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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第3章 旅のはじまり】
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24:帰ってきた家族2

前回のざっくりあらすじ:リンド一家が帰ってきた。

 鍋から立ち上る湯気が、朝日に煌めく。リンドは涙を拭うと、台所の片隅にニースを座らせた。

 リンドは、すっかり煮えた鍋を火から下ろし、ヤギ乳を二人分、カップに注ぐ。腰掛けに座るニースは、リンドを気にしながらも、何も言わずにカップを受け取り、口を付けた。

 リンドは木箱に腰を下ろし、自分もヤギ乳を一口飲むと、ふぅと息を吐いた。


「ごめんね、ニース。急に泣いたりして」


 ニースは飲みながら、ふるふると(かぶり)を振った。リンドはニースを見つめたまま、静かに言葉を継いだ。


「ニースが旅に出るって、父さん……おじいちゃんから聞いたわ」


 リンドは前日の晩に、マシューからニースの旅立ちについて、話を聞いていた。そのためリンドは、一晩中泣いていたのだった。

 ニースはカップから口を離すと、口に含んだヤギ乳をごくりと飲み込み、俯いた。


「……ごめんなさい」


 ニースのか細い声を聞いて、リンドは、ふっと笑みをこぼした。


「あーあ。坊っちゃまと……ニースとようやく家族になれるって、楽しみにしてきたのになー」


 リンドの声は、わざとらしい程に明るい声だった。ニースは申し訳なさでいっぱいになりながら、リンドの顔をそっと覗き見た。リンドは、にっこりと笑顔でニースを見つめていた。その笑顔は、何の含みもない優しい笑みだった。


「でもね、ニース。私は嬉しかったの。悲しくて寂しくて残念だったけど、嬉しかったのよ」


 リンドは、そっとニースの頭を撫でた。


()()()()()があって、ニースがもう歌わないんじゃないかって、私は心配したの。でも、数ヶ月後におじいちゃんから、ニースが歌を歌うようになったって、手紙をもらったわ。それを読んで、私はすごく嬉しかった」


 ニースは、リンドの手の温もりを感じて目を伏せ、じっと聞いた。


「そしてね、驚いたのよ。マーサおばさんだけじゃなく、羊にまで歌を聞かせてるっていうんだもの。羊もニースの歌が好きだって聞いて、本当に驚いたわ」


 リンドは、ふふっと笑うと、ニースの頭から手を離した。ニースは、リンドがなぜ想い出話をするのか分からず、戸惑いながらも頷いた。


「うん……。ぼくも、羊がぼくの歌を好きになってくれるなんて、思わなかったよ」


 小さく呟いたニースに、リンドは安心させるような優しい笑みを浮かべた。


「ニースの歌はね、聞く人を幸せにする力があるんじゃないかって、お母さんは思うの。歌の力って意味じゃなくね」


 リンドは昔を思い出すように、ニースから視線を外して、遠くを見つめた。


「ニースのお母さん……クララは、とても優しい人でね、クララが庭に掃除に出ると、小鳥やリスが近くに寄ってきたのよ」


 ニースは急に出てきた産みの母の話に、きょとんとした。


「ぼくの、母さま……?」


 リンドは微笑みを浮かべ、話を続けた。


「クララのエプロンのポケットには、古くなったビスケットやパンの耳がいつも入っていたの」


 愉快げに、ふふふと笑うと、リンドは再びニースに目を向けた。


「でもね、それだけが理由じゃなかったと、私は思ってる。クララが優しいことは、動物たちも分かっていたんじゃないかしら。だから、そんなクララが産んだニースの歌を、羊が気に入っても不思議じゃないと思うのよ」


 ニースは、初めて聞く母クララの話に驚いたが、何も言わずにリンドの話の続きを待った。


「ニースは、歌を歌うのが大好きだったわよね。歌の力のあるなし関係なく、ニースは歌が好きだった。私ももちろん、ニースの歌が大好きだわ」


 リンドは、口元に笑みを浮かべたまま、ふっと切なげに顔を歪めた。


「だからね、ニース。ニースの歌は、きっと世界中の人たちが気にいるわ。お母さんたちだけの歌にしておくのは、もったいないことなのよ」


 ニースは、リンドが何を言わんとしているのかに気付き、ごくりと唾を飲み込んだ。リンドの青い瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。


「だからね、行っておいで。世界中のたくさんの人に、ニースの歌を届けておいで。学校で歌の力が取り戻せても、取り戻せなくてもいい。私たちは、ニースをここで待っているわ。ニースの帰る家はここで、私たちはもう家族なんだから」


 リンドは立ち上がり、くるりとニースに背中を向けた。涙を拭い、カップに残ったヤギ乳を飲み干すと、リンドは振り向いて優しい笑顔をニースに向けた。


「さあ、ニース。ミルクを飲んだら顔を洗ってね。美味しい朝ごはんを用意するから」


 窓から射し込む朝日の中、リンドが笑って朝食の支度に戻るのを、ニースはじっと見つめた。涙を滲ませたニースの目には、リンドの背中が春の陽だまりのように、きらきらと輝いて見えた。


「お母さん……ありがとう」


 ニースは、ぽつりと呟いて、ヤギ乳を一気に飲み干した。柔らかな乳白色の優しさが、ニースの身体に染み渡った。



 テーブルに並んだ皿から、ほかほかと湯気が上がる。食卓には、リンドの作った具沢山のスープと、山のように盛られた黒パンが置かれた。

 食卓の椅子は四脚だけだ。大人たちと共に、ヘレナが当然のように最後の一脚に腰を下ろす。ニースたち男の子は、腰掛けや空いた木箱に、文句を言わず座った。

 家族全員が集まった朝食の席で、子どもたちはニースの旅について知らされた。今までになく賑やかな朝は、話を聞いた三兄弟の声で、より騒がしさを増した。


「なんでだよー! せっかく可愛い弟が出来ると思ったのに!」


 愕然として声を上げたエミルに、ルポルが鼻を鳴らした。


「何言ってんだよ、兄貴。ニースの旅には、俺も反対だけどさ。弟なら、俺がいるだろ。可愛い()()()()が」


 エミルは、わざとらしく嫌そうに、ルポルに目を向けた。


「お前のどこが可愛いんだよ。鏡で自分の顔を見てこいよ」

「うわ、ひでえ。俺は兄貴を尊敬してるってのに」

「なら、俺の肉を取ろうとするなよ!」


 エミルの言葉に、ルポルは見つかったと舌を出し、手を引っ込めた。言い合いをする二人を横目に、ヘレナは切なげに呟いた。


「私もショックだわ。せっかくニースと久しぶりに会えたっていうのに、たった一週間しか一緒に過ごせないなんて」

「ごめんなさい……」


 ニースは、しゅんと肩を落とした。エミルに絞られたルポルが、口を尖らせ声を挟んだ。


「ほんとニースは薄情だよ。俺はお前の親友じゃなかったのかよ」

「ルポル……」

「旅、やめれないの? 一緒に楽しくやろうよ」


 ルポルは言いながらも、ヘレナの皿にこっそり手を伸ばす。ヘレナは眉根を寄せ、パシッとルポルの手を叩いた。


「ルポルは黙って」

「兄貴も姉貴もひどい……」


 三人に旅立ちを反対されて、ニースは俯いた。ダミアンがルポル達に、諭すように語りかけた。


「お前たち、ニースを困らせるな。ニースだって、悩んで決めたことだ。それに、ニースと会えなくなるわけじゃない。ニースの家はここで、家族は私たちだろう」

「そうよ。お父さんの言う通りよ。そんなに騒がないの」


 大きく頷いたリンドの目は、腫れたままだった。泣いた事が丸分かりな顔を見て、いつもバラバラな三兄弟の意見は、見事に一致した。


「お母さんには言われたくない!」


 綺麗に揃った三人の言葉に、マシューが声を上げて笑った。つられてニースが、ぷっと噴き出すと、エミルたちは顔を見合わせて、わははと笑った。ダミアンはにこにこと微笑みを浮かべたが、リンドは、ぷぅと頬を膨らませた。

 口々に文句を言いながらも、三人の兄弟たちは、ニースの旅立ちを受け入れた。決して寂しくないわけではないが、ニースや大人たちがよく考えて決めたことだ。仕方がないことなのだと、皆感じていた。

 ニースの旅の知らせは、賑やかな食卓を彩って終わった。パセリを纏った朝食のスープは、ほんのり切なく、苦味を感じる味わいだった。



 ニースはこの日から、旅の支度をして日々を過ごした。ニースの仕事はルポルたちに引き継がれ、リンドたちも旅の準備を助けた。

 ニースが旅に出るという噂は、町へ少しずつ広まっていった。仲の良い人々は、毎日代わる代わるニースの元を訪れた。


 最初に来たのは、マーサだった。マーサは、ニースの決断を尊重すると公言していたが、ニースが旅立ちを決めたと聞くと、一転して反対を表明した。


「ニースと会えなくなるなんて、絶対嫌よ!」

「マーサおばさん……」

「旅なんて行かないで、ずっと一緒に暮らしましょう」


 マーサはニースを抱きしめ、絶対離さないと言わんばかりに、ぎゅうと力を込めた。

 見守っていたマシューとリンドは、マーサの気持ちは変わらないと思った。しかし、抱きしめられて息のできないニースが倒れるという珍事件が起き、風向きは変わった。

 マシュー達に説得され、マーサは渋々ニースの旅立ちを受け入れた。


「ごめんね、ニース。でも私は、本当にニースのことが好きなのよ」


 平謝りをするマーサに、ニースは、ふわりと微笑んだ。


「マーサおばさん、大丈夫だよ。ぼく、分かってるから」

「本当に……ニースは良い子ねぇ」


 マーサは涙を拭い、旅の餞別にと、手編みのストールをニースに渡した。()()()()()()()()()だが、ニースがもし旅立ちを決意した時のことを考え、成長しても使えるようにと、ストールを編んでいたのだ。


「私にお土産はいらないわ。何年経ってもしぶとく生き残って、ニースのことを待ってるから。元気に帰ったら、また歌を聞かせてちょうだいね。約束よ」

「うん。約束するよ」

「絶対よ」

「うん。絶対」


 マーサは、ふんと荒く鼻息を吐きながら、何度もニースに言い募った。ニースはマーサが納得するまで、何度も何度も誓った。マシューとリンドは呆れながらも、微笑ましく二人を見守っていた。


 次に来たのはウスコだった。ウスコはヨハンと共に訪れ、ニースが帰るまで羊たちの世話は任せろと言った。ヨハンは、ニースに少し大きめな上等のローブを餞別に渡した。旅の間、しっかり身を守れるようにと、ウスコと共に用意したのだ。


「ローブの代金、半分はウスコにつけてあるんだ」

「余計なこと言うな、ヨハン」


 二人の言い合いも、もう見れなくなるのかと、ニースは切なさを感じた。


 何人もの人々が、ニースに別れを告げるため家を訪れたが、ニースにとって意外だったのは、マルコがエリックたちを引き連れて来た事だった。

 大挙してやって来た少年たちを見て、エミルとルポル、ヘレナまでもが、ニースとマルコ達の様子を見守った。


「マルコ……どうしたの?」

「ん!」


 マルコは家に入ろうとせず、玄関の前で、ニースに無言で木剣を差し出した。それは、いつもマルコが腰に下げて自慢していた、マルコお気に入りの木剣だった。


「え……これ、ぼくに?」

「ん!」


 何も言わずにひたすら木剣を押し付けてくるマルコに、ニースはたじろいだ。


「でもこれって、マルコの大事なものじゃ……」

「ん!」

「さっさと受け取れよ。マルコが困ってるだろ」


 見かねたエリックの言葉に、ニースはようやく受け取った。


「ありがとう、マルコ」

「……ん」


 ニースがはにかむと、マルコは照れくさそうに鼻をこすった。すると、エリックたちも餞別の品をニースの腕に()()()()()


「じゃあ、ニース。俺からはこれな」

「え?」

「俺はこれ」「僕のも」

「わわっ……」


 羊毛を編んで作った投石紐や、保存食代わりの木の実など、少年たちが持つ中で最高の宝物が、ニースの手に次々渡された。いつの間にか、ニースの手にはこんもりとたくさんの品が乗せられ、前が見えなくなるほどだった。

 落とさないように気をつけながら、ニースは礼を言った。


「あ、ありがとう」

「礼なんか、いらないよ」


 戸惑いつつも微笑むニースに、エリックたちは照れくささを隠すように、ふんと鼻を鳴らした。

 ニースに全て渡したのを見届けると、マルコは、くるりと背を向けて歩き出した。慌ててエリックたちが追いかけると、少し離れた場所でマルコたちは足を止め、振り返った。


「やーい、馬鹿ニース! 無事に帰って来なかったら承知しないからなー!」

「帰ってきたら、可愛い女の子紹介しろよー!」


 マルコたちは口々に好き勝手叫ぶと、満足した様子で帰っていった。ニースが唖然として見送るそばで、エミルたちが、ぷっと噴き出した。


「なんだ、あいつら素直じゃないな」

「いい友達いたんだな、ニース」

「可愛い女の子ならここにいるじゃない。失礼ね」

「ヘレナ……」

「姉貴……」

「なによ、その蔑むような目は。そんな目でレディを見ないでくれる⁉︎」


 なぜか始まる兄弟喧嘩を横目で見ながら、ニースはマルコたちに感謝した。


 ――みんな、本当にありがとう。元気でね。


 クフロトラブラの町の人々は、大人も子どもも皆がニースを大切に考えていた。それを心から感じたニースは、胸を締め付けられるような切なさを感じた。

 ニースの旅立ちの日まであと二日。ニースは町へ帰るマルコたちの後ろ姿をじっと見つめ、優しさを目に焼き付けた。

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