27:旅立ちの日
前回のざっくりあらすじ:ニースは、ラチェットが作った旅立ちの歌「故郷に吹く風」を歌った。
月と星が輝く空に、拍手と歓声が響き渡り、篝火が揺れる。ニースがお辞儀を終えると、グスタフたちがステージへ上がった。終わらぬ拍手のなかで、ラチェットがゆっくりとオカリナを奏で始める。拍手の音が静まると、グスタフが再び口を開いた。
「それでは、ここから最後の演奏となります。我々全員で、演奏いたします。どうぞ、みなさまも一緒に踊ってください」
グスタフの声を合図に、メグとジーナがステージを降りて観客の中へ入っていった。人々がメグの進む道を開けると、そこには取り残されたマルコが立っていた。
「え? ……ええ⁉︎」
慌てふためくマルコの手を、メグは笑顔で掴む。同時に、オカリナの音色が楽しげなものに変わった。
グスタフがバイオリンで軽快な旋律を奏で、マルコムが木の箱に穴が空いたような太鼓に座り、リズムを打ち鳴らす。
顔を真っ赤にして固まるマルコを引きずるように、メグは踊り出した。
「うわー、ずるい、あいつ」
「俺も踊りたいな」
「二人ともいくわよ!」
エミルたちもマルコのそばへと駆け寄り、踊り始めた。大人たちも、子どもたちにつられて踊り出す。すると、さり気なくジーナがマシューたちのそばへとやってきて、ダミアンの手を取った。
「……え?」
呆気に取られるダミアンを連れて、ジーナはタンバリンを鳴らしながら踊り始めた。
「ちょ、ちょっと!」
慌ててリンドがダミアンの手を奪い取り、そのまま二人は手を繋ぎ、踊り始めた。楽しげな姿に、マシューが笑った。
「せっかくだから、わしたちも踊るか?」
「あら、いいわね。お互い相手はもう空の上だものね」
マーサが子どものように笑うと、マシューはマーサの手を取った。
リズムに乗って踊る人々を見つめながら、ニースは手で涙を拭った。そして、ふぅと小さく息を吐き、グスタフたちの旋律に合わせて笑顔で歌い出した。
マルコムの太鼓にグスタフのバイオリン。ラチェットのオカリナとニースの歌声。シャンシャンと響くジーナのタンバリンも合わさって、人々の笑い声もこだまする。
旅の一座が運んできた、楽しい夜も今日で終わる。人々は別れを惜しむように、夜遅くまで踊り続けた。
きらきらと眩い朝日が町を照らす。出発の朝を迎え、ニースは荷物を手に市門へ向かった。見送られると泣いてしまうからと、家でマシューたちと別れの挨拶をしたニースの頬には、涙のあとが残っていた。
市門のそばには、出発の準備を終えた一座の馬車と、小さな荷馬車が二台、並んで止まっていた。「旅の一座ハリカ」と書かれた木製の馬車へニースが歩み寄ると、御者台に座るグスタフが苦笑いを浮かべた。
「グスタフさん、おはようございます。よろしくお願いします」
「おはよう、ニース。悪いが、少し待ってくれ」
緊張した面持ちで、ぺこりと頭を下げたニースに、グスタフは困惑した様子で答えると、小窓から客車の中へ何やら話し始めた。
不思議に思い、ニースが首を傾げていると、オルガン馬車の手綱を握るラチェットが声をかけた。
「ニース、おはよう。寝坊しないで、偉かったね」
「おはようございます、ラチェットさん。ぼくは、どこに乗ればいいんですか?」
「うーん……。それなんだけどね」
ラチェットは、グスタフと同じように苦笑いを浮かべていた。歯切れの悪いラチェットに、ニースは何があったのか尋ねようとした。
すると、グスタフの馬車の扉が、ギィと開いた。ニースが目を向けると、メグに支えられながら、ジーナが馬車から降りて来た。
ジーナは、ふらふらになりながらも、ニースの前へやって来ると、力一杯両手を合わせて声を上げた。
「ほんっとうに、ごめんなさーい!」
緊張感のない声ではあるが、精一杯頭を下げて謝罪するジーナに、ニースは呆気に取られた。
「もうっ、お母さんたら! 本当に恥ずかしいわ!」
「メグちゃんの言う通り! お母さん、もう何も言えませーん!」
ぷぅと頬を膨らませて怒るメグに、ニースは苦笑いを浮かべた。
「えっと……。どういうこと?」
「どうもこうもないの。お母さんたら、昨日の夜踊りすぎて、身体中痛いから馬車に乗れないって言うのよ」
メグは呆れた声でニースに答えた。楽しい別れの夜に浮かれて、数年ぶりに踊ったジーナは、激しい筋肉痛になっていたのだ。
話を聞いたニースは、なるほどなと思った。
――そういえば昨日って、みんなジーナさんの踊りを早めにやめさせようとしてたんだっけ。結局ジーナさんは、ずっと踊ってたけど。あれって、こうなるのを分かってたからなんだ。
ニースは、元踊り子のジーナをなぜみんなが止めるのかと不思議に思っていたが、ジーナに踊らせてはいけないのだと、納得した。
メグが申し訳なさそうに、言葉を継いだ。
「だからね、ニース。お母さんの痛みが引くまで、もうちょっとだけ待って」
「ちょっとって、どのぐらい?」
「そうね……お昼頃、とか?」
「そんなすぐに治るの?」
二人の話を遮り、ジーナが縋り付くように声を上げた。
「ニースくん、許してー。本当に痛いのー。もう無理なのー」
悲痛なジーナの叫びに、ニースは戸惑いながらも頷いた。
「えっと……。ぼくは、まぁ、大丈夫です」
「ありがとー」
よほど体が痛いのか、ジーナは安心すると、転がるように地面にへたり込んだ。
「ちょっと、お母さん! こんな所で座らないでよ!」
「だってー……」
メグとジーナのやり取りを見て、ジーナよりメグの方が強いんだなと、ニースは思った。そこへ、町の方からマルコムが駆け足でやってきた。
「いやー、参った、参った」
「マルコムさん、おはようございます」
「おっ、ニース来たか。おはよう。……そうだ」
マルコムはニースに挨拶をすると、ニヤリと笑った。
「今夜一晩だけでいいんだ。俺たちを泊めてくれないか?」
「え……?」
ぽかんと口を開けたニースに、マルコムは肩をすくめた。
「宿の予約がいっぱいでな。泊まる場所がないんだよ」
マルコムは、宿泊していた宿に延泊を頼んだが、断られていた。
アマービレ王国の庶民の宿は、一部屋に雑魚寝が多い。一つのベッドに、何人もで眠るのが普通だった。しかし一座は、個別に部屋を使っていた。
マルコムは、夜のお楽しみのために相部屋を嫌がり、グスタフとメグはジーナのいびきを嫌がった。年頃のメグは、父親であるグスタフと一緒の部屋などお断りだ。
ラチェットは馬車で寝泊まりしていたが、一座の滞在中は四部屋が埋まっていたのだ。出発と同時に、四部屋分の客を取ろうと、宿屋の主人は奔走していた。
マルコムは、はぁとため息を吐き、言葉を継いだ。
「一部屋でもいいからって粘ったんだけどな。時期が悪かったよ」
辺鄙な田舎町の宿屋だ。通常は、どんなに頑張っても予約が埋まる事などない。しかし、いよいよ花祭りが始まるということで、クフロトラブラには、多くの観光客が訪れていた。その上、今年の人出は近年稀に見るものだった。
例年より祭りの開催が遅れた今年は、宣伝を充分に行う事が出来ていた。そのため、町全体の宿の収容人数を上回るほどの人が集まっていたのだ。
宿に泊まれなかった者たちは、町の近くで野宿をしながら、花祭りの開始を待っていた。宿屋の主人は、あっという間に予約を集めており、どれだけ大金を積まれても、延泊は無理だと断ったのだった。
マルコムの話に、メグが声を挟んだ。
「それでいいのよ。もう一晩町に泊まるなんて、恥ずかしいもの」
前日の晩にあれだけ大々的に、祭りのようなお別れ公演を催したのだ。すでに旅立っているはずの一座が、ジーナの筋肉痛のために滞在を延期しているなど、メグにとっては耐えられないことだった。
「お嬢、だがな……」
困惑するマルコムに、メグは、ふふふと笑った。
「だから、名案だって思うわ。ニースの家なら、町から離れてるもの。ねえ、ニース。泊めてくれるわよね?」
「え……。えっと……」
期待を込めた眼差しが、メグだけでなく一座全員からニースに向けられた。特にジーナからは、一際強い圧が放たれていた。ニースは頷く以外、何も出来なかった。
春風がそよぐ道を、ガタゴトと四台の馬車が進む。山脈へ向かうかのように見える一座の馬車だが、実際は町を迂回して、マシューの牧場へ向かっているだけだった。
一座の大きな馬車は、山道に近い牧場の端に停められた。山脈越えのために借りた荷物満載の荷馬車も、一座の馬車と共に停まる。御者と護衛を兼ねて雇われた案内人たちは、荷物の見張りをしながら野宿する事となった。
案内人は、手際良く天幕を張り始めた。自分の町の目の前で、こっそりと野宿する羽目になった案内人たちを気の毒に感じながら、ニースはグスタフたちを、家へ連れて行った。
「えっと……ただいま」
「ニース⁉︎」
涙ながらにニースを見送り、仕事も手に付かず、しんみりとしていたマシューたちは、帰ってきたニースを見て驚いた。何か忘れ物をしたのか、急に旅に出たくなくなったのかと、一家は大騒ぎで迎え入れたが、理由を聞いて唖然とした。
「筋肉痛? それで出発出来なかったのか?」
「うん。でも、宿ももういっぱいだから、一晩でいいから泊めてほしいんだ」
騒つく家族を横目に、ニースから事情を聞いたマシューは、一行を泊める事を快諾した。一家は呆れていたものの、誰も異議を唱えなかった。旅立ちの前にニースと過ごす日が、思いがけず一日増えたのだ。歓迎すれど、断る理由はなかった。
グスタフ、ジーナ、メグ、マルコムは家に泊まる事となり、ラチェットは、案内人と野宿しながら馬車で眠る事となった。グスタフは何度も何度も、マシューに頭を下げた。
「いやぁ、本当に何から何まですみません」
「いやいや、いいんですよ。これから長旅になるのに、身体が痛いのは辛いでしょう」
「このご恩は一生忘れません」
さすがにマシューの家では雑魚寝となるが、それでも屋根の下で愛しの妻を休ませる事が出来るのだ。急な頼みを快く引き受けたマシューが、グスタフの目には輝いて見えた。
話がまとまると、昼食の支度をしていたリンドが、台所から声を上げた。
「メグさん。野宿の方々に、良かったらこれを届けてあげて」
「ニースのお母さん、ありがとうございます!」
リンドから、出来立てのお弁当を包んだ布をメグが受け取り、ラチェットが暖かいスープの入った鍋を持つ。二人は気の毒な案内人たちへ、少し早い昼食を差し入れに向かった。
落ち込んでいた三人の子どもたちは、出発の延期で元気を取り戻した。ルポルが、嬉しげに笑った。
「ニース、せっかくだし遊ぼうぜ!」
「ルポル、あんたは羊舎の掃除があるでしょ」
「姉貴、代わりにやってくんない?」
「い・や・よ!」
これ幸いと仕事をサボろうとするルポルを、ヘレナが捕まえた。その様に、エミルが小さく笑った。
「ヘレナに逆らうなんて、ルポルはいい度胸してるよなぁ」
「エミル、何か言った?」
「別に。何も言ってないよ」
じろりとヘレナに睨まれて、エミルは、そそくさと家を出た。エミルは、シェリーと一緒に羊の放牧へ出かける。ニースは、賑やかなやり取りに微笑んだ。
「ルポル、一緒にやろう? 二人でやれば早いよ」
「ニースは本当に真面目だなぁ……。仕方ない、やるか」
ニースはルポルと一緒に羊舎へ向かった。グスタフはマシューと話し終えると、ベッドで横になるジーナにせっせと湿布を貼りはじめた。マルコムは、何か手伝うことはないかと、納屋にいるダミアンの元へ出かけた。
――最後に、楽しくなったなぁ。
マシューは、思いがけず訪れたニースとの一日に笑みを浮かべると、少しでも長くニースと過ごすべく羊舎へ出かけた。突然騒がしくなった家に文句を言うように、庭に住み着いた鳩が、くるっぽーと鳴いていた。
旅立ち前、最後の夜は、前日の祭りと違い、静かなものだった。ニースの部屋のベッドは、痛みに苦しむジーナへ貸し出され、メグはヘレナのベッドで二人で眠り、グスタフとマルコムは一階の暖炉の前で、毛布を被り眠った。
ニースはマシューの部屋のベッドで、マシューと身を寄せ合った。
「おじいちゃん、もう寝ちゃった?」
「いいや、まだだ。眠れないのか?」
「ううん。もうちょっとだけ、おじいちゃんとお話したくて」
照れくささの混じるニースの声に、マシューは嬉しげに、顔をほころばせた。
「ああ、いいぞ。たくさん話そう」
ニースとマシューは、そのまま夜遅くまで時間を惜しむように話した。喋り疲れたニースは、マシューの腕の中で眠りに落ちた。
マシューは、すやすやと寝息をたてるニースの寝顔を目に焼き付けるように、明け方まで見つめていた。優しい夜が、二人を包んでいた。
山の端から日が昇り、夜が明ける。今度こそ本当に、ニース旅立ちの日だ。
ジーナは馬車の揺れに耐えられる程度には回復し、一行は早朝のうちに身支度を整えた。リンドが用意した朝食を手早く食べ終えると、グスタフたちはニースを残して先に馬車へと向かった。馬の世話など、出発前にしなければならない事がいくつもあるのだ。
ニースは、家族との時間を惜しむように朝食を食べ、忘れ物のないように確認すると、玄関の扉を開いた。朝陽が庭を照らす中、ニースは家族と向き合った。
「ニース。本当に気をつけてね」
うっすらと涙を浮かべながら、リンドは手製の弁当をニースに渡した。前日に引き続き二度目の別れの弁当だが、ニースにはずっしりと重く、温かく感じられた。
「お母さん……ありがとう」
弁当をしっかり抱えるニースの頭を、ダミアンは、くしゃりと撫でた。
「ニース、元気でな」
「はい。行ってきます」
ニースは、しっかり頷いた。ダミアンの横から、ヘレナが涙声で語りかけた。
「学校に着いたら手紙書いてね。一座のみなさんが、また王国に来たら届けてくれるって言ってたから」
ヘレナの隣から、エミルとルポルが声を挟んだ。
「熊や狼に気をつけろよ」
「悪い女にも気をつけ……いたっ!」
最後の最後まで、ルポルはルポルだった。リンドから拳骨をもらったルポルは、涙目でニースに別れを告げた。ニースは、ルポルが叱られるのも見納めだと思うと、切なさを感じた。
「みんな、ありがとう」
絞り出すようにニースが答えると、シェリーが尻尾を振り、駆け寄ってきた。ニースが屈み、シェリーを撫でると、シェリーは別れを惜しむようにニースの顔を舐めた。
シェリーと別れの挨拶を終えたニースに、マシューがゆっくり近づいた。
「ニース、元気でな」
「おじいちゃんも、お元気で……」
マシューは、ニースの温もりを刻み込むように、しっかりとニースを抱きしめると、ニースの目を見つめながら頭を撫でた。マシューとニースの別れの抱擁も、前日に続き二度目だが、マシューに三度目はないだろう。二人の目にはうっすらと涙が滲んでいた。
マシューは、ニースから手を離すと、小さく頭を振って俯き、鼻をつまんだ。ニースは、手のひらで涙を拭う。リンドがニースの手を取り、優しくさすった。
「ニース。たくさんの人に歌を届けてくるのよ」
「うん。世界中の人たちと、歌ってくるよ」
リンドは、ぎゅっとニースを抱きしめてから、笑顔でニースを送り出した。馬車で待つ一座の元へ歩き出したニースだったが、途中で立ち止まり、振り返ると大きく手を振った。
「お父さん、お母さん! エミル、ヘレナ、ルポル! 行ってきます!」
ニースは大きな声で叫ぶと、俯き、息を大きく吐いた。そして、ぎゅっと目をつむると、顔を上げ、ゆっくり目を開いた。
ニースの目は涙で濡れていたが、その黒い瞳にはしっかりと意志が宿っていた。
「おじいちゃん、お元気で! 育ててくれて、ありがとうございました!」
ニースは笑顔を浮かべ、ぺこりとお辞儀をすると、くるりと背を向けて走って行った。マシューたちが手を振り見送る中で、ニースの後ろ姿は、朝陽に包まれるように溶けて消えていった。
「ニースのやつ……最後の最後に、お父さんって……」
涙ぐむダミアンの隣で、マシューは涙を滲ませながらも微笑んでいた。シェリーがさよならを言うように、ニースに向かって、わんと吠えた。
ニースが馬車へ乗り込むと、馬車はゆっくり動き出す。庭に住み着いた真っ白な鳩が、旅の無事を祈るように青い空へ飛び上がった。
柔らかな風が優しく吹いて、草花を揺らす。それはまるで、クフロトラブラの町が、またね、とニースに囁いているようだった。
これにて、第3章終了となります。
このあと、閑話、幕間劇、人物紹介を挟みまして、第4章へと続きます。
一座との出逢いに続き、大切な出逢いがニースを待っています。
引き続き、よろしくお願いいたします。




