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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第3章 旅のはじまり】
32/647

25:旅立ちを前に1

前回のざっくりあらすじ:ニースの旅立ちをリンド達が受け入れ、ニースは町の人々から餞別をもらった。


*物語の進行上、一部にセンシティブな描写が含まれます。ご注意下さい*

 月明かりに照らされた牧場に、穏やかな夜風がそよぐ。ニースは、賑やかな夕食を終えると、昼にマルコ達からもらった大量の餞別を整理しようと、自室へ向かった。

 エミルたちは子ども部屋におり、大人たちは暖炉の前でくつろぐ。パチパチと炎の爆ぜる柔らかな音の中、庭でシェリーが、わんと嬉しそうに吠えた。マシューは伏せていた目を、ゆっくり開いた。


「誰か挨拶に来たみたいだな」

「ニースは人気者ね」


 リンドが微笑み、立ち上がると同時に、玄関扉が叩かれた。扉を開けると、ラチェットが立っていた。


「あら。ラチェットさん」


 リンド夫妻は、ニースが旅の一座と共に旅立つと聞いてから、すぐに一座の元を訪れ、挨拶をしていた。ラチェットたちは、これから家族と暮らすはずだったニースを旅に誘ってしまった事に、申し訳なさを感じていた。


「夜分にすみません。ニースのお母さん」


 気まずそうに挨拶をしたラチェットを、リンドは笑顔で招き入れた。


「いえいえ、お気になさらず。ここのところ昼も夜も関係なしに、挨拶に来る人が多いんですよ。気にしないでくださいな」

「ああ、そうでしたか。なんだか、かえってすみません。息子さんを連れ出すことになりまして」

「いえいえ。ニースが決めたことですから。まあ、楽しみにしていたニースとの暮らしがなくなってしまって、残念ですけどね。ほほほ」

「あ……ええ、はい。すみません……」


 わざとらしく笑うリンドに、ラチェットは、たじろいだ。気を利かせたダミアンがニースを呼びに行き、助け舟を出すように、マシューがラチェットに椅子を勧めた。


「今夜は、公演はなかったのですかな?」

「いえ、今日も公演はあるんですが、座長たちにお願いして、僕だけ抜けさせてもらいました」

「ほう、何か問題でも?」


 眉をひそめたマシューに、ラチェットが慌てて返事をしようとした時、ニースがやってきた。


「ラチェットさん、こんばんは。何かあったんですか?」

「あ、ああ。ニース、こんばんは」


 ラチェットは安堵の笑みを浮かべ、言葉を継いだ。


「いや、何かあったわけじゃないんだ。ただニースと少し、()()したいことがあってね」


 ラチェットは、パチリと片目を瞑った。ラチェットが何か()()()いると気づいたニースは、ラチェットを自分の部屋へ誘った。


 ニースの部屋は綺麗に整えられており、旅に必要のないものは木箱にしまわれ、部屋の隅に寄せられていた。

 ニースの旅の荷物は少ないものだ。大きな布袋と、背負い袋に小さな肩掛け鞄。あとは腰に直接ぶら下げるものだけだった。それらは綺麗にまとめられ、机の上に置かれていた。

 ニースは、ラチェットに椅子を勧め、自分はベットに腰掛けた。リンドが様子を窺いながら温かいハーブティを運んできたが、その時のニースたちは、ただの世間話をしていた。肩を落としたリンドに、ニースは苦笑いを浮かべた。


「お母さん。扉の前で立ち聞きはしないでね?」


 ニースに釘を刺されてしまい、リンドは渋々一階へ降りた。その様子を見てラチェットは、ふっと笑みをこぼした。ニースは満足して、微笑みを浮かべた。


「ラチェットさん、もう大丈夫ですよ。それで、何をすればいいんですか?」

「はは。敵わないなぁ、ニースには。もうお見通しみたいだね」

「いえ。何なのかは、わからないですけど。何かラチェットさんが、思いついたんじゃないかと思って」

「ご名答」


 ラチェットは、にっこり笑ってカップをサイドテーブルに置くと、懐から一枚の紙を取り出した。


「これはね、()()()()だよ」

「楽譜? これが……」


 ラチェットがニースに渡した楽譜は、ニースの歌のパート譜として、主旋律を書いたものだ。後からラチェットたちが伴奏で合わせやすいように書かれていた。


「ニースは楽譜を見たことは?」

「いいえ。初めて見ました」

「んー。それじゃあ、歌は今まで耳で聞いて覚えていたのかな」

「そうです」


 ニースが歌う歌は、即興を除けば、伯爵家にいた頃に歌い手から習った石歌だけだ。しかし歌い手たちは楽譜を持たず、口伝で石歌を伝えている。ニースは楽器の演奏もした事がないため、楽譜が何なのかは知識として知っていたが、実際に見るのは初めてだった。

 ニースの返事を聞いて、ラチェットは小さく呟いた。


「そうか。間に合うかな」

「間に合うって、これで何かするんですか?」

「実はね……」


 ラチェットは、ニースの耳元に顔を近づけ、そっと囁いた。ニースは驚き、声を上げた。


「え⁉︎ 今からですか⁉︎」

「あ、そんなに大きな声出さないで」


 ラチェットの言葉に、ニースは、はっと口を手で塞いだ。ラチェットは、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「どうかな? 時間はないから難しいと思うけど、無理かい?」

「んー、どうでしょう。やってみないとわからないですけど……」

「明後日には、僕たちは町を出る。だから、その前にニースの感謝の気持ちなんかを、家族や町の人たちに伝えられたらいいなって思ったんだ。さよならの代わりにね。ニースがやるなら、僕は精一杯手伝うよ」

「……わかりました。やってみます」

「その意気だ」


 ニースが真剣な眼差しで答えを返すと、ラチェットは笑みをこぼした。


 二人は、リンドとマシューに断って家を抜け出すと、庭の片隅に向かった。空には膨らみを増した二つの月が輝き、柔らかな風が草を揺らしていた。

 牧場と庭の仕切りになっている背の低い柵に、二人は並んでもたれかかった。ラチェットは懐から、小さな穴がいくつも空いた横に長い楕円形の物体を取り出すと、上部に伸びた細長い穴から音を確かめるように息を吹き込んだ。

 その不思議な丸い笛の音は、まるでフクロウの鳴き声のように夜空に響いた。


「それって、なんですか?」

「これかい? オカリナって言うんだ。陶器で出来ているんだよ。南の国で買ったんだ」

「へぇ……。ぼく、初めて見ました」

「吹いてみる?」

「いいんですか⁉︎」


 目をキラキラと輝かせるニースに、ラチェットはにっこり笑みを浮かべ、オカリナを渡した。ニースはラチェットの真似をして、包みこむようにオカリナを持つと、ふっと息を吹き込んだ。


「あれ? 音が違う……」

「持ち方や吹き方で、色んな音色に変わるんだよ。ほんの少し口に咥えるように持って……そうそう。手はそんなに包むんじゃなくて、こう……そして、舌先を歯茎に当てるようにして、息を吹いてごらん」


 ラチェットに教えられた通りに、ニースが息を吹き込むと、心地良い音色が響いた。


「わあ、出ました!」

「上手だね。これを使って、ニースに楽譜のメロディを教えるよ。ここには、ピアノもオルガンもないからね」

「いつも持ち歩いているんですか?」

「そうだよ。メロディを思いついた時に、実際に音に出して確かめて曲を作るんだけど、オルガンは大きすぎて持ち歩けないから」


 ニースは、オカリナを数回吹いて楽しむと、ラチェットに返した。ラチェットは、オカリナで何度も旋律を奏で、ニースはそれを覚えていった。

 その日、夜遅くまで二人は練習を続けた。羊舎にいる羊たちは、風に乗って聞こえてくるニースの歌声とオカリナの音色を聞きながら、心地よい眠りへ落ちていった。



 山の端から顔を出した太陽と、鳥の囀りが朝を知らせる。いつもより遅く起きたニースは、眠い目をこすりながら部屋を出た。

 すると、起き出すのを待っていたかのように、エミルたちが興味津々で部屋から出てきた。


「おはよう、ニース。夜遅くまで出かけてたみたいだけど、何してたんだ?」

「母さんも気にしてたよ。ニースが夜遊びに出かけたって」

「ルポルったら、話を盛らないの。お母さんはそんなこと言ってないでしょ」


 言い合いをする三人に、ニースは笑いながら欠伸(あくび)をし、はっきり答えないまま一階へ降りた。食卓には美味しそうな黒パンや羊肉のハムが並び、マシューとダミアンが席についていた。

 朝から元気な四人の姿に、ダミアンが微笑んだ。


「みんな起きたか。顔を洗ってきなさい」

「お父さん、おじいちゃん、おはよう!」

「おはようございます、ダミアンさん。おじいちゃんも、おはよう」

「ああ。おはよう」


 ニースたちは口々に挨拶を交わすと、我先にと台所へ向かった。人数が多いと、朝の支度は大渋滞だ。朝食を作っていたリンドが、ふふふと笑った。


「あら、みんなおはよう。もうすぐスープが出来るからね。お湯を沸かしてあるから、体も拭いてきなさい」


 穏やかに微笑み、子どもたちを見守っていたリンドは、眉間にしわを寄せると、ルポルの頭に拳骨を落とした。


「こらっ、ルポル! もっとしっかり洗うの!」

「いてっ……鬼ババ……」

「何だって⁉︎」


 リンドとルポルの朝の光景に、ようやく慣れたというのに、もう見納めになるのかと思うと、ニースは少し寂しさを感じた。

 身を清め、髪を整え、支度を終えると、子どもたちは朝食の席に着いた。食事の匂いに誘われて、シェリーが小さな犬用扉をくぐり、入ってきた。ダミアンがシェリーのために、新しく扉を作ったのだった。

 行儀よくテーブルのそばへ座ったシェリーに、ニースは微笑んだ。


「シェリー、おはよう」


 シェリーは、おはようと言うように、尻尾をパタパタと振った。

 家族が増えたため、シェリーの食事は皆と合わせて、朝夕に食卓のそばで食べるようになっていた。リンドが伯爵家でのやり方にならい、食事の支度の際、スープの一部をシェリーのために残しておくようになったため、シェリーの食事は、以前よりずっと豪華に変わっていた。

 リンドはテーブルに全員分のスープを並べ、シェリーにも皿を置くと席に着いた。


「さあ、頂きましょう! 大地の恵みを(かて)に」

「恵みを糧に!」


 家族一斉に声を合わせた食前の挨拶に、シェリーも、わんと吠えて食べ始めた。

 ニースたちは笑いながら、皿に手を伸ばす。お腹が空いていたのか、エミルとルポルが、シェリーに負けないほどガツガツと食べ始めたので、マシューが笑った。


「そんなに慌てなくても、朝飯は逃げんぞ、二人とも」

「おじいちゃん、この二人にそんなこと言っても無駄よ。いい加減諦めた方がいいわ」


 手厳しいヘレナの言葉に、マシューは苦笑いを浮かべた。ニースは、食べ始めた皆の姿を見回し、口を開いた。


「あのね、みんな。昨日のラチェットさんのことなんだけど……」


 ニースの言葉に、家族全員が食事の手を止めた。注目を浴びて、ニースは目を泳がせながら話した。


「えっと……今日の夜、日が落ちてすぐくらいに、広場で出発前最後の公演をするんだって。それで……」

「もしかして、ニースも出るのか?」

「……うん」


 エミルの言葉にニースが、はにかみながら頷くと、子どもたちは、わっと歓声をあげた。リンドが笑いながらも、(たしな)めるように声をかけた。


「ほらほら、まだ朝ごはんの途中ですよ」

「そういう母さんだって、顔がにやけてるよ」

「兄貴、何言ってんだよ。母さんの顔は、にやけてるんじゃなくて、皺が増え……いてっ!」


 リンドがルポルの頭に拳骨を落とすと、皆、声をあげて笑った。ひとしきり笑い終えると、マシューが口を開いた。


「ニースが出るなら、みんなで見に行かないとな」


 マシューの言葉に、ヘレナが心配そうに声をあげた。


「でもおじいちゃん、羊は?」

「羊のことなら心配ない。いつもより早めに羊舎に入れてしまえばいい。シェリーがいれば、少しの時間は大丈夫だろう」


 マシューの言葉に子どもたちは、ほっと胸をなでおろした。リンドはにっこり笑うと、子どもたちに声をかけた。


「それなら、今日は早めに仕事を終えないとね。ほら、みんなさっさと食べる!」

「急がなくても逃げないって、さっきじーちゃんが……いてっ」

「口答えしない!」


 リンドがさらにルポルに拳骨を追加すると、エミルとヘレナは慌てて食べ始めた。ルポルが頭をさすりながら食べる姿を見て、ニースは苦笑いを浮かべた。

 シェリーが自分も行きたかったと言いたげに、くぅんと小さく鳴いた。ニースは、ごめんねと呟きながら、ハムをちぎってシェリーの皿に加えた。そんなニースの姿を、大人たちは胸に刻みこむように、微笑んで見つめていた。

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