26:旅立ちを前に2
前回のざっくりあらすじ:ニースは、出発前最後の舞台に出る事になった。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現が含まれます。ご注意下さい*
優しい春の日差しが、石造りの街並みを照らす。昼食を取ったニースは、予定より少し早く一人で家を出ていた。公演の準備があるだろうと、マシューが気を利かせたのだった。
ニースが町の広場に近づくと、いつもと違った光景が目に飛び込んできた。
「わぁ! お祭りみたいだ!」
色とりどりの布が風に揺られ、広場を華やかに飾る。いつもは布を広げただけの簡素な市が並ぶ広場の外縁には、埋め尽くすように屋台が立ち並んでいた。その様は祭りの様相に似ており、ニースは切なさを感じた。
――そっか。花祭りの日が近いんだ……。
クフロトラブラでは、年に二回、春と秋に祭りがある。花祭りと呼ばれる春の祭りは、冬の終わりと春の訪れを祝う祭りだ。先祖に春の花を捧げ、食用花を使った料理を振る舞うのだ。
花祭りは毎年、雪が解け花が咲き乱れるようになってから行われる。花がたくさん咲いてから行われる祭りなので、詳しい日にちは定められていなかった。
ニースは、楽しい祭りを前に旅立たなければならない事に、一抹の寂しさを感じながら歩いた。
――でも……花祭りに似てるけど、少し違うかも。
広場には、至る所に鉄製の籠が置かれ、火をつければ広場全体が明るく灯せるようになっていた。広場中央には、いつもの一座の馬車はなく、代わりに一段高い台が置かれていた。見慣れない景色に、ニースの寂しさは和らいでいった。
――馬車はどこに行ったんだろう……?
ニースは、どうしたものかと立ち止まり、辺りを見回した。そこへ、後ろから声がかけられた。
「ニース、来たのね」
ニースが振り向くと、メグが立っていた。
「こんにちは、メグ。馬車はどうしたの?」
「今朝早くに町の入り口に移動させたわ。ラチェットは渋ってたけどね」
メグは肩をすくめると、ニースの手を取った。
「さ、こっちよ」
ニースはメグに連れられて、宿の食堂へ向かった。中に入ると、一座全員が大きなテーブルを囲んでいた。
ニースの姿を見ると、マルコムとジーナがニヤニヤと笑みを浮かべた。
「お、来たな。今夜の主役が」
「ふふふー。待ってたわよー、ニースくーん」
「みなさん、こんにちは。よろしくお願いします」
ニースは挨拶をすると、ラチェットの隣に座った。グスタフが微笑み、ニースに語りかけた。
「ニース。一日早いが、もう今日から君は、私たちハリカの一員だ。そのつもりで頼むよ」
山賊のような顔立ちのグスタフから、急に呼び捨てで名前を呼ばれて、ニースは思わず、ぷるりと震えた。
――ぼくはもう、一座の仲間なんだ。グスタフさんは良い人なんだし、顔でびっくりしてたら失礼だよね……。
緊張したまま笑顔を作ったニースに、マルコムが笑った。
「びっくりしただろ?」
「え⁉︎」
「広場が変わってて」
どきりとしたニースは、そっちの話かと、ほっと安堵した。
「あ、はい……。花祭りみたいになってましたけど、少し違うなって思ってたんです」
「へえ。何が違うんだ?」
「えっと、肉祭り……じゃなかった。羊祭りみたいだなって思って」
ニースの話に、ラチェットが興味深げに問いかけた。
「肉とか羊って、そんな祭りもあるのかい?」
「はい。秋のお祭りなんです」
町で行われる秋の祭りは、羊祭りと呼ばれる祭りだ。先祖に一年の無事を感謝し、冬を無事に越せるよう、毛を蓄えた羊を捧げて祈るのだ。
冬になる前に英気を養おうと、皆で羊肉を食べ、夜遅くまで騒ぎ明かすため、子どもたちの間では肉祭りとも呼ばれていた。
話を聞いたラチェットは、はははと笑った。
「それで肉祭りなんだね」
ニースは、恥ずかしさを誤魔化しながら、頷いた。
「はい。花祭りは昼だけなんですけど、羊祭りは夜までやるんです。だから、その二つが混ざったみたいだったので、びっくりしました」
「なるほどね。篝火は、僕たちの公演があるからだけど。花祭りの準備は、先にしてあったんだよ」
ここ一週間ほどで花が咲き乱れるようになり、町は花祭りの開催時期を迎えていた。しかし今年は、一座が祭り会場となる広場を借りていたため、開催が遅れていた。
「僕たちのせいで、祭りが遅れてたからね。僕たちが出発したらすぐにお祭りを始められるように、飾り付けがされてるんだ」
花祭りは、一座が旅立った翌日から行われる事になっていた。ニースは、なるほどと頷いた。
「だから、お祭りが混ざったみたいになってたんですね」
「それだけじゃないんだけどね」
「ほかにも何かあるんですか?」
二人の話に、ジーナが声を挟んだ。
「この前ねー。町長さんとお話したら、最後の夜にパーティしちゃおーって決まったのよー」
「町長さんがですか?」
ぽかんとしたニースに、メグが呆れたように頷いた。
「そうよ。お母さんが町長と知り合いだなんて、思わなかったわ。あんなに意気投合しちゃうんだもの、びっくりよ」
メグの言葉に、グスタフが笑って話した。
「ああ、それはだな……」
グスタフたちは、十五年前にもクフロトラブラを訪れていた。当時の一座は、美食の国、アマービレ王国の名物料理を余す所なく堪能しようと、王国内を隅々まで興行して回っていた。そのため、山脈越えの予定などなくとも、辺境の町にも訪れたのだった。
マルコムが、懐かしむように呟いた。
「あの頃のジーナは美人だったよなぁ」
マルコムの失言に、ジーナは素早く反応した。
「ちょっと、マルコム。それじゃ私が、今は美人じゃないみたいじゃない」
「あ、ああ。すまん……」
いつもの陽気なジーナの声が、ドスの聞いた声に変わったのを聞いて、ニースは決してジーナに逆らわないと、改めて心に固く誓った。
マルコムが謝っても、ジーナは視線だけで射殺しそうなほど睨みつけたままだ。見かねたグスタフが、宥めるように声を挟んだ。
「まあまあ、ジーナ。君は今でも美しいよ。君の美しさを知るのは、私だけで充分じゃないか」
「まあ、グスタフったらー! 照れるわー!」
照れたジーナがグスタフの背をバンバン叩くと、グスタフは倒れ伏した。しかしそれに気付くことなく、ジーナはもじもじしながら叩き続けていた。
話せなくなったグスタフの代わりに、マルコムが頬を引きつらせながら、話を続けた。
「ま、まあ、そういうわけでだ。当時のジーナに入れ込んでいたのが、若き日の町長だったってわけだ」
「……入れ込む?」
ニースは、まだ恋とは程遠い年齢だ。首を傾げるニースに、ラチェットが耳打ちした。
「大ファンだったってことだよ」
「ファン……。大好きだったんですね」
「そう。そういうこと」
ニースが納得したので、ラチェットは、ほっと胸を撫で下ろした。純情っていいなと、安堵するラチェットを横目に、メグが不思議そうに、マルコムに問いかけた。
「でもその頃のお母さんは、もうお父さんと結婚してたのよね」
「ああ。結婚したばかりだったよ。だから町長は、ジーナに相手にされなかったんだが……まあ思い出とは、美しくなるものなのさ」
ニースは二人の話を聞いて、自分なりに解釈した。
「えっと。つまり町長さんは、今でもジーナさんの大ファンだってことですか?」
「そういうことだ」
マルコムは、ニッと白い歯を見せて笑った。ラチェットが眼鏡をくいと上げて、ニースに微笑んだ。
「そういうわけで、町長が僕たちとニースを、お祭りで盛大に送り出そうと企画してくれたんだよ」
メグが頷き、話を継いだ。
「急な話だったんだけど、町のみんなは花祭りの準備で、すでに屋台を用意してたらしいから。飾りはもうしてあったし、一晩で全部出来ちゃったってわけ。びっくりよね」
「そうだったんですね」
気持ちを落ち着けたジーナが、笑顔でひらひらとニースに手を振った。
「そういうことだから、ニースくんも今夜は楽しんじゃってねー」
「えっと、そうすると、今夜の公演はオルガンを使わないってことですか?」
「そのことを話すために、ここにみんな集まってるんだ」
マルコムはニヤリと笑うと、ニースのために果汁を注文した。女将が小さなグラスに入れた果汁を持ってくる頃には、グスタフも復活していた。
その後、ニースが加わった「旅の一座ハリカ」の、第一回公演打ち合わせが行われた。打ち合わせが終わるまでに、ニースは滅多に飲めない果汁を、二回お代わりしていた。
山の端に太陽が近づき、柔らかな黄金色に空を染め上げる。仕事を終えたマシューたちは、連れ立って町へやって来た。ヘレナたちは広場を見ると、わぁと歓声を上げた。
「素敵! お祭りみたいね!」
「あっちに旨そうな肉が売ってる!」
「おお、本当だ! 母さん、あれ食べたい!」
三兄弟は、立ち並ぶ屋台に釘付けだった。はしゃぐ子どもたちを、ダミアンが窘めた。
「こらこら、お前たち。今日はニースの舞台を観にきたんだぞ」
「えー! 父さん、少しぐらい許してよ!」
わいわいと騒がしい子どもたちを横目に、マーサが首を傾げた。
「でも、おかしいわねぇ。この前来た時には大きな馬車があったはずなんだけど」
マシューたちと一緒に、マーサも家族を連れてやってきていた。マーサの呟きに、リンドが問いかけた。
「そうなの? マーサおばさん」
「ええ、そうよ。……ねえ、そうよね、マシュー?」
「ああ。マーサの言う通りだ。まさか祭りみたいになっているとはな」
どこで公演があるのかと、皆で辺りを見回していると、エミルが声を上げた。
「あ。あれ、ニースじゃないか?」
「あ、本当ね。ニースー!」
舞台裏から顔を出したニースに、ヘレナは大きく手を振った。ニースは声に気が付き、笑みを浮かべて駆け寄った。
「おじいちゃん、みんな、お疲れ様。仕事が終わったんだね」
「ああ、無事に終わったよ。間に合って何よりだ」
にっこり笑ったマシューの横から、ダミアンが問いかけた。
「ところでニース、その服は?」
ニースの着ている服は、立派なものに変わっていた。いつも来ている服と形はさほど変わりがないが、質の良い新しい物で、胸に蝶ネクタイが付いていた。
「これは、ジーナさんが用意してくれたんです。一座に仲間入りした記念で、普段でも着れるようにって」
はにかんだニースに、エミルたちは笑いかけた。
「へぇ、似合ってるじゃないか。よかったな、ニース」
「カッコいいわよ、ニース」
「馬子にも衣装ってやつだな! ……いてっ!」
エミルとヘレナがニースの姿を褒める隣で、ルポルはリンドに拳骨をもらった。騒がしいルポルたちを横目に、マーサが声を挟んだ。
「ニース。今日はどこで歌うんだい?」
「今日は、あそこの真ん中のステージで歌うんだ。いつもと違った公演だそうだから、楽しみにしていてね」
「また違うなんて、楽しみね」
嬉しげなマーサやマシューたちと、ニースは笑い合った。皆と言葉を交わし、ニースの胸は温かい気持ちでいっぱいになった。
「それじゃ、ぼくはそろそろ行かなくちゃ。日が沈んだら始まるから、それまでみんな、ゆっくりしててね」
ニースは手を振り、歩き出す。皆は元気に声をかけ、ニースを送り出した。
「がんばれよ」
「楽しみにしてるわ」
「ニース、がんばれー!」
笑みを浮かべるマシューたちに、ニースはもう一度手を振り、舞台裏に立つ大木の下へ向かった。
大木の下では、舞台衣裳に身を包んだメグたちが、最後の準備をしていた。
メグは身体を解し、ラチェットはオカリナの音色を確かめる。グスタフはバイオリンの調子を合わせており、ジーナはタンバリンを小脇に挟んで果実水を飲んでいた。
マルコムは……なぜか頬に大きな紅葉のような赤い跡をつけて、しょぼくれて四角い太鼓に座っていた。
ニースは不思議に思い、ジーナに囁きかけた。
「マルコムさん、何かあったんですか?」
「ふふふー。マルコムは、いつも町を出る前の日はこうなるのよー。気にしないでねー」
ジーナは、愉快げに笑い、小声で返した。ニースは首を傾げながらも、いつものことならと、深く考えないことに決めた。
日が暮れて、町が深い青に包まれていく。まだ空は薄っすらと明るいが、夜の闇を纏い始めた広場に、篝火の炎が揺らめいた。
町の人々は次々に広場へやってきて、思い思いに過ごす。手に食べ物や飲み物を持つ者。愛する者と腕を組む者……。エミルたちはもちろん前者で、リンド夫妻は後者だ。広場に集まった人々は、いつ始まるのかとそわそわしながらステージを見つめていた。
広場に夜の帳が降りると、グスタフがステージへ上がった。闇に揺らめく篝火の炎に照らされたグスタフは、誰がどう見ても洒落た服を着た山賊にしか見えない。しかしグスタフは、にこやかに口を開いた。
「紳士淑女、少年少女、老若男女のみなさま。お待たせいたしました。今夜が、我々ハリカの今滞在最後の公演となります。町長のご厚意に預かりまして、今宵はいつもと趣向を変えて、皆様と共に楽しめる形で公演を行います。どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
集まった人々は、座長グスタフの口上を聞き、歓声をあげた。グスタフは朗らかに言葉を継いだ。
「まず始めは、新しいメンバーの紹介となります。先日、ご好評いただきました、この町の少年ニースです!」
大きな拍手が、広場を包む。ニースは、はにかみながらステージへ上がった。観客席から「ニースがんばれー!」と、子どもたちの声が響いた。
「ニースは、明日我々と共に旅に出ます。今宵は、出来上がったばかりの、ニースの新しい歌をお楽しみください」
拍手が落ち着くと、グスタフはニースをステージ中央へと招いた。同時にラチェットがさり気なく、ステージ後方に上がる。
ニースはグスタフに促され、さらに一歩前へと進み出た。ふぅと息を吐き、深呼吸をひとつすると、ニースは口を開いた。
「クフロトラブラのみなさま。ぼくは明日、旅に出ます。みなさんと過ごした、この二年半は、ぼくの宝物です。ぼくからの感謝の気持ちを込めて歌います。新しい歌は、伴奏をしてくれるラチェットさんが作ってくれました。どうぞ、聞いてください」
ニースが大きな声で挨拶をし、ぺこりとお辞儀をすると、再び拍手が湧き起こった。拍手が止むと、ラチェットが静かにオカリナを奏で始めた。ニースはオカリナの音色に合わせて、足を肩幅に開くと肩の力を抜いて歌い始めた。
流れるようなニースの歌声は風に乗り、クフロトラブラの町の隅々まで包み込んでいった。いつも通った町の小道も、小川を流れる橋の上も。馴染みのパン屋やチーズ工房も。思い出を辿るように、ニースの歌声は響いていく。
人々の心には、温かく優しい歌声が染み渡り、それぞれの脳裏に愛する人や家族の姿が浮かんで消えた。ありがとうと感謝を述べて、別れの寂しさを堪えるような切ない歌声は、人々の心を揺さぶり、涙を誘った。
ニースの歌が終わった。誰もが、ニースの歌声に浸る中で、マシューが静かに、ゆっくりと手を叩いた。続いてマーサが手を叩くと、拍手が次々と生まれ、広場を埋め尽くした。
ニースは、うっすらと目に涙を浮かべ、優しく微笑むと、ゆっくりお辞儀をした。それは、町の人々へ心からの感謝を込めたお辞儀だった。
――今までありがとうございました。どうぞみんな、お元気で……。
ニースは心の中で呟くと、ゆっくり顔を上げた。ニースの目から涙が一筋こぼれ、篝火の炎に煌めいて落ちた。二つの月が、優しくニースを照らしていた。




