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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第3章 旅のはじまり】
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21:一座の誘い3

前回のざっくりあらすじ:一座がマシューの家を訪れ、ニースを旅に誘った。

 ラチェットたちが帰ったあと、ニースとマシューはいつも通り仕事をこなし、マーサはリンドたち家族のために家中の埃と闘った。

 夕方になり羊を羊舎に入れると、ニースは、ふぅと息を吐き、小さな先輩、シェリーに目を向けた。


「シェリー、お疲れ様。ぼくは家に帰るけど、シェリーはどうする?」


 シェリーはお疲れ様と言うように尻尾を振って、わんと吠えると、納屋で片付けをするマシューの元へ走って行った。ニースは、ふわりと微笑み、家へ戻った。

 裏口から入ると、台所ではマーサが夕飯の支度をしていた。


「おかえり、ニース。今日もお疲れ様。私はスープを仕上げたら、日が暮れる前に帰るからね」

「うん。マーサおばさん、今日は一日ありがとう」

「どういたしまして」


 マーサはニースに、にっこり笑った。ニースは暖炉へ向かうと、薪を入れて火をつけた。そして台所で手を洗うと、暖炉前の椅子に腰を下ろした。


 ――ぼくは、どうしたいのかな……。


 ニースは揺らめく炎を見つめながら、一座の提案について考え始めた。


 ――治せるなら、治した方がいいのかもしれないけど。おじいちゃんと離れてでも、治したいかっていうと……違う気がする。


 “調子外れ”と言われても、伯爵家での一件以外、ニースは不便を感じることがなかった。クフロトラブラには、天の導きとしてのニースではなく、一人の人間ニースとしての居場所があった。羊に歌を聞かせながら静かに暮らすには、何の問題もないのだ。

 パチパチと、リズミカルに炎が爆ぜる。ニースの脳裏に、楽しかった前日の公演が過った。


 ――でも、みんなと旅に出たら楽しいだろうな。ぼくの歌で、たくさんの人が喜んでくれたら嬉しいし、きっと色んな楽器や踊りも見れる。他の国も見てみたいな。どんな人たちが、どんな暮らしをしてるんだろう。


 初めての舞台での興奮は、ニースの胸に鮮やかに残っていた。ニースは、自分の知らない世界を、一座の舞台に垣間見た。今まで感じたことのない歌の楽しさが、世界にはたくさんあるかもしれないと、ニースは感じていた。


 ――だけど……。もうすぐ、リンドたちも帰ってくるんだよね。リンドのことは好きだし、リンドの家族は、みんな良い人たちだったけど……。


 ニースは、記憶に残るリンドたちの事を思い浮かべた。


 リンドの夫ダミアンは、伯爵家の屋敷の護衛長で、優しく正義感に溢れる男だった。ニースの父ゲオルグは、王都と領地を行き来しているため、ダミアンは普段、ニースの兄アンヘルのそばに控えていた。

 リンドがニースの乳母だったこともあり、ダミアンは、アンヘルから見えない場所でニースを何かと気にかけていた。誕生日パーティの夜に、激昂したゲオルグの凶刃からニースを守ったのもダミアンだった。

 リンドの子どもたちとは、ニースは乳兄弟としてよく一緒に遊んだ。リンドには三人の子どもがいる。上の二人は双子の兄妹、その下に、ルポルという名の男の子が一人だ。

 双子のことはニースにはもう記憶が朧げだが、二人とも気のいい兄妹だったことは今も覚えていた。ニースと同い年のルポルはいつもニースと一緒で仲が良く、親友と言っていいほどだった。


 ニースの黒い瞳に、ゆらりと暖炉の炎が揺れる。リンドが帰ると知ってから押し込めていた不安が、ニースの胸に、少しずつ姿を現した。


 ――みんなと会うのは、ぼくがリンドの子どもになってから初めてだ。みんなは、ぼくをどう思うのかな。おじいちゃんとは、ちゃんと家族になれたと思うけど。リンドたちと、本当の家族みたいになれるのかな。


 伯爵家を出たニースに、家族の温もりを唯一、与え続けたのがマシューだ。マシューのいる場所がニースの家であり、ニースにとってマシューは、最も大切な家族だった。


 ――ぼくの居場所は、リンドたちが来ても変わらずに、ちゃんとここにあるのかな。おじいちゃんと()()のままでいられるのかな。ぼくが旅に出たら、()()()()()にならないかな……。


 リンドたち家族が帰ってきたら、マシューはニースのことなど、どうでもよくなるのではないか。旅になど出たりしたら、マシューはニースのことを忘れてしまわないか。ニースは、不安で堪らなかった。


 ――せっかくおじいちゃんがリンドたちと暮らせるのに……。ぼくって、嫌なやつだな。


 ニースは椅子の上で、膝を抱えた。マーサの作るスープの、柔らかな香りが家中に漂う。暖かく優しいはずの空気に、ニースは胸が締め付けられるのを感じた。



 マーサはスープを作り終えると、温めたヤギ乳を手に、ニースの元へやってきた。ニースにカップを渡すと、マーサは隣の椅子へ腰掛けた。


「ニース。旅に出るか、もう決めたのかい?」


 マーサは優しく、しかし寂しさの混じる声で問いかけた。ニースはヤギ乳を一口飲むと、ふぅとため息を吐いた。


「ううん。まだ……」


 マーサは、ほっとしたように安堵の笑みを浮かべ、ニースの視線の先を追い、暖炉の炎を見つめた。日が陰り、炎の影が色濃くなり始めた。


「まだ時間はあるから、ゆっくり考えるといいわ」

「うん……」


 マーサはゴクゴクとヤギ乳を一気に飲み干すと、にっこり笑って立ち上がった。


「どんな風にニースとマシューが決めても、私は応援するからね」


 マーサは胸をトンと叩いて宣言すると、家へ帰って行った。マーサを見送るニースの目に、山に沈む夕日が映る。あたりはだんだんと、暗い夜闇に覆われていった。



 マーサが帰った後、マシューとニースは静かに夕食を食べた。前日の公演で笑みを浮かべていた二人の顔は、たった一日で、切なく寂し気に変わってしまった。

 食卓を挟んで向かい合って座る二人は、互いに黙々とスープを口に運び、パンをちぎり口にする。マーサが作ったスープは美味しいはずだが、二人にはさっぱり味がわからなかった。


 仕事をしている間も、夕食を食べている今も。ニースとはまた違ったことをマシューは考え、悩んでいた。


 ――ニースの気持ちはもちろん大事だが、もしニースが旅に出たいと言ったら、わしはどうするんだ……。


 ニースが歌を大好きだと、マシューは知っている。ニースをクフロトラブラへ連れてきてしばらくして、ニースが悲しみを乗り越え歌を歌ったことが、マシューには懐かしく思い出された。

 ニースに歌の力などなくとも、ただ楽しく歌ってくれたらいいと、マシューは思っていた。ただ楽しそうに歌うニースを、マシューは微笑ましく見てきた。しかし、ここへ来て、今まで必要としていなかった歌の力を取り戻せることがわかった。


 ――歌い手様の仕事は、歌が好きなニースにとって天職となるはずだ。稼ぎも羊飼いよりずっといい。


 羊飼いの仕事は辛い。体力のいる仕事であり、稼ぎはその年その年の環境にも左右される。今はニースの歌を聴いた羊たちが良質の毛を提供しているが、いつ羊の気持ちが変わるか分からない。歌い手になった方がニースにとって幸せではないのかと、マシューは思った。


 ――いや、そもそもだ。もしかしたら本当は、羊毛の質が良くなったのは、羊の気持ちではなく、歌の力のせいだったんじゃないのか?


 マシューは、スープをすくう手を止めて考え込んだ。


 ――もしそうならなおのこと、ニースは歌の力をしっかりと使えるようになった方がいい。たまたま出た力なら、危ないことに巻き込まれる事も、あるかもしれない……。


 マシューはスープを一口飲み込むと、また手を止めた。


 ――しかしそうなると、ニースとは離れ離れになる。歌の力を取り戻す頃には、ニースは、すっかり青年になってるだろうな。それからすぐにニースが帰ってきてくれるとしても、今から十年はかかるはずだ。それまで、わしは生きていられるか?


 マシューは、もういい歳の老人だ。マシューは晩婚で、壮年になってからリンドが生まれた。リンドが生まれてからすぐに始めた羊飼いの仕事も、最近では辛くなり始めており、リンドたちが帰ってくるという知らせは、マシューにとって朗報だった。

 決して長寿とは言えないこの世界では、老いが深まるのは早い。五年なら待てても、十年は分からないとマシューは考えていた。手紙も他国とのやり取りは出来ないため、ニースが旅立ってしまえば、マシューは二度とニースに関われないかもしれないのだ。


 マシューは、そっとニースのことを覗き見た。ニースはぼんやりとしながらも、スープを口に運んでいた。その姿に、ニースも悩んでいるのだとマシューは感じた。


 ――もうすぐリンドたちが帰ってくる。ニースを送り出しても、わしの生活に不便はない。だが、今のわしには、ニースが一番大事な孫だ。わしはニースの成長をそばで見ていたい。しかし、それではニースが……。


 マシューは、ニースのことが大好きだった。ニースの顔を見れなくなると思うと、マシューは寂しくて仕方なかった。


 ニースとマシューは、互いに複雑な気持ちを抱えたまま、夕食を食べ進める。マーサが作ってくれたスープが、やけに塩っぱく感じられる二人だった。

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