162: 男子寮1
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前回のざっくりあらすじ:ニースとセラは、入寮日を迎えた。
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夏の暑い日差しが降り注ぎ、石畳から熱気が上がる。入寮日を迎えたニースは額に汗を滲ませながら、大きな鞄を手に男子寮の前へとやってきた。
案内してきた事務室長のブライアンが、門兵に声をかけると、中から寮長の青年が出てきた。青年は音楽学科に所属する九年生の学生で、ニースより四つ上だった。
「初めまして、ニース。男子寮アナトレーへようこそ。ここからは私が案内するよ」
ニースはブライアンと分かれ、寮長の後をついて歩く。ニースの重い鞄を軽々と持って歩く寮長が、ニースの目には輝いて見えた。
寮長は、いくつかの説明をしながら、冷房の効いた寮内を案内した。
「ここには、君と同じ歌い手科の学生のほかに、私のような音楽学科、舞踏学科の学生と、数人の院生が暮らしてる。部屋は六人部屋だけど、満室になることは一度もなくてね。ニースが入る部屋も、君を含めて五人だよ」
男子寮には、五百名ほどの学生が暮らしていた。そのほとんどが歌い手科の学生だが、アルモニア以外の町から来た音楽学科や舞踏学科の学生たちも共に暮らしている。学年も学科も異なる学生たちが、各部屋に振り分けられ、卒業まで寝食を共にしていた。
「ここが食堂。授業のない日は、昼の弁当を作ってもらうことも出来る。夜食は無理だけど、お代わりは自由だよ。水やお茶は、サロンでも飲める。ただ、牛乳はここでしか飲めないから、風呂上がりに飲みたい時は食堂に来てね」
寮長の言葉に、ニースは目を輝かせた。
「お風呂があるんですか⁉︎」
「あるよ。ニースはお風呂を知ってるんだね」
寮長は愉快そうに笑いながら、話を続けた。
「数年前に入学してきた皇国出身の学生がいてね。その子の祖父が、自腹で風呂を作ってくれたんだよ。だからここにあるのは、皇国風の風呂だ」
寮には各階にシャワールームがあったが、皇国と同じような浴槽に湯を張る大浴場が、寮の裏手の別棟に作られていた。
「皇国のお風呂、大好きなんです!」
「へえ。君もなのか。実は私たちも好きでね。ただアナトレーには、五百人ぐらいの学生がいるから、さすがに毎日は入れないんだ。部屋ごとに使える曜日が決まってるから、詳しくは後でリーダーに聞いて」
「リーダーって何ですか?」
「各部屋の責任者のことだよ。部屋の最上級生がなるんだ。ニースの部屋のリーダーは、クロードっていうやつ。ちょっとクセが強いやつだけど、アランが間に入ってくれるはずだから」
まだ見ぬ同室の学生の名に、期待と不安を感じるニースを、寮長は階段へと連れて行った。階段の周囲は広い空間が開けており、椅子やテーブル、本棚などが置かれていた。
「こんな風に、各階の階段付近には休憩スペースがある。小サロンって、私たちは呼んでる。サロンが混んでる時は、ここでほかの部屋の子たちと話をしたり、遊んだり出来るよ。卓上ゲームなんかもあるからね」
サロンと呼ばれる交流広間が寮の一階にあり、ビリヤードやダーツなども楽しめる。サロンは主に上級生が利用しており、下級生は小サロンを使う事が多かった。
寮長は、四階にあるニースの部屋まで階段を上がった。
「各部屋の掃除は自分たちでやるけど、廊下やトイレなんかの共有スペースは、おばちゃんたちが掃除してくれるんだ。洗濯も頼めるから、汚れたらすぐに出して。染みが抜けなくなると、怒られるからね」
ニースは、ジーナのような女性がたくさんいる事を想像し、しっかりと頷きを返した。
寮長は、四階の中央付近にある部屋の前で足を止めた。
「ここが君の部屋。これが鍵だよ。鍵を持ってても、必ずノックはしてね」
小さな銀色の鍵を手渡されたニースは、大事にしようと、ぎゅっと握った。寮長が扉をノックすると、中から整った顔立ちの年上の少年が出てきた。寮長は、少年にニースを紹介した。
「やあ、アラン。例の新入りを連れてきたよ」
アランと呼ばれた少年は、金髪と白い肌、茶色の瞳をしており、どことなく雰囲気がマルコムに似ていると、ニースは感じた。
アランはニースを見ると、爽やかな笑みを浮かべ握手を求めた。
「よく来たね。僕はアラン。君と同じ歌い手科の七年生だよ。よろしくね」
大人の男の声で挨拶をしたアランに、ニースは緊張しながらも微笑んで握手を返した。
「五年に編入したニースです。よろしくお願いします」
アランはニースの鞄を寮長から引き取ると、中へ招き入れた。小さな窓から光が差す部屋の中には、カーテンのついた二段ベッドが三つと、ロッカーが六つ、小さなテーブルに椅子が二つ置かれていた。
ベッドには小さな少年が座り、窓際に筋肉質のすらりとした青年が寄りかかっていた。
アランはニースを青年の前に連れて行った。
「クロード。新入りだよ」
クロードと呼ばれた青年は、アランよりさらに低い声で、ぼそぼそと何やら話したが、ニースには聞き取れなかった。困りきったニースがアランに目を向けると、アランは肩をすくめた。
「やっぱり、分かんないよね。クロードはいつもこんな感じでさ。いいやつなんだけど、みんな話が出来ないんだよ」
話を聞いて唖然とするニースに、アランは笑った。
「今のはね『初めまして、ニース。僕がこの部屋のリーダー、クロードだ。舞踏学科の八年生だよ。よろしくな』って言ったんだよ」
物真似をするように話したアランに、ニースは驚いた。
「アランさんは、クロードさんの言葉が分かったんですか⁉︎」
クロードがそうだと言うように頷き、アランは苦笑いを浮かべた。
「僕は入学した時からクロードと一緒だったから、慣れちゃってね。学内でクロードの言葉が分かるのは、ほかに二人しかいなくて。舞踏学科院生のジョン先輩と、舞踏学科教授のアントニオ先生、そして僕の三人しか、クロードの通訳が出来ないんだよね」
よくそれで生活が出来てるなと、ニースが驚いていると、服の裾を後ろから、くいくいと引っ張られた。
ニースが振り向くと、ベッドに座っていたはずの小さな少年が立っていた。メガネをかけた少年は、ラチェットを小さくしたようだと、ニースは感じた。
少年は、ニースの服を掴んだまま、アランに目を向けた。
「ぼくもお話ししたいです」
「はは。そうだよね。この子はピエール。この部屋で一番下の子だよ。音楽学科の二年生なんだ」
ピエールは、ぺこりとお辞儀をした。
「ピエールです。バイオリンを勉強しています。よろしくお願いします」
「ぼくはニースだよ。よろしくね、ピエール」
ニースが挨拶を終えると、アランは二段ベッドの上を指し示した。
「ニースのベッドはあれね。下に君と同じ歌い手科の子が寝るんだけど、今は町に出かけていていないんだ。荷物は基本ロッカーに入れるようにして。ベッドに荷物を置きすぎて、底が抜ける事がよくあるから」
「わかりました」
「それから……」
アランは、一つだけカーテンが閉められた下段のベッドを指し示した。
「あのカーテンの閉まってるベッドは、絶対に開けないで」
「アランさんのベッドなんですか?」
「誰のベッドでもないよ。あのベッドは共有ベッドなんだけど、セプテム以上じゃないと使えない決まりなんだ」
アランの真剣な声音に、ニースは頷きを返した。
「分かりました。上級生だけが使えるんですね」
「そう。君もセプテムに上がれば分かるから。僕も今夜が初めてだから、今からドキドキしてるよ」
キラキラと目を輝かせるアランに、一体何があるのかとニースは首を傾げた。
「ドキドキするようなことなんですか?」
「ああ、そうだよ。男子寮の各部屋に必ず一つはあってね。全部種類が違うらしいんだ。ほかの部屋のも事前に話をしておけば、貸してもらうことも出来るらしい」
「種類……?」
「男なら誰だって興味を持つものだよ。代々受け継がれている大事な宝物なんだ。あ、女子には秘密ね。嫌われたら困るし。……まあ、楽しみにしておきなよ。ニースはあと二年で拝めるわけだからね」
ハッキリとは話さないアランの言葉に、ニースは首を傾げたまま、荷物の整理を始めた。
ニースは鞄からシーツを取り出し、ベッドへと上がる。ベッド脇には小さな棚とランプがあり、これから自分の城となる小さな空間が、ニースには輝いて見えた。
ロッカーに荷物を整理し終えたニースが、ようやく一息つくと、扉をノックする音が響いた。
「帰ってきたかな?」
アランが呟きながら扉を開けると、ニースと同い年くらいの少年が立っていた。
「おかえり、ユリウス。もう新入りが来てるよ」
ユリウスと呼ばれた少年は、黒目黒髪で褐色の肌をしていた。ニースはベッドから降りて、ユリウスに挨拶をした。
「初めまして。ぼくはニースです。歌い手科のクインクエに編入しました。今日からよろしくお願いします」
ユリウスは微笑みを浮かべて手を差し出した。
「ボクはユリウス。君と同じ歌い手科のクインクエだよ。その敬語はやめて、仲良くなろう?」
ニースは喜んで手を握り返した。
「分かった。よろしく、ユリウス」
ユリウスは、ニースが荷物の整理を終えたと知ると、ニースを小サロンへ誘った。
「分からないことがあったら、何でも聞いて。ボクは一年生からずっとここに住んでるから」
「分からないこと……ひとつ聞きたいんだけど、いい?」
ユリウスは窓際のソファへニースを誘い、腰を下ろすと微笑んだ。
「いいよ。なに?」
「部屋には机がなかったけど、勉強ってどこでするの?」
「勉強は、だいたいみんな図書館でやるんだ。ボクたち歌い手科の学生は、ほとんどが身体を動かす授業になるから、そんなに頻繁に行かないけどね。ニースは編入だけど、特別補習を受けるの?」
「うん。歌理論と基礎学習は特別補習を受けなきゃならなくて」
歌い手科五年に編入したニースは、歌理論、歌実習という歌い手として必要な授業の他に、一般教養を身につけるため、基礎学習、歴史、体育の授業を受ける事となっていた。
ニースの話を聞いたユリウスは、苦笑いを浮かべた。
「基礎学習か……大変だね。クインクエから編入だから仕方ないのかもしれないけど」
「そうなの?」
「基礎学習のシモン先生は厳しくて有名なんだ。すごく偉い人なのは分かるんだけどね。ボクもこの前、校外授業で出かけた時に怒られたよ」
まだ見ぬシモン先生の姿を想像して、ぷるりと震えたニースを、安心させるようにユリウスは笑った。
「まあでも、今年は歴史はないから、その分楽かな」
思いがけない話に、ニースは驚いた。
「え⁉︎」
「歴史のイルモ先生が、新しい遺跡が見つかったとかで今年一年は発掘調査に出かけてるんだよ。だから、歴史は一年お休み。つい先日発表されたばかりだから、ニースが知らなくても仕方ないよ」
「そうなんだ。ぼく、歴史の授業楽しみにしてたんだけど……」
しょんぼりと肩を落としたニースに、ユリウスが愉快そうに笑った。
「ふふ。ニースって面白いね。歴史の授業が楽しみなんて」
「そうなの?」
「うん。みんな昔のことなんてつまらないって言うんだよ。発掘品や発明品にばかり興味がいくから、過去に何が起こったのかなんて気にしないんだ。ボクは興味あるけどね」
ニースは、そういうものなのかと首を傾げた。
「そうなんだね。ぼくは色んな国を旅してきたから、それぞれの国がどうしてこういう形に今なってるのかとか、古代文明の人たちがどうして消えたのかとか、すごく気になるんだ」
「へえ。ニースは旅してたの?」
興味深げに身を乗り出したユリウスに、ニースは旅の一座でセラと歌っていたことを話した。ユリウスは、ニースの話をキラキラと瞳を輝かせながら聞いていた。
「すごい! 歌って、石歌や祈歌だけじゃないの⁉︎」
「うん。音楽になるんだよ」
「ちょっと歌って見せてよ!」
「いいよ」
意味のない言葉を、即興の旋律に乗せてニースが歌うと、軽やかなリズムにユリウスの体が自然と動いた。
「なるほどね。こんな風に歌ってたんだね。これで楽器と合わせるの?」
「うん。これでも合わせるけど、後はラチェットさんが作った歌を歌ってたよ」
ニースの言葉に、ユリウスは目を見開いた。
「え! 歌って作れるの⁉︎」
「うん。ラチェットさんは、それがきっかけで音楽院の教授になったんだ」
「教授? 今年から?」
「そうだよ。音楽学科の教授になったって言ってた」
「じゃあ、始業式の挨拶で見れるかな……。その作った歌っていうのは、聞かせてもらえない?」
ニースは、ユリウスの期待のこもった眼差しに戸惑った。
「歌っていいのかは、ラチェットさんに聞いてみないと……」
ユリウスはガタリと立ち上がり、ニースの手を掴んだ。
「じゃあ、聞きに行こう。教授になったんなら、音楽院に今いるんだよね?」
「う、うん」
「その作った歌っていうの、聞いてみたい!」
ニースはユリウスに引きずられるようにして、寮を出た。照りつける夏の日差しに煌めく木漏れ日のように、ユリウスの目はキラキラと輝いていた。




