★[幕間劇〜とあるスパイの話]第1回 02
ニースが辺境にたどり着いてから二ヶ月経った。この間ニースは少しも歌わなかったので、バードは退屈していた。バードは五年もニースの成長を見守り、楽しく歌うニースを見てきた。その穏やかな日々の中で、バードは自分を生み出した遥か昔の人々の姿を思い出していた。
――あの頃は、みんなニースみたいに楽しく歌ってたのになー。今はニースぐらいしか楽しそうに歌わない。それなのに、歌が聴けないなんてつまんないよー!
時の流れの変化に、ほんの少し感傷的になっているバードの元へ、珍しくエクシーから通信が入った。
「バード、聞こえるか?」
「あれ、エクシー? 珍しいねー。……っていうか、もうちょっと雰囲気大事にしてよー。今まで俺っちから通信する時、コールサインしてたでしょー?」
「まあ、そう拗ねるなバード。例の子どもの様子はどうだ? 歌うようになったか?」
「いや、それがまだなんだよねー。俺っちもあの子の歌を聞きたいんだけど、まだ父親に殺されかけたことを引きずってるみたいでさー」
「そうか。残念だが、こればかりは仕方ないな。確かまだ五歳だろう。兄貴の子どもが五歳のときは、その子のアイスクリームを食っただけで、一ヶ月は俺と口聞いてくれなかったもんなあ」
「子どものアイス奪うなよー、大人げないなあ。」
エクシーと通信で話すバードの周りに、渡り鳥が縄張りを誇示する鳴き声が響いた。バードは、困ったように呟いた。
「めんどくさいなー。モイズのやつら、ここまで飛んでくるなんて」
「ん? モイズ? 渡り鳥のか?」
「そうだよー。あいつら、ピーチクパーチクうるさいんだ。それに、自分たちで勝手に縄張り決めちゃうんだよ。俺っちみたいなほかの鳥がいると、追い出そうとするんだ。せっかくいい感じの木を見つけたのにー」
「鳥は鳥で大変なんだな」
「エクシー。俺っちの大変さがわかったなら、たまにはココとデートさせてくれない?」
「それはココが決めることだろう。いくらお前に休みをやったって、ココはお前のデートの誘いを受けたことは一度もないだろ」
「それはまあ、そうなんだけどさ……」
「まあ、しょげるなしょげるな」
「でも、俺っちだって、その気になれば……あっ!」
「どうした? バード?」
バードは驚いた。ニースがついに歌い出したのだ。
エクシーと言い争いをしていたバードには、ニースがなぜ歌い出したのか、さっぱりわからなかった。しかし、二ヶ月ぶりに聞くニースの歌声は、相変わらず綺麗だった。歌うニースの姿は、身体中から喜びが溢れているように見えた。歌声を聞いたバードは、胸がポカポカしてくるのを感じた。バードの胸が本当にポカポカしだしたら不具合の証拠なので、あくまでもバードの感じた気分の話だ。
「おい、バード。バード?」
「なんだよエクシー。いまいいとこなんだから、ちょっと黙ってて」
「いいとこって……かわい子ちゃんでも見つけたのか?」
「いや、そんな事じゃなくて、ニースが歌ってるんだよ!」
「本当か⁉︎」
ガタンとエクシーが立ち上がる音がして、いつものようにジャンがコーヒーをぶちまける音がした。ジャンはいったい、いくつのコーヒーカップを割っているのか……などと思うこともなく、バードは音を無視してニースの歌を聞いていた。バードは鳥だ。カップがいくつ割れようが、関係ないのだ。
「ジャン。お前、本当にいい加減にしろよ!」
「しょうがないじゃないですかぁ! 係長がいつも急に大声出すんですからぁ!」
エクシーが文句を言う声と、悲痛なジャンの叫び声が聞こえてきたので、バードは無言で通信を切った。
――ようやくニースの歌が聞ける。
バードはニコニコしながら、ニースの歌を聞いていた。もちろん、バードの表情が実際に変わるわけはない。
ニースを見守るバードの後ろから、モイズの出て行けと言わんばかりの鳴き声が響く。それでも気にせずバードはニースを見守り続けた。……多少、モイズの縄張りから逃げ出してから。
冬が過ぎ、春が来た。長い冬の間に降り積もった雪は、春の暖かな日差しに解かされ、小さな小川をいくつも森に作り出す。
バードは、久しぶりに充実した日々を過ごしていた。冬の間、事あるごとにちょっかいを出してきた、やかましい渡り鳥たちは、春の雪解けとともに北の大陸へと去っていった。そのためバードは、のんびりニースの歌声を聴き、毎日を楽しんでいた。
草を食む羊たちと歌うニースを見下ろし、バードは春風に乗って空を舞う。飛びながらもニースの歌声に耳を傾けるバードの元へ、数ヶ月ぶりに通信が入った。
「あー、あー。チェック、チェック。こちらエクシー、こちらエクシー。聞こえるか、バード」
「あ! ようやく直ったんだね、エクシー! ずっと通信が繋がらなかったから、俺っち心配してたんだぞー!」
「ああ、ようやく繋がったか。よかったよ。いや、すまないなバード。ジャンがついに通信機材にコーヒーをぶちまけてな」
「あちゃー。ついにやっちゃったのか。ジャンは、いつかやるんじゃないかって、俺っち思ってたんだよねー」
「それで、どうだそっちの様子は。前回はたしか、まだ冬の真っ只中で、子どもの歌を聴く女が増えたんだったか?」
「ああ、あのおばちゃんね。あのおばちゃん、いい人でさー。雪の中で見張ってる俺っちのために、わざわざ巣箱作ってくれたんだよ。別に俺っち寒くないけど、ちゃーんと暖かいように藁とか中に敷いてくれたんだ。それにさ、俺っちにも、ちゃーんと餌をくれようとするんだよ。俺っち食べれないけど、おばちゃんの優しさに感動したよー」
「そうか、それはよかったな。だが俺が聞きたい事は、おばちゃんの話じゃない。子どものことだ」
「堅いこと言わないでよー。おばちゃん、ほんといい人なのにー」
「わかった、わかったよ。おばちゃんは本当にいい人だな。俺も感動したよ」
「なんだよもー、その投げやりな感じー。全俺っちが泣く、大感動巨編なのに。まあいいけどさー。えーっと、それでなんだっけ?」
「子どもだよ! 子どもの話だよ! おばちゃんにほだされて、任務を忘れるな!」
「あー、そうだったそうだった。ちゃーんと俺っち任務はこなしてたから、大丈夫だよ。前回の通信からこれまでのデータ、いま送るねー」
「ああ、頼んだ」
バードは、マシューの家の庭に舞い降り、マーサが作った巣箱へ入った。バードは翼を畳み、眠ったように目を閉じる。しばらくじっとしたあと、目を開けて再び立ち上がった。
「どう? このデータ、すごくない?」
「素晴らしいな! たった数ヶ月でこれほど歌の力が成長しているとは思わなかった!」
「でしょでしょー! 俺っちの見込んだニースは、逸材だよ。さすが俺っち。もっと敬ってくれていいんだよ、エクシー」
「ああ、そうだな。さすがはバードさまだ」
「あーもー。そんな言い方ないでしょー。俺っちがんばったのにー」
「わかってるよ。で、子どもの様子はどうなんだ?」
「んもー。いーよいーよ。そのうちいつかきっと、ココに褒めてもらうから! ……えっとねー、ニースは相変わらず元気に歌ってるよー。ニースの新しい家族は、ぜーんぜんニースの音の風については気がつかないみたいだけど、歌の良さは分かっているみたいだから、俺っちは気に入ったー」
「あー……ココのことはまあ、触れないでおいてやるよ。ところで、お前の言う歌の良さってのは、あれか? 歌の力のあるなしに関係なく、楽しいってやつか?」
「そう、それだよそれー。俺っちが生まれたころは、みーんな楽しく歌ってたのに、いまの人たちはぜーんぜん歌わないんだもん。歌をただの道具としか思ってないしさー」
「それに関しては、俺はお前に同意できないな。俺にもさっぱりその良さとやらはわからん」
「エクシーはそういうと思ったよー……って、あれ?」
「どうした? エクシー、何かあったのか?」
「いや、俺っちの天使のおばちゃんが、ものすごいスピードでこっちに走ってくる……」
「おばちゃんって、まん丸くて太ってるんじゃなかったか?」
「そーなんだけど、なんか急いでいるみたい? 何かあったのかな? ちょっと見てくるから、このまま通信繋いで待ってて、エクシー」
「了解した。バード、頼んだぞ」
バードは巣箱を出ると、そっと気付かれないように、マシューの牧場の納屋へ近づく。息を切らし走ってきたマーサが、ものすごい勢いで納屋へ入り、マシューに掴みかかるも、そのまま膝をついた。
「そりゃー、息切れるよね……」
「何か言ったか、バード?」
「いや、別に……。あ、話し始めるみたい」
マーサが息を整え立ち上がり、マシューに何やら畳み掛けるように話かける姿を、バードは少し離れた庭の木からこっそり見つめていた。遠くて話し声は直接聞こえないが、バードはただの鳥ではない。得意な機能を使って話を聞いていた。
「あー、なるほど。そういうことかー」
「何かわかったのか?」
「ニースの歌を聴いた羊の毛が、なんかすっごい良くなったらしいよ」
「歌の力か?」
「ううん。たぶん違うんじゃないかなー? 羊の毛に音の風が作用するなんて、聴いたことないよ、俺っち」
「そうか。それじゃあ、なぜそんなことが?」
「さあ? 俺っちにもさっぱり……って、えええええええ⁉︎」
バードはあまりにびっくりしすぎて、思わず声をあげた。しかし、バードは鳥である。周囲にはくるっぽーとしか聞こえなかった。
「……びっくりした。急に大声出すなよ、バード。耳がおかしくなるかと思ったじゃないか」
「ごめん、ごめんよ、エクシー。まさかそんなことってあるのかなと思ってさ」
「何があったんだ?」
「なんかね、羊が喜んだから、良い毛が生えたんじゃないかって、おばちゃんたち話してるよ」
「はあ?」
「いや、まさかね……。でも、ありえないことはない気もするけど……」
「バカバカしい。歌の力に関係なく、羊が喜んだから毛の質が変わった? そんなこと、あるわけがない」
「そうかなー? 俺っちは、可能性あると思うんだけど……」
「まあ、とにかくだ。今回はなかなか良いデータが取れた。引き続き、監視を頼むよバード」
「りょーかい、エクシー。ところでジャンは、今はどうしてるの?」
「あいつには、もうお茶汲みはさせないことにした。いまは、俺の代わりに上への報告書を書かせているよ。事細かに報告しろだなんて、面倒くさい。しかも書式まで細かくこだわりやがって……」
「へー。まあ、エクシーの仕事が楽になったんなら、よかったね。それじゃ、また何かあったら連絡するよー」
「ああ、頼んだよバード」
エクシーが通信を切ったことを確認すると、バードは考えた。
――もっと早くに、ジャンのお茶汲みはやめさせたらよかったのに、なんで通信機材がぶっ壊れるまで放置していたんだろ? それに、今度は報告書書かされてるなんて、ジャン大丈夫かなぁ。また失敗しそうな気がするんだけど……。
バードは鳥だが、心優しい鳥だ。声でしか話したことのないジャンのことを、心配するバードだった。
この後、本編は第2章へ突入します。
よろしくお願いいたします。
余談ですが……
幕間は「まくあい」と読みます。「まくま」ではありません。




