15:一座との出会い2
前回のざっくりあらすじ:ニースはメグと知り合った。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
青空を白い雲が流れ、若草がそよ風に揺れる。パチパチと暖炉の炎が爆ぜる暖かな家の中で、ニースは深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。噴き出しちゃって……」
ニースとマシューが慌てて拭いたテーブルは、心なしか艶が増したようだった。しゅんと肩を落としたニースに、メグは手を組み、にっこり微笑んだ。
「いいのよ、気にしないで。突然だったもの。ニースが驚くのも無理ないわ」
メグの言葉にグスタフが頷き、謝った。
「ああ、そうだな。いきなり言った私も悪かった。すまない、ニースくん」
「いえ。本当にすみませんでした」
話の流れを元に戻そうと、マルコムが口を開いた。
「それで、さっきの話ですが……」
「ニースを公演に、ということでしたな」
マシューが落ち着いた声で答えると、グスタフが真剣な眼差しで話を継いだ。
「ええ、そうです。メグから、ニースくんの歌に合わせて踊ったという話を聞きましてね。まさか歌と踊りが合わせられるとは思わなかったので、驚いたんですよ。こちらでは、歌というのは音楽のような扱いをされているんですか?」
「いや、そんなことはありません。すでにご存知かと思いますが、ニースの歌には歌い手様のような力はないんです。羊たちが機嫌を良くするから、音楽と同じように聞かせたりはしますがね」
「ほう。羊に音楽を」
マシューはメグたちに、羊毛の品質向上のために、クフロトラブラの町では羊に音楽を聞かせていることを語った。そのきっかけとなったニースの歌のことも、合わせてマシューは話をした。
「それは実に興味深い。我々は世界中を旅して回っていますが、そんな話は初めて聞きました」
グスタフはマシューの話に目を丸くしたが、メグは笑みを浮かべた。
「ニースの歌って、本当に音楽みたいなのよ。あれだけ綺麗な音色なんだから、羊が気にいるのも私はよくわかるわ」
マルコムが、マシューに笑いかけた。
「まあそれで、もしよろしければ公演でひとつ歌っていただけないかと思いましてね。見てみたいんですよ。歌に合わせて踊るというのを」
「ふむ。なるほど……」
マシューは、ニースの歌が好きだ。そして旅の一座の踊りは昔見た事もある。歌と踊りが合わさるとどうなるのか、マシューも興味を持った。
――こんな機会は滅多にない。一緒に舞台に立てるなら、ニースの良い想い出になるだろう。ニースが嫌がらなければだが……。
髭を撫でて考え込むマシューの姿に、ニースは自分がどうなってしまうのかと、ハラハラしながら聞いていた。マシューは、ニースの緊張を解すように、優しい声で語りかけた。
「ニース。今ここで、試しに一度歌を聴いてもらってはどうだ。実際聞いてみないことには、皆さんもどんな感じか分かり難いだろう」
マシューの提案に、メグは喜び立ち上がった。
「それはいいわ! ねえ、ニース。昨日みたいに歌ってくれないかしら。そうしたら私も踊るから、お父さんたちに歌と踊りを合わせる素晴らしさを知ってもらえると思うの」
メグはニースの両手を掴み、頼み込んだ。ニースはたじろいだが、メグたちの期待のこもった眼差しを一身に浴び、意を決して頷きを返した。
「分かったよ。ぼく、試しに歌ってみる。グスタフさんたちが納得できるものなのか、分からないけど……」
「ありがとう、ニース!」
メグは大喜びで、握っていたニースの手を上下に大きく振った。メグに揺すられて、ニースの頭がガクガクと揺れる。はしゃぐメグを、マシューたちが微笑んで見つめていた。
全員揃って庭へ出ると、シェリーが尻尾を振って寄って来た。ニースがシェリーの頭を撫でる横で、メグは軽く身体を解した。
「ニース、いつでもいいわ。歌って」
「分かった」
微笑んだメグの言葉に、ニースは立ち上がる。グスタフとマルコムが緊張した眼差しで二人を見つめ、マシューはシェリーを呼んだ。
シェリーがマシューの隣に座るのを合図に、ニースは歌い出した。
ニースの歌に合わせてメグが踊る。メグはあえて、いつもの踊りに近い形でステップを踏んでいた。しかしその姿に、グスタフとマルコムは感嘆の声を漏らした。
「これが歌か。こいつはすごいな」
「ああ。お嬢のダンスが、まるで別物だ。これはジーナも驚くぞ」
「ラチェットも喜びそうだな」
「はは。そうだな。こんな音、聞いたことない」
春風に乗るメグの踊りにマシューは見惚れ、グスタフとマルコムは歌声の美しさに驚き、聞き惚れた。
歌と踊りが終わると、ニースとメグは顔を見合わせ、満足気な笑みを浮かべた。シェリーが良かったと言うように、わんと吠え、マシューたちが大きな拍手を送った。
「いやあ、これほどまでとは。思っていた以上に素晴らしかった」
「まさか歌がこんなにも心を弾ませるとは知りませんでした。これで歌の力がないなんて、信じられないぐらいですよ」
「わしも何度か旅芸人の踊りは見てきたが、ここまで美しい踊りは初めて見たよ」
マシューたちは口々に、ニースの歌とメグの踊りを褒め称えた。ニースは照れくささを感じ、はにかむ。メグが自信たっぷりに、胸を張った。
「ね、私が言ったとおりでしょ? ニースの歌は、お父さんやラチェットの演奏に引けを取らない素晴らしさだって。ニースの歌に合わせて踊れば、町の人たちにもっと楽しんでもらえると思うわ」
グスタフとマルコムは、メグの言葉に心から同意した。
「ああ、メグの言う通りだ。ニースくん。ぜひ来週、広場での公演で歌ってもらえないだろうか?」
「マシュー殿も、お許しいただけないでしょうか。もちろん、出演料もお支払い致しますので……」
改めて出演を依頼するグスタフたちの目は、真剣そのものだった。人々を魅了する旅芸人の熱意をひしひしと感じ、マシューは微笑んだ。
「わしは、金は気にしません。ニースがやりたければそれで構いませんよ」
マシューは優しい目をニースに向けた。
「ニース。みなさんはこう言ってくれてるが、わしも同じ気持ちだよ。お前さんの歌とメグさんの踊りは、町のみんなもきっと気にいるだろう。無理にとは言わんが、やってみたらどうだ」
メグたちだけでなく、マシューにも出演を勧められ、ニースは迷った。
――町のみんなの前で歌うのは楽しいし、メグが踊ってくれるのも嬉しい。でも……。
悩むニースの姿に、グスタフたちは顔を見合わせ頷くと、微笑みを浮かべて語りかけた。
「まあ、すぐに答えを出してくれとは言わないさ。少し考えてみてくれないか。もし歌ってくれるなら、当日の朝に広場に来てもらえればそれでいい」
マルコムの話に、グスタフが付け足した。
「急に私たちがやってきたんだ。ゆっくり考えてくれ。もちろん引き受けてくれたら嬉しいが、無理強いする気はないんだ」
メグもニースに、優しく笑いかけた。
「そうよ。無理なんてしなくていいわ。でも来てくれたら、私はとっても嬉しいけどね。ゆっくり考えてみて」
「うん」
ニースが苦笑いを浮かべながらも頷くと、メグたちは颯爽と町へ帰って行った。ニースは三人の背を見送りながらも、考え続けた。
――ぼくが広場で、メグたちと一緒に歌ったら……。マルコたちは、ぼくをもっと嫌いになるのかな。
ニースの心に刺さっている棘が、ちくりと痛んだ。悩むニースを、マシューは微笑みを浮かべて見つめていた。
春風が、牧場の草花を揺らす。メグたちに出演を打診されてから数日経ったが、ニースは答えを出せず、浮かない顔をしていた。
――もうすぐ、公演の日だけど……。
ニースは羊の番をする間も悩み、頭を抱えた。杖を支えにうな垂れるニースに、元気を出せと言うように、シェリーが鼻を擦り付けた。
「シェリー。ぼく、どうしたらいいのかな」
ニースが問いかけると、シェリーは答える代わりに、ニースの頬をぺろりと舐めた。ニースが、ぼんやりしたまま、シェリーの頭を撫でていると、いつものように家の監督に訪れたマーサがやってきた。
「ニース。お昼の時間よ」
「マーサおばさん……」
マーサはマシューから、ニースが出演依頼を受けるか悩んでいると聞いていた。ニースが元気になるようにと、マーサは腕によりをかけて弁当を作り、自ら届けに来ていた。
ニースはマーサの顔を見て、寂しげな笑みを浮かべると、木陰に腰を下ろした。マーサはニースの隣へ座り、語りかけた。
「ずいぶん悩んでるみたいだけど、何がそんなに不安なんだい?」
マーサの優しい声音に、ニースの心に刺さった棘が、ぷるりと震えた。マシューに言えなかった辛い出来事を、マーサになら話してもいいと、ニースは感じた。
「あのね、ぼく……ちょっと怖くてね」
「そう。何か怖いことがあるんだね」
マーサは穏やかに、ニースの言葉を待った。春の暖かな陽射しが、草を食む羊たちを照らしていた。
「えっと。みんなのこと、怒ったりしないでほしいんだけど……」
「怒らないから、話してごらん」
柔らかなマーサの声に、ニースは、こくりと頷き、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……実はぼく、マルコたちに嫌われてるみたいなんだ。どうしてそうなったのか分からないし、どうしたら仲直り出来るのかも分からなくて」
マーサは、ニースの話を遮ることなく、静かに話を聞いた。優しい目で見つめるマーサに、ニースは安心して、これまでマルコ達から受けてきた事を全て話した。
「マルコたちは、ぼくが一座の公演を見るのを嫌がってて……この前も本当は、見れなかったんだ。でも、おじいちゃんには言えなくて」
「そうかい」
「おじいちゃんは何も知らないから、歌ってみたらって言ってたけど。ぼくが舞台に出たりしたら、もっと嫌われちゃうんじゃないかなって、ぼくは怖くて……」
ニースの話を最後までしっかり聞くと、マーサは、ふっと笑みをこぼした。
「なるほどねぇ。マルコたちは、やきもちを妬いたんだね」
「やきもち?」
「そう、やきもち。ニースはとっても可愛くて、優しい男の子だから、町の女の子たちに人気なんだよ。ニースは知らないだろうけどね」
マーサは、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。ニースは思ってもみなかった話に驚きつつも、町の少女達がいつも優しい事を思い出した。
「……そっか。それでマルコたち、女の子がどうとか言ってたんだ」
「そうよ。だから、やきもちなの。こればかりは、人気者は仕方ないわね」
マーサは笑って肩をすくめた。ニースは苦笑いを浮かべ、そよそよと風に揺れる草を見つめた。
「でも、そうしたらぼくは、舞台で歌うなんてやっぱり出来ないよ。ぼくの歌に合わせてメグが踊ったら、もっとやきもちを妬かれそうだもの」
「そうかい。それなら、やめたらいいわ」
「でも……」
顔を曇らせたニースに、マーサは穏やかに言葉を継いだ。
「ニースは、マシューが勧めるから悩んでるのかい?」
「ぼくは……」
マーサの問いかけに、ニースは気持ちを確かめようと、空を仰いだ。青い空を鳥が悠々と舞う姿に、ニースは目を細めた。
「ううん。ぼくは、おじいちゃんが勧めるから、悩んでるんじゃないよ」
柔らかな風が木の枝を揺らし、キラキラと木漏れ日を零す。ニースはマーサの顔を見て、はっきりと話した。
「ぼくは、歌うのが大好きなんだ。ぼくの歌を聴いて、笑ってくれるみんなの顔も好きなんだ。メグがぼくの歌に合わせて踊ってくれたのも、とっても嬉しかった。だから、メグたちが歌ってくれっていうなら、ぼくは歌いたいって思う」
照れたように笑みを浮かべて話すニースの言葉に、マーサは顔をほころばせた。
「ニースは自分が歌いたいから、迷ってたんだね」
「うん」
マーサは嬉しげに、ニースの頭をわしゃわしゃと撫でた。ニースは急にマーサに撫でられて驚きながらも、目を細めた。
「そういうことなら、自信を持って歌えばいいわ。マルコたちだって、公演で歌っても妬いたりはしないはずよ」
「……どうして?」
首を傾げたニースのお腹が、安心したのか、ぐぅと音を鳴らした。恥ずかしそうに俯くニースに、マーサはにっこり笑った。
「お喋りが長くなっちゃったわね。食べながら教えてあげるわ。今日のは、元気の出るお弁当スペシャルなのよ」
「スペシャル?」
「特別って意味」
マーサは、パチリと片目を瞑ると、膝の上に抱えていた籠を下ろし、包みを取り出した。
「さっきの話だけどね。ニースをいくら羨ましいと思ったって、マルコたちは歌えないでしょう?」
「うん。マルコたちは歌い手じゃないから。……ぼくも歌の力はないけど」
歌は、歌い手だけが歌えるものだと考えられている。しゅんと肩を落としたニースに、マーサは布の包みを渡し、開けるよう促した。
「だからね、マルコたちはニースが歌うのを見ても、妬かないはずなの。自分の手が届かない遠いものには、羨ましいとは思わないものだから」
「そうなの?」
「そうよ」
ニースは話を聞きながら、包みを開けた。中には、美味しそうなキッシュが入っていた。
ニースは目を輝かせて、いたたぎますと呟くと、さっそくかぶりついた。とろりとしたチーズに、ベーコンと卵、たっぷりの野菜がパイ生地にからんで、ニースの口の中は幸せでいっぱいになった。
夢中で食べ始めたニースに、マーサは微笑み、籠から小瓶を取り出した。
「だから、ニースは気にせず歌えばいいの。それにね、ニースが一座の公演に出たら、マルコたちはむしろ、今までの態度を改めると思うわよ」
小瓶には、蜂蜜が入っていた。マーサは木の小皿の上に白カビのチーズを一口大に切って乗せると、その上から蜂蜜をとろりと垂らした。
ニースは、キッシュを頬張りながらも、滅多に食べれない蜂蜜を見て、口からよだれがにじみ出てくるのを感じた。
「ぼくが公演で歌うと、どうしてマルコたちの態度が変わるの?」
ニースは唾ごと、ごくりとキッシュを飲み込むと、マーサからチーズを受け取った。とろりと流れる蜂蜜をこぼさないように、ニースは、さっと口に含んだ。
ニースの頬が幸せそうに、ゆるゆると緩む。マーサは、ふふふと笑った。
「それはもちろん、メグさんとお知り合いになるためよ。ニースと仲良くなれば、それだけメグさんと仲良くなれるかもしれないんだから」
マーサは茶目っ気たっぷりに片目を瞑り、籠から水筒を取り出した。ニースが水筒に口を付けると、中には少し温かさの残るハーブティが入っていた。
さわやかな香りが広がり、口にほんのり残る蜂蜜の風味が、じんわりとニースの身体に染み渡った。
ニースは、ほっと息を吐いた。
「そう……なのかな。それなら、公演で歌えば、マルコたちと仲良くなれる?」
「ええ、きっと」
マーサはにっこりと微笑むと、木苺を入れて焼いたチーズケーキの包みを籠から取り出した。ニースがケーキを一口、口に入れると、甘酸っぱい木苺の香りと共にほのかに甘くまろやかな風味が口の中に広がった。ニースは目を細めて、舌の上で解けるふわふわの幸せを堪能した。
ニースは、マーサ特製の弁当を満喫し、ごちそうさまと感謝の言葉を伝えた。そして、ふぅと大きく息を吐くと、にっこり笑って空を見上げた。
「ぼく、公演で歌ってみるよ」
マーサは、ニースの笑顔を見て微笑んだ。『マーサ特製元気の出るお弁当スペシャル』は、しっかりと効果を発揮して、籠の中身とニースの心を軽くした。
マーサは、来週の公演はマシューを引っ張って見に行こうと思った。春の優しい風が、ニースの頬を撫でていった。




