20:一座の誘い2
前回のざっくりあらすじ:ニースを旅に誘うことを、ラチェットが一座に提案した。
日は山に沈み、すっかり暗くなった空に二つの月が登る。広場での公演を終えたニースは、マシュー、マーサと三人で家へと帰ってきた。家では、ウスコが留守を預かっており、マシューたちの帰りを待っていた。
「おう、おかえり。どうだった、初めての舞台は?」
ウスコが、笑顔でニースたちを迎え入れると、四人はテーブルを囲み、茶を飲んだ。ニースは興奮覚めやらぬままに、どれほど素晴らしかったかを話した。
「すごく楽しかったです! 手品もオルガンも凄かったし、ぼくの歌でメグが踊ってくれて。最後には色んな楽器と一緒に歌ったんです!」
「へえ。そいつはすごいな」
ニースよりもさらに興奮したマーサが、横から声を挟んだ。
「アンコールが止まなかったのよ! ああなるって、私は最初から分かってたけど、やっぱりそうでね。あの踊り子の女の子なんて……」
マーサの話は、終わりが見えなかった。ウスコは早く帰りたそうにしていたが、席を立つタイミングを失い、そのままマーサの話を聞かされた。
「本当に素晴らしかったわ。ニースのあの歌! あんなに小さかったニースが、こんなに立派になって……」
ひとしきり語り終え、感極まってメソメソと泣き出したマーサに、マシューが手布をそっと差し出した。
「ほらほら、マーサ。涙を拭いて」
「ありがとう。……本当に素晴らしかったのよ。私、感動しちゃったわ」
マシューから手布を受け取ると、マーサは涙を拭って鼻をかんだ。手布を返そうとするマーサに、マシューは微笑んで手布を譲ると伝えた。
ウスコは呆れた様子でマーサを見ながら、この機を逃さぬようにと、椅子から立ち上がった。
「マシュー。羊はみんな羊舎に入れといた。羊もシェリーも代わりなかったよ。じゃあ、あとは俺は帰るぜ」
ウスコはニースをちらりと見ると、ふっと笑みを浮かべた。
「ニース、今日はお疲れ様。またな」
「ウスコさん、ありがとうございました!」
ニースが挨拶をすると、マシューがウスコを玄関まで見送った。ウスコは扉を開けようとして、ふと思い出したように振り返った。
「あ、そうだ。マシュー、お前に手紙が届いてたんだった。確かに渡したからな」
ウスコはマシューに手紙を渡し、今度こそ帰っていった。
「誰からだ……?」
マシューが手紙の差出人を見ると、伯爵領にいるリンドの名が書かれていた。マシューは椅子に座り、封を開けた。
「ほぅ……」
「おじいちゃん、誰から?」
「お前の母さん。リンドからだ。仕事を辞めて、こっちへ家族で来ると書いてある」
「え⁉︎ リンド……お母さんが?」
照れくさそうに、はにかみながら「お母さん」と口にしたニースを見て、マシューは口元を緩めた。
「ああ、そうだ。手紙が出されたのは二ヶ月前だな。……おそらく、来週には帰って来るだろう」
マシューは、手紙に書かれた日付と文面から、大体の目安を検討付け、ニースに告げた。
アマービレ王国の主な通信手段は手紙だ。急ぎの際は使者を馬で走らせ、口伝で連絡を伝えるが、それは戦時などの緊急時のみだ。伝書鳩も使われることがあるが、これは城や砦の間での通信、または旅先からの連絡手段として使われていた。
大きな町と町の間では駅馬車を使って手紙が運ばれ、小さな町や村へは、伝令を生業とする者や依頼を受けた旅人、商人たちが運ぶ。運ばれた手紙は宿にまとめて届けられ、町の住民が直接受け取りにきたり、孤児や貧しい人々が生活費を稼ぐために各家に配達する。
手紙には、布で作られたリボンのような切手がつけられており、その切手は販売と換金を王国が一括して行なっている。そのため、他国へ手紙を送る事は出来ない。
リンドの手紙も、多くの町や人の手を経由して届けられていた。届かない手紙があることも珍しくないため、無事に届いたことは幸いだった。
リンドが帰ってくると聞いて、マーサは笑みを浮かべた。
「まあまあ! 二人とも良かったわね! 家族みんなで住めるじゃないの! こうしちゃいられないわ。早速リンドたちの部屋を準備しておかなくちゃね」
張り切るマーサとは対照的に、ニースは顔を曇らせた。
――みんなが帰ってくる? そうなったら、ぼくは……。
マシューがそれに気づき、心配そうに声をかけた。
「ニース、どうした?」
「……あ、ううん。なんでもない」
ニースは、はっとして、笑顔を作って誤魔化した。
「ぼく、お腹空いちゃった。スープ残ってるかな?」
「あらあら、そうね。先にご飯だわね。今作るからちょっと待ってね」
立ち上がったマーサに、マシューは慌てて声をかけた。
「おい、マーサ。お前さんは自分の家のことがあるだろう。夕飯はわしが作るから……」
「大丈夫よ。先に下ごしらえはしてきたし、息子も嫁も自分たちでやれるんだから。あなたたちの方が私は心配だわ」
マーサは笑いながら台所へ向かい、ニースも手伝おうとマーサについて行った。ニースに誤魔化され、マシューは心配に思いながらも、詳しく聞く事が出来なかった。
その晩は、マーサの特製ミートパイが食卓に並んだが、ニースはいつもより食べられなかった。
朝露が煌めく中、まだ冷たさの残る春風が、開け放たれた窓から入り込む。リンドが帰ってくると聞いて、マーサは泊まり込んで掃除をしており、早朝から忙しく動いていた。
ニースは胸のモヤモヤを感じながらも、マシューに心配をかけないよう、元気に動いた。朝の仕事を終えて戻ってきたニースに、弁当を作っていたマシューは声をかけた。
「ニース。今日の弁当は、いつもと同じで大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ。どうして?」
「昨日はあまり食べてなかったからな。腹が痛いとかはないか?」
心配そうなマシューに、ニースは精一杯、笑顔を作った。
「昨日は疲れてただけだよ。心配かけてごめんなさい」
「そうか。それならいいが」
ニースは手を洗うと、マシューと共に台所に立った。
「ぼくも一緒に作るよ」
「そうか?」
「うん」
いつもと変わらぬように見えるニースの姿に、マシューは安堵して、笑みを浮かべた。
ニースが弁当を作り終える頃、窓の近くを掃除していたマーサが声を上げた。
「あら、お客さんだわ。……ニース!」
ニースが窓の外へ目を向けると、朝日に照らされる牧場を、グスタフ、ラチェット、メグの三人が歩いてきていた。ニースは弁当を急いで包むと、マシューと共に三人を出迎えた。
「おはようございます。昨日はありがとうございました」
ニースが挨拶をすると、グスタフが微笑んだ。
「こちらこそ、昨日はありがとう。忙しいだろうに、急に邪魔してすまないね」
「みなさんなら、いつでも大歓迎ですよ」
「はは。それは有難いな」
二人はグスタフたちを、にこやかに家へ招き入れた。マーサが茶を出すと、グスタフが香りを嗅いで微笑んだ。
「ほぅ。これはまた、立派なお茶ですね」
「いやだわ、そんな褒めないでくださいな。この辺りで取れるハーブを使った自家製のハーブティですよ」
マーサが照れたように頬を赤らめたので、ニースは驚いた。その隣で、挨拶もそこそこに、マシューが口を開いた。
「それで今日はまた、何かお話をということでしたが」
「ええ、マシュー殿。うちのラチェットから、ちょっとした提案がありましてね。お聞きいただければと」
グスタフに話を振られたラチェットは、茶を一口飲み、問いかけた。
「ニースくんは“調子外れ”だということでしたが……。歌の力を取り戻す気はありませんか?」
「力を取り戻す?」
「はい。“調子外れ”は治せるんです」
「え⁉︎」
思いがけない話に、ニースとマシュー、マーサまでも目を見開いた。ラチェットは、分かりやすく丁寧に説明した。詳しい話を聞いて、マシューは息を呑んだ。
「まさか、そんなことが……」
「ええ、ただ、それが出来る先生がいる学校は、なにぶん遠いので……」
グスタフが、ラチェットの話を継いだ。
「もし、マシュー殿さえよければ、ニースくんを私たち一座に預けて頂けないかと思いましてね。少し遠回りになりますが、責任を持って学校の入学まで付き添いますので」
グスタフの申し出に、マシューはニースの顔をちらりと見て、困ったように髭を撫で、目を伏せた。その様子にメグが優しく語りかけた。
「もちろん、無理にとは言わないわ。ニースが治したくなければ、断ってもらって構わないし。私たちとの旅以外で学校に行くっていうなら、それはそれで構わないの」
メグは、少し寂しそうな顔をしながらも、ニースの気持ちが一番だと話した。ニースは、メグたちが自分のことを大事に考えてくれていると感じた。
目を伏せて、じっと話を聞いていたマーサが顔を上げ、窺うようにそっと声を出した。
「もし、もしもよ。もしもだけど。ニースがあなた方と旅に出たら、どのぐらいかかって学校へ着くのかしら?」
マーサの問いに、ラチェットが穏やかに答えた。
「そうですね……。途中で公演をしながらの旅になるので、恐らく二年。どんなに短くても一年半はかかるかと思います」
「そんなにかかるのね」
マーサは、寂しそうに俯いた。グスタフが気遣うように、落ち着いた声音で話した。
「私たちがこの町を出発するのは、二週間後になります。ですので、それまでゆっくり考えてみていただけませんか」
マシューは伏せていた目を開けて、ゆっくりと頷いた。
「……少し考えさせてください。どんな結論になるかはわかりませんが、そのような学校があると知れたのは大変助かりました。ニースのことを考えて頂いて、こんなにありがたい事はありません」
マシューが立ち上がり頭を下げたので、グスタフたちも慌てて立ち上がった。
「いやいや、頭をあげてください。マシュー殿」
「僕たちは旅をしてますから、たまたま知っただけですから」
「そうよ。ニースのおじいさま、父さんなんかに頭を下げる必要なんてありません」
「……メグ。それはあんまりな言い方じゃないか?」
グスタフが、しゅんと肩を落としたので、マーサが、ふふふと小さく笑った。切ない空気で満たされていた部屋に、窓からふわりと春風が吹き込んだ。
優しい風を感じて、マシューの表情が緩んだ。
「みなさんにそう言っていただけるとありがたい。しっかり考えさせてもらいます」
顔を上げたマシューに、グフタフたちは微笑みを浮かべた。
「ええ、ぜひそうなさってください。ニースくん、君もよく考えてみてくれ。無理はしなくていいから」
「そうよ。私たちは、あなたの気持ちが一番だもの。よく考えてみてね」
「そう、メグの言う通り。ニースがどうしたいかを、一番にね」
グスタフたちは、ハーブティを飲み干すと帰って行った。ニースはどうするかを考えるよりも、出会ったばかりの自分に親身になってくれた事を嬉しく感じ、三人の後ろ姿が見えなくなるまで、手を振って見送った。




