りながら首をかしげたニースに、ラチェットは前を向いたまま、問いかけた。
「ラース山脈って、どこの国と繋がってるかはわかる?」
「確か、東の大陸の……スピリトーゾ皇国?」
「大正解」
ラチェットは、前を走る馬車に遅れないよう気をつけながら、にっこり笑った。
「僕たちは、これからスピリトーゾ皇国に向かうんだ。座長の所に、皇国のとある人から、公演依頼が来てるんだよ。なんで馬車で行くのに、わざわざ高い山のてっぺんを通らなきゃならないのかは、わかるよね?」
「はい、先生。大地の裂け目があるからです。アマービレ王国とスピリトーゾ皇国は、山脈でしか繋がっていないから」
「その通り。本当は、海を通って船で行ければ良かったんだけど……」
ラチェットは、肩をすくめて言葉を継いだ。
「依頼の日まで、まだ時間があるからって、なんでかここを越えることになっちゃったんだよね。マルコムさんは、船代の節約のためだって言ってたけど」
「そうなんですね」
ニースは、船に乗るのはお金がたくさんかかるのだと感じた。ラチェットは、気を取り直して話を続けた。
「じゃあ、ニース。大地の裂け目って、実際どういうものなのかは分かる?」
「えっと、地獄への通り道です!」
ニースの答えにラチェットは、ぷっと噴き出した。
「はは。そうだね。確かにそうだ」
ニースは、なぜ笑われたのかと不思議に思い、ちらりとラチェットを見たが、すぐに役目を思い出してオルガンへと目線を戻した。
「おじいちゃんやお母さんが、話してくれた昔話にあったんです。山向こうには地獄の通り道の大地の裂け目があるから、危ないんだって」
「へぇ。そんなお話もあるの?」
「はい。世界の真ん中にある大穴の底は地獄って呼ばれる恐ろしい場所で、真っ暗な穴の底には鬼っていう恐ろしい生き物がいるんです。そこに続くのが大地の裂け目で、地獄への通り道見たさに出かけた男の子が、鬼に食べられちゃう怖い話なんです」
ニースは、大真面目に話した。話しながらもオルガンを見るニースの目は、真剣そのものだった。
「だから、絶対に一人で森に入っちゃダメだし、山向こうの大地の裂け目に興味を持っちゃいけないって」
「……なるほどなぁ」
ラチェットはニースの話を聞くと、困ったように片手で頬をかいた。
「えっとね、ニース。大地の裂け目って、本当に裂けているみたいに、すごく縁がギザギザになってるんだよ」
「はい。知ってます」
「それで、ラース山脈って、その縁のギザギザが一番狭まっているところで、二つの大陸を繋いでるんだ」
「そうなんですね。初めて知りました」
「それでねニース。すごく言いづらいんだけど……。その地獄への通り道の上を、これから通るんだよ。僕たち」
突然の恐ろしい宣告に、ニースは愕然とした。
「……へ?」
「ラース山脈って、この辺りみたいに、ただ山が大陸を繋いでるんじゃなくてね。地獄への通り道……つまり、大地の裂け目の上を跨ぐように、細く長く続いてるんだ。裂け目の一部を山が塞ぐんじゃなくて、何ていうか、出っ張っている崖の先と先が繋がっているみたいな感じ、って言えば伝わるかなぁ?」
ニースは恐怖のあまり固まったが、ラチェットは、前を見ているため気づかなかった。
「だから、大海峡からの水の一部が、ラース山脈の下にいくつも開いている、小さな穴を抜けて、大地の裂け目を通って大穴まで落ちてるんだ。そこの上を跨いでる部分は特に狭い道でね。少しでも暴れたりすると、大地の裂け目に落ちかねない狭さらしいんだよ。だから……」
ラチェットが、ニースの方をちらりと見ると、ニースの体がぐらりと揺れた。ニースは、くらりと目を回していたのだ。危なく御者台から落ちそうになるニースを、慌ててラチェットは片手で支えた。
「危なっ! ……ニース、しっかりして!」
ラチェットは片手で必死に手綱を操り馬車を止めると、ニースの頬を軽く叩いた。ニースが、ぼんやりと目を開くと、ラチェットは、ほっと安堵の声を漏らした。
「良かった。まさかニースが気を失うとは思わなかった」
「あれ……ぼく……?」
「続きは休憩の時に話した方が良さそうだね。とにかく急いでみんなを追いかけよう」
すっかり小さくなってしまった一座の馬車を追いかけるために、ラチェットは馬を飛ばした。ニースは、オルガンを見ることをすっかり忘れて、ぼんやりと馬車に揺られていた。




