13:旅芸人がやってきた2
前回のざっくりあらすじ:ニース七歳の春、旅の一座がやってきた。
*物語の進行上、一部にセンシティブ、及び、過激な表現が含まれます。ご注意下さい*
春の陽気は翌日も続いた。白一色の冬景色から、華やかに変わった牧場の片隅で、ニースとマシューは羊の乳を搾った。
出産を終えた母羊は、生まれたばかりの仔羊を育てるため栄養満点の乳を出す。町の名物はヤギ乳のチーズだが、人々は仔羊のごちそうを一部拝借し、羊乳チーズも作っていた。
羊乳チーズの濃厚な味わいは癖になる美味しさだが、羊の乳量は多くない。生産量が少なく希少な羊乳チーズは、王都の高位貴族に人気だった。
二人は絞りたての羊乳をザルで濾し、ミルク缶へと注ぐ。町中の羊乳が町のチーズ工房に集められ、まとめて加工されるのだ。マシューは缶にしっかり蓋をし、手押し車に乗せてニースへ渡した。
「ニース、気をつけてな」
「うん。行ってきます」
ニースはマシューと牧羊犬シェリーに見送られ、牧場を出た。鼻歌を口ずさみながら、ニースは町へと歩く。春の風は柔らかく、日差しは暖かい。芽吹いたばかりの草の緑と色とりどりの花に囲まれ、ニースは軽やかに歩いて行った。
チーズ工房の前では、町の羊飼いたちがニースと同じように羊乳の入ったミルク缶を運び込んでいた。
「やあ、ニース。今日もえらいな」
羊飼いの大先輩であるウスコに、ニースは笑みを向けた。
「ウスコさん、おはようございます。今日も良い天気ですね」
ウスコは、ニースがミルク缶を持ち上げるのを手伝いながら語りかけた。
「そういや、ニースは旅の一座を見たことあるか?」
「旅の一座ですか? 音楽会は聴いたことありますけど、旅の一座っていうのは、見たことありません。……あ、おはようございます」
ニースはチーズ工房の徒弟に挨拶をして、納品台帳に記入すると、空のミルク缶を受け取った。そこへ、店の奥からスラリとした工房の若女将が、頭に布を巻きながら顔を出した。
「あらあら、それなら見に行かなくちゃ。昨日、一座が町に着いたのよ」
「お、若女将も知ってたか。あのイケメンの兄ちゃんに、昔は熱をあげてたもんなぁ」
「よしてよウスコ。私はもう人妻よ。それにウスコだって、綺麗な踊り子の女の子を見て、年甲斐もなく鼻の下を伸ばしてたじゃない。これだからエロじじいは嫌よね」
「美しい花があったら誰でも見惚れるもんなんだよ。年は関係ねぇだろ」
ウスコと若女将の言い合いに、ニースは微笑んだ。
――喧嘩するほど仲が良いんだよね。
ニースは最初こそウスコの口喧嘩に驚いていたものの、今ではすっかり慣れていた。ウスコはいつも、誰かと言い合いをしているのだ。不思議に思うニースに、マシューやマーサが様々な知恵を授けていた。
ウスコは話を誤魔化すように、若女将に問いかけた。
「今回はどのぐらい町にいるか、聞いたか?」
「私が聞いた話だと、ひと月ぐらいいるみたいよ。山を越えて国境を越えるつもりらしいわ。雪解けまで、町で色々と準備をするんですって」
クフロトラブラは、アマービレ王国北東端の町だ。町の背後にそびえ立つラース山脈は、王国を包むように尾根筋の根元を二つに分けている。
南へ伸びる尾根筋の東側は、大穴で、西へ伸びる尾根筋の北側は、北の大陸との間を切り離す大海峡だ。
大海峡から大穴に向けて、海水が大地の裂け目を通り、なだれ込む。ラース山脈の幹は、その大地の裂け目をまたぐように、隣国スピリトーゾ皇国と繋がっていた。
山脈を通って皇国へ向かうと聞いて、ウスコは驚いた。
「へぇ、あのラース山脈を越えるのか。度胸あるなぁ」
山脈の稜線を走る道は、王国のあるアートル大陸と、皇国のあるルテノー大陸を繋ぐ唯一の陸路だが、その険しさのために、大きな隊商が通ることはない。崖のように切り立った場所が多くある上、馬車でも一ヶ月半はかかるほど、危険な道が長く続くのだ。
大半の人々は危険な陸路ではなく、大金を支払い、海路を使って二つの大陸を行き来する。ラース山脈は、旅慣れた商人や旅人などが、経費節約のために命がけで年に数回通るだけの道だ。しっかり準備しなければ、山脈を越える事など出来なかった。
「ひと月もいるんなら、ニースも何度か一座の舞台を観れるかもな。芸人たちは酒場でも公演するが、町の広場なんかを借りて演奏したりもするんだぜ」
「今来ている一座は、音楽に合わせて踊ったり、手品をしたりするのよ。ニースも楽しめると思うわ」
ウスコと若女将の話に、ニースは瞳を輝かせた。
「楽しそうですね。観てみたいなぁ」
ニースは手品を見た事がない。ニースの暮らした伯爵領には、度々手品師や劇団が公演に訪れていたが、まだニースは幼かったため街へ観に出かけることは許されなかった。
手品や演劇は、街の劇場で夜に催されることが多い。兄アンヘルたちが出かけて行くのを見送っては、ニースは羨ましい気持ちを抱えつつ、ベッドに入る日々を送っていたのだ。
期待に胸を膨らませるニースに、ウスコが笑いかけた。
「広場で演奏する日がわかったら、教えてやるよ」
「わぁ! ありがとうございます!」
ウスコの申し出に、ニースは満面の笑みを浮かべ、町を後にした。ニースの足取りは帰り道も軽く、鼻歌を歌いながら家路を急いだ。
数日後、ウスコは家を訪れた。ニースとの約束通り、一座の公演日を教えにきたのだった。
「明日の昼過ぎに、中央広場でやるそうだ」
「明日ですか……」
知らせを聞いてニースの胸は躍ったが、仕事があるのを思い出し、しゅんと肩を落とした。刈り取った羊毛を、洗う日だったのだ。話を聞いたマシューは、声を挟んだ。
「ニース、仕事なら気にするな。行っておいで」
「いいの?」
不安げなニースに、マシューは、はははと笑った。
「もちろんだ。元々、わし一人でやってたことばかりなんだ。羽を伸ばしておいで」
「おじいちゃん……ありがとう!」
マシューに抱きつくニースを見て、ウスコが優しい笑みを浮かべた。
「マシュー。ニースに小遣いを渡しておけよ。広場の公演はタダでも観れるが、投げ銭の数が少ないと、町に来なくなっちまう」
「そうだな」
マシューはニースの頭をくしゃりと撫で、銅貨を数枚渡した。
「ニース。これは小遣いじゃない。お前さんの稼ぎだ」
「稼ぎ?」
「働いた分の金だ。投げ銭に使ってもいいし、町で好きなものを買って食べてもいい。何に使うかよく考えて、好きに使いなさい」
「ありがとう! ぼく、大事に使うね!」
ニースはその夜、もらった銅貨を握りしめてベッドへ潜り込んだ。
――手品って、何をするんだろう? 芸人さんの踊りって、ダンスパーティーとは違うのかな。どんな音楽に合わせて踊るんだろう。
ニースは、ワクワクを抑えきれず、なかなか寝付けなかった。
翌日。ニースは昼食を終えると、一人で町へ向かった。最短距離で広場へ向かおうと、ニースは銅貨を握りしめ、鼻歌を歌いながら裏路地を駆ける。ニースの瞳は、いつもより何倍もキラキラと輝いていた。
角を曲がれば広場という時。少年たちがニースの行く手を塞いだ。
「おい、ニース。どこ行くんだよ」
立ち塞がった少年たちの中から、マルコが一歩前へ出た。マルコの腰には、いつもと同じ木剣がぶら下がっていた。
マルコは腕を組み、ニースを睨みつけた。
「まさか旅の一座を観に行くんじゃないだろうな」
「そうだよ。ぼく、これから観に行くんだ。マルコは?」
マルコは、ふんと鼻を鳴らした。
「俺たちも観に行くつもりだったけどな。予定が変わった。お前なんかと一緒に観たくない」
「そうだ、そうだ!」
マルコの言葉に、取り巻きの少年たちが同調するように声を上げた。その中の一人、細身の少年エリックが、マルコの隣に出てきた。
「マルコさんの言う通りだ。旅の一座には、可愛い女の子もいるんだぞ。なんでお前はまた、別の女にちょっかいかけに行くんだよ」
「エリック。ぼくはそんなつもりで観に行くわけじゃないよ」
「なら、さっさと帰れよ!」
エリックの声に合わせて、少年たちが帰れ帰れと囃し立てた。ニースは銅貨を握る手に、ぎゅっと力を入れた。
「お願いだよ。ぼく、せめて手品だけでも観てみたいんだ」
引き下がらないニースに、マルコは木剣の柄に手をかけ、怒気を上げた。
「お前と一緒になんか、俺たちは観たくないんだよ。早く帰らないと、ぶん殴るぞ」
「マルコ……」
ニースは怯みながらも、動かなかった。エリックがマルコに、媚びるように話しかけた。
「マルコさん、言っても無駄ですって。やっちまいましょうよ!」
「……っ!」
エリックの言葉に、少年たちがニヤニヤと笑みを浮かべる。ニースは悔しくて仕方なかったが、じりじりと後ろへ下がり、踵を返して走り出した。
走るニースに向けて少年たちからヤジが飛び、数人の少年がなおも追いかけてくる。ニースは口を結び、必死に走った。ニースの瞳には、涙がうっすらと滲んでいた。
ニースは路地裏を駆け抜け、川を渡り、町を抜ける。遠回りしながら、牧場の片隅へたどり着くと、ニースは息を切らして膝をついた。力の抜けたニースの手から、銅貨が溢れ落ちた。
「あっ……!」
ニースは慌てて拾い上げ、後ろを振り向いた。ニースを追いかけていた少年たちの姿は見えなかった。
――諦めてもらえたんだ……。
ニースは膝を抱えて座り込み、ぎゅっと唇を噛んだ。
――せっかく休みをもらったのに。おじいちゃんに、何て言えばいいんだろう……。
ニースは涙を堪えて、膝に顔を埋めた。強く握りしめた拳に、土で汚れた銅貨が刺さる。痛みを感じるニースの傍らで、水色の小さな花が、風に揺られていた。
山に日が落ちる頃。ニースは、とぼとぼとした足取りで家へと歩き出した。ニースは玄関の前まで来ると、大きく深呼吸して、頬をぱんと軽く叩いた。笑顔を形作ると、ニースは扉を開けた。マシューが笑顔で、ニースを出迎えた。
「おかえり、ニース。楽しかったかい?」
「うん。とっても面白かったよ。おじいちゃん、仕事代わってくれてありがとう」
ニースは結局、マシューに本当のことは言えなかった。心配をかけたくなかったのだ。ニースの嘘に、マシューは気付かなかった。
「そうか。それなら良かった。また来週も広場で公演があるらしいから、その時も観に行ったらいい」
マシューの意外な提案に、ニースは目を見開いた。
「……いいの?」
ニースの遠慮した声に、マシューは笑いながら答えた。
「ああ。滅多に来ないんだから、町に一座がいる間ぐらい観に行ったらいい。店での公演に連れて行ってやれたらいいが、酒場にお前さんを連れて行くわけにはいかんからな」
山あいの小さな町に、娯楽は少ない。普段から手伝いを頑張るニースに、マシューは少しでも楽しみを与えてやりたいと考えていた。
ニースは、次こそは手品や踊りが観れるかもしれないと喜んだ。
「ありがとう、おじいちゃん!」
「金は、また来週やるからな」
「ううん。それはいいよ。ぼく、まだ残ってるんだ」
「そうか?」
「うん! なくなったら、頼んでいい?」
「ああ。いいぞ」
ニースは、鼻歌を歌いながら手を洗いに行った。事情を知らないマシューは、微笑みを浮かべた。
――よほど楽しかったんだなぁ。ニースが楽しめたようで良かった。
嬉しそうなニースの歌に耳を傾け、マシューはシェリーの背を撫でた。




