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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座【第9章 旅の終わり】
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153:それぞれの理由1

前回のざっくりあらすじ:ニースとセラは、音楽院の校舎の説明を受けた。

 太陽が空高く上る頃、全ての説明を聞き終えたニースとセラは、お腹を空かせながら事務室へと戻った。しかしそこにラチェットの姿はなく、シーラが戸惑いを誤魔化すように、二人に笑いかけた。


「まだ入学手続きが終わってないみたいですね」


「手続きって、大変なんですね」


「ラチェットさん、いつ終わるのかな……」


 二人のガッカリする気持ちを代弁するように、セラのお腹が、ぐぅと鳴った。シーラは、二人を安心させるように微笑んだ。


「二人とも、私と一緒に音楽院のお昼を食べてみない? ご馳走するわ」


 お腹の音に恥ずかしそうに俯いていたセラが、瞳を輝かせた。


「いいんですか!? どんなご飯なのか気になります!」


 ニースは申し訳なく感じて、あたりを見回すも、ラチェットが戻ってくる気配はない。仕方なくニースも頷きを返した。


「すみません。お願いします」


「気にしなくて大丈夫よ。これから長い付き合いになるのだし、あなたたちと仲良くなりたいから。行きましょう」


 シーラは二人を、事務室そばの喫茶店へ誘った。ニースとセラが、シーラに言われた通りに席に着いて待っていると、シーラがトレイを持ってやってきた。


「これはね、ラップっていう料理なの。アルモニアのお昼ご飯の定番なのよ」


 ラップは、薄いパンでハムや野菜がくるくると巻かれており、忙しい時でも片手で摘めるサンドイッチのようだと、ニースは感じた。

 セラは、しっかりと飲み込んでから微笑んだ。


「すごく美味しいです! こっちの飲み物はなんですか?」


「これはスムージーよ。氷を砕いて混ぜてあるから、夏にぴったりなの。ストローでかき混ぜながら飲んでね」


 ニースはシーラの真似をして、木製のストローでかき混ぜてから飲んだ。大きめのストローの穴から、とろりとした冷たさと共に、果実の甘みが広がった。


「本当に冷たい! でも、美味しいです!」


「ふふ。良かったわ」


 二人がすっかり満足して、シーラと共に事務室に戻ると、困ったように顔をしかめたラチェットが待っていた。


「ラチェットさん!」


 ニースが心配に感じて駆け寄ると、ラチェットは疲れた様子で微笑んだ。


「ああ、二人とも。どうだった?」


「シーラさんが丁寧に説明してくれたので、安心できました」


 ニースに続いて駆け寄ってきたセラも、満面の笑みで答えた。


「すごく楽しかったです! それから、これ!」


 セラに紙袋を差し出されたラチェットは、不思議そうに受け取った。


「これはなんだい?」


「ラップっていう食べ物です! ラチェットさんにもって、シーラさんが!」


 セラに話を向けられたシーラは、ほんのり頬を染めて笑いかけた。


「お疲れかと思いましたので。良かったら昼食にどうぞ。ニースくんとセラちゃんにも食べてもらいましたから」


 ラチェットは中を覗くと、丁寧に頭を下げた。


「わざわざすみません。ありがとうございます」


「いえ……」


 照れたように目を逸らしたシーラを気にする事なく、ラチェットは、ニースとセラの頭をくしゃりと撫で、扉を開けた。


「それじゃあ行こうか、二人とも」


「はい。……シーラさん、ありがとうございました」


「シーラさん、またね!」


「ええ。またね、二人とも」


 ニースとセラは、シーラに挨拶をすると、ラチェットの後を追った。


 三人は、ちょうどやって来た乗合馬車に乗り、真っ直ぐ町へと戻った。楽しかったと話しかけるセラに相槌を打ちながらも、ニースは表情が優れないラチェットの事が気がかりだった。


 ――ラチェットさん、疲れてるのかな。入学手続きが、こんなに大変なものだったなんて……。


 三人を乗せた馬車は、ゆっくりと坂道を下っていった。




 ホテルへ戻ると、ラチェットは大きなため息を吐いて、紙袋をテーブルへと置いた。そのまま椅子に座って、顔をしかめたまま動かないラチェットに、ニースは紅茶を入れたが反応はなかった。

 疲れているにしても、あまりにラチェットの様子がおかしいので、ニースは心配になった。


 ――ラチェットさん、本当に疲れてるだけだよね? 何か思いつめてるみたいにも見えるけど……。困ったことがあったわけじゃないよね?


 問いかけようかニースが悩んでいると、メグが訪ねてきた。


「あの……。ラチェット、帰ってる?」


 扉を開けたニースは、セラの姿がないことに首を傾げた。


「うん、いるよ。セラは?」


「疲れたみたいだけど、よっぽど楽しかったのね。セラは笑いながら寝てるわ」


 ふふふと笑うメグにニースは微笑んだが、メグを中へ通すか迷った。


「あのね、メグ。ラチェットさんはいるんだけど、疲れてるみたいなんだ」


「そうなの?」


 メグはニースの頭越しにラチェットの様子を見た。ラチェットは、メグの来訪に気付いてもいないようで、頭を抱えて、じっとして動かなかった。

 メグが来たというのに、顔すら上げないラチェットの様子は、あまりに異常だった。メグは、悲しそうに顔を歪めた。


「ラチェットがああなのは、たぶん私のせいなの。だから、少し部屋に入れてくれる?」


「メグのせい?」


 ニースは首を傾げながらも、メグを部屋に入れた。メグは、ゆっくりラチェットに歩み寄った。


「ラチェット……」


 メグは申し訳なさそうに顔を歪め、静かに隣に座った。


「まだ怒ってるのよね。ごめんなさい。私が悪かったわ」


 メグがラチェットの腕にそっと手を添えると、ラチェットは、はっとして顔を上げた。


「メグ……。いや、別にメグが謝ることはないよ」


 気まずそうな二人の会話に、ニースはどうしたらいいかと戸惑った。


 ――二人の話を聞いちゃいけない気がするけど、ぼくが部屋を出たら、またラチェットさんが危なくなっちゃうし……。


 おろおろするニースに、ラチェットが気づき、微笑んだ。


「ニース、大丈夫だよ。一緒に座ろう」


 ニースが戸惑いながら席に着くと、入れ替わるようにラチェットが立ち上がり、メグのために紅茶を入れ始めた。

 メグはテーブルに置かれた紙袋に気づき、問いかけた。


「ねえ、ニース。この紙袋はなに?」


「それはラチェットさんにって、シーラさんがくれたんだよ」


 メグの眉が、ぴくりと動いた。


「シーラって……女性の名前よね?」


「え? うん。そうだよ。音楽院で、ぼくたちの入学試験をしてくれた人だよ」


 メグは紙袋に手を伸ばし、中を見た。


「これって……」


「ラップっていう食べ物なんだって。お昼にどうぞって。ぼくたちもご馳走になったんだ」


 紅茶を入れたカップを、ラチェットがメグの前に置くと、メグは、じろりとラチェットを睨み、立ち上がった。


「なによこれ。どういうことなの!? 私のことを避けるし、キスもしてくれないと思ったら、ほかに女の子がいるなんて!」


 ラチェットは驚いてメグを見た。


「え? なんの話?」


「とぼけないでよ! 今の話聞こえてなかったの!? このお弁当の話よ!」


 ぐいと紙袋をラチェットに押し付けるメグを見て、ニースは慌てて言葉を挟んだ。


「メグ! それは喫茶店でぼくたちが美味しいって言ったから、シーラさんが気を利かせてくれただけで……」


 メグはニースの事も睨んだ。


「なんで気を利かせる必要があるのよ! 昨日の今日でお弁当を渡すなんて、あり得ないでしょ!?」


 ラチェットは紙袋を脇に避けて、メグを宥めようと語りかけた。


「メグ、落ち着いて。そういうんじゃないから」


 しかしメグの怒りは収まらなかった。


「何がよ! そういうって、どういうことなのよ!?」


「メグ!」


 メグの肩を掴もうとするラチェットの手を、メグは払いのけた。


「もういいわ! その人と仲良くすればいいでしょ!」


 部屋を出ようとするメグを、ラチェットは必死に止めるがメグは出て行ってしまった。そのままラチェットが追いかけていくのを、ニースは唖然として見ていた。


「メグも、やきもちを妬いたのかな……。あんなに怒るなんて……」


 あまりのメグの激怒ぶりに、ニースの頭から、ラチェットの様子がおかしかったことなど、すっかり抜け落ちた。ニースは、セラをメグのように怒らせないよう、行動に気をつけようと、強く誓った。




 ラチェットとメグは、その後も喧嘩したままで、微妙な距離感を保っていた。ニースは、気まずい二人から距離を置くように、入学準備を始めた。

 始業式は一ヶ月半後だが、入寮日は一ヶ月後となる。ニースは、小切手の使い方を覚え、セラ、マルコムと共に学費の納入に向かい、必要な品を買い揃えた。


 そうして日中を過ごしつつ、夜はセラと舞台に立つ日々をニースは送った。

 常日頃、たくさんの音楽に触れているアルモニアの人々も、音楽としての歌は初めて聞くもので、その美しさに酔いしれた。瞬く間に人気となった一座の公演には、多くの人が詰めかけていた。


 そうして一週間が過ぎた頃、公演後にホテルへ戻ろうとしたニースは、控え室に観客からもらった差し入れを、忘れている事に気がついた。劇場には、片付けのためラチェットが一人きりで残っていたが、気がつくかは分からない。

 ニースは手を繋いでいたセラに、取りに戻ることを伝えた。


「ごめん、セラ。メグたちと先に帰ってて。たぶんもらったもの、お菓子だと思うんだ」


「一人で大丈夫? 一緒に行くよ?」


「まだ劇場から近いし、帰りはラチェットさんと一緒に帰るから大丈夫だよ」


「分かった。気をつけてね」


 ニースが劇場に戻ると、一人で残っていたはずのラチェットが、誰かと話す声が廊下に響いていた。


「困ります。何度来られても、僕にその気はありません」


「そこを何とか……」


 ニースは話す相手の声に聞き覚えがあった。


 ――この声って……シーラさん?


 真剣な声音に、ニースが思わず柱の陰から覗き見ると、シーラが何度も頭を下げて、ラチェットが険しい顔で断る姿が見えた。


 ――何してるんだろう?


 声をかけようか、かけまいか。ニースが悩んでいると、肩を誰かに叩かれた。


「……!?」


「しっ!」


 驚いて叫びかけたニースの口を手で塞いだのは、怒りに顔を歪めたメグだった。困ったような顔をしたセラが隣におり、ニースは危険を感じた。


 ――これ、絶対危ない! でも、ぼくも下手したら()()()()……!


 鬼気迫るメグの顔に、ニースは何も出来なかった。


 ニースたちが陰で聞いていることなど露知らず、シーラはラチェットに頭を下げ続けた。


「お願いします! 受け入れて頂けませんか」


「出来ません。確かに魅力的ではありますが、僕にその気はありません」


「そんなことを言わずに、チャンスをください! 少しの間、試して頂くだけでもいいんです!」


 二人の会話を聞いたメグの目が鋭くなり、ニースは小さく震えた。


 ラチェットは、毅然とした態度で断り続けていた。


「嫌です。ほかにいくらでもいるでしょう。僕じゃない人を選んでください」


「そんな! あなたじゃないと、ダメなんです!」


「シーラさん。そんなことはないですよ。他の人でもいいはずです」


「いいえ! あなたはご自分の価値を分かってらっしゃらない! あなたほどの方は、ほかにいないんです!」


 メグが、ギリリと奥歯を噛み締める音が聞こえ、ニースは顔を青ざめた。


 ラチェットは困りきった様子で、はぁとため息を吐いた。


「そうは言われましても、僕は一座を抜ける気はないんですよ」


「そんなの、勿体なさ過ぎます!」


 いつまでもラチェットに食い下がるシーラの様子を見て、我慢の限界を迎えたメグは、飛び出した。


「ちょっとあんた! ラチェットが嫌がってるでしょ!? いい加減諦めなさいよ!」


「メグ!?」「え!?」


 驚き唖然とするラチェットとシーラの間に、メグは割って入ると、ラチェットの手を取った。


「ラチェット、ごめんなさい。あなたが言ってたこと、本当だったのね」


「メグ……?」


 ぽかんとするラチェットを無視して、メグはくるりとシーラに振り向き、鋭く睨んだ。


「ラチェットの恋人は、私なの! 突然横から入ってこないでよ! だいたい、一座にいるのが勿体ないって、何なのよ!」


「え、ええと……」


 たじろぐシーラに見せつけるかのように、メグはラチェットの首に手を回した。


「私たちの間に入れる隙なんてないんだから!」


 メグは吐き捨てるようにシーラに言葉をぶつけると、ラチェットの頭をぐいと引き下げた。


「ちょ……!?」


 驚くラチェットの唇に、メグはしっかりと唇を重ねた。突然の出来事に、シーラが、ぽかんと口を開けた。


 呆然と見ていたニースは、首を傾げた。


「セラ……メグは何をしてるの?」


 セラは顔を真っ赤にして、手で顔を覆っており、答えなかった。


 ――これって、もしかして何か恥ずかしいことなんだ……。


 二人を見てはいけないのだと察したニースは、床を見つめた。


 無理やりキスをしたメグは、目を白黒させて固まるラチェットを、なかなか離さなかった。ようやくメグが唇を離すと、ラチェットはフラフラして壁に寄りかかった。

 メグは、どうだと言わんばかりに、シーラに胸を張った。


「私が恋人だって、これで分かったでしょ!? これでも、まだラチェットに言い寄るつもり? 泥棒猫は、とっとと消えなさい!」


「え……」


 唖然として立ちすくんだままのシーラに苛立ち、メグはさらに眉を吊り上げた。


「まだ分かんないの!? だから……」


「メグ、待って」


 さらに言い募ろうとするメグに、恥ずかしさで真っ赤になった顔を両手で覆っていたラチェットが、声をあげた。


「違うんだよ、メグ。シーラさんは、僕を音楽院に勧誘しようとしてただけなんだよ……」


「え……」


 気まずそうに振り向いたメグに、ラチェットは苦笑いを浮かべた。ニースは何が起きてるのか、全く理解出来なかった。

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