11:羊の気持ち2
前回のざっくりあらすじ:羊毛の品質が、突然上がった。
マーサの考えた通り、マシューの牧場の羊毛は、瞬く間に町で人気となった。もっと売ってくれという者が後を立たず、来年分の予約希望者まで現れ始めた。
しかし、年老いたマシューが羊を増やすことは出来ない。まだ幼いニースを人足として数えるのも、とても無理だ。あまりの人気に、マシューは注文を断らねばならないほどだった。
穏やかな春の陽気が、牧場を包む。春風を感じながら、二人の壮年の男がマシューの家を訪ねた。マシューは、微笑んで二人を迎え入れた。
「ヨハン、ウスコ。そろそろ来ると思ったよ」
ヨハンは、マシューの羊毛を買い取り、毛糸や絨毯に加工している職人だ。小洒落た服を着たヨハンは、マシューの言葉に、ふっと笑った。
「よう、マシュー。お見通しってわけか」
「お前さんたちも、毛の秘密を聞きに来たんだろう」
「まあな。先客がいたのか」
「お前さんたちで五回目だ。もう慣れたよ」
「そりゃ、遅れを取っちまったな」
羊毛の販売量が増やせないのならと、品質向上の秘訣を尋ねる者が出始めていた。マシューは聞かれる度に、正直にありのままを伝えていた。
二人の会話にウスコが、くたびれた帽子を脱ぎながら声を挟んだ。
「そんなに人気なのか。だから羊がみんな裸だったんだな。一人でよくやるよ」
ウスコは、マシューと同じ羊飼いだ。毛刈りの大変さを、よく知っている。ウスコの言葉に、マシューは頭を振った。
「いや。わしはもう、一人じゃなくてな」
「なんだ、誰か雇ったのか?」
「そうじゃない。孫が一人、来てくれたんだ」
マシューの話に、ヨハンが、ああと頷いた。
「そういや、マーサがそんなことを言ってたな」
マーサは、ニースが町の人々と打ち解けられるよう、陰ながら支えていた。ニースが町へお使いに行く際に付き添ったり、女友達との茶会や、町の子どもを集めた食事会を催すなどして、ニースを皆に紹介していたのだ。
マシューが孫を一人預かっており、その孫の容姿は少しばかり珍しいという話は、町の隅々まで広まっていた。
マシューの孫は黒くて珍しいという噂を聞いて、町長など裕福な人々の中には、歌い手ではないかと考える者もいた。マーサはそういった人々にも、ニースはただ黒いだけだと、しっかり教えてやった。
マーサの説明に意を唱えるものなど、この町にはいない。そんなことをしたら、自分の家で女性陣から追加で教えられるはめになるからだ。
マーサは料理上手で有名だった。レシピをまとめた本は、多くの人の手で書き写され、王宮図書館に置かれているほどだ。マーサの料理を教わった町の女たちは、男たちの胃袋をしっかりと掴んでいた。人は食べねば生きられぬ。男たちにとって妻の機嫌は死活問題だった。
マーサから聞いた話を思い出し、ウスコが問いかけた。
「まだ小さいって聞いたが、役に立つのか?」
マシューは、はははと笑った。
「良い子なんだよ。あとで紹介しよう」
マシューは二人に茶を出し、慣れた様子で秘訣を話した。話を聞いたウスコは、驚き声を挟んだ。
「羊の気分を良くさせる? それで羊毛が良くなったっていうのか」
「ああ、そうだ。ウスコも聞いたことぐらいあるだろう? 悩んでばかりいると髪の毛が薄くなるって話。それの逆ってことだ」
ヨハンが、からかうような目をウスコに向けた。
「ウスコが知らないわけないよな。お前いつも毛生え薬でいいのがないか探してるもんな」
「余計なお世話だってんだよ。ヨハンまでマシューと一緒になってからかいやがって」
仲の良い二人の言い合いに、マシューは、はははと笑った。
「ヨハンと違って、わしはからかってるわけじゃないぞ。本当にそれで、毛の質が上がったんだからな」
「はっ。どうだか」
仏頂面のウスコを横目に、ヨハンは頷いた。
「羊を育てたマシューが言うんだ。俺は信じるよ」
「俺だって、それは信じるさ。俺が疑ってるのは、マシューがからかってないってことだ」
ヨハンは慰めるように、ウスコの肩を叩いた。
「なあ、ウスコ。お前も逃げ出したカミさんのことなんか忘れて、楽しく生きていればまた生えてくるって」
「この野郎。お前だって、そんなに余裕あるわけじゃねえだろうがよ」
「そんなに怒るなよ。図星じゃないならな」
「くそっ。ずる賢い野郎だぜ」
反論したくとも出来なくなったウスコから、ヨハンはマシューに目を向けた。
「それで? 具体的に何をして、羊のご機嫌取りをしたんだ?」
「簡単なことだ。羊が喜ぶことをしてやったのさ」
ウスコは、まだぶつぶつと何やら呟いていたが、まばらに生えている髪をひと撫でして整えると、声を挟んだ。
「羊が喜ぶことって、何をだよ?」
ウスコが興味深げに尋ねた時、ちょうどニースが水を飲みに家へ帰ってきた。春の間は、仔羊たちがはぐれないように家のすぐそばで放牧しているため、羊をシェリーに任せて気軽に家へ来れるのだ。
マシューは、裏口から入ってきたニースに声をかけた。
「おお、ちょうど良かった。ニース、よかったらいつものあれをやってくれんか」
「うん。いいよ。お水を飲むからちょっと待ってね」
ニースは返事を返すと、ヨハンとウスコにぺこりとお辞儀をした。二人は、ニースの黒い容姿に驚きつつも微笑みを返した。
水を飲むニースを見ながら、ヨハンはマシューに問いかけた。
「あの子が、お前の孫か?」
「ああ、そうだ。とてもいい子でな、羊の世話も手伝ってくれるんだ」
ウスコが、感慨深げに声を挟んだ。
「あんなに小さいのになぁ。リンドが小さかった頃を思い出すぜ。あのリンドが、もう母親かぁ」
ウスコは、小さい頃のリンドを知っている。マシューが狩人を辞め羊飼いになる時に、仕事を教えたのもウスコだった。
ニースは喉を潤すと、ヨハンとウスコに挨拶をした。
「はじめまして。孫のニースです。ええと……」
「ああ、俺はヨハン。毛糸や絨毯を作って暮らしてる。そんで、隣のこいつは……」
「俺はウスコだ。マシューと同じ羊飼いだよ。よろしくな、ニース」
ウスコは、ニッと笑って言葉を継いだ。
「お前さん、もう羊飼いの仕事を手伝っているんだって? リンドも小さな頃は羊と遊ぶのが好きだったが、手伝いはしなかったよ。偉いなぁ」
「ありがとうございます」
ニースは照れくささを感じて、はにかんだ。マシューが、にこやかに声を挟んだ。
「ニース、すまないな。いつものように頼むよ」
「はい。おじいちゃん」
ヨハンとウスコは、何が始まるのかとワクワクしながらニースを見つめた。ニースはじっと見つめられて恥ずかしかったが、すでに何度かやったことだ。もうすっかり慣れていた。
ニースは、ふぅと息を吐き、羊に聞かせるのと同じように歌い始めた。
ヨハンとウスコは、ニースの声が奏でる澄んだ音色に驚いたが、すぐに耳を澄ませて聴き入った。二人の頬が、自然と緩む。二人は身をもって、歌の楽しさを感じていた。
柔らかな春の日差しが、窓辺に煌めく。ニースが歌い終えると、マシューが満面の笑みで拍手をした。それを見て、ヨハンとウスコも拍手を送った。
「いやあ、素晴らしい声だった。初めて聞いたが、これなら羊だって喜んで当然だな」
「ああ、本当にすごかったぜ。鳥の鳴き声みたいな、なんていうかこう……」
喉元まで出かかった言葉をうまく言えないウスコに、マシューが笑った。
「楽器の演奏みたいだろう。旅の一座の」
「そうそう、それだそれ。マシュー、よく分かったな」
「わしも初めて聞いた時に、そう思ったんだよ」
話を聞いたヨハンは、町にやって来る様々な旅芸人を思い返した。
「なるほどなぁ。確かに言われてみれば似ているな」
呟いたヨハンに、ウスコは、ニヤリと笑みを浮かべた。
「お前の方が色んな旅芸人を見てるってのに、気付かなかったのか?」
「お前が言わなきゃ、俺だって気付いたさ」
「よく言うぜ。まあお前は、音楽っていうより女の尻しか見てないからな。どうせ踊り子ぐらいしか、覚えてねえんだろ」
「お前だって似たようなもんだろ。昔来た、ハリカの妖精って踊り子に、相当熱を入れてたじゃねえか」
突然喧嘩を始めた二人に、ニースは唖然とした。マシューが宥めるように、声を挟んだ。
「まあまあ、二人とも。ニースがびっくりしてるから、落ち着け」
ウスコとヨハンは、はっとして気まずそうに笑った。
「いや、すまねえな。つい話が脱線しちまった」
「全く、ウスコが余計なこと言うからだろうが」
「なんだと……って、ここでまた喧嘩したんじゃ芸がないよなぁ」
「お前と喧嘩するためにここに来たわけじゃないからな」
「それは俺も同じだよ」
ウスコは苦笑し、改めてニースに目を向けた。
「いや、しかし本当に凄かったぜ。俺なんか、聴いてて鳥肌立っちまったぐらいだ」
ウスコに褒められて、ニースは、くすぐったさを感じた。はにかむニースに、ヨハンが問いかけた。
「で、ニースがやったそれは、一体何なんだ?」
「ぼくは、歌を歌っただけです」
ニースの答えに、二人は首を傾げた。
「歌?」
「歌って、たしか歌い手様が使うやつじゃなかったか?」
「えっと、その歌い手の歌と同じなんですけど、違うっていうか……」
どう説明したらいいかと戸惑うニースに、マシューは微笑んだ。
「ここからは、わしが説明しよう。ニース、ありがとうな。羊たちの世話に戻ってくれるか?」
「うん。分かったよ、おじいちゃん」
ニースは、ほっと安堵して、ぺこりと頭を下げた。
「それでは、ぼくは仕事に戻ります。お二人とも、ごゆっくり」
ニースは裏口から家を出る。ニースの背を見送り、ウスコとヨハンは感心して呟いた。
「まだあんなに小さいのに、ずいぶん立派な挨拶するもんだなぁ」
「本当にな。どこかの誰かとは全然違うよ」
「言ってろ!」
ウスコはヨハンのからかいを無視し、マシューに問いかけた。
「ところで、マシュー。さっきの話の続きだが、歌い手様の歌と同じだけど違うって、どういうことだ?」
マシューはウスコに、分かりやすく説明を始めた。
「歌い手様は、歌の力を使って、わしらには出来ない凄いことをするのは知ってるだろう?」
「ああ。知ってる。それで?」
「ニースは歌を歌えるが、ニースの歌には、歌の力がないらしいんだ」
にわかには理解できない話に、ウスコとヨハンは、ぽかんと口を開けた。
「特別な力がない歌い手様もいるのか」
「初めて聞いたよ」
「ああ。なんでも“調子外れ”と言うものらしい。わしも詳しいことは知らんが、たまにあるらしいんだ」
マシューの話に二人は、ニースのこれまでの苦労を想像して、切なさを感じた。
「なるほどなぁ。それでリンドは、マシューに預けたわけか。あるはずの力がないなんて、大きな街じゃ色々いじめられそうだもんな」
「そうだなぁ。マーサもそれで、あんなに色々気遣ってたんだな」
「そういうことだ。羊毛は、歌の力関係なしに質が良くなったんだ。だからわしとマーサは、羊の気分が関係してるんだと思ったんだ」
マシューの話を聞いて、ウスコとヨハンは納得した。
「そういうことなら、わかったぜ。羊の気分を良くする、か。羊が喜ぶようなことが他に何かないか、俺も探してみるよ」
「ああ。俺も手伝おう。ニースの歌で気分が良くなるなら、楽器の演奏を聞かせても効果ありそうだな」
「お、それはいい考えだな。ちょっとお前、俺んとこの羊のために、演奏家の手配してくれよ」
「いつもなら断るところだが、今回ばかりは仕方ないな。商売のためだ。演奏家を呼ぶのはちょいとばかし金がかかるが、試してみよう」
二人がニースの心の傷を開くことなく、自分たちで工夫しようとする姿を見て、マシューは安堵した。三人は羊の気分を良くするために、他にどんな方法があるのかを考え始めた。
マシューから話を聞いた人々は、思い思いに羊を育てる環境を整えていった。そうして町の牧場の至る所で、定期的に音楽家による演奏が行われるようになった。マッサージやスキンシップ、語りかけなども行われるようになり、羊の飼料や水の質を良くし、衛生環境の改善も行われた。
一年後には、クフロトラブラの町全体の羊毛の品質が上がった。また、羊毛だけでなく、羊肉や羊乳の味も良くなった。ニースとマシューが発端となり、町は豊かになっていった。
音響飼育が町に根付くのと同時に、町の人々はニースの歌を楽しむものとして受け入れていった。ニースが“調子外れ”であることを、人々が気にすることはなかった。
温かな町の人々と羊に囲まれて、ニースは健やかに成長していった。
これにて、第1部終了となります。
このあと、閑話、幕間劇を挟みまして、第2部へと続きます。
ニースの物語が大きく動き出します。
今後ともよろしくお願い致します。




