12:旅芸人がやってきた1
前回のざっくりあらすじ:クフロトラブラの町で、世界初の音響飼育が始まった。
*物語の進行上、一部にセンシティブな表現が含まれます。ご注意下さい*
山の裾野や森の雪が解け、若草が芽吹く。ニースがクフロトラブラの町に来てから、三度目の春が来た。
町を目指して、二台の大きな箱馬車が、ガタゴトと山道を走る。箱馬車には派手な装飾が付いており、前を走る木製の馬車の側面には、「旅の一座ハリカ」と、大きく書かれていた。
馬車の突き出し窓を開けて、小麦色の肌の少女が外を眺める。大人びてはいるものの、まだあどけなさの残る顔立ちの少女は、風になびく金髪を押さえ、はぁとため息を吐いた。
「この道、いつまで続くのかしら……」
少女は、肩と胸元が大きく開いた膝丈のワンピースを着ていた。豊かな胸の膨らみと、腰のくびれを見せつけるような服からは、しなやかな手足が伸びている。
可憐な少女は、向かいに座る白肌の女性に、南国の海のように煌めく青い瞳を向けた。
「ねえ、お母さん。あとどのぐらいで着くの? 私、お尻が痛くなってきちゃったんだけど」
馬車の中には、お母さんと呼ばれた女性と少女の二人しか乗っていなかった。
少女の母親は、ふくよかな体つきを隠すようなゆったりとしたワンピース姿だ。体型や肌、瞳の色は違えど、顔立ちや背丈、髪色まで、少女と母親はよく似ていた。
母親は立ち上がり、少女の後ろから景色を確認すると、笑顔で答えた。
「私にもぜーんぜんわかんないわー。あはははー」
「ちょっと、お母さん! 前にもここに来たことあるんでしょ⁉︎」
笑った母親の声は、落ち着いているが陽気で高めの声であり、非難する少女の声はみずみずしいが少し低めの声だった。
「だってメグちゃん。私がこの先の町に来たのは、もうだいぶ前の話よー? メグちゃんが生まれる前だから、十五年も経ってるのよー。それに、山なんて似たような景色ばかりだものー。ここがどの辺りなのか、私にはさーっぱりわかんないわー」
「もうっ、お母さんたら。ほんっとうにいい加減なんだから。いいわよ、もう。お父さんに聞くから」
メグと呼ばれた少女は立ち上がると、揺れる馬車の中でバランスを取りながら、御者台と繋がる小窓を開いた。
「ねえ、お父さん。あとどのぐらいで着くの? 今日中には着くって言ってたけど、私もうお尻が痛いの」
メグにお父さんと呼ばれた中年に近い男は、山賊のように見える強面であり、がっしりとした体つきだった。メグと血の繋がりがあると分かるのは、肌色と瞳の色ぐらいだ。
メグの父親は問いかけに振り返ることなく、大人の色気を感じさせる低く落ち着いた声で答えを返した。
「そうだな。昼過ぎぐらいには着くんじゃないのか?」
父親の被る洒落た山高帽からは、癖のある金髪がのぞいていた。シャツのボタンが弾け飛びそうなぐらい、ぴたっとしたシャツを着て、濃い鼠色のズボンを穿き、質の良さそうな上着を羽織る姿は、風貌とかけ離れた上品な物だった。
「なによ、もうっ。お父さんまで、そんな適当な返事なの?」
「いや、メグ。そんな事を言われても、山の景色は大して変わりないからな。目印になるようなものでもないと、どの辺りまで来たのかさっぱり分からないんだよ……」
顔に似合わず丁寧な口調で話す父親に、メグはさらに文句を言った。
「もうっ、お父さんの役立たず! いつ着くのか分からないなら、せめてそろそろ休憩させてよ。私、お尻が痛いの!」
「わかった、わかったから。そんなに怒ると可愛い顔が台無しだよ」
父親は手綱を握ったまま、ちらりと母親へ視線を投げ、声を上げた。
「ジーナ。メグにクッションをひとつ貸してやってくれないか。休めそうな場所を見つけたら、馬を止めるから」
「わかったわ、グスタフー」
メグの母親、ジーナは、座ったまま声を張り上げると、お尻の下から平らに潰れたクッションを取り出した。
「私のお尻でぺしゃんこになってるけど、これでよければメグちゃん使ってねー」
ジーナはクッションをぽんぽんと叩き、大してふくらみの戻らないそれをメグに笑顔で差し出した。メグは、げんなりとした目つきで変わり果てたクッションを受け取ると、はぁとため息を吐いた。
「これじゃ、何のクッションにもならないじゃない……!」
メグは小窓から、父親であるグスタフの背をパチンと平手で叩くと、続けざまにジーナに向けてクッションを投げつけた。
「危なっ! メグちゃん、暴力はやめてー! はしたないわよー!」
「……痛い」
メグに非難の声をあげつつも、ジーナは見事にクッションを受け止めたが、グスタフは涙目になっていた。メグは、二人の様子を横目で見ながら小窓を閉め、ぷぅと頬を膨らませて席へと戻った。
前を走る馬車から風に乗って聞こえてくる漫才のようなやり取りに、後ろを走る馬車の御者台で、壮年の男が、ぷっと噴き出した。
「お嬢は相変わらずだなぁ」
手綱を握る男の白い手は、よく手入れをしているようで、生活感の感じられないものだ。男は茶色の髪を後ろに束ねており、大人の余裕が漂う女受けしそうな風貌で、彫りの深い顔立ちだった。
隣に座る、薄橙色の肌の若い青年が、男の言葉に答えた。
「元気でいいじゃないですか」
スラリとした細身の青年は丸眼鏡をかけており、旅芸人というにはパッとしない、真面目そうな優しい顔立ちだ。青年は御者台にいるというのに前を向いておらず、小窓から積荷を覗いていた。
青年が見ている荷台は金属で出来ており、それを隠すように派手な装飾が施されていた。馬車の四つの車輪は不思議な事に、黒っぽいゴム製の大きなタイヤに似ている。馬車の背面には、丸い金属の車輪とレバーを組み合わせた、ハンドルのような物が付いていた。
荷台には扉は見当たらず、窓もなく、御者台との間に小窓が一つ付いているだけだ。馬車には、何らかの仕掛けが施されていることが窺えた。
壮年の男は、手綱を操りながら青年へ問いかけた。
「なぁ、ラチェット、本当にあのじゃじゃ馬がいいのか?」
ラチェットと呼ばれた青年は、眼鏡の奥の青い瞳で、男を睨んだ。
「じゃじゃ馬だなんて、僕は思っていませんよ。メグは素敵な女性じゃないですか」
ラチェットはムッとした様子で話すと、風で乱れた短い茶髪を撫で付け、荷台に視線を戻した。
「マルコムさん。左の箱がちょっとズレました。このままだとぶつかります」
「了解」
マルコムと呼ばれた男は器用に馬車を動かし、積荷のバランスが崩れないように整えた。
「……こんなもんでどうだ?」
「あ、大丈夫そうです。箱の位置が戻りました」
ラチェットは、ほっと胸を撫で下ろすと、積荷を見つめたまま、マルコムに話しかけた。
「それにしても、なんだってまたこんな辺鄙なところを通って興行をするんですか?」
マルコムは、前を走る馬車のさらに向こうに見える山並みを指し示した。
「そりゃお前も知ってる通り、あそこの山脈を通って国境を越えるからだよ」
「でもあの山脈って、大地の裂け目の上を跨いでるんですよね? 滑り落ちたら、完全に終わりじゃないですか。わざわざそんな危険なことをしなくても、船を使えばいいと思いますけど」
「まあ、それは経費の関係だ。船は金がかかるからな。それに、こうして陸路を使えば、途中の町で公演も出来て一石二鳥だろう?」
「それはそうですけど……」
ラチェットは険しい山を越える様を想像し、うなだれた。
「地獄の沙汰も金次第ってよく言いますけど、まさかそれを地で行くようなことになるとは……」
「まあ、そう落ち込むな。しかし、そんな古い言葉よく知ってるな。どういう意味だ?」
マルコムの言葉に呆れたように、ラチェットは答えた。
「マルコムさんは、女性のお尻ばかり追いかけてるから知らないんですよ。金があれば何でもできるっていう、ことわざです」
「なるほどな。勉強になった。……つっても、レディを口説くのには使えそうもないなぁ」
「……マルコムさんらしいですよ」
ラチェットは、はぁとため息を吐いて積荷の監視へ戻った。マルコムは、ニヤリと笑って手綱を握り直した。
「褒め言葉と受け取っておくよ。少し速度を上げるぞ。間が空きすぎた」
前の馬車との距離を詰めようと、マルコムは馬の足を速める。二台の馬車は、山道に賑わいを残しつつ、クフロトラブラへと進んで行った。
キラキラと春の陽光が、残雪に煌めく。クフロトラブラの町では、七歳になったニースが、牧場に未だ残る固い雪を手押し車に乗せ、運んでいた。
町へ来たばかりの頃は、まだまだ幼い顔立ちのニースだったが、今はあどけないながらも、すっかり少年の顔だ。ニースは同年の子より身長が高く、子どもながらに筋肉は引き締まっていた。
ニースは雪を、近くの川へ投げ入れる。雪解けで水量が増した川は、冷たく固い雪を解し、さらさらと流れていった。
ニースは肩を回し、ふぅと息を吐いた。
「だいぶ減ったけど……もう少しやった方がいいかな」
冬の間、牧場の至る所に積み上げられた雪の小山は、ニースの地道な働きで、少しずつ数を減らしていた。ニースは空の車を押して、小道を戻り始めた。
「ニース、おはよう」
「今日も手伝いか。偉いなぁ」
鼻歌を歌いながら歩くニースに、雪を運んで来た町の人々が声をかける。働き者のニースは、町の大人たちに可愛がられ、愛されていた。ニースは、朗らかに挨拶を返した。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
「そうだな。暖かくなって過ごしやすいよ」
「また今度、うちに遊びに来てくれ。ばあちゃんが、歌を聞きたいって言っててな」
「はい。お邪魔させてもらいます」
町での生活に慣れたニースは、請われればどこでも歌うようになっていた。鳥のようなニースの歌声は、娯楽の少ない町の人々の貴重な楽しみだ。クフロトラブラの町では、ニースの歌は音楽になっていた。
町外れの牧場へ向かうのは、ニースしかいない。町の人々に別れを告げ、ニースは市壁を背に、小道を歩いていった。玄関先を通り、雪の小山へ向かおうとすると、弁当を作っていたはずのマシューが、窓辺から声をかけた。
「ニース。雪はそのぐらいでいいから、パンを買ってきてくれんか。夜の分が足りなくなりそうだ」
「うん。いいよ」
ニースは財布と籠を預かり、家を出る。町の一員となったニースは、もう姿を隠していない。ニースの黒い姿を見ても、誰も驚かないのだ。町へやって来る商人に、ニースの存在が知られたとしても、人々が裏でうまく手を回していた。
朝日が輝く青空に、市壁の内側に建つ町の家々から煙が上がる。顔見知りの門兵に挨拶をして町へ入ると、ニースは真っ直ぐパン屋へ向かった。
「おや、ニース。おはよう。今日は早いね」
「おかみさん、おはようございます。パン、焼けてますか?」
「出来てるよ。いつものでいいかい?」
「はい」
女将に銅貨を渡し、ニースはライ麦で作られた素朴な黒パンを受け取った。
「これから朝食なのかい?」
「違います。夜ご飯に足りなくなりそうって、おじいちゃんが」
「なるほどね。なら、こっちはおまけ」
女将は微笑み、焼き立ての小さなパンをニースに渡した。ニースは嬉しさに頬を緩め、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「あんたは育ち盛りなんだ。マシューと同じじゃ、腹が減るだろう。しっかり食べて、大きくおなり」
「はい!」
ニースは、ほくほくの笑顔で頷き、籠を手に歩き出した。広場を突っ切るように歩きながら、もらったばかりのパンをニースはかじる。パンには胡桃が入っており、香ばしい風味に、ニースは夢中になった。
「あ、ニース! なんで朝からここにいんだよ!」
不意に横からかけられた声に、ニースは足を止めた。目を向けると、腰に木剣をぶら下げた少年、マルコがニースを睨んでいた。
「マルコ、おはよう」
マルコはニースより四歳年上だが、年齢の割に背が低めだ。ニースの身長は高いため、二人の体格にそれほど差はない。朗らかに答えたニースに、マルコは声を荒げた。
「お前は町に出てくんなよな! 羊と遊んでろよ!」
「マルコ……」
しゅんと肩を落とすニースの手に、食べかけのパンが握られているのを見て、マルコはニィと笑った。
「なんだ、ニース。美味そうなの持ってんじゃん。それくれたら、許してやるよ」
「え……」
ぽかんとしたニースに、マルコは腕を組み、のしのしと歩み寄った。
「今の俺は朝稽古したばかりで、腹が減ってんだ。それをくれたら、ムカつくお前を、前みたいに仲間に入れてやるって言ってんだよ」
マルコとニースの仲は、最初から悪かったわけではない。町へやって来たばかりのニースと、最初に仲良くなったのがマルコだった。
マルコは、小さな男の子たちのまとめ役だった。ニースの歌を気に入ったマルコは、新入りのニースを遊びの輪に入れた。しかし二年半の月日を経て、年頃となったマルコは、町の少女たちがニースばかり構う事に嫉妬するようになっていた。
少しでも怖く大きく見せようと、マルコは精一杯胸を張り、言葉を継いだ。
「どうすんだよ。寄越すのか、寄越さないのか、さっさと決めろよ」
「また仲良くしてくれるの?」
期待を込めた眼差しで問いかけたニースに、マルコは潰れた鼻を指でこすった。
「俺様は、嘘は言わないぞ」
「分かった。あげるよ」
ニースは、パンを差し出そうとした。しかしそこへ、横からあっと声が上がった。
「マルコ! またニースくんをいじめてるの⁉︎」
「げ!」
不意にかけられた少女の声に、マルコは頬を引きつらせた。少女と遊んでいたのだろう、広場の片隅にある水場の裏から、女の子たちが数名出てきた。
少女たちは、ぽかんとしたニースと、気まずそうなマルコの間に割って入った。
「今度は何しようっての⁉︎」
「いい加減にしなさいよ、バカマルコ!」
「ニースくん、大丈夫だった?」
ニースは色こそ珍しいものの、整った顔立ちや美しい歌声、優しい性格から、町の少女たちに人気だった。
ニースより年下の子から、成人間近の女の子まで。皆がニースの味方をする。マルコは忌々しげに顔を歪めた。
「なんだよ、お前ら! 俺は、ニースと仲良くしてやろうって話してたんだよ!」
「嘘言うんじゃないわよ! あんたがエリックたちを連れて、いっつもニースくんをいじめてるの、あたしたちが知らないとでも思ってるわけ⁉︎」
「そうよ! ニースくんからパンを取り上げようとしてたの、わたし見てたんだから!」
少女たちの言葉に、ニースは戸惑い、声を挟んだ。
「あの、でも、本当なんだ。マルコは、ぼくと仲直りしてくれるって言ってて、だから……」
懸命に話すニースを、少女たちは愛おしそうに見つめた。
「ニースくん、可愛い!」
「いじめてくるマルコを庇おうとするなんて。やっぱり優しいのね」
「気にしなくて大丈夫よ。ニースくんは、おうちに帰って」
「え、でも……」
マルコは怒りに身を震わせた。
「なんだよ、それ! 俺の言ってることは本当だって、ニースも言ってるだろ!」
「マルコは黙ってなさいよ!」
「ニースくん、ここはあたしたちに任せて、早く帰った方がいいよ」
「お使いの途中なんでしょ? 遅くなると、マシューさんが心配するよ?」
少女たちに気圧され、ニースは、こくりと頷いた。
「分かったよ……。でもマルコは本当に、何もしてないからね?」
「もちろん、分かってるわ!」
「わたしたち、別に何もしないから、安心して」
微笑んで答えた少女たちを見て、ニースは、ほっと安堵し、広場を去った。マルコが愕然として、声を上げた。
「待てよ、ニース! 俺を置いていくなよ!」
「あんたは、まだニースくんに何かしようっての⁉︎」
「そうじゃないって!」
「嘘ばっかり!」
少女たちに責められ、マルコは悔しさに唇を噛んだ。
――ニースのやつ! 俺を見捨てるなんて……。今に見てろよ!
マルコは目に涙を滲ませ、一目散に家へと逃げ帰った。冷たさの残る春風が、びゅうと町を吹き抜けていった。




