◆《閑話〜アンヘルの手記》第1回01
閑話→無駄話、心静かにする話(デジタル大辞泉より)
というわけで、お話の切替のインターバルとして、会話文のほとんどない、アンヘル視点一人称での閑話を書きました。
本編で詳しく書けなかった設定や「あの人はあの後どうなった?」的な誰得情報などを、閑話として書いていきたいと思います。(一人称の書き方の練習兼ねてます)
読み飛ばしていただいても、本編ストーリーに全く問題ありません。無駄話ですので……。
食事の合間のお漬物感覚でお読みいただければ幸いです。
――我が弟、ニース・アレクサンドロフへ捧ぐ――
私の名は、アンヘル・アレクサンドロフ。アマービレ王国のアレクサンドロフ伯爵家の嫡男だ。
アマービレ王国では、貴族の襲爵において、ほとんど例外なく正妻の生んだ長男が後継者として選ばれる。私は、アレクサンドロフ伯爵家の第一子であり、正妻の子として生を受けた。
貴族は、後継者がいない事態を防ぐために多くの子をもうけようと、複数の女性を娶る。私の父も例外ではなく、二人の女性を娶り、三人の子をもうけていた。その内、男児は私と弟アントンの二人だけだった。アントンは、私と母を同じくしている。妻の序列が正妻と側室に分かれているとはいえ、後継者選びには権力を狙う者たちの影が付き纏う。側室の元に男児が生まれれば、我が子を跡継ぎにと画策する者も現れる。アマービレ王国でも、醜い後継者争いは珍しくない。
私と弟、伯爵家の男児二人が正妻の子であったことは、幸せなことだった。母親が同じであれば、次男以下が跡継ぎを狙ったとしても、それを後押しする者はほぼいない。よほど母親に嫌われているなどの特殊な事情がなければ、長子を排するのは難しい。担ぐ者がいなければ、後ろ盾がなければ、後継者争いは起こらない。
私は、自分でいうのも何だが、優秀な子どもだった。同腹の弟と比べられても問題ないほどに、嫡男として周囲の期待に答えられるだけの賢い子どもだったと自負している。私は剣の腕もあり、心優しく強い子だと、母にも気に入られていた。誰もが私を後継者として認めていた。
同腹の弟アントンも、兄思いで裏のない優しい子だ。剣の腕はイマイチながらも、勉学では私に引けを取らない優秀さで、将来は私を支える有能な家臣となるだろうと、私を含め皆が思った。実際、アントンは私によく懐いており「仲のいい兄を支えられるようになりたい」と常日頃、周囲に言ってくれていたのを、私は知っている。
父である伯爵も、私に対してとても熱心に関わっていた。父からは「お前が跡継ぎでよかった」と度々言われていた。だから、私は嫡男として、後継者問題に何の心配も持っていなかった。
そうして安心していた最中に、父は新しい側室を迎えた。その側室から生まれたのが、伯爵家三人目の男の子だ。
当時十歳だった私は、父の新しい側室が男の子を生んだと聞いても、可愛い弟がひとり増えたとしか思わなかった。すでに私は十歳で健康そのもの。正当な血筋で能力的にも何の問題もなかった。だから嫡男としての私の地位は安泰だと感じていた。
気楽に考えていた私だったが、生まれたばかりの弟を初めて見た時は驚いた。赤ん坊とは、皮膚が赤く見えるものではなかっただろうか。私の新しい弟は、目も髪も肌も、見たことのないぐらい真っ黒だった。
私は口には出さなかったが、赤ん坊を見た時に「人間は、こんなに黒くなれるものなんだな」と思った。話したわけではないが、弟と妹も同じように感じていたと思う。弟たちも、赤ん坊を前に固まっていたのだから。
ニースと名付けられた新しい弟は、真っ黒で珍しく、私の興味をひいた。黒い色ということは、歌い手だということだ。歌い手を見ることは、伯爵家でもそれほど機会があるわけではなかった。伯爵家に来る歌い手は、数年に一度、古代文明の遺産に使われている石の調整のために、父が呼ぶ者だけだった。
私は、好きなだけ眺められる歌い手の存在に、胸を躍らせた。色の他に何か違いがないかと、私は度々ニースを観察しに行った。しかしニースは真っ黒なだけで、他に特別なことは何もなかった。姿形こそ真っ黒であれど、ニースは私たちと同じ、ただの人間だった。
ニースがほかの赤ん坊と同じだと分かっても、私はニースによく会いに行った。たまにニースの乳母にねだって、ニースを抱いたり、おむつを替えたりもした。母は、嫡男がそんなことをするものではないと叱ったが、私にとって赤ん坊の世話は目新しく面白いものだった。小さなニースは、とても可愛い弟だった。
そんな可愛かった末の弟への気持ちが変わってしまったのは、いつからだったろうか……。
父がニースのことばかり構うようになっていることに私が気付いたのは、ニースが生まれてしばらく経ってからだった。
私が剣や弓の練習をしている時に、いつも様子を見に来ていた父が来なくなった。最初は、生まれると同時に母を亡くしたニースのことが気になるのだろうと、私は軽く考えていた。
しかし、ニースがひとりで座れるようになると、父はニースを連れて散歩へ出かけてしまうようになった。ニースが歩くようになるとそれは顕著になり、ついに馬の遠乗りにまでニースを連れ出すようになった。私は自分も誘われるだろうと思っていたが、父が私を誘うことはなかった。
ある日、私は父に、遠乗りに連れて行ってほしいとねだった。ニースが生まれる前までは、父は喜んで私を連れて行ってくれたのだ。しかし、その時初めて私は父に断られた。
私は信じられなかった。きっと父は忙しいのだろう、余裕がないのだろうと、無理矢理自分を納得させた。しかし、その後も父が私を遠乗りに誘うことはなかった。
家族で狩りに出かける時も、父はニースを連れて行った。ニースはまだヨチヨチ歩きで、狩りなど出来るはずもないのに、なぜ連れて行くのか。私には理解出来なかった。
狩りに出かけた先でも、父はニースにべったりだった。ニースが生まれる前までは、父と私が狩った獣を夕食に料理人が調理していたのに、父はニースにべったりで、狩りをまじめにしようとしなくなった。
初めてニースを連れて狩りに出かけた日のことは、今も鮮明に記憶している。その日の夕食には、まともに狩りをしなかった父の代わりに、私とアントンが仕留めた獣の肉が調理された。
この日、アントンは初めて一人で狩りを成功させた。しかし、父は弟の成長に興味を示さず、ニースが上手にフォークで肉を刺した事に喜んでいた。私には信じられない出来事だった。その夜、一人静かに泣くアントンを慰めながら、私は父の変わりようを悲しんだ。
それから何回か家族で狩りに出かけたが、ニースが成長しても父がそばを離れることはなかった。父はニースから離れるどころか、まだ幼いニースに弓を持たせて狩りの真似事をさせては喜んだ。
私は、父に対して苦々しく感じていた。たくさんの獣を狩っても、剣や弓の腕前があがっても、新しい勉強の内容を覚えても、父は私をほめなくなった。いや、ほめないどころか、そもそも私のことなど眼中にないように見えた。
そうして、ニースが三歳の頃、私の気持ちが決定的に変わる出来事が起きた。
私が剣の練習で怪我をした時のことだ。護衛たちとの打ち合い稽古で、バランスを崩し転倒した私は、手をついた位置が良くなかったようで、腕をひねり骨折してしまった。骨が折れた痛みは今まで感じたことのないもので、痛みのあまり声が出ないという状況に初めて陥った。息をするだけで腕に痛みが走り、風が軽く肌を撫でるだけで激痛を感じるようだった。
私にとって初めての大怪我だったが、父は一度も私の腕を気にしなかった。ちょうどその日、ニースが転んで膝を擦りむいたからだ。
私の怪我の治療の手配はすべて母が行なってくれた。そこに父は全く関わっていなかった。私が左手を包帯で巻いたまま食卓についても、父はニースのことで頭がいっぱいで、私に一言も声をかけなかった。私は悲しくて寂しくて仕方なかった。
そんな父の様子を、母も苦々しく感じていたように思う。しかし、母がどこか仕方ないと諦めていることに、私は気付いていた。
私はついに我慢が出来なくなり、なぜ父に何も言ってくれないのかと母に泣きついた。母は、私の右手をそっと取り、撫でながら答えた。
「仕方ないのよ。ニースは天の導きなのだから。これは、アンヘル。あなたのためでもあるの」
私を見つめ、優しい声で語りかけた母は、ひどく寂しそうな瞳をしていた。
私は、その時初めて、天の導きのことを母から聞いた。天の導きは、黒目、黒髪、黒い肌を持って生まれてくる。そう、まさに我が末弟ニースだった。
天の導きとは、強大な歌の力を持つ歌い手の事だ。歌い手の力は、血では受け継がれない。先祖返りと呼ばれる形で、ある日突然どこかの家に生まれてくる。そして、体の色が黒に近ければ近いほど、歌の力が強いと言われている。
その中で、髪か瞳か肌のどれか一つでも黒ければ、その歌い手は当たりだ。色が黒くない歌い手ももちろんいるが、彼らの歌の力は弱い。どれか一つが黒いだけで、一気に歌の力は増える。
歌い手の力を示す色が、全て純粋な黒なのが天の導きだ。世界中の歌い手を集めても、天の導きは両手で数えるほどしかいないと言われている。
歌い手の歌の力は、石を用いて古代文明の遺産を動かすために使われる。加熱、冷却、放電……様々な形の石の力を利用出来る古代文明の遺産は、使いようによっては兵器にもなり得る。ただの歌い手でも充分脅威なのに、それが天の導きとあれば、どれほどのものかは想像に難くない。
天の導きであるニースがいれば、伯爵家に莫大な富がもたらされる。高位貴族のみならず、王室も無視出来ないほどの力だ。どれだけ利益をもたらすか計り知れない。ニースの存在が、将来私に与えるであろう大きな可能性のことを考えれば、母が父に強く言えないのも理解出来た。
私は母を責めるのをやめた。父がニースにかかりきりになるのも仕方ないと思った。しかし……。
私に何かあった時の代わりとして、弟たちがいるのは知っている。父にとっては、私などいなくても構わないのかもしれない。ひょっとすると、父はニースに跡目を継がせたいとすら思っているのかもしれない。
だが、私は嫡男だ。正妻の長男だ。いくらニースが天の導きでも、ニースは側室の子。しかも、亡くなったニースの生みの母は、貴族ですらない一般庶民の出だ。嫡男として申し分のない私を、父が蔑ろにしていいはずはない。私自身、そのような扱いをされることは許せなかった。
私は、やり場のない憤りをまだ幼いニースに向けた。最初は、可愛がっていたニースから距離を置いた。ニースは何も知らずに私にニコニコと寄ってきていたが、それを突き放すように避けた。
私がニースを構わなくなると、次第に弟と妹も、ニースのことを避けるようになった。私たちは、ニースが生まれる前と同じように、三人だけで過ごすようになった。
子どもが三人集まれば、ろくでもない事を考えることはままあるだろう。今思い返せば恥ずかしいことだが……。私たちは、ニースが気に入ったおもちゃを隠したり、ニースの好物であるおやつを食べてしまったりと、小さな嫌がらせをニースにするようになった。
その頃の私は、ニースが泣けばいいと思った。困ればいいと思った。ニースが泣くと、胸のつかえがすっと降りるように感じられた。ほんのひと時でも、気分が軽くなった。けれど、そんな事をしていても、父がニースのことしか見ないことに変わりはなかった。父は私を見向きもしなかった。
ニースも、一時は泣いたり悲しんだり困ったりするが、少しすれば元気になってしまう。そのうち、周りに見つからないような小さな嫌がらせでは、ニースは泣きもしなくなった。いつも楽しそうに父と過ごし、笑顔を振りまきながら歌うニースを見て、私の心には暗い妬みがへばりついて取れなくなった。
そんな日々を過ごすうちに、私の十五歳の誕生日が近づいてきた。十五歳は、アマービレ王国の子どもたちが成人する歳だ。成人すると酒を飲めるようになり、本格的に独り立ちをする。私も、成人の儀と誕生日パーティを終えてしばらくすれば、王城へと出仕することになっていた。
次期アレクサンドロフ伯爵として、私は王室のために貢献しなければならない。私が成人するまでは、父は伯爵領と王都を行ったり来たりして仕事をこなしており、伯爵不在の間の領地経営は家令が取り仕切っていた。
私が出仕したら、最初こそ父に付いて王城の仕事を覚えなければならないが、五年も仕えれば仕事はすっかり身について、私一人で王城での仕事はこなせるようになるだろう。そうなれば、父は領地経営に専念するのだ。
私は領地経営の基本についてはすでに学び終えている。あとは王城で仕えながら、時折父の仕事を手伝って実際の領地経営について学んでいくだけだ。
成人の儀は、貴族の格を示す機会だ。伯爵家も同様であり、母は張り切った。父はいつもと変わらずニースの事しか頭にないようで、嫡男の成人だというのに、取り仕切る事はなかった。
私の成人の儀とパーティは立派なものだった。だがそこに、高位貴族は数えるほどしか来なかった。アレクサンドロフ伯爵は、それほど力のある伯爵ではない。アマービレ王国には多数の貴族がおり、伯爵の称号を持つ者もたくさんいる。数多い伯爵の中でも、アレクサンドロフ伯爵家の家格は中の下という、大して力のない家だ。そんな弱い伯爵家の嫡男の成人だ。いくら母が頑張り、大々的に行ったとはいえ、伯爵家より上位の貴族たちが大挙して来ることはなかった。
私の成人パーティから二ヶ月後、ニース五歳の誕生日パーティが催された。アマービレ王国では五歳はようやく人として活動し始める時期だと考えられている。五歳になるまでの幼い子どもたちは、体力が少なく、病気や怪我で死亡することもある。貴族の家では早死にすることは滅多にないが、庶民の家では栄養不良の子どももいるため、死亡率はそれなりに高い。
五歳を過ぎれば、体力もついてきて活発に動けるようになる。頭で考えることも出来るようになり、最低限の知識を持ち、町へおつかいにも出かけられる。
危険な場所にあえて近づいてしまう興味心の強い子もいるが、それは大人にもいることだろう。大抵の子どもたちは、五歳ともなれば馬車の前に飛び出したりすることもなく、分別ついた行動が出来るようになるため、ようやく人になったと社会から認められるのだ。
そのため、五歳の誕生日は成人の十五歳と並ぶ一大イベントとなる。庶民の家では貴族ほど大々的に祝うことはないが、それでも親族を集めて子どもの成長を祝うのだ。貴族だ我がアレクサンドロフ伯爵家で行われるものは、盛大なものになって当然だった。
しかし、まさか私の成人パーティより立派なものになるとは思わなかった。公爵夫妻までニースの誕生日パーティに来たのだ。私の成人の時には祝いの手紙すら寄越さなかった王都の高位貴族たちが、ニースの誕生日にはこぞってやってきた。父自らが準備に動いたことも大きかったが、何より集まった高位貴族たちは天の導きのニースに興味を示していた。
私は悔しかった。ニースは見かけはただの黒い人だ。色こそ違うが、同じ人間だ。特別賢いわけでもなく、特別強いわけでもない。ニースは時折綺麗な声で鳴くように歌うが、それだけだ。
我が家は伯爵家といえど、裕福なわけではない。屋敷には、歌の力を計るための特殊な発掘品や石は存在しなかった。父は故障を恐れて、火石を使ったコンロや、氷石を使った冷蔵庫、雷石を使ったランプにさえ、ニースの歌を近づけなかった。だから、ニースに本当に歌の力があるのか、あるならどれぐらいの力なのか、伯爵家の誰もわからなかった。ニースがいくら歌を覚えようと、何か変わることもない。
しかもニースは妾の子で三男だ。本来なら、伯爵家の子と言えど、高位貴族たちが歯牙にも掛けない存在だ。そんなニースが、嫡男の私以上に注目されるなど、到底許せなかった。
私の成人パーティの時には余裕のあった屋敷のホールは、ニースの誕生日では招待客で埋め尽くされた。ダンスをするための隙間をあけるのも苦労しそうなほどだった。それだけの注目を集めているというのに、パーティの最中、ニース本人がくたびれて椅子に座っていることに、私は気付いてしまった。
母や弟と共に貴族たちへ挨拶回りをしていた私は、視界の端に止まったニースの姿に怒りを覚えた。私は思わずニースを睨み付けた。ニースが私の視線に気づき振り向こうとしたので、ニースと顔を合わせないように、私はさっと視線を戻した。私はニースの顔など見たくなかった。
それから私は、笑顔を無理矢理形作り、挨拶回りに戻った。ニースの誕生日パーティだから仕方ない事ではあるが、どの貴族もニースの事ばかり話すから、私は気が滅入っていた。




